★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

小説家の憎悪の起源

2014-02-28 18:15:10 | 文学


香川菊池寛賞の授賞式に行ってくる。今年は選考委員をはじめてやったわけだが、あーこの仕事は大変だこりゃ。今日の四国新聞に講評の一部が載っているが……こういう仕事をやってみると、小説家たちが批評家や編集者をなぜ憎んでいるのがよく分かる。文藝評論家を研究していながら、こういうことをあまり考えずに来てしまったが、彼らの一部には、テキストからあまり浮かび上がってこない側面――やさぐれた人間のようにも見えるが明らかにある種の権力のオーラをまとった批評屋としての側面がある。有名人(小説家)との交友関係や金に結びついたそれは、マルクス主義政党や自民党の権力などとちがって見えにくいし、反権力のような風貌をしていることさえあるので面倒である。たぶん、昨今の文学通俗化の責任は読者のニーズより、自称玄人の批評家や編集者の側にあるのである。やはり、晩年の花×清×が、佐々木基一に「一回実作者になれよ、批評家になるのはそれからでも遅くはない」と、佐々木の批評家人生を全否定しているのは正しい。


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