はじめてのマンドリン

ある日突然、マンドリンの音色に恋をした
初めて手にした時から、ささかやかな感動を綴っています

車検終了

2020-08-29 12:53:02 | 日々あれこれ
予約していた車検に行ってきました。
朝一番に行って、見積もりしていただき、代車を借りて、一旦帰宅。

代車は、「ROOMY」という車種で、私がいつも乗っている車に比べると、
少し、席が高い位置にある。
その関係で、重心が高くなるから、カーブで曲がる際に、横へのGをとても感じるので、
ちょっぴり怖い(苦笑)
以前、そういう感じの高さの車に乗った経験はあるものの、すっかり今の車に慣れている
ということなのだろう、と思う。

車は7年目の車検。
ということで、今までよりも、整備を念入りにした方がいいよ~ということで、
時間も、お金も、ちょっぴり多めに必要となりました。

そろそろ、買い替えを勧めたいディーラーとしては、代車に、、お勧めしたい
車をあてているのか?
車検終わりで、伺った時、
「乗りやすかったでしょう~?」なんて、言われてました(^^ゞ

夕方、もう薄暗くなりかけた頃、「車検終わりました~」の連絡を受け、
車屋さんへ。
飲み物を出してくださる方が、「桃のプリンを作ったのがあるのですが、
よかったらいかがですか?」と言ってくださったので、いただくことに(*^-^*)

久しぶりの甘いもの・・・な感じがしました^^
あ、、アイスは食べてるか(苦笑)

ここにきて、車検の出費は痛かったけれど、、仕方ありません^^;

ひとまず、、戻ってきてからのミッションは、、終了し、ほっと一息。

戻ってきてから2日間くらいは、頭痛があって、、疲れてるなぁあ~と実感し、
食欲もいまいちで、ごはん作る気など皆無だから、
ふりかけご飯ばかり食べて過ごしてしまいました^^;
やっと、、これじゃ~いかん!という気持ちになれ、作り始めました。
が、、、冷蔵庫の中は、期限切れの食べ物であふれていて(苦笑)
ダメなものは捨てたけれど、食べられそうなものは食べています(^^ゞ
一番のドキドキは、1週間期限を過ぎたお豆腐でした(爆)
でも、無事だったみたい(^^ゞ

期限切れのものに対する考え方は、ホントに人それぞれで、
1日でも過ぎたら全部捨てる人もいれば、私にように、大丈夫そうなら大丈夫だよ~
みたいな人もいる。
一緒に暮らす人で、意見が分かれると、ちょっと大変なんだろうな、、なんて思う
けれど、ウチは、幸い、、自分の嗅覚と味覚を信じる派なので、
もめごとの原因にはなっていません(^^ゞ
ま、もっとも、今は自分しか食べないから、全て自己責任で(苦笑)

ほっこりしていたら、宮崎の留守宅へ、いくつかの現金書留(たぶん香典?)と、
宅配便が届いてたけど、留守ですよーと言っておきましたと、
ご近所の方から、お知らせの電話があった、、、と聞き、、
また、気持ちが、、ほっこりできなくなりました^^;
家には、誰もいないと、、、わかっていない方が、送られるんですね。
困ったことです(@_@;
電話かけて、人が居るとわかってから送ってくださればいいのに、、
なんて心ざわざわ思うけれど、そう思うように事は運ばないものなのかも^^;

あーーー何も考えず、ほっこりしたい
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お目覚まし

2020-08-28 11:54:30 | 日々あれこれ
みなさまは、「お目覚まし」なるものをご存知でしょうか?
今回の葬儀で、私は、初めて知りました。

通夜の夜、斎場に泊まりながら、いただいたご香典などの整理をしておりました。
そしたら、「御香典」でも、「御霊前」でもなく、今まで見たことのない、
『お目覚まし』と書かれているものがたくさんあって、何これーーー???????と
驚いたのでした。

検索してみたら、

九州では葬儀の際に渡す「目覚まし」という風習があります。
葬儀における目覚ましとは、遺族に対して渡す通夜見舞のことです。
全国的に普及してはいませんが、一部の地域では風習としてまだ存在しており、食べ物やお金を包み遺族に渡します。

