★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

賽神社を訪ねる(香川の神社160)

2017-12-24 17:06:56 | 神社仏閣
飯田町。



『香川県神社誌』によると、祭神は、「八衢比古神、八衢比売神、岐神」。道祖神的な三神である。

寛文年間にこのあたりに唐戸與五右衛門尉友常と言う人がいた。飯田村の耕作整理、水利灌漑、道路整備、道路に沿っての水路整備、代官道(定木神社の前にある道のことである)をつくり、友常池を改築と大活躍。でその屍を葬り地蔵尊を建て、更にその西側にその霊を祀って「幸の神」と称え奉祀した。地蔵と神社の関係を考える上でも興味深い話である。神社に、政治家や地元の名士の記念碑が立っていることがあるが、いまでも同じようなことをやっているということだ。

高地蔵と蓮香寺を訪ねる(香川の地蔵28)

2017-12-24 14:46:56 | 神社仏閣
ほぼ岩田神社にくっついている感じの位置に「高地蔵」あります。



高い、デカい。したがって、わたくしより背が高い。台座には文政五年出生となっている。なっとくである、わたくしより先に生まれているからデカいのであろう。

 

何度見てもわたくしより背が高い。

 

檀紙の旧家が牛の供養のため建立したらしい。(http://tadashimatunaga.web.fc2.com/bangaireijou/kagawa/file02/101_111.htm

その南側には、蓮香寺の観音堂がある。この寺は、岩田神社の別当寺であった。神仏習合時代、別当はその神社の中で一番えばってよいことになっている僧であり、その下に宮司がいたのである。大学の中に役人がいるようなかんじであろうか。そうだとすると、実際にえばれたかどうかはわからない。明治の神仏分離政策は政府の暴力としてとらえられることも多いが、現場の雰囲気としてはわからない。案外、下からの叛乱としての意味合いもあったのかも知れないと想像する。まあ、こういうことは、その中に入ってみてもよくわからない類のことである。



中をちょっぴり拝見。