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昨日記160126火(図書館 哲学 アメリカ余談 美術メモ )追

2016年01月28日 17時54分04秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴   最高/最低℃ =8.4  0.7
26日は平年並みの気温になったが、前日がっ寒かっただけに春のように感じた。
しかし、20から30代によく遊んだスキー場の寒さから比べると、前日のマイナス3.5℃も普通で驚くことではない。

午前中は昨日記を書くのに時間を取られた。
普通に思いつくまま文を書くだけなら、校正もしなくて間違いだらけの文であれば1時間に1000字程度書ける。
だが、講演会とかゼミとか、レポートのようなものや、正確さが求められる文章の場合はかなり調査・校正に時間がかかる。(私の校正は穴だらけで、何度見直してもボロが見つかる。)
だから、講演会やゼミに参加すると書くのに時間がかかる。
だが、メモしたノートを見ながら更に不足した個所や関連した事柄をネットで調べたりしつつ、ブログに仕上げるのは、結構楽しい作業である。
深く調べても、煩雑になるだけなので、ブログにはそんなことはほとんど載せていない。
この日も、そんな感じで関連事項を調べまくり、午前中ほとんどの時間を取られた。

午後になって、中央図書館に本の返却と新規の借り出しに行った。
幸い、私が心配していた考古学関係の本の予約は入ってなかったので、その本を再度借り出した。

昔、ミシェル・フーコーの本は新書版で読んで、多少の予備知識はあったがもう少し知りたいと思ったが、ドルーズに関しては、ほとんど知識がないので、ドルーズ関係の本を借りて読むことにした。
マルクスやニーチェやサルトルや構造主義関係(民族学含む)やフロイトやユング等は、一応入門程度の本は何冊か読んでいたて、記号論に関しても、入門よりは多少深く勉強した。
現象学に関しては挫折したので、再度勉強しようと思っている。
若いころは河合栄次やその他の本からカント哲学を信奉していた。
ラジオ大学講座で西洋哲学史も学んだ。
最近は東洋哲学にも興味はあり、儒教や老子も入門程度は読んだ。
宗教に関しては、若いころから仏教関係の歴史や経典や仏教の考え方や仏教美術関係(若い時に古寺巡礼や仏像の心に強い興味を持ち何冊もの関係した本を読みつつ、奈良や京都の有名な寺院を拝観した。中年以降に仏教史や経典関連の本を読んだ。)の本は何冊も読んでいて、キリスト教に関しては音楽的興味(主にバッハ)と社会学者・思想家のマックス・ウエーバーの影響から、聖書関連の本もいろいろよんだし、最近は古代史・考古学や民俗学的興味から神道関係の本も読んでいる。

儒教に関しては、英語留学した時に10枚のペーパーを書く必要に迫られ、資本主義の精神と日本の資本主義化が早かったことに関連して、マックス・ウエーバーと日本の徳川時代の教養でもあった、儒学特に朱子学や陽明学について検討した。
ウエーバーの、分析した資本主義のプロテスタントの精神の詳細な分析と、朱子学や陽明学の精神構造に共通する面があることをペーパーに書いた。
(江戸時代に、日本には資本主義の萌芽があると思った。当時の多くの商人たちは儒教や神道・仏教の影響を受けた石門心学に深く傾倒した。その影響は近江商人の生き方<三方よし>に反映されていて、現代の日本のトップレベルの大企業にもその精神を継承する企業は多い。アメリカ留学当時、なぜ日本だけがアジアで近代化し発展したのが、欧米人は大きな疑問に思っていた。これを書いたのは1986年の話しで、当時そうした議論はほとんどなかった。)

余談になるが、たまたま、その時元ルームメイトでシカゴ大学の修士課程にいたE(後に博士号取得 一時大学教員)の研究テーマが、ウエーバーとも関連していて、彼はベネズエラの貧民街のプロテスタント社会(中南米はカトリックでプロテスタントは少数派)構造や文化を研究していて、その後ベネズエラの貧民街に住み込み、フィールドワークを行っていた。
英語学校を辞めてから、メキシコにわたり、その後日本に帰国する前に彼と合流し、アマゾンの冒険ツアーに参加した。
彼は、生粋のドイツ系アメリカ人であるが、一度大学を中退し神学を勉強し、メキシコの修道院に入り修道士としてスペイン語で説教を行っていたという。
私がシカゴ近郊にあるコンコルディア大学の付属英語学校(元アメリカ国務省管轄下にあった全米チェーンの英語学校)に入学したとき、彼はその大学の学生で、寄宿舎のルームメイトだった。
その時、彼はシカゴの貧民街の教会で説教を行っていたようで、日曜日の前になるといつも原稿をタイプしていた。
その後、彼はパナマ危機の頃?パナマの奥地に住み、原住民の教化を図ったり、ブラジルにも行ったりしていて、非常に活動的である。
シカゴ大学卒業時には卒業旅行で、夫婦で中国の奥地にまで行ったようだ。
その帰りに貧しい長屋の我が家にも立ち寄ったし、数日間奈良や京都を案内した。
因みに、LとEは親しい友人どうしで、私も含め共通の友人でもある。(ジョウ ホウ キカン関連参照・記載済み)

話を戻すが、今の私の立ち位置は、実存と構造主義・記号論が混ざった感じだ。
しかし、ニーチェや実存主義には超越の思想があるという指摘があり、構造主義系列とはっきり違う傾向(対立?)であることを最近知り、なるほど指摘の通りだと思った。
いわゆる精神論・認識論の傾向で、ニーチェの超人思想や力がそれを表しているが、一方構造主義の系譜はそれとは対照的(客観的・時に数理的、ある意味唯物論的)のようだ。

美術メモになるが一言
芸術の解釈もそのような目で見ると、両方の見方があるようだ。
この件に関しては、まだまだ勉強不足なので、今後ぼちぼちと考えを深めたい。
因みに価値観の記号内容にこだわるのは、認識論的であり、フロイトやユングもその方向からのアプローチであり、芸術上のシュールレアリズムは、アイコン(記号意味)の価値変換・錯綜といった方がよく、複合的な価値観が混在一体となって、そこから別の新しい価値を見出そうとするもののように見える。


図書館を後にして梅田のヨドバシカメラに行きリモコンを購入した。
その後、スマホやスキャナや双眼鏡の情報を仕入れた。
帰宅後すぐにリモコンをテストしたが、問題なく正常に動作した。


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