目覚ましの意味は3つあり、1つ目は「愛する方にもう一度目覚めてほしい」という意味です。
これには故人を思う気持ちが込められています。

2つ目は、遺族に対して「これで線香を絶やさず目を覚ましてください」という意味です。
一般的な少しくだけた言葉に置き換えると、「差し入れ」と考えていただければわかりやすいと思います。

最後に3つ目ですが、「仏法への目覚め」という意味が込められています。
これは、残された者が愛する方の死を偲ぶことで、仏法への理解を深めることができると考えられています。


だそうです。
今回は、家族葬にしたので、こじんまりと行う予定でしたが、
ご近所の方が、「受付をさせていただきます。それが、町内のきまりごとなので」と
受付をしてくださいました。
コロナのこともありますし、私たち遺族は、全員九州の外から来ていますから、
みなさん、怖がって近づいてくださらないのではないかなと想像していたのですが、
全然そんなことはなく、たくさんの方がご参列くださいました。
また、家族葬というものも定着していないようで、
まるで通常の葬儀のような感じになりました。
会食などは、さすがに、しませんでしたけれど。

それから、私が今まで経験してきたお葬式とは違うな~と感じたことを書いてみたいと
思います。

通夜、告別式ともに、参列者は受付を済ませたら、席について、はじまりを静かに待つ
というのが、今まで経験してきた感じだったのですが、
今回のは、みんな、自由に焼香したり、お棺の周りに集まって、亡き義父の顔を覗き込んで、
あれこれお話していました。
そういうの、、いいな・・・と思いました。
たくさんの方に慕われていたのだなと、感じることもできました。

もう1つ、告別式が終わったら、火葬場へ行って、戻ってきたら、初七日の法要をする
というのが、一般的なのかと思っていましたが(遠方から集まるのが大変だから)、
そういうことはしませんということで、
2日後に、お寺の方へ法要をしていただきに行きました。

東京などでは、もっと、、簡略化してしまい、四十九日の法要まで行い、
納骨を済ませてしまう場合もあるらしく、そんなこともできますか?などと
聞いて、えらくお説教されたと、、相方氏は言っておりました^^;

そいうことで、遺骨は、四十九日の法要までの間、
義父のお姉さん宅に預かっていただくことにしました。

四十九日は、家族だけでこじんまり行う予定でしたが、
「参列する」などなどご連絡をいただいたりしつつ、
んーー有難いことだけど、また、いろいろ大変だね、、なんて話したり。

コロナが収まってて、義母さんも、参列できるといいのだろうけど、、
そんな早く収まるはずはないし・・・悩ましい問題です。
もしかしたら、義父が亡くなったこと、、最後まで義母さんに伝えない方が
いいのかも。。。と、そんなことも頭を過ります。

写真は戻ってくるときの飛行機の中から撮ったもの。

宮崎空港で分かれて、私一人だけ伊丹へ、
相方氏と、弟夫婦は、羽田へ。
一緒に羽田へ行こうか、、ずいぶん心が揺れましたが、
伊丹へ一人帰ることにしました。
相方氏とは、ずっと一緒に居たけれど、一緒に過ごした感はあまりなく、
なんとなく、、後ろ髪引かれる気持ちで帰ってきました。

あと何度、、往復することになるのか。。
しばらくは、相方氏の住む川崎へ行くこともないのか。
また、相方氏が三重に帰ってくることもないのか。
などなど考えていると、気が遠くなりそうでした。

ま、でも、4人で力を合わせれば、大丈夫・・・ですよね。
(と思いたい)
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

練習日でした(^^)

2020-08-27 17:32:48 | マンドリン
帰ってきて3日が経ったのに、相変わらず、身体は重く、しんどい…感じが続いています。
熱はないので、疲れが溜まっているのだろうと、、思っています。
ぐっすり眠れれば、早めに解消できそうな気がするけれど、頭が覚醒しているのか?
夜も細切れに目が覚めます。
これは、、、いかん。。。と思いますが、今のところ、どうしようもありません。

と、そんな感じで、しんどいし、頭もぼーーーっとしているし、宮崎に帰った日から、
マンドリンケースを開けることなく、、、今に至る・・だったから、
こんなんで練習に参加しても迷惑かなぁ??????と、ちょっぴり迷ったけれど、
ここは、迷惑でも参加して、気持ちを、ぐいっと現実の世界に引き戻してもらっちゃおう~
という気持ちで出かけました。

