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昨日記160719火(現代アボリジニ・アートの世界)

2016年07月21日 16時41分45秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
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午後から国立民族学博物館(みんぱく)へ行った。
みんぱくでは「ワンロード 現代アボリジニ・アートの世界」が、この日まで行われていることをSNSで知り、急遽行くことを決めた。
この展覧会の概要については「1,850キロの砂漠の一本道(ワンロード)を、アボリジニ・アーティストたちは旅した。失われた歴史と誇りを取り戻すために―」
を参照されたい。
「ワンロード|現代アボリジニ・アートの世界」公式サイト(http://www.oneroad-aboriginalart.jp/)

アボリジニの絵画については、みんぱくの常設展でも見たことがあったが、大量の世界の民族資料の一つとして、さほど注意を払ってみていなかった。
今回の展覧会の作品は、パンフレットの説明書きをそのまま引用すると下記のとおりで、新しく作られた現代作品である。
「オーストラリア西部の砂漠地帯を縦断する一本道(ワンロード)、キャニング牛追い(ストック)ルート。今から100年以上前、ヨーロッパから来た入植者が北部の牧草地から南部の食肉市場へと牛を移動させるために切り拓いたこの道で、先住民アボリジニは初めて「白人」と遭遇し、その生活を激変させることになります。
「ワンロード」展は、かつてそこに住んでいたアボリジニとその子孫であるアーティスト60名が、2007年に1850キロの道を5週間にわたって旅をし、「白人」の側からしか語られて来なかったキャニング牛追いルートの歴史をアボリジニ自らがたどり直す過程で描いていった絵画を中心に、・・」(ワンロード、パンフレットより)
こうしたことを理解したうえで、更に詳しい作品の解説や映像と作品を対比することで、彼らの悲しい過去と、伝統文化を通じて表現された作品の意味が見えてきて、考えさせられた。
私は、美術的に見た場合現代美術として取り扱うのは違和感を感じている。
この展覧会の美術的価値を否定しているのではない。
表現としては伝統芸術の上に沿っているが、いわゆるいい意味でも悪い意味でも現代美術としてのコンセプトはあり、素晴らしい。
こうした例は、他の民族でもいろいろあるし、葬儀で使われるアフリカの棺桶なんかもみんぱくに展示されている。
メキシコの、民芸の泥絵も素晴らしいものがあり、ギャラリーを始める前に民芸雑貨店を営業していたがその時のために、現地で何枚も購入した。
ただ、民族芸術としてアートセンター等で教え展開されてきた作品は、アールブリュットの一種として扱うべきものと思う。
無論そうした作品が、現実に世界のアートフェアで現代作品と対等に並べられることもあるし、美術としての視点で私は見る。
しかし「美術の視点」というが、例えば現代美術にも多くの文法文脈がありそれを取り違えると、作家の伝えたい思いを理解できない。
アクションペインティング、ミニマルアート、コンセプチャルアート、キュビズム、ポップアート、これらをすべて同じ見方で見ることは、出来ない。
こうした区分けは、単に作家や評論家が価値観を見つけ出しそれに基づいて区分したにすぎない。
実は、一つの美術作品に、ほとんどの場合多様な価値観が埋め込まれている。
美術は、基本的な暗黙の了解のエレメント(色の表情、線やタッチの表情、形の表情、立体の表情・・・)の組み合わせで成り立っている。(音楽もそうしたエレメント<メロディー、リズム、ハーモニー、音色・・・から成り立っている。)
同じダダの血を引く現代美術であっても、表現手法は様々だし、表現しようとする内容もそれぞれ違う。
ある現代作家は、社会問題や、戦争といったものを問いかけ、ある作家はあえて大量生産の作品に少し手を加え高額な価格で売り消費社会を揶揄し、ある作家は製品に手を加えたものを作品であると宣言すればそれは美術作品であると宣言し、別の作家、美術や表現の本質を問いかけし、ある作家は究極の美を求め、ある作家は日常の風景に異常性をそれとなくはめ込み気付く人はそれを見つけて驚く、といったように様々な方法論やコンセプトがあるし、今後も休むことなく新しい文法文脈が創造されていくだろう。
そこには作家の、強い意志と美術史の中の自分の立ち位置や志向性を認識し、そういうことを意図して創作しているのだ。

文法文脈は、芸術すべてに共通することで音楽や美術その他、感覚器官(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)すべて持っていて、美術でも現代美術以外の過去の美術類(世界中の美術を含む)もすべて固有の文法文脈を持っている。
従って、例えば俳画を理解するには、それに関連した俳句の世界の理解がなければ良さがわからないだろう。
そうした意味でアボリジニ・アートはまさにタイトル通りの世界で、アボリジニの伝承や今回の展覧会の場合は、白人と遭遇してからのアボリジニの悲惨な歴史を知らなければ理解できないのである。

そうした伝承の中には、アボリジニが逃げ回っているのを動物ハンティングのように射殺されたとか、一つの家族が白人に鉄砲で皆殺しに会ったとか、鎖でつながれて街へ連れていかれたという。
ある時は、突然彼らの前にヘリコプタが舞い降り大騒動となったいきさつと、その後文明社会に溶け込むようになったいきさつが、ビデオで懐かしそうに面白く生き生きと語られていた。

こうした、様々な悲劇を経験した結果家族や部族社会は、一旦完全に崩壊した。
その原因は、白人の経済の為のキャニング牛追いルートが深く関与している。
そうした悲劇の歴史と、消えかかる祖先の伝承を手繰り寄せ、アボリジニの誇りを取り戻す政策の一つとして、アボリジニの故地?にアートセンター(コミュニティーセンター?)が作られプロジェクトを作り、その成果が今回の展覧会となったのではないかと勝手に想像しているが、カタログを購入していないので詳細はカタログで確認してください。
今回この展覧会に気付いたのは、残念ながら前日午後のことだったが、もっと早くいけばよかったと思っている。



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参考ブログ集 散歩者gooより
(参考ブログは、数週間に1度追加削除しています。数か月以前のものは分野別<芸術 健康 エッセイ 歴史宗教思想 情報機関> に分類しています。)



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