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詩集「ひかりのような」 栁川碧斗 (2023/07) 七月堂

2024-03-12 17:11:46 | 詩集
91頁に18編を収める。

言葉はその役割として事物と結びついている。たとえば”犬”という言葉は当然のことながら生物としての犬そのものではないのだが、生物としての犬の属性を引き受けている。“犬”という言葉を読んだ人は実際の犬の属性をそこにみているわけだ。したがって、作品で言葉が使われる時、その言葉は指し示すものの属性をどのように引き受けているかを考えなければならないだろう。

「行方のために」。他者が存在することによって街は形成される。そこは「痛みを抱きしめられるように/髪がはためくための空間」なのだが、この町にいるはずの他者はまるで顔を持っていないようだ。話者がただ一人で彷徨っているようなのだ。

   漏れていく、街そのものが、
   溶けだした過去が不揃いに滴り階段を降りていく、部屋から出る、ぽつねんと佇む、光源、共振する、こちら、行く先を照らすように、
   遠くの人、だから、わたしたちの声を連れていき、一緒に過ごそう、と、手を繋ぐ、
   身体が震える前に、世界が侵される前に、過去をそうして思い出し、世界は、
   風でそれを純朴にする、シェルターが透き通る、市場が栄える

この詩集の作品では、言葉をただ言葉として機能させようとしているように感じられる。言葉が約束事として引き受けている実際の事物の存在は希薄なのだ。言葉は、その言葉が指し示す実際のものには頼らずに、言葉が担っている概念だけを利用しているようなのだ。言葉に纏わり付く余分なものをふるい落としているのかもしれない。

「親密さ/巡る」では、都会の摩天楼が一個の生命体のように話者に迫ってくる。

   平衡を犯す
   働きを始める
   突如雪が舞う
   わたしは涙袋の体躯を崩しつつ
   その運動をとりとめ
   わたしは背骨のずれていることを思い出し
   肩のしこりが
   神経を刺激する手が痺れる

作者は大学を卒業したばかりのようだ。若い感性が操る言葉の鋭利な角がいたるところにあり、大変に魅力的であった。
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