散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記170416日(美術館行中止 造幣局桜の通り抜け)

2017年04月18日 12時55分49秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 24.8  15.0  晴一時薄曇
この日はプチ断食の日であったが、忘れていて朝食をフルコースで食べて、腹いっぱいになった。

因みに、我が家の食事は朝昼夜すべて同じ副食である。
副食のレシピに関しては、過去にこのブログで数回紹介したことがある。
鳥肉90gを始め、各種野菜(8種類)が25gから30g以上と昆布や削り節やキノコを大きな丼鉢に入れ、それに特製出汁を加え電子レンジを使い温野菜にするのだが、更に朝食には必ず卵を加える。
それ以外に、納豆(40gパック)を3食たべ、朝にはバナナのデザートと主食に食パン5枚切りに蜂蜜塗りを食べる(昼・夜はご飯)ので、ボリュームたっぷりの朝食になる。
食後は、必ずコーヒーを飲む。(インスタントが多いが、気が向くとコーヒーをドリップで淹れることもある。)
食事は試行錯誤の末、標準化しているので味もよく栄養価も高く、経済的にも安く上がる。
旬の野菜(ゴーヤその他)が安くなれば、それも加えることが多い。
魚は好物であるが、高いので買えない。
たまに100円前後で固形物が100g以上の缶詰が特価で出ると買いだめしていて、週に1度以上は肉抜きの温野菜+缶詰の食事をすることもある。

食後、歯を磨きながらプチ断食の日であったことに気付いた。
とりあえず昼食を抜いて、効果を期待できないが、プチ断食のさらなる縮小版で済ますことにした。

この日は午後から国立国際美術館のクラーナハ展を見に行く予定にしていた。
しかし、何となく気が進まず、家を出るのが遅くなった。
気が進まない原因は、次のようなことが背景にあると思っている。

美術の展覧会は無数にあるが、すべて見ることは不可能である。
無数の展覧会の中で、評価の高いものを選んで見に行く。=歴史的に評価が定着している。
歴史的評価が定着している物だけでも古今東西、何千何万とある。
その中でも、評価の高いものを選ぶ必要がある。
美術、芸術は、宗教と同じ価値観で成立していて、論理で成立する学問と違いその評価に絶対はない。
評価は人によって違う。(価値観が違う。)
美術、音楽、文学等で、同時代の評価と後世の評価と全く違うことも多い。(例、バッハやゴッホは同時代全く評価されていなかった。)即ち、価値観は時代とともに変遷する。
芸術史(美術、音楽・・)と芸術鑑賞は別物である。(芸術史は学問で、作品の技法や価値観の変化の歴史的変化を研究しているのであって、価値観そのものを決定しているのではなく、論理的思考である。)
芸術鑑賞の背景は、価値観そのものであるが、芸術史を参考にすることが多く、影響を受ける。
ここに、芸術史的研究(論理)と作品評価(価値観)が専門家の中で、一個人の見解(権威)に集約され評価の基準になることが多い。(権威になる人は、作品に大量に接し、専門分野のながれや価値観の変遷を詳細に把握しているので当然のことであろう。)
専門家であっても、分野が違えば評価できないはずであるが、混同され専門家として意見が尊重されることが多い。(例えば美術でも洋画、日本画、現代美術で、見方が違うし価値観も時代ごとに変化しているが、全く違う分野の人がその分野に関して造詣も深くないのに、先生という立場で的外れの評論する場合がある。<その分野も勉強していれば問題ないが。> 先生に異論を唱える人は、少なく自分の意見がすべて正しいと思い込んでいる人は多い。)

以上のようなことを考えながら、さて、この時代のクラーナハはドイツを代表する画家に違いないが、私にとって1500円払って行く価値があるのかと自問自答した。(クラーナハは人類の遺産としても価値があるが、人類の遺産は数が多い。例えば奈良の仏像や建築だけでもたくさんある。すべて<古今東西の絵画・造形・建築・陶器・・>観に行くと経済的に破産するし、時間も限られる。最近も古代ギリシャの展覧会も行きたかったがあきらめた。)
無論、年収400万円ほどあれば、まず行くと思うが、月10万で生活し下手に出費をすればすぐに赤字になる余裕のない収入で、見に行くだけの価値があるのか。
それに、私自身の関心=指向性がこの時代に向いているのか。
即ち、私がこの時代の美術研究者であれば、絶対行くだろうが、そうではない。
それ以外に考古学・古代史やクラシック音楽や、自然観察や、様々な興味や趣味を持っていて、美術はその中の一つであり、美術も前にも書いたが、現代美術からバロック時代以前や日本画や平面や立体等様々に分化していて、すべてに関心を持っているわけではなく、その中のいくつかに関心を持っているのだ。
また、例えば、更に現代美術だけとってみても、様々な傾向のものがある。
そもそも、興味や趣味は、論理ではなく宗教と同じ価値観の問題である。
自問自答した時、私にとってクラーナッハはそれほど重要ではない。
海北友松や快慶は見に行きたいと思っているし、この時代に近い画家であれば、ブリューゲルは行きたいと思っている。
上記のようなことが、頭の中で巡り、美術館に行くことをためらわせたと考えている。

実際午後から地下鉄に乗り、行きかけたが途中で進路変更して、造幣局の花見に出かけた。
地下鉄天満橋を出て、造幣局の通り抜けを見て、再び天満橋まで戻り、天満橋のファストフードでコーヒーを飲んでから帰宅した。
天満橋は非常に混雑していて、造幣局までびっしりと人が並んでいて、会場内も自由に歩けないほどごった返していた。
通り抜けの桜は、毎年に近いぐらい頻繁に見ているが、心奪われるほど美しかった。
西行法師が、この桜を見たらどれだけ喜ぶかと思った。


美術・芸術(このブログは左記リンクのカテゴリー別「美術・芸術」ホルダーに収納しています。)
自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダー
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo



コメント    この記事についてブログを書く
« 昨日記170415土(炊飯・副食... | トップ | 昨日記170417月() »

コメントを投稿