今、職務経歴書を書いていて、約1年間大阪城公園の掃除をしたころの記録が、日記等の資料が空白になっていて、すっぽりと抜け落ちているのに気付いた。
ここ4-5年は、予定日報表が充実してきたので、プライベート上の大きな出来事は、追うことができる。
それ以外の事は、ブログに書いてある。
しかし、2008年以前になると、予定日報表はまだ誕生せず、2008年から12年ころまでは、極めて不完全で未記載の部分がほとんどである。
従って、それ以前の行動を知ろうとすると、手帳や日記を頼るかビザの記録とか会計簿の出費で確認するほかない。
手帳や日記にはむらがあって、思い出したように書き連ねていることが多く、当時何をしていたか不明なことが多い。
ただ幸いなことに、2007年8月からブログを始めたので、当時の日常生活については、かすかな手掛かりが残されている可能性がある。
そこで念のため、当時のブログを調べてみた。
当時は、実際の村が運営している「村ぶろ」に初めてブログを投稿し、そのまま継続していた。
その中で、2008年平成20年5月4日のブログに、「仕事始め」という題で、下記の文章が掲載されていた。
懐かしいので掲載しておく。大阪城公園の仕事は、翌年4月11日まで行っていた。
なお先週末以来、就職関連書類作成に関連して、ウインドウズXPから8.1へ変更したことによる、画像機器の対応問題や、自分の写真撮影とその画像の取り込みや、古い書類の調査等に手間取ったり、また、あまりにも多い職務経歴(ギャラリー閉店後数多くの職業を経験し、自営業の時は、多くの企業との販売契約と顧客開拓で走り回っていた)のまとめ方に苦心し、ほぼ終日家に閉じこもり作業をしていたため、昨日記は全く手つかずのままです。
村ぶろ 散歩者 2008/5/4
「仕事始め」
収入確保にの為、4月社団法人某ンターに入会した。
切羽詰っていたので、仕事を催促すると運よく空きがあった。
運がいいという。 通常半年待ちもよくあるというのだ。
仕事の準備の為、なけなしのお金を出して、作業ズボンや道具、
長靴その他を買い揃えた。
某ンターの仕事は、個人事業者の請負の形なので、給料とか
の形ではない。 したがって簡単な道具は個人持だ。
月収は、月80時間程度の労働なので、報酬を時給とみなすと一般
パート等の時給より低いかもしれない。
月収は一般の人から見ればほんの小遣い程度だが、無収入や
国民年金しか収入源の無い人にとっては、非常に貴重な収入源
であり本当に生存をも左右しかねない。
病気にでもなれば絶望的だ。 腰痛も要注意で致命的かもしれない。
清掃は一定の人数で一組になり、数組がローテーションを組んで
清掃に当たる。
一つの組のメンバーは固定で、就業年限があり欠員を随時補充する。
体調不良による欠員も良くあるという。
5月1日に初出勤だった。
清掃業務だが大変だ。
実は、以前にも清掃作業の仕事をしたことがある。
ギャラリー経営時、来場者はあるが、貸しギャラリーの借り手
が無くなり、高額の家賃が払えなくなり経営不振の為生活費
も無くなり、3ヶ月以上早朝のビル清掃をした。(震災の時)
そのときは、御堂筋のオフィスビルで、この清掃とは全く違う。
トイレだけでも何箇所もある。
汚れている。 汚物が外に出ているのは当たり前、詰まっている
のもある。
すべて手作業で取っ手付きのナイロンたわしを使ってこすり、
水で流す。
固まって取れないのは、根気よく直接金属たわしでこする。
トイへの移動は、道のごみを拾いつつ、トイレ間を移動する。
ゴム長をはいたままの歩行は違った筋肉を使い大変疲れる。
タバコの吸殻、ビニル袋、空き缶、弁当のカラ、雑誌等
いくらでもある。
先輩たちはごみをはさみで取るのも早い。
新米の清掃作業員、としてとにかく頑張るしかないのだ。
歩いていて気が付いたが、結構外人観光客も多いようだ。
中国・韓国系の人が多いように見える。
規定で仕事の内容詳細は公表しないようなっているので、
これに関連しての話題は、今回限りにする。
参考
村ぶろ 散歩者 http://blog.murablo.jp/sksya/
