つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
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孫に我が家で収穫した柿を送った

2011-10-24 15:55:00 | 家事

 山形に嫁いでいる娘の息子が誕生した時に、それを記念して我が家の狭い庭に富有柿を植えた。実を良く着けるためにはもう一本は渋柿でも植えるとよいのだが、それもできず実をとる一本だけになった。桃栗3年、柿8年というが、丁度8年目に実を着けたが収穫することはせずそのまま木にならせたままだった。

1110241blog  9年目の昨年は花は着いたが、実はほとんど小さいときに落ちて収獲が出来るほどではなかった。今年は、20個以上はなっていたので、本日収穫し、よさそうなもののみ6個を宅急便で送った(手持ちの箱の関係で6個しか入らなかった)。残りの一部は自分と仏様お供え用に収穫して、残りと木で熟して(虫にでも食われいたのか?)柔らかいものは全て木に残した。(写真は残した柿の一部)

 宅急便で送ると送料600円だった。これでは、買った方が安かったか、と思ったが、孫のために植えた柿なので味はともかく、それなりに意義があるであろう。

 


#10悠々旅行(最終10日目:帰宅)

2011-10-23 23:00:00 | 旅行記

 今旅行の最終日の今朝、7時に道の駅「新港」(富山県射水市)で起床。昨夜の白エビかき揚げ丼を食べた後、食中毒症状が出て参ったが、一晩寝ると恢復したようだ。身体に赤い斑点は残って時々痒いが、特段の問題はない。丈夫な体に生んでくれた両親に感謝!!

 7:25出発、途中ガソリンを満タンにして7:47小杉ICより北陸道に載った。8:09有磯海SAに到着。コーヒがお替り自由なのでモーニングセット(¥600)を摂った。今回も写真を撮り忘れるところだった。サラダを食べ終わった後に気付いてかろうじて写真に残せた。111023choushoku

今回の長い留守の間、新聞や郵便物を取り込んでいただいていた隣家に、ますの寿司と白エビの味噌のお土産を買って、9:09出発。9:58上越JCTから上信越道に入り、10:45更埴JCTを通過、11:26横川SAに到着。

 横川SAにはここを通る時は必ず停まる。食事はほぼ、釜めしかソースかつを食べるのだが、今日はそれぞれが混んでいたことと、今日は帰宅できるので昼は簡単に済ませようと思い、サラダサンドと牛乳400ml(500mlがなかったので、200ml2パックにした)を買って、車中で食べた。

 11:52横川SAを出て、後はノンストップで帰宅。12:12藤岡JCT、12:15高崎JCT、12:40岩舟JCT、12:46栃木都賀JCTを通り、13:05茨城県に入り13:18友部JCTを通って常磐道に入って、13:23水戸ICを降りた。今回、小杉ICから水戸ICの間は東日本大震災の被災者に適用される購読題無料を利用した。水戸IC料金所を通過するのに数分掛ったが、思ったより早く通過でき、13:48無事自宅到着。今回の9泊10日の旅行は完了した。


#10悠々旅行(9日目:七尾城・高岡城)

2011-10-22 22:22:00 | ウォーキング

 和倉温泉「花ごよみ」で7:00起床、今朝も部屋に朝食1110221choushoku をセットしてくれた。生卵が食べられないので、それだけは残してしまった。8:20宿を出て8:39七尾城史資料館・懐古館(旧飯田家)の駐車場に到着。小雨が降っており、傘を差して入館する(各々入場料¥200)。

01nanaojyoushishiryoukan02kaikokan写真左:七尾城史資料館、右は懐古館で江戸後期文化文政期(1804-20)頃に肝煎り(庄屋)を務めた飯田家の旧家

 ここから歩こうと思ったが、雨のため諦めた。車で展望台03tenboudai まで行ってそこから七尾市街を見下ろすが、ガスっぽくて展望はよくない。20分ほどあちこちを回って、車で引き返し、本丸北駐車場にまで降りてきてそこに駐車、そこから七尾城の山城跡を歩いた。途中からは雨も上がり日が差してきて、傘は邪魔になった。

 標高約300mの山頂部に曲輪を設けた尾根が七つ筋あることから七尾の地名がついたといわれる。室町幕府の管領を務めた能登畠山氏が築城(永正-大永(1504-28)年間ころ)。本丸北駐車場から杉林の中を北に進み、調度丸から遊佐屋敷の石垣の下を通り石段を登り本丸へ。04sakurababaishigaki 05honmaruhenokaidan06honmaru_2 07nanaojyoshihi

写真上右から、調度丸から右上桜馬場、左上遊佐屋敷石垣を見る/本丸へ登る石段。右は遊佐屋敷、左上が本丸/本丸。奥に見えるのは城山神社/本丸北側に立つ七尾城址碑

 そこから遊佐屋敷の南側から西に回り桜馬場を通って西に進んで温井屋敷の傍にある城の鎮護の要石である九尺石を見て、北に二の丸へくだり、 そこから三の丸へ下った。08sakuranobaba_2 09kyuushakuishi_2 10ninomaruato_2 11sannomaru_2

上写真は左から、桜馬場/九尺石/二の丸/南北110m、東西25mあり七尾城の最大曲輪である三の丸

 安寧寺跡に寄り、畠山氏の墓碑や七尾城攻防戦で亡くなった武士たちの慰霊碑を拝んだ。 袴腰では七尾市街を眺望し袴腰の北側にある沓掛(ここで身なりを整えたという)で南に曲がって、涸れたことのないという「とよの水」の傍を通って南に調度丸を目指す。12anneijiato 13hakamakoshikaranochoubou 14kutsukakeba 15toyonomizu

上写真左から、安寧寺跡/袴腰から北に七尾市街を見下ろす/沓掛/とよの水

 北側から調度丸への石段を登ると眼上には桜馬場の幾重にも重なる石垣を見ることができる。そこを左に曲がると調度丸に戻り、真っすぐ進むと本丸北駐車場に帰る