白山神社古墳から東に進むと、田んぼの真ん中にこれまた盛り上がった場所が見られた。「向城」のあとらしい。そこに「小原神社」が建っている。向城は香西氏の子分であった眞鍋氏の城であったらしい。部下の武士たちは農業を営み、いざというときのためにあぜ道に武具を置いていたらしい。そもそも武士と農民ははっきり分かれていたとは限らないのであった。それをぶちこわしたのが所謂戦国時代後期の兵農分離政策である。しかし、農民がその後も刀を隠し持っていたのは周知の事実だ。いきなり誰かがぶっ放す可能性があるのは、アメリカだけではないのである。
注連石は昭和六年らしい。この「小原神社」は、案内板によると、「掘り出し荒神」とも言うらしい。割と、掘り出すもんだよね……。祭神は「保食神」。案内板によると、西嶋八兵衛が木太町の開発をやった時、流行病で人が次々に亡くなったのでそれを弔ったものだそうだ。西嶋さんは、【ボーイズ】生駒高俊【ラブ】によって雇われた人で、香東川の流れを変えた天をも恐れぬ例の土木屋さんである。
あぜ道を帰ります。