4連休の中の9/22に「夫婦鉋」の本の完成記念のお祝いが碓氷さん主催で開かれ、私までがご招待いただきました。
参加者は、本の制作に関わった杉村幸次郎棟梁、上條勝先生、小川三夫棟梁(写真後列左から)と私、碓氷さんご夫妻の6人。
聞き書きの塩野米松先生は、法要とぶつかったため残念ながら欠席されました。
本の完成までの様子と内容は昨日のブログ記事で。
「想像してたよりいい本ができた」と、とってもうれしそうな碓氷さんご夫妻。
普段は飲まれないのに少しお酒が入っていつもより饒舌な碓氷さん。
小川棟梁とは初対面でしたがとても気さくで懐の深い方でした。
上條先生とは旧知の間柄でしたが、いつもながらおちついて温厚なお人柄です。
「削ろう会」の会長の杉村棟梁には、9年ほど前に与板で「削ろう会」があった時に私が立ち上げたばかりの「越後の大工刃物・大工道具」のHPに「削ろう会」のページを作成したので許可をいただこうとお話ししました。
その時に「「削ろう会」ではHPを作らないので代わりにやってください」とお願いされてから準オフィシャルサイト?として活動しております。
以来、その後「削ろう会」でお会いするたびにご挨拶してお話をさせていただいています。
上條先生と杉村棟梁は「削ろう会」の今後についての会談ですかな?
杉村棟梁と小川棟梁は同年代らしいですが、小川さんがあまりこのような会に参加されないそうで意外にも初対面に近い感じでしたが、意気投合され何度も握手されていました。
日本を代表する鍛冶屋さんと宮大工さんによる昔の名工や鉋について、日本建築や「削ろう会」の今後についてなど有意義なお話をたくさんお聞きすることができました。
例の「火天の城」も原作者や映画監督まで小川棟梁に話を聞きに来られたり、シナリオの訂正をしたなどという興味深い話なども聞けていつまでも話は尽きず・・・。
気が付けば4時間半も経っていてお開きになりましたが、まだまだ話足りない感じでした。
驚いたのはお三人ともお酒が強く、どれだけ飲んでも全く乱れず最後まで楽しいお酒だったのは、下戸の私にはうらやましい限りでした。
とっても楽しい至福の時を過ごせて幸せでした。
楽しい時間をありがとうございました。
参加者は、本の制作に関わった杉村幸次郎棟梁、上條勝先生、小川三夫棟梁(写真後列左から)と私、碓氷さんご夫妻の6人。
聞き書きの塩野米松先生は、法要とぶつかったため残念ながら欠席されました。
本の完成までの様子と内容は昨日のブログ記事で。
「想像してたよりいい本ができた」と、とってもうれしそうな碓氷さんご夫妻。
普段は飲まれないのに少しお酒が入っていつもより饒舌な碓氷さん。
小川棟梁とは初対面でしたがとても気さくで懐の深い方でした。
上條先生とは旧知の間柄でしたが、いつもながらおちついて温厚なお人柄です。
「削ろう会」の会長の杉村棟梁には、9年ほど前に与板で「削ろう会」があった時に私が立ち上げたばかりの「越後の大工刃物・大工道具」のHPに「削ろう会」のページを作成したので許可をいただこうとお話ししました。
その時に「「削ろう会」ではHPを作らないので代わりにやってください」とお願いされてから準オフィシャルサイト?として活動しております。
以来、その後「削ろう会」でお会いするたびにご挨拶してお話をさせていただいています。
上條先生と杉村棟梁は「削ろう会」の今後についての会談ですかな?
杉村棟梁と小川棟梁は同年代らしいですが、小川さんがあまりこのような会に参加されないそうで意外にも初対面に近い感じでしたが、意気投合され何度も握手されていました。
日本を代表する鍛冶屋さんと宮大工さんによる昔の名工や鉋について、日本建築や「削ろう会」の今後についてなど有意義なお話をたくさんお聞きすることができました。
例の「火天の城」も原作者や映画監督まで小川棟梁に話を聞きに来られたり、シナリオの訂正をしたなどという興味深い話なども聞けていつまでも話は尽きず・・・。
気が付けば4時間半も経っていてお開きになりましたが、まだまだ話足りない感じでした。
驚いたのはお三人ともお酒が強く、どれだけ飲んでも全く乱れず最後まで楽しいお酒だったのは、下戸の私にはうらやましい限りでした。
とっても楽しい至福の時を過ごせて幸せでした。
楽しい時間をありがとうございました。
まず表紙を取ったときのうれしさがありました。
また、手を洗ってから本を取りました。
読んでいるうちに碓氷さんの気迫で背筋が伸び、時間が経つことも忘れ読むことができました。
感想や詳細な内容は書きませんが、
まさに「伝統的匠の技と科学の融合」でした。
白鷹幸伯さんの本を読んでいたのもあり、刃物づくりに共通することも頭に思い浮かべながら読めました。
最後に質問ですが、炭を作るときの松は与坂から採取されるのでしょうか?
また、そのときの松は、何のマツ(アカマツ or クロマツなど)を使うとよいのでしょうか?
最後に、与坂には炭焼きの人は(まだ)いらっしゃるのでしょうか?
与坂や三条の刃物産業を支えることにも注目したいです。
印刷して碓氷さんに読んでいただきましたが、大変喜んでおられました。
松炭については、地元与板にはもともとなくて、昔は佐渡にあったそうですが、現在では岩手から仕入れるそうです。
と、言っても松炭の焼入れは光りがない夜中に炭の色を見てやるので、時間的な意味と防災的な意味で現在ではほとんどされていません。
松炭も刀鍛冶のために用意されているものを鉋鍛冶が少し分けてもらうという感じだそうです。
建築様式の変化で木を削ることが少なくなってきて鉋を使う場面もなくなってきているのが現状ですが、「削ろう会」などでまだまだ削りにこだわった大工さんが全国にいるのをみるとうれしくなります。
少なくなっても、なくてはならない「削りの文化」ですのでこの灯を消さないようにがんばっていきたいと思います。