みちのくの山野草

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「貧農にとって賢治など知ったことか」?

2020-01-18 16:00:00 | 『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』より
〈『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』(綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉

 そして『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』は、さらにこう続く。
 ムラの素朴さの裏にかくされた知識人を見る冷やかな目のあることを賢治も体感する。…(投稿者略)…
 どんなに協力、支援をしても、彼らは彼らだし、自分は自分だ、という心境にならざるをえない。自然の猛威によっておきる残酷さも賢治の責任といわれ、ひどい仕打ちを受ける。ムラ人たちとの接触の困難さには、ほとほとまいる日常であった。
 賢治はムラに住んではいても、その他の本格的農民ではない。彼の農民志願をムラ、ムラ人はどのような眼で迎えたのか。いかなる洗礼を受けねばならなかったのか。
 羅須地人協会に関係する農民は、どちらかといえば、ある程度経済的余裕のある人たちであった。貧困を引きずって生きる貧農にとって賢治など知ったことか、ということではなかったのか。
              〈『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』(綱澤 満昭著、海風社)43p〉
 私はこの文章を読んで、二つのことに大いに頷いた。

 その一つ目はまず、
    羅須地人協会に関係する農民は、どちらかといえば、ある程度経済的余裕のある人たちであった。
とう指摘に対してである。それは、以前の私の投稿〝賢治の稲作指導法とは〟等で論じたように、
 賢治の稲作指導法は、食味もよく冷害にも稲熱病にも強いといわれて普及し始めていた陸羽132号を、ただし同品種は金肥に対応して開発された品種だったからそれには金肥が欠かせないので肥料設計までしてやるというものであった。
し、それゆえに、
 賢治の稲作指導法は、農民の大半を占める貧しい農民たちのためのものではあり得なかった。
と断定できるからである。
 するとこの断定に基づけば、「貧困を引きずって生きる貧農にとって賢治など知ったことか、ということではなかったのか」という推定は私も大いに肯んずるところである。それは裏を返せば、「羅須地人協会時代」の賢治の稲作指導はたしかに「ある程度経済的余裕のある人たち」でなければ受け入れがたかった、となるからである
 しかもこのことは、次のような「花巻町近郊の農村青年」の証言があるし、
 …(投稿者略)…例の肥料設計ですね。あれはじつさいは地主の利益になつていたということです。だいたいあの頃金肥を買えた百姓というのは、よほど暮しのいい大百姓だつたそうです。金肥はいいことがわかつても買えなかつた百姓もたくさんあつたわけです。彼はそこまで気がつかなかつたようですね。僕の家などそうだつたのです。だから彼の設計で米が幾ら多く取れても、小作に対しては大した恩惠が無くて、地主の方は十分に小作米が入つたから大福々だつたわけです。それに金肥の宣伝で、もうかるのは肥料会社でしたろう。
             〈『宮澤賢治批判』(佐藤勝治著、十字屋書店)40p〉
 しかも協会員の中にも、伊藤忠一のように、
 私も肥料設計をしてもらったけれども、なにせその頃は化学肥料が高くて、わたしどもにはとても手が出なかった。
             〈『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)35p〉
と証言している者もいるからなおさらにであろう。

 そして二つ目は、
 どんなに協力、支援をしても、彼らは彼らだし、自分は自分だ、という心境にならざるをえない。自然の猛威によっておきる残酷さも賢治の責任といわれ、ひどい仕打ちを受ける。ムラ人たちとの接触の困難さには、ほとほとまいる日常であった。
にである。
 それは、「彼らは彼らだし、自分は自分だ、という心境にならざるをえない」についてだが、例えば次の詩、
一〇〇八   〔土も堀るだらう〕     一九二七、三、一六、
   土も堀るだらう
   ときどきは食はないこともあるだらう
   それだからといって
   やっぱりおまへらはおまへらだし
   われわれはわれわれだと
     ……山は吹雪のうす明り……
   なんべんもきき
   いまもきゝ
   やがてはまったくその通り
   まったくさうしかできないと
     ……林は淡い吹雪のコロナ……
   あらゆる失意や病気の底で
   わたくしもまたうなづくことだ
             <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)>
の中に「やっぱりおまへらはおまへらだし/われわれはわれわれだと」とあるように、賢治はそいう心境にならざるを得なかったと言えそうだからだ。
 それからまた、花巻農学校勤務時代の教え子である小原忠は、
 退めてこれから「火の気のない生活に入る」と生徒に云ったけれども、櫻での生活は赤裸々に書き残されているのでそれを見れば一目瞭然で、過労と無収入のためかムキ出しの人間賢治が浮き出されている。今、そのころ訪れたことを想出して見ると、多少ナーバスなものがあったように思うがそれは当然だったとおもう。
             <『賢治研究13号』(宮沢賢治研究会)5pより>
と述懐しているからだ。
 そして実際に、羅須地人協会時代に賢治が詠んだ詩の中にはそのような詩が少なからず見つかる。とりわけ、私からすれば「饗宴」 〔甲助 今朝まだくらぁに〕 〔同心町の夜あけ方〕 〔秘事念仏の大元締が〕 〔 憎むべき「隈」辨当を食ふ〕等にだ。そこには、たしかに「ムキ出しの人間賢治が浮き出されている」表現が見つかり、しかも賢治の抜きがたい差別意識<*1>が垣間見られる。

 だから、「ひどい仕打ちを受ける。ムラ人たちとの接触の困難さ」はムラ人だけに責任があったわけではなく、どちらかというとより賢治自身にあったと、つまり賢治自身が招いた部分もかなりあったのではなかろうか、と私などは考えてしまう。そしてそのことは、「258 昭和5年3月10日 伊藤忠一宛書簡」の中の、
根子ではいろいろとお世話になりました。
たびたび失礼なことも言ひましたが、殆んどあすこでははじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいなもので何とも済みませんでした。
             〈『新校本宮澤賢治全集第十五巻書簡本文篇』(筑摩書房)〉
のこのくだりがいみじくも示唆していると言えるのではなかろうか。
 まさに、綱澤氏がこの『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』の最初の方で、
 いろいろな農への動機と志向とが登場し、そして消えていった。多くの場合それらは真の土着にもならず、貧の日常を切り捨て、矛盾と桎梏の渦巻く現実世界を、単に聖なる世界に祭りあげただけである。
             〈『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』(綱澤 満昭著、海風社)17p〉
と看破していたとおりにだ。

 畢竟、「貧農にとって賢治など知ったことか」と貧農が言い放ったとしても、誰も彼らを責められないはずだし、賢治本人だって彼らを責めることはできなかろう。なにしろ、賢治が働きかけたのはそのような、当時農家の6割前後を占めていた小作農や自小作農ではなくて、いわゆる中農以上だったのだから。

<*1:投稿者註> とても残念なことだと私は思っているのだが、賢治に抜きがたい階級差別意識があったであろうことは、川村尚三との例の交換学習を終えた後に賢治が、
 農民は底にひそめた反逆思想をもっていて、すくいがたいがとにかく今一番困ることにてだすけしてやらねば……というようなことを言ったのも記憶している。
              <『岩手史学研究会 No.50』(岩手史学会)221p>
という、川村の証言からも窺える。
   
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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
 本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
 1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
 例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。
 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。

〈はじめに〉




 ………………………(省略)………………………………

〈おわりに〉





〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間)   143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと   146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等   152
《註》   159
《参考図書等》   168
《さくいん》   175

 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,650円(本体価格1,500円+税150円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813
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