世の中を厭ふまでこそ難からめ かりのやどりを惜しむ君かな
遊女妙に宿を貸してくれと頼んだ有名な歌であるが、これに対する返しがもっと有名であって、ただもんじゃないと言うことで謡曲「江口」とかになったのであった。謡曲ではたしか普賢菩薩の化身であったというおちがついていた。
世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に 心とむなと思ふばかりぞ
そもそも西行はほんとうに遊女と遊ぼうと思ったのかもしれないし、その遊女がインテリゲンチャではないという証拠はない。吉原が文化の発信基地になったように、肉体が問題になるところでは、逆に言葉の世界、というよりも修辞学の世界が発達するのである。近代は、言葉を中央集権化し、――つまり学校を中心にカノンを形成しようとした結果、そういう修辞学を追い出すことになった。中央集権の真ん中では男と女のやるようなどっちに転ぶか分からないような駆け引きはあってはならないからである。そうやって修辞学というより、安定化を性急に求める権謀術数の力、つまり恫喝や暴力に傾く傾向を権力が持つことになるし、インテリもそういう暴力的な存在となる。修辞学が未発達であるからだ。
確かにAだけどBであるという論法、学校で教えるのやめてくれねえかな、とつくづく思う。二項対立からはじめよそしてそこで迷え、最終的には多数決、みたいな頭の悪さを推奨してるようなものである。基本すごく攻撃的な論法で、修辞的な柔軟性がない。西行と遊女みたいなしゃれたやりとりがないのである。むろん表向きには――小学校や中学校で、自分の意見だけじゃなくAのことをきちんと考えなきゃいけないよ、ということを教育する意味で使われてるのだが、実際にはそういうことはもたらさない。AからBにすぐに移行したがる軽薄さを助長しただけであった。
Aのことを考えるにはすごく長く時間がかかるのであって、一つの思考の呼吸のなかにAもBも入るなんて思い上がりも甚だしい。学生が、こういうある種の評論家的な裁断の仕方を大学で禁じられると自分に何もないことに気づいて急に絶望するのを何回も見てきた。むろん、修辞学がないから恋愛もなかなかしにくくなるわけだ。
そして、しかのみならず最近は、AだからBであるなぜならCである、というエビデンス主義が上の形式論理を支えているわけだが、ここまでゆくと政治性の消去でもあることが明らかだ。この場合、Cは事実性であることが前提で、たとえば、Cが「首相がアホだから」といった「判断」はないことになっているのである。
昨日は、西田幾多郎の「知と愛」(『善の研究』)をめぐって一時間ぐらい解説した気がするが、むろんもっと時間をかけるべきなのだ。知と愛は一緒のものだと西田は言っている。まさに西行と遊女に起こったことではなかろうか。