弾けないところは、そこかしこにあったけれど、弾き方を忘れてなくて、
ほっと安堵しました^^;

やっぱり、夢中になって弾いていると、ただただ純粋に楽しいです(*^-^*)
私には、マンドリンというものがあって、、ほんとによかったと、
しみじみ思えた今日でした。

きっと、今夜は、ぐっすり眠れそうな気がします。

そういえば、、、宮崎に帰省中、一度も涙しなかったんです。
たぶん、すべきことの多さをこなすことで必死だったから、
感情スイッチがオフになってたみたいで。

それが、今朝、、テレビで、昨夜のFNS歌謡祭のハイライト映像が
流れていて、中島みゆきさんの「ファイト」と「時代」を聴いたら、
ぽろぽろ涙が出て、自分でも驚きました。
日頃泣き虫の私が、1週間涙せずに頑張ったから、どこかで無理してたのかも
しれません。
好きな音楽たくさん聴いて、いっぱい泣いて、ぐっすり寝て、、、
心身ともに復活できたら、また、たくさん練習しようと思います。

やはり音楽の力は偉大だ~
マンドリンの合奏の力も偉大だ~
って思います。

写真は、一昨日の夕方、、不思議な空だなぁと思って、スーパーの駐車場で
撮った1枚。

この後、ざざーーーっと大雨が降ったんだったような。。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義父の急逝

2020-08-26 17:32:09 | 介護・終の棲家
義父が急逝し、1週間ほど、宮崎へ行ってきました。
まだ、疲れが取れなくて、倦怠感に満ちています。

16日の夜、電話が通じなくて、相方氏の従妹のおねえさんに見に行って
もらったら、部屋の中で倒れていて、意識がなく、救急搬送されました。
17日の朝一便で、相方氏は宮崎入り。
でも、コロナなので、面会はできず、、お医者さまとの話では、
「ここは救急病院ですので、2週間くらい経ったら、他の病院へ転院してください」
みたいなこともあったようなので、
もしかしたら、意識が戻るか戻らないかわからぬまま、長期戦になるのか、、と、
覚悟しておりました。
18日の夜中2時頃、病院から電話があり、すぐ来てくださいとのことで、
病院へ向かうと、「お入りください」と、会わせてくださったそうでした。
意識不明だったのに、声をかけると、目を開いて、口を動かし、何かを伝えようと
していた。。
そこに居たみんなは、「来てくれてありがとう。あとはよろしく」と言ったように
見えたと、、言ってた。たぶん、そうなのだろう。
命とは、、不思議なものだといつも思う。
まるで、その人を待っていたかのように、息をひきとる。

突然のことではあったけれど、
(相方氏が)最期に間に合うことができて、よかった。
義父さんが、家で一人、、の生活になってから2年くらいの間、
相方氏と、弟さんと、交替で、帰省して義父さんに親孝行できたから、よかった。

この頃、父さんは、人生、もういいよ思い残すことはない・・・と思ってた感じがすると、
相方氏は、通夜の夜言っていた。
私も、、同じような感じを、義父さんから感じていた。

家に一人居て、病気もせず元気だった義父。
義母と一緒に暮らしていて、いろんな話しながら楽しく暮らせていたら、
もしかしたら、もっと長く生きたいと思ったかもしれないけれど、
最近は、義母は施設で、、コロナもあり、会うことさえできない日々だったから。

義父が亡くなったことを、義母には伝えることができなかった。
施設は面会禁止(コロナで)、外出禁止。
亡くなったことを伝えたとしても、義父さんに会わせてあげることはできないし、
その際の、義母の心中を思うと、辛いだろうなと思うので、みんなで話し合って、
伝えないことにしたのだった。

と、亡くなったことも伝えられていないのに、葬儀が終わって手続きをしに
行った市役所で、遺族年金の手続きは、義母が同席するか、委任状が必要です
などと言われ、四角四面な対応に、内心ぶちきれそうな思いになったのでした。
高齢になったら、寝たきりの人だっているはずだし、字が書けない人だって
居るだろうし、理解できない人だっているだろうはずなのに、、
何故、、いろんな場合を考慮して柔軟に対応してくださらないのかと思うと、
腹立たしくてならなかった。