ここ4-5年は、予定日報表が充実してきたので、プライベート上の大きな出来事は、追うことができる。
それ以外の事は、ブログに書いてある。
しかし、2008年以前になると、予定日報表はまだ誕生せず、2008年から12年ころまでは、極めて不完全で未記載の部分がほとんどである。
従って、それ以前の行動を知ろうとすると、手帳や日記を頼るかビザの記録とか会計簿の出費で確認するほかない。
手帳や日記にはむらがあって、思い出したように書き連ねていることが多く、当時何をしていたか不明なことが多い。
ただ幸いなことに、2007年8月からブログを始めたので、当時の日常生活については、かすかな手掛かりが残されている可能性がある。
そこで念のため、当時のブログを調べてみた。
当時は、実際の村が運営している「村ぶろ」に初めてブログを投稿し、そのまま継続していた。
その中で、2008年平成20年5月4日のブログに、「仕事始め」という題で、下記の文章が掲載されていた。
懐かしいので掲載しておく。大阪城公園の仕事は、翌年4月11日まで行っていた。
なお先週末以来、就職関連書類作成に関連して、ウインドウズXPから8.1へ変更したことによる、画像機器の対応問題や、自分の写真撮影とその画像の取り込みや、古い書類の調査等に手間取ったり、また、あまりにも多い職務経歴(ギャラリー閉店後数多くの職業を経験し、自営業の時は、多くの企業との販売契約と顧客開拓で走り回っていた)のまとめ方に苦心し、ほぼ終日家に閉じこもり作業をしていたため、昨日記は全く手つかずのままです。
村ぶろ 散歩者 2008/5/4
「仕事始め」
収入確保にの為、4月社団法人某ンターに入会した。
切羽詰っていたので、仕事を催促すると運よく空きがあった。
運がいいという。 通常半年待ちもよくあるというのだ。
仕事の準備の為、なけなしのお金を出して、作業ズボンや道具、
長靴その他を買い揃えた。
某ンターの仕事は、個人事業者の請負の形なので、給料とか
の形ではない。 したがって簡単な道具は個人持だ。
月収は、月80時間程度の労働なので、報酬を時給とみなすと一般
パート等の時給より低いかもしれない。
月収は一般の人から見ればほんの小遣い程度だが、無収入や
国民年金しか収入源の無い人にとっては、非常に貴重な収入源
であり本当に生存をも左右しかねない。
病気にでもなれば絶望的だ。 腰痛も要注意で致命的かもしれない。
清掃は一定の人数で一組になり、数組がローテーションを組んで
清掃に当たる。
一つの組のメンバーは固定で、就業年限があり欠員を随時補充する。
体調不良による欠員も良くあるという。
5月1日に初出勤だった。
清掃業務だが大変だ。
実は、以前にも清掃作業の仕事をしたことがある。
ギャラリー経営時、来場者はあるが、貸しギャラリーの借り手
が無くなり、高額の家賃が払えなくなり経営不振の為生活費
も無くなり、3ヶ月以上早朝のビル清掃をした。(震災の時)
そのときは、御堂筋のオフィスビルで、この清掃とは全く違う。
トイレだけでも何箇所もある。
汚れている。 汚物が外に出ているのは当たり前、詰まっている
のもある。
すべて手作業で取っ手付きのナイロンたわしを使ってこすり、
水で流す。
固まって取れないのは、根気よく直接金属たわしでこする。
トイへの移動は、道のごみを拾いつつ、トイレ間を移動する。
ゴム長をはいたままの歩行は違った筋肉を使い大変疲れる。
タバコの吸殻、ビニル袋、空き缶、弁当のカラ、雑誌等
いくらでもある。
先輩たちはごみをはさみで取るのも早い。
新米の清掃作業員、としてとにかく頑張るしかないのだ。
歩いていて気が付いたが、結構外人観光客も多いようだ。
中国・韓国系の人が多いように見える。
規定で仕事の内容詳細は公表しないようなっているので、
これに関連しての話題は、今回限りにする。
参考
村ぶろ 散歩者 http://blog.murablo.jp/sksya/
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