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芸術論 覚書150517

2015年05月17日 12時04分51秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
芸術は人間の存在を前提とした、表現活動であって、表現活動は即ちコミュニケーションだといえます。
哲学的に掘り下げると、話が無限に広がりますが、一つの単純な見方として例を挙げると、音楽でも民謡や浪曲やハードロックやその他たくさんの分野があって、それぞれの表現をしています。それぞれの分野で表現の仕方や聞き方があって、シャンソンを聞く聞き方で、浄瑠璃を聞くことができないでしょう。現代美術もアクションペインティングの見方でコンセプチャルアートを読み解くことは出来ません。
更に芸術鑑賞するには見方を知るだけでは不十分で、感性も必要です。その意味で一般の人は現代美術に接する機会がほとんど無く、見方も教わっていないので分からなくて当然かもしれません。
すぐれた作品は誰が見ても分かるという説は、嘘だと思っています。そこに行くまである程度の素養(いろいろ見たり学んだりすること)は必要だと思います。
私は浄瑠璃やハードロックはほとんど聞いたことがないので、良し悪しについては、全く分かりませんが、日本民謡や歌謡曲はたまに耳に入ることがあるので、ある程度分かります。クラシック音楽なら積極的に聞いているのでそれなりに細かなところまで良し悪しが分かります。
多くの美術分野で、自分が興味ある物や優れているといわれる作品を、多く見ることは大切と思います。
感性は多くの優れたものを見たり聞いたりして、自分で感じないと育たないと思っています。自分の感性を育てることは、創作力を高めることに直結します。なぜなら、表現は自己の内面(コミュニケーションの為他の人に見聴きしてほしい内容。)を外界に一定の文法文脈(誰でもそれが分かる人の中では共通の読み取り方・了解事項)に沿って形(作品)に創造する作業です。
従って内面に持っている表現したいもののレベルを超える表現は不可能です。
自分の内面は、芸術的感性のみならず、人生経験や知性や感情や映画やドラマから受けた疑似体験による影響も含む様々なものが反映されるので、人間的成長が内面を豊かにするといえるのでしょう。

上記の文章は先程SNSのコメント欄に投稿したものですが、普段口にしていることをまとめた形なのでメモとして掲載します。



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