★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

夢を盗んで出世の巻

2018-10-09 23:37:22 | 文学


「夢買ふ人の事」(『宇治拾遺物』)は、夢解の女のところに来た国主の長男の夢を、国司の息子が盗ってしまった話である。国主の長男は大臣になれる夢を見たらしく、それを女に語っていた。そこで、それを盗み見ていた国司の息子が

夢は取ると云ふ事のあるなり、この君の御夢我に取らせ給へ、国守は四年過ぬれば帰り上りぬ、我は国人なればいつもながらへてあらんずる上に郡司の子にてあれば我をこそ大事に思はめ

と言ったわけである。考えてみると、昨今の本当の奴隷的な人間であるならこんな事もいえないのであろうが、案外さらっと言ってのけた。これが重要だったに違いない。科学の世界でも、一回「できるぞ」ということを誰かが言うことが重要らしいが、文学でもよく「おれはすごいぞ」と言っているうちに大物になってしまったやつがいる。全く思い出せんが、誰かいるだろう。それはともかく、この郡司の息子は実際に、中国に派遣され、いっぱしの知識人となって大臣に出世した。最初の国主の息子は夢を盗まれたのでだめだった。たぶん夢が自然に湧いて出たみたいな感覚でいたために受け身だったのだ。それに比べて、盗人息子の方は、盗んだものを実現せねば格好がつかぬ。

いま学生が抱く夢とやらも、たぶん内発的な動機に頼っているからだめなのだ。誰かの動機を盗めば良いのである。考えてみたら、いま現実でもネットでもやたら威張り腐っているやつは大概誰かの動機を盗んだやつである。