〈『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』(綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
さて、先の〝「宇宙に『贈与の霊』がみちている」?〟において引用されていた次の記述、
「宮沢賢治という人は、そのような贈与者、しかも稀に見る純粋さで、このような贈与の精神を生きた人であったのだろう、と私は考えるのです。宮沢賢治はずいぶん若い頃から、自分をとりまいている自然や、素朴な人々の心の働きや、あるいはそれらすべてを包み込んでいる宇宙に『贈与の霊』がみちている、という直観をいだいていたようです。…投稿者略…」(『哲学の東北』青土社、平成七年、一〇頁)
に関わって私は、 ついてはまずは、中沢氏の『哲学の東北』の現物を読んで見ることは少なくともせねばならない。そこで、早速今、アマゾンに注文したところだ。この続きは、それを読んでからまた考え直してみたい。
と保留していた。そしてその『哲学の東北』(中沢新一著、幻冬舎文庫)がこの度届いた。そこで早速、先の「一〇頁」相当部分を見てみるとそれは次のようにものだった。
贈与する人
魂は商品として、売り買いすることができません。情報として、蓄積したり、伝達したりすることもできません。魂は贈与されるものです。…投稿者略…
これが贈与です。そして、宮沢賢治という人は、そのような贈与者、しかも稀に見る純粋さで、このような贈与の精神を生きた人であったのだろう、と私は考えるのです。
宮沢賢治はずいぶん若い頃から、自分をとりまいている自然や、素朴な人々の心の働きや、あるいはそれらすべてを包み込んでいる宇宙に「贈与の霊」がみちている、という直観をいだいていたようです。何の見返りを求めることもなく、ただ存在している物たちをいつくしむがゆえに、みちあふれる力を、私たちの世界に不断に贈与しつづけているものに対する直観です。それは、物と物、人と物、人と人とを分離している境界をのりこえ、打ち砕いて、たがいを結びあわそうとする「エロス」的な力です。春になると、このエロス的な「贈与の霊」は、自然の内奥に、あふれんばかりの力を贈り込んできます。そうすると、自然は自分の内奥から萌えあがってくる、むせかえるような力にうながされて、さまざまな発芽をおこすのです。
〈『哲学の東北』(中沢新一著、幻冬舎文庫、平成10年)11p~〉魂は商品として、売り買いすることができません。情報として、蓄積したり、伝達したりすることもできません。魂は贈与されるものです。…投稿者略…
これが贈与です。そして、宮沢賢治という人は、そのような贈与者、しかも稀に見る純粋さで、このような贈与の精神を生きた人であったのだろう、と私は考えるのです。
宮沢賢治はずいぶん若い頃から、自分をとりまいている自然や、素朴な人々の心の働きや、あるいはそれらすべてを包み込んでいる宇宙に「贈与の霊」がみちている、という直観をいだいていたようです。何の見返りを求めることもなく、ただ存在している物たちをいつくしむがゆえに、みちあふれる力を、私たちの世界に不断に贈与しつづけているものに対する直観です。それは、物と物、人と物、人と人とを分離している境界をのりこえ、打ち砕いて、たがいを結びあわそうとする「エロス」的な力です。春になると、このエロス的な「贈与の霊」は、自然の内奥に、あふれんばかりの力を贈り込んできます。そうすると、自然は自分の内奥から萌えあがってくる、むせかえるような力にうながされて、さまざまな発芽をおこすのです。
そこで私は、私のような非力な者にとってこれは手に負えないものだとすぐわかったので、諦めた。とりわけ、「真の贈与」にかかわって、「霊」のみならず「エロス」までがキーワードになっていることを知ったからである。言い方を換えれば、このような「霊」とか「エロス」という用語を使って評論ならば書けるかもしれないが、そのような用語を使って私は研究するつもりはないし、そもそもできないはずだからである。あくまでも私の基本的なスタンスは「仮説検証型研究」という手法による研究であり、普遍性のないものや、検証不能なものを論ずることは現時点では考えていないからである。
よって、『贈与の霊』についてのこれ以上の探求を私はあっさりと諦めた。
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************この度「非専門家の調査研究・報告書」だからという理由で「宮城県図書館」から寄贈を拒否された『本統の賢治と本当の露』です***********
賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。
〈はじめに〉
………………………(省略)………………………………
〈おわりに〉
〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間) 143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと 146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等 152
《註》 159
《参考図書等》 168
《さくいん》 175
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