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昨日記160611土(弥生博セミナー「弥生の鉄 マクロ・ミクロから・・」)追

2016年06月14日 17時08分28秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
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この日は、昼食を早めにとって、JR阪和線の信太山駅の西にある大阪府立弥文化博物館で行われるセミナー「弥生の鉄、マクロ・ミクロの世界から材質・履歴を考える」に出かけた。

信太山駅を出て踏切を渡り、駅の南西に出ると黄色く舗装された道があり、黄色の道に沿って15分ほど歩くと弥生時代の建物が復元された弥生の大集落・池上遺跡に行き、その直前に渡る国道を南に数十m歩けば、大阪府立弥文化博物館がある。

いつものごとく、家事食事に手間取り出発が遅れ、駅を降りてから、黄色い道を競歩のごとく速足で歩き、やっと2時15分過ぎに会場に着いた。
会場は満員で、ロビーの椅子席も満員に近かった。
弥生文化博物館のセミナーは、いつもこんな調子で、熱心な考古学ファンが詰めかけている。
出席しているファンの9割は男性で、中高年の人が7割以上を占める。
しかも、セミナーはかなり専門的であの多くは、多くの考古学関係の専門書を読んでいるということだろう。
多分、その中には大学関係者や、考古学関係者(教育委員会や調査発掘専門会社)も少なからずいると思われるが、同時に学校教員や定年退職後に、趣味で考古学古代史を研究している人も多いのだろうと思うが、その割合を知りたいと思う。
今回の発表内容は、論文を閲覧しないと知りえない情報も、多く含まれていると推測している。
その意味で、専門家が多数参加していてもおかしくない。
また、この博物館では、月に数回木曜大学(先着順自由参加)を開催しているので、その受講者も多くいると思われる。
とにかく、考古学関係のセミナーは、どこの会場でも、熱気むんむんの場合が多く、人気が高い。
ただし、平日の夜のとある大学系の会のセミナーに参加したことがあるが、参加者のほとんどが専門家だった。
しかし同じ会が日曜日に開催した、記念シンポジウムでは、高度に学術的な研究発表にもかかわらず、多くの人が詰めかけていて、専門家以外の考古学ファンも多かったのではないかと思われた。


今回の講師は日鉄住金テクノロジー(株)大澤正巳氏であった。
講座では、技術畑の金属学的話も多くあった。
B4の紙に14ページに印刷されたレジュメをテキストにセミナーは進んでいた。
レジュメ1ページに4カットのパワーポイントの図表や写真や解説文やコメントがついていて、非常に密度の濃いレジュメだった。
炭素含有量の違いによる、鉄の物性的違いや溶融温度の違いや、焼き入れや焼きなましの意味や鋳造技術や鍛造や鍛冶の技術に関しても説明されていた。
正直言って、文系の人にこうした技術的な話に付いてこれるのかと心配した。
だが、こうした地道な科学研究から弥生時代の実像が浮かび上がることは間違いない。
ここでセミナーの詳細はとても書き出すことはできないので、印象に残った話の主なものを書きだしてみる。
一時期注目されていた、集落の多くに鍛冶工房のある淡路島の五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)は非常に小規模な鍛冶遺跡で、大量に鉄器を供給するような遺跡ではないらしい。
この遺跡の鍛冶工具も原始的という話だった。(弥生時代の近畿には鉄器の大きな拠点はなかった?)

鉄は、弥生時代は北九州が中心で、古墳時代になると圧倒的に近畿が多くなる。
農耕具や武器でも、弥生時代の近畿では鉄器の出土量は少ない。
弥生時代中期の日本で出土している鉄器(BC5C=紀元前 5 世紀)の原産国は、中国の可能性が強い。(今まで、中国の歴史書の記述等から韓半島南部で倭人が居て鉄に絡んでおり、そこから輸入されていると思われていた。)
九州の弥生時代の鉄器を分析すると中国の戦国時代の可能性が強いものが多い。
東アジアの鉄器はBC8C中国の西周晩期の塊錬鉄が始まり(それ以前は隕鉄<隕石成分の多くが鉄の隕石>を利用していた。)
従って弥生初期は、鉄器はなく石器のみとなる。
(最近まで弥生時代の始まりは、稲作と同時に鉄器ももたらされたと言われてきたが、弥生時代の開始時期はBC800年から1000年という説が主流になっていて弥生時代<水耕稲作が始まった>初期には石器で稲作をしていたことになる。従って開墾、水田づくり、畦づくり、水路管理・堰の設置、倉の設置、農工具・鋤・鍬・斧・鎌・石包丁<鎌以前は石包丁で稲穂を摘んでいた。>は、すべて石器で行っていたことになる。)
九州の初期鉄器はBC5C頃中国で開発された加鍛鋳鉄の使用が始まり。
詳細を書くときりがないので、このあたりで置いておく。

鉄の話を聞いて、図書館から借りて弥生時代の最新研究書を読んでいるが、この日の話しや本から得た最新の研究情報を総合すると、弥生時代の詳細が最近かなりはっきりと見えてきたようだ。
しかし、はっきりと弥生時代の実像が見えてきた分、逆にわからなくなったことも多い。
例えば、弥生時代の文化は、地方によりかなり違っていたらしいことも分かっている。
地方によっては、縄文文化が色濃く残っている地方もあり、青森あたりは一時期稲作を取り入れたが、その後すぐに縄文時代と同じ生活に戻ったようだ。
弥生文化は稲作文化だが、その受け入れ方も地方により差があったようだ。
鉄の普及の仕方も、そうしたことと関係しているのかもしれない。

博物館で展覧会カタログが800円と安かったので購入し、帰宅途中ファストフードに寄りカタログをしばらく読んだ。



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参考ブログ集 散歩者gooより



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