★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

Death is the brother of Sleep, is he not?

2019-11-06 23:24:20 | 文学


「奇なり奇なり」と唱嘆して、信乃と面を合はすることの、遅かりけるを憾むるのみ。つひにおのおの玉を取りて、囊に納め、頂に掛けて、もろともに跪き、天地を拝し、誓を立てて、かの桃園の義を結びぬ。

これより少し前のところで、中国の夜光玉にも比せられる八犬伝の玉たちである――。この第三十二回の桃園の誓いの場面で、親たちも八犬士たちもその玉を護囊に入れて大事に持っている様が記されているが、ふざけた人なら、ほぼ下ネタに解してしまいそうな場面ではある。しかしそんな風にふざけなくても、桃園の誓いは義兄弟の誓いは、それが姉妹恋人親子以上のものだということで、過剰に評価されている。

吉川英治の『三国志』を昔読んだときに、桃園の誓いの場面が、なんだか不良少年たちがだらしなく飲んだくれているような場面だと思ったので、――「八犬伝」のそれは真面目すぎるのではないかなあと思うのである。勉強不足で調べてもいないであるが、『三国志』の桃園に設置された、地神を祀った祭壇はいったいどんな感じだったのであろう……

笹竹を建て、清縄をめぐらして金紙銀箋の華をつらね、土製の白馬を贄にして天を祭り、烏牛を屠ったことにして、地神を祠った

義兄弟の誓いなんてどうせ崩れてしまう。それよりも、ぜひ、こういう祭壇を造ってみたい。

"It is not to Egypt that I am going," said the Swallow. "I am going to the House of Death. Death is the brother of Sleep, is he not?"
And he kissed the Happy Prince on the lips, and fell down dead at his feet.


端的に、わたくしは、本物の兄弟とは、こういうものだと思うのである。ワイルドは、ここで Death is the brother of Sleep という風にbrotherを使った。死と眠りは兄弟ですよね、というこのせりふは、死に行く燕と王子の結びつきの強烈さを兄弟という形で婉曲的に示しながら、王子が眠りではなく死に赴いて燕を追うことも預言する。これがまた、直ぐさま実現する預言なのである。これこそが愛の姿である。わたくしの趣味で言うと、「ロミオとジュリエット」の勘違いな死より、はるかに「幸福の王子」の死の方がすばらしいと思う。

「八犬伝」も、義兄弟と分かったときに、お互いが殺し合ってしまうとかして、さっさと愛を実現すべきではなかったであろうか。


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