みちのくの山野草

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賢治関連七不思議(賢治の稲作指導、#5)

2017-08-07 10:00:00 | 賢治に関する不思議
《驥北の野》(平成29年7月17日撮影)
 では、先の「候補群」全体を概観していて私に見えてきた結論とは何か。
 それは、③、⑤、⑥、⑩、⑫、⑬、⑮のそれぞれについては、「羅須地人協会時代」の賢治が、いつ、どこで、誰に対してどんな稲作指導動をしたのかということが全て明らかになっているとはいずれの項目についても言えないものの、これらの要素のうちの複数の要素が具体的であることからその信憑性が低くないと判断できるし、しかもそのような複数の事例が複数あるということから、
 「羅須地人協会時代」の賢治は飯豊の「五十歳許りの親爺さん」や鍋倉の齋藤さん、そして石鳥谷の菊田(実は菊池信一のこと)らに対して農繁期にも熱心に稲作指導をしたことがあるとほぼ判断できる。
ということがまず導ける。
 よって、「羅須地人協会時代」の賢治が農閑期には肥料設計に熱心に取り組んだことがあったということは「塚の根肥料相談所」についての証言等からもともと事実であったと私も判断していたが、それだけではなく、
 「羅須地人協会時代」の賢治は農繁期においても、稲作指導のために東奔西走したとまで言える裏付けは見つからなかったものの、熱心に取り組んだことがあったということはこれでほぼ明らかになったと言ってもいいだろう。
 逆に言えば、そのようなことであったということはこれでわかったのだが、それが「羅須地人協会時代」の農繁期全般に亘って行われ、そのために賢治が東奔西走していたのかとなるとそこまでのことは導けなかったから、同時代の賢治が農繁期に農民たちに対しての稲作指導のために東奔西走したとまでは言い切れない。
………★
ということもこれまた明らかになったと言える。

 しかし一方で、この結論の〝★〟は不思議だということに気付く。それはもちろん、〝賢治関連七不思議(賢治の稲作指導、#1)〟で述べたこと、
 「羅須地人協会時代」の賢治が農繁期の稲作指導のために東奔西走したということの客観的な裏付け等が今のところ殆ど見つからない。………☆
とは一部相容れないからである。具体的には、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』で実証したように、「羅須地人協会時代」の賢治は大正15年においてはヒデリノトキニ涙ヲ流したとは言えないし、昭和3年の場合も同様だし、しかも同年の18日間ほどの滞京は「逃避行」であることも否定できないからである。これに対して、「いや昭和2年ならば農繁期の稲作指導のために徹宵東奔西走したではないか。「昭和二年はまた非常な寒い氣候が續いて、ひどい凶作であつた」のでそのために賢治はそうしたというようなことを多くの賢治研究家が述べているではないか」という指摘の反論もあろうが、大前提の「昭和二年はまた非常な寒い氣候が續いて、ひどい凶作であつた」ということは全く事実に反しているということは既に私は実証しているところであるから、その「指摘」は当たらない。

 それでは一部相容れない二つの結論〝★〟と〝☆〟とが導かれたということはどういうことか。どう折り合いが着けられるのだろうか。それは、
 「羅須地人協会時代」の賢治は農民たちに対して熱心に稲作指導等をしたこともあったが、そのような指導ために同時代の全てに亘って奔走していたということではなくてそれはある一時期においてであり、中には賢治を農聖と讃える人もあるが、実際の賢治は少なくとも農聖などではなかった。有り体に言えば、「羅須地人協会時代」の賢治は農繁期に農民たちに対して巷間いわれているほどの稲作指導はしていなかった。
というあたりではなかろか。こう結論すれば、私から見れば今までおかしいと思ってきたこととの一定の整合性が得られるから、従前の賢治像、巷間云われている賢治とはかなり異なったものとなってしまうのだが、この「あたり」が私の新たな結論になりつつある。

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