誰も住むことのなくなった実家の世帯主は、義母になるのだけれど、
それで問題はないのかしら???などなど、頭の中が忙しくて、
思考回路が停止しそうな感覚だった最終日。

葬儀の日が、身体的には、休息日となり、
その前後は、家の中の片付けと掃除にほぼ費やされた感じだった1週間。
暑さもあり、とても大変でした。
家の庭の雑草は、多少、、刈ってくれたけれど(大変そうだった~)、
少し離れたところにある、畑の雑草は、背丈を超えるくらいの高さにまで伸びていて、
近隣の方から苦情が出ている、、と、市役所から連絡があったけれど、
事情を話し、来月まで待ってもらうことに。

お墓掃除を1時間頑張った時は、ひからびそうだったり、日焼けで腕が赤くなったり^^;
日焼け止め、、持っていくの忘れてたんですよね。。。。

大急ぎで出発したから。

宮崎へ行った日の朝は、、クラーラの練習日で、うきうきと家を出発した直後のこと。
電話があり、「今、亡くなりました。帰ってきてください」と。。。。
それで、すぐにUターン。

そういえば、義父のお母さんが亡くなった時も、、、金曜の夜、スキーに出発すべく、
車で拾ってもらうために、待ち合わせ場所でスタンバイしてた時に、着電。。
「帰ってきて」って言われたことを、鮮明に思い出してしまった。
一度も会ったことがない人の葬儀に出るために、予定をキャンセルする。。
当時若かった私は、納得がいかなかった。
でも、それが、結婚するってことなのか・・・そう思うと、結婚したことを、
止めたくなった(苦笑)

相方氏も思い出したみたい。
「前は、スキーに行く日だったよね」と、思い出してたみたいだったから。

宮崎の実家の方々は、私が、自分の好きなことをして遊ぶのが、
つくづく気に入らないんだな。。なんて思ってしまった(考えすぎだけど)
「女は、家に居て夫に尽くすもの・・・」というような、土地柄。
私には、どう頑張っても住めないと・・・ずっと思ってきた。

義父さんの記憶の中で、1つ、、嬉しかったことをあげると、
守ってくれようとしてくださったこと。
23歳で結婚してから40になるくらいまでの間、義母からの、
子供がいないことへの攻撃がすさまじかった。
30代の後半だったかは、安産のお守りが送られてきたり、
「病院へ行ってるの?行きなさい!」と言われたり、
「どこからか、子供をもらったら?」と言われたり、帰省した際に、
相方氏がお風呂に入ったりして一人になると、
待ち構えていたかのように、やんややんやと、言われた。
それを見かねた義父が、
「そういうことは、夫婦で考えることだから、言わんね(言わないようにしなさい)」と
義母をたしなめてくれたことがあった。
義父も、義母と同じ気持ちなのかと思っていたから、かばってくれて、
とても嬉しかった。
その後も、義母の攻撃は衰えなかったけれど、気持ちをまっすぐ持って、
かわすことができた、、、ような気がする。

たぶん、、見守ってくれているような、優しい義父を見て育ったから、
相方氏も、弟さんも、とっても、、優しいんだな。。なんて思いつつ、
お経を聴いていた。

来月は、四十九日の法要を挟んで1週間ほど、宮崎行きを決めてある。
台風の影響を受けず、すべきことが順調にすすみますようにと、願っている。

コロナで飛行機を利用する人が少ないせいで、減便になることも多いらしいけれど、
伊丹ー宮崎間は、プロペラ機ばかりが飛んでいるみたい。
座席は、真ん中ゾーンがなくて、左右に2席ずつ。
すごい騒音。
客室乗務員さんは2人だけ。
モニタもなし。
小さなコロコロバッグも、機内持ち込み不可。
墜落しないのかしらーーー?なんて心配な感じで乗ってました(苦笑)
地面を歩いての搭乗も、、とても久しぶりな気がする。

9月は伊丹ー鹿児島だけど、往復プロペラ機です。
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心がざわざわして眠れそうにない

2020-08-16 23:38:07 | 介護・終の棲家
宮崎に住む、義父が、今夜救急搬送された。

義母は、介護施設に入所していて、義父は家で一人暮らし。
91歳の割には、元気で、食欲も旺盛だった。

けれど、、冷房を入れると「寒い」と嫌がり、夏でも「暑くないんよ」と
言っていたのが気になっていた。
「冷房入れないとだめよ」と、機会があるごとに言っていた。

相方氏は、いつも日曜日の夕方定刻に電話をかけていた。
今日、その電話が通じなくて、携帯にかけても、固定電話にかけても
出ないので、心配になり、車で30分くらいのところに住む従妹のおねえさんに
お願いして、様子を見に行ってもらったのだった。

寝てるだけ、、とか、お風呂に入ってるだけ、、だといいなと、、、
願いつつ、、連絡待ち。

義父は、家の中で倒れていたらしい。
身体はかなり熱くて、部屋は、扇風機は回っていたけれど、冷房はついていなかったらしい。
おねえさんが、救急車を呼んでくれて、病院までついていってくれた。
救急車が来るまでの間も、氷で身体を冷やしてくれていたらしい。

そして、検査の間も、病院で待っててくださり、お医者さまと話もしてくださり、
メールで、その内容を教えてくれていた。。
そして、今は、看護師さんとお話している、、、らしい。

おねえさんには、感謝してもしきれない。。

私も、夕方から、連絡待ちの状態が続き、心がざわざわと落ち着かない。

重篤な熱中症、、だけではなく、脳梗塞も併発しているらしいと、
少し前に聞いた。

相方氏は、明日の朝一番で宮崎入りの予定。
けれど、病院へは、、、入れないらしい。
このコロナのご時世だから、仕方がないとはいえ、、、
つらいだろうな、、と、思う。
傍に居てあげられないことが、申し訳ないような、歯がゆいような
気持ちがする。
私が居たところで、どうなるものでもないけれど、傍にいるだけで、
少しは、心強い気持ちになってもらえたり、、しないかなと、
私が勝手に思っているだけなのだけれど。

義母の入所している施設にも、今は入れないので、
宮崎へ行ったところで、、両親の顔も見ることができない。。

ある日、突然そんなことになるなんて・・・
1日1日を大切に生きなくては、、、と、改めて思う。

これからのことも、考えなくてはいけないのだろう。
今夜は、、、きっと眠れない。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪いことしてないのにドキドキした記憶

2020-08-14 13:14:02 | 日々あれこれ
悪いことをしているつもりはないけれど、ドキドキすることって、
ありませんか?
もしかしたら、悪いこと、、してるんじゃないかしら?と思う、一抹の不安みたいなもの
があるから、ドキドキしてしまうのかもしれないけれど(苦笑)

と、、遠い昔の、ドキドキした記憶を思い出したりなんかしてしまいました。
きっかけは、些細なことです。

先日、市役所へ、「非課税証明書」なるものを申請に行きました。
そういうものが存在することを知ったのは、昨年のことです。
相方氏に扶養されていることを証明するための提出資料の1つに
指定されていたので、昨年の夏に、初めて申請しました。
で、へぇ~~~こんな証明書が存在するんだ~と思いました。
そして、今年も提出すべく、申請に行ったのですが、、、
まず、受付番号が、あら(*^-^*)誕生日の数字と同じじゃないですか!と
驚き、なんか、いいことありそうな気持になっていたのですが。。

昨年と同じ手続きのはずなのですが、昨年は書いていない用紙にも
書いて捺印の必要があり、
「印鑑持ってきてないんですけど」というと、
「拇印で結構ですよ」と、指で、、ハンコの代わりを押しました。
それが、、、遠い昔の記憶を呼び起こすこととなったのです(苦笑)

申請は、、ですね、
「あの、昨年は、こんな紙書いてないんですけど、申請方法が変わったのですか?」
なんて聞いたものだから、お役所の人は、何人か集まって、さわさわっと話をしていました。
ん??何か問題が??
と思いましたが、しばし待っていると、
「昨年は申請されていませんよね?」と。
「いいえ、申請しています」なんて会話があり、、またも、集まって何やら話してました。

「じゃ、こちらにも記入をお願いします」と出てきたのは、昨年書くべきだった紙^^;
そんなこと(@_@;と、びっくりしましたが、何も言わず、黙々と書いて提出。

無事終了しました。

で、、、そういえば、昔、、、指紋を取られたことがあったっけ・・・と
思い出したのでした。
いえいえ、悪いことをしたわけではないのです。
昔、奈良に住んでいた頃のこと、警察官の方が2人やってきて、
このあたりで事件があって、近辺の住人の方全員から指紋をいただいています。
ご協力をお願いします。。ということだったのですが、
大きなくくりでは、容疑者じゃないのよ。。。ということで、
ちょっぴりどきどきした記憶があったのだろうと思います。

市役所で拇印を押す際に、その時の記憶が蘇りました。
ちなみに、指紋採取って、両手の10本の指1つ1つ、全部、、
って、当たり前のことかもしれませんが、押すんですよね。
そういう指紋って、、今も奈良県警なんぞには保管されていて、
犯罪があるたびに、照合されていたりするのかしら??
なんて想像すると、あまりいい気持ちではありませんね。

それと、もう1つドキドキといえば、アリバイを訊かれたことがあります(苦笑)
これも、かなり昔のこと、、夜8時だったか9時だったか、、
家に一人で居て、相方氏はまだ仕事から帰ってきてなかった時間帯のこと。
警察の人から電話があり、「30分前くらいは、どちらにいらっしゃいましたか?」と。
「家にいましたけど」というと、
「それを証明してくれる人は、いますか?」と(@_@;
言葉に詰まり、「・・・いえ、いませんけど」と言うと、
「そうですか、大丈夫ですよ。一応お聞きしているだけですので」と。
ドラマの中で聞くようなセリフだなぁと、かなりドキドキしました。
どうして、そういうことを訊くのか?おおまかに説明してくださり、
当時乗っていた車種に乗ってる人に訊いているとのことで、
安堵できたのですが、そんな風に、何の心当たりもないのに、
突然、アリバイのようなものを訊かれることって、、あるのだなと、
驚いたのでした。
当時は、貴重な体験ができてしまったーと、別の意味のドキドキも
あったような気がしますけど^^;
今なら、1軒1軒電話せずとも、特定できそうな気がするけれど。

できれば、これからの人生、、、そういう経験をすることなく、
穏やかに生きていきたいと思っています。

なんてことを書きながら、録画してあった、『私の家政夫ナギサさん』を見ていました(*^-^*)
多部未華子さん、、好きです(^^)
それと、主題歌・・・あいみょんの「裸の心」、どこか懐かしい雰囲気もあり、
心に沁み入ってくる感じで好き~♪って思うこの頃です。
そのうち、、(っていつ?)カラオケに行ける機会があったら、歌ってみたい(*^-^*)
なぁんて思うほどに
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりにスイカ三昧♪

2020-08-12 12:11:15 | 日々あれこれ
先週、お買い物に行った時、レタス1玉600円、、の価格表示に、
げげ(@_@;と驚いて、その直後に見た、スイカが、1玉980円だったから、
おぉ~と嬉しくなって、即買いしてしまった私(^^ゞ

少々小ぶりではありましたが、おいしかったです(^-^)
既に2/3を食べてしまい、、あと少しでなくなってしまう~と寂しい気持ちのこの頃(笑)
今週に入り、お盆週間だからでしょうか、価格は一気に、倍の1980円となっていて、
ちょっと手が出ないなぁ、、、と、買わずに帰ってきました(^^ゞ

先日買った際に、驚いたのは、スーパー出口で、手の消毒をしたら、、
スイカの袋の緑色が溶けたみたいで、手のひらが緑色になったこと。

石鹸で洗っても、、なかなか色が取れてくれませんでした。
後になって、消毒液をつければ、あっさり落ちたんじゃないの~?と
思い浮かびましたが、時既に遅しです。

本来なら、スイカを楽しみに、夕方のウォーキングをがんばる、、という目的で
買ったものでしたが、このところの酷暑で、夕方になっても、30度を超えている気温では、
歩いているうちに、ひからびて倒れそうな気がする(~~;ということで、
もう少し気温が下がってくるまで、ウォーキングはお休み中です(苦笑)

世の中は、お盆~の時期ですが、私は、いつもと何も変わらない1週間。。

本を読んだり、音楽聴いたり、練習したり、手紙書いたり、、しつつ、
ゆるゆるっと過ごそうと思います^^
スイカは、そんな私の、ささやかな楽しみ(*^-^*)♪
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本「小説キャンディ・キャンディFinal Story」

2020-08-10 11:47:24 | 本・映画・ドラマ
名木田恵子さん(水木杏子さん)の「小説キャンディ・キャンディFinal Story」を読みました。
感想など綴ってみたいと思います。

上下巻に分かれていて、合わせると、合計700ページ近くもあるぶあつい本を、
2日間で読み切ってしまいました。

少し前に、本のリレーをした際に、昔読んで、今も保管している、漫画版「キャンディ・キャンディ」を
読み返した際に、その後を描いた小説版の存在を知り読んでみたくなったのでした。

ところが、、、「キャンディ・キャンディ」は、原作者と、漫画家の間で、、いざこざ(詳細は知りません)があり、
漫画も、小説も、絶版となっているらしく、
この小説は、アマゾンで、上巻15000円、下巻30000円という値段がついていて、
ひぇ・・・と思い、一旦は読むのを諦めたのですが、県内の他の図書館に蔵書として
存在していることを知り、読みたい、、、と、図書館にリクエストしたのでした。
緊急事態宣言中から、リクエストは受け付けませんということになっていたのですが、
少し前、解除となり、ようやく読むことができました。

物語は、大人になったキャンディが、昔のことを回想したり、手紙をやりとりする感じで書かれています。
上巻は、ほぼ漫画で描かれている通り。下巻は、書簡中心なので、少し人とのかかわりも、
漫画で読んだよりは、深く書かれている気がします。

そして、キャンディは、大好きな「あの人」と暮らしていて、、その人のことは、曖昧に書かれているのですが、
私は、その人は、テリィだと思って読みました(^-^)

漫画も大好きですが、やっぱり私は小説の方が、想像が膨らんで、好きだなぁなんて
改めて感じました。

けど、、、悲しいですね。。。
いざこざで、、絶版になってしまうなんて。
いい大人も大人(たぶん70歳くらい?)なのですから、和解するとか、ないんですかね?
そのまま、、どちらかが、、亡くなったりしたら、、悔いが残ったりしないのかしら?
などと思ってしまいました。

大好きだった漫画だっただけに、残念~~。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体温と気温

2020-08-09 12:41:46 | 日々あれこれ
コロナが流行る以前は、体温計で体温を測ることなど、、年に1度くらい??
みたいな使用頻度だった体温計だけれど、
今は、毎朝測るし、、、相方さん家から戻ってきた後は、しばらく、1日10回以上も測定する
なんてありさまでした^^;

で、あっという間に電池切れとなり、交換しようと開けてみて、びっくり。
こんな小さなものなのに、、電池2個も必要なんですね(@_@;と。


1日の中で、血圧の変動も大きいけれど、
体温も、かなり変動するものなんですね~と、、知りました。
朝が一番低くて、、夕方頃が最も高い。。その差が1度以内なら正常の範囲内。
と知り、1度も変動するのか~と驚きました。

でも、私の場合、、朝高くて、お昼下がって、また上がってと、何度もアップダウンを
繰り返しています。。が、これは、気温との関係が大きいような気がしています。
汗をかいたら体温が下がって、、、ということのような気がします。
あるいは、食後は上がる、、お腹空くと下がる、、のかも?

冬は体温、かなり低めの私だけど、夏は高いね~って言うと、
「変温動物じゃあるまいし(笑)」と、相方氏には、笑われてしまったけれど、
いやいや、変温動物ほどは変化しないかもしれないけれど、
人だって、、変動してるんだよ~~~~~と、主張してみたものの、
体温変動のメカニズムをきちんと知っているわけでもないので、
言い切ることはできません。

なので、昨日、大阪のイベントに行って、、入場の際に検温があると聞いてたから、
夕方最も高くて、、基準(何度なのかわからないけど)を越えてたら、
「入場できません」と言われて、しょぼ~んと帰らないといけないのかなぁ?
なんて思うと、緊張して、朝から、出発まで、何度も測り、、、電池切れと
なったのでした(笑)

結局、歩いて暑くて、汗かいたから?か、「36.2度です」と言われ、
え、、家出る時は、36.8度だったのになぁ・・変なの~~~と、思ったのでした。
お腹空いてたから・・?かもしれないけれど(^^ゞ

測る部位(脇の下か、おでこか)の違いによるものもあるのかもしれませんね^^

メガネちゃんの私にとっては、、、夏のマスクも暑くて大変だけど、
冬のマスクは、、、メガネが曇って歩けなくなりそうで、、、冬の到来を、
こんなに暑い今の時期から心配してしまう、、、、ど心配性の私なのでした(爆)

しばらくは、体温変動の観察も、、、してしまいそうです(^^ゞ
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリアのマンドリンvsドイツのマンドリン

2020-08-09 01:12:02 | マンドリン
本来なら3月20日に開催されるはずだったイベントでしたが、
延期となり、、もう、、ずっと楽しみにしていたのを、やっと聴きに行くことができました♪

ほぼ一番のりだったので、会場の雰囲気を~^^

私は、椅子にカバン置いてる席に座って、特等席で聴かせていただきました^^♪♪

家に帰り着いたのは22時くらいで、速攻でシャワー浴びてからの~晩御飯だったので、
まだ、ちょっとお腹いっぱいで、ほんのりヨッパな感じ・・・なので、
プログラムをスキャンする元気もなくて(苦笑)、写真で失礼します。



マンドリンの歴史のお話と、、それぞれの時期に作られた曲の生演奏と(*^-^*)
笑いあり、感動あり、、、な感じで、とても幸せ~~~~な時間でした

私個人的には、、ですね、、、
1曲目に弾いてくださった曲が、目下、、教則本の宿題になっている曲で、
毎日弾いている曲だったので、おぉ~~~って驚いて(^^ゞ
2曲目に弾いてくださった曲が、目下、レッスンで課題曲になっている曲で、
またまた、おぉ~~って感じで、
なんだか、、この幸せっぷり、、尋常じゃないんですけど~~~と、のっけから
テンション上がりっぱなりで、耳も目も、全開で、聴かせていただきました(*^^*)

マンドリンの歴史、、というと、ほぼ知らないことばかりでしたので、とても興味深く、
勉強になりました(^^ゞもっと知らなくちゃだめね^^;と、ぷちっと反省しつつ。

けど、どうしてこのような企画を?というところから、お話してくださり、
それに反応しての、柴田先生の「夫婦仲はいたって円満です」の言葉で、
笑いを取るところから、始まったところは、、、大阪ならでは??なんて
思ってしまいました(^^ゞ

一番驚いたのは、、、川口先生のyoutubeで、、聴いていたけれど、
この音色は、マンドリン???なんだろう???って、ずっと気になりながらも、
先生に訊けずにいた、、、その正体が、作ってもらった単弦マンドリンに
ナイロン弦を張ったもの~~~と、楽器を見せてくださったこと。
気になっていたことが、解決できて、すっきりしました^^

会場で、いろんな方にお会いできたことも、、、とても嬉しかったです。
みんなマスクしてらっしゃるから、、声をかけられても、
私には、そんな若い知り合いはいない!と脳みそが思っちゃって、
咄嗟にわからない人もいたりして、、、失礼いたしました(^^ゞ
やっぱり、、人と会って、少しでも、言葉を交わせたりすることって、
とてもとても嬉しいことなのだと、改めて痛感しました。

今年、、生演奏を聴いたのは、初めてのことで(たぶん)、
嬉しくて、、、この幸せな感じが、当たり前のように続くのではないかと、
錯覚したりしつつ、、、も、そうであってほしいと願わずにはいられませんでした。

久々に大阪へ、、、行って、聴いて、帰るという、とんぼ返り状態でしたが、
楽しかったなぁ~幸せだったなぁ~と、、心は満ちていて、
夜遅めからでしたが、おいしくお酒飲みました(*^-^*)

今日は、、初めて、大阪の、「コロナ追跡システム」に登録しました。
って、、メールアドレスを登録するだけなのですが、ちょっぴりどきどきしました(苦笑)

検温したり、消毒したり・・・様々な対策をしてくださり、開催してくださったこと、
心から感謝します。ありがとうございました。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする