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昨日記170320月(プチ断食 東洋陶磁 本読了 芸術雑感)追

2017年03月21日 18時58分17秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
最高/最低  18.4  7.4  曇時々晴
この日は、前日からプチ断食の日と決めた。
前回のプチ断食から2週間たっていた。
最近は、プチ断食をすると起きるいくつかの不都合を意識するようになった。
先ず空腹、ついで体の冷え、更に無力感が加わる。
それでなくても、怠け癖のある私が、更に動くことが面倒と感じるようになるのだ。
事実この日の午前中はTVを見てゴロゴロしていた。
昼前になって、これはまずいと考え、昨日記を書き、その後前日に用意した食材を使って9食分の副食を作り始めた。
断食しているので、昼食時間も副食作りに没頭した。
断食中は体の冷えを強く感じるので、気温の低い冬や晩秋や早春は応える。
しかし副食作りで体を動かしていると、体が温まり、副食もできるので一石二鳥の働きがある。
断食に副食作りは良くマッチングしているようだ。

副食作りは完了していなかったが、以前から計画していた東洋陶磁美術館で展示されている特別展
「台北 國立故宮博物院―北宋汝窯青磁水仙盆」を観に行った。
連休だったせいか、思ったより多くの人が来ていた。
「北宋汝窯青磁水仙盆」は世界的な逸品とは聞いていたが、確かに美しい色と端正な形をしていた。
常設展も見てまわった。
東洋陶磁美術館には、昨年の特別展「宮川香山」を観に行ったが、それ以前は一時期頻繁に観に行き常設展の名品にも感動していたが、近年はご無沙汰していた。
たまに、静かに陶磁器をじっくりと鑑賞するのもいいなと思った。
陶磁器の鑑賞といえば思い起こすのは、以前グランフロント大阪で行われていたナレッジキャピタルの講座で、宮川香山展関連の話しの中で、西欧と東洋で陶磁器の見方が違うという話を専門家の方が指摘されていたのを思い出す。
西欧では、陶磁器というのは実用品なので、美術館でも戸棚に並べて飾るという。
日本や中国では、美術品として手に取り単品で鑑賞する。
確かにその違いは大きい。
東洋陶磁美術館の展示も、そうした方向で照明にまで気を配って展示されている。

東洋陶磁美術館の帰りに近くのファストフードに寄り、この日朝から初めての食物であるハンバーグをたべた。
小腹を満たしてから、コーヒー片手に現代フランス思想関連の本を読み、読了した。
現象学以後、実存から構造主義、そしてポスト構造主義と、ダイナミックな流れには驚かされた。
様々な思想家哲学者の名前は聞いていたが、ある程度内容を理解できたのはこれが初めてである。
無論、サルトル関連の本や実存の概念とか、構造主義や記号論関係の本や、関連する哲学者の解説書は、何冊か読んでいてそれなりの理解はあるつもりであった。
しかし、ドゥルーズやデリダの哲学はほとんど知らなかったが、今回本を読んでその概要がある程度理解できた。
彼らが現代の情報化社会を予見し、考えていたことは驚きであった。
そしてポスト構造から現代思想の流れが気になるところである。
この本を読んで、現代社会の風潮の中に、フランス現代思想が色濃く反映、様々な用語が何気なく使われていることに気付いた。
同時に、定義のあいまいな言葉も、なんとなく使われているようだ。(建築から発生し、リオタールが哲学的に提示したポストモダン??)

フランス現代思想から影響を受けた、アメリカの哲学の動向や消費社会の分析も面白い。
又、哲学の中にもフーコーも指摘する、文芸哲学とも称される実存系の展開の見方も面白い指摘だと思った。
アメリカのソカールとプリクモンが指摘し、哲学界に大きな影響を与えた「知の欺瞞」も、常に頭の片隅にとどめておく必要があるだろう。
こうした様々な概念は、社会の考え方に適用されているだけでなく、芸術の表現にも一部応用されているかもしれない。

ところで、芸術では、表現方法やそのコンセプトの中にも、実存といった現代から見れば少し前の哲学的概念を追及している作品もよく見かける。
美術館の展覧会でも、例えば以前知の考古学を連想させるようなタイトルを付けた大規模な展覧会もあったし、今から考えると現代哲学から引用した概念を使ったコピーも散見される。

芸術の世界は論理ではなく、感性を含む内面の表現なので(論理は、どれが正しいとか新しいとかで優劣があるが、芸術は内面世界(パラダイム)の表現なので、論理に矛盾があっても古くても、価値が錯綜転換<シュール>していても問題ない。)、そういう意味で古い思想的な表現をしていても、陳腐(古いからダメ)ということは言えないと思う。
その背景には、民族性や風土や宗教のや思想の違いも大きく影響する。
そうした意味において、写実絵画も問題ないし、義太夫節や浪曲も芸術だし、いわゆる現代アートといっても無数のカテゴリーが存在し、かつ創造されている。
これは、音楽でも同じであろう。

もっと根本的なことを言えば芸術のカテゴリーとは、人間の個人的価値観で分類した物に過ぎず、いかようにでも分類できる。
現に、とある大規模な現代美術展で、現代美術のカテゴリーや定義を、3人の有力な作家が表現していたが、それぞれ違っていた。
一口に現代美術といっても、厳密なカテゴリーは無いし、作品の評価は人によって違うので、時間の経過とともに意見が収束し歴史的に定着するのを待たねばなるまい。
その期間は、何年後か分からないし、世界の政治経済的環境にも左右される。

但し、今後考慮しなければならないことは、技術の進歩により、経済のみならず芸術文化もグローバル化しつつあることだ。
文化そのものが、都市ではボーダレス化無国籍化している。
しかし、どの国でもそうであると考えられるが、各国の地方に行くとその国のディープな伝統文化が残されていて、特に近年では伝統文化の再評価が世界的に起こっている。
そうしたことが将来の、文化芸術にどう影響するか分からない。
特に宗教の規制は大きい。
宗教が変われば全く違う文化芸術になる。
実は、芸術宗教も論理ではなく、価値観、信仰、信念、習慣、感覚感性(風土を含むパラダイム)を中心に成り立っているというのが本質である。
例えばイスラムは偶像崇拝を否定しているので、人体をモチーフにした芸術は今後も発展しない可能性が強い。

又、美術や音楽の歴史をたどればわかることだが、美術でも経済力、国力が発展したところが、文化芸術の中心となり、中心地での評価が世界的評価とみなされやすい。
そういう意味で、日本は100年前は世界では見向きもされなかったが、今では日本の芸術家が世界で活躍し、ファッションですら世界的デザイナーを輩出していることも歴史的流れと合致している。
これがもし、中東全体がかつてのトルコのように繁栄して居れば、イスラム美術が世界を席巻したかもしれない。
今後中国芸術が世界的に注目される可能性はあるだろう。(一部では世界的作家もすでに出ている。)


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