みちのくの山野草

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賢治関連七不思議(賢治の稲作指導、#6)

2017-08-08 10:00:00 | 賢治に関する不思議
《驥北の野》(平成29年7月17日撮影)
 さて前回私は
 「羅須地人協会時代」の賢治は農民たちに対して熱心に稲作指導をしたこともあったが、そのような指導ために同時代の全てに亘って奔走していたということではなくてそれはある一時期においてであり、中には賢治を農聖と讃える人もあるが、実際の賢治は少なくとも農聖などではなかった。有り体に言えば、「羅須地人協会時代」の賢治は農繁期に農民たちに対して巷間いわれているほどの稲作指導はしていなかった。
というあたりが賢治の実態だったのではなかろうかと結論づけた。つまりこれまでの私は、
 巷間、「羅須地人協会時代」の賢治は農民のため、とりわけ貧しい農民たちに対する稲作指導等のために風雨の中を徹宵東奔西走し、遂に病に倒れたが、彼の稗貫の土性や農芸化学に関する知見を生かした稲作指導によって岩手の農業は大いに発展した。
と認識していたのだが、どうもそうとは言い切れなさそうだということである。

 よくよく考えてみれば、賢治の稲作経験とは花巻農学校の先生になってからのものであり、豊富な実体験があった上での稲作指導というわけではないのだから、経験豊富な農民たちに対して賢治が指導できることは限定的なものであり、食味もよく冷害にも稲熱病にも強いといわれて普及し始めていた陸羽132号を、ただし同品種は金肥に対応して開発された品種だったからそれには金肥が欠かせないので肥料設計までしてやる、というのが賢治の稲作指導であったということになるのだろう。したがって、お金がなければ購入できない金肥を必要とするこの農法は、当時の大半を占めていた貧しい自小作農や小作農にとってはもともとふさわしいものではなかったということは当然の帰結である。

 ちなみに、羅須地人協会の直ぐ西隣の協会員の伊藤忠一でさえも、
 私も肥料設計をしてもらいましたが、なんせその頃は化学肥料が高くて、わたしどもには手が出ませんでした。
           <『宮沢賢治―地人への道―』(佐藤成著、川嶋印刷)より>
と述懐している。賢治の肥料設計に基づいて金肥(化学肥料)を施用すれば水稲の収量はかなり増えると言われても、現実はその肥料が買えないくらい当時の農家は金銭的な余裕はなかったということなのだろう。まして伊藤忠一の家はかなりの水田を有していたはずだが、その伊藤の家でさえもかくの如しなのだから、小作農家などの零細農家の場合はなおさらであったであろう。

 それからもう一つ、
 巷間、賢治の稲作指導に関しては、食味もよく冷害にも稲熱病にも強いという陸羽132号を近隣の農家のみならず、岩手に広めたということで高く評価されている。
と私は思っていた。ところが、『水沢市史 四』(水沢市史編纂委員会編)によれば、同品種は大正13年には既に岩手県の奨励品種となっていたとある。また、堀尾青史が花巻農会を訪ねた際、
 賢治のやったことは、当時農会でもやってましたよ。陸羽一三二号だってとっくにやってました。何も特別なことはないですよ。
           <『年譜宮澤賢治伝』(堀尾青史著、中公文庫)338p~>
と職員から言われたという。したがって、同品種の普及は賢治一人の力によってだったという訳ではなさそうだ。しかも前述したように、当時の大半を占めていた貧しい小作農たちにとっ賢治の稲作指導は現実的にはふさわしいものではなかったようで、それは、賢治の教え子である平來作の子息國友氏も、
 このあたりで陸羽132号は広く植えられた訳ではなく、物好きな人が植えたようだ。
と証言していることからも裏付けられる。

 となれば、
 「羅須地人協会時代」の賢治の稲作指導には始めから限界があり、農民たちに対しての献身は過大評価されてきた。ましてそれが貧しい農民たちのためであったということは現実的にはほぼあり得なかった。
というのが真相であったということを私はそろそろ覚るべきなのかもしれない。

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