スミダマンのほのぼの奮戦記

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花見の名所 平野神社

2021-05-06 06:28:50 | 旅 ~京都

京都市内北部に鎮座する平野神社は皇城鎮護の神を定めた「二十二社」の五位に列せられ、

伊勢神宮、松尾大社などと並ぶ格式ある洛社である。

明治4年には官弊大社に列格しております。

平野神社の創建は平安遷都延暦13年(794年)と共に

平城京田村後宮に奉斎されていた今木皇大神が桓武天皇により現鎮座地に奉遷された。

後に久度大神・古開大神・比賣大神がお祀りされた。

ここで平野神社の社格・称号について記してみる。

「延喜式」には皇太子御親祭の神社として記されている。

これは全国で唯一平野神社だけだ。

又、同書には「皇大御神・皇大御神」と称されており、

「東宮坊式」には神院と記されて宮中神と同等の扱いを受けていたことが見て取れる。

さらに「文徳天皇実録」では勅使を平安神宮に遣わすと記されており、

これは即ち全国でも数社に限られる「皇大御神」また「神宮」

そして宮中神である「神院」これらの尊称から宮中外にありながら宮中神であったことがうかがえる。

当神社は京都でも有数の桜の名所で

4月10日には桜花祭があり発興、神幸列、還幸などの祭事がとりおこなわれる。

機会があったら是非見てみたいものだ。

東神門に下がっている提灯を見ればわかるが当社の神紋はずばり桜だ。

平成30年の台風21号で接木の拝殿として知られた拝殿の倒壊をはじめ

桜の数十本の倒木など甚大な被害を当社も受けた。

拝殿は1650年の完成以来大規模な修復は行われなかったため設計図が存在せず、

折れた柱の下に職人が入って寸法を計測しながら必要な図面を作るなど

試行錯誤を重ねて工事を進めている。

完成は2022年3月の予定。

工事費用は寄付で賄われているがまだ不足しているようだ。

このように拝殿が工事中の為、境内に仮の拝殿を建て、

毎年恒例の桜のコンサートが行われていて、

境内にバロックの音色が流れ、変わった空気が流れていた。

これが当神社で有名な桜の「魁」。

これは植栽されたばかりのようでおそらく台風で倒木してしまったのだろう。

この「魁」は平野神社発祥の桜で早咲きの品種であることから、

この桜が咲きだすと京都のお花見が始まると言われている重要な桜だそうだ。

この中門の奥に4殿2棟からなる本殿がある。

この本殿は江戸時代前期の寛永年間(1624年~1644年)に再建された。

この建物は平野神社独特の形式で「比翼春日造(ひよくかすがづくり)」または

社名から「平野造」と称されて、国の重要文化財に指定されている。

中門は承応2年(1653年)頃の造営で左右には回廊が接続されている。

こちらは八重紅枝垂。

しだれの枝が地面の足元まで延び、見ている人から歓声が上がっていた。

こちらは平野神社発祥の桜。

花は白い一重咲きで葉が茂ると開花する「寝覚」。

他にも平野神社には約60種類の桜があり、それぞれ名前の付けられた由緒ある桜を見ることができる。

これは日本最大級の餅鉄「すえひろがね」。

鉄分約70%の授かる守。

樹齢400年程と伝わっている幹周り4.85メートルの御神木「樟」。

多くの方がこの樹に手を合わせて離れようとしない。

その間、人生様々な願いをかけているのだろう。

入場自由の境内とは別に隣りには桜養生園という有料(500円)の桜公園がある。

営業時間は9:00~21:00とライトアップの夜桜見物も楽しめる。

こちらは有料ということもあってか種々の桜以外に

グラディエーションの対比が美しい王道の菜の花も植えられている。

今回ここまでたくさんの桜を見て来たが京都の桜の主人公はソメイヨシノではなく、

シダレザクラが主役のような感じを強く持った。

無料の境内はこのように大変な人混みであった。

満開の美しさにコロナもどこかへ吹き飛んでいってしまった。・・・かな?

この南門は慶安4年(1651年)に御所の旧門を下賜されたもので

昭和18年(1943年)に現在の大鳥居の位置から移築された。

平野神社は寛和元年(985年)4月10日に花山天皇が桜をお手植えされたことで

都の有数の桜名所になった歴史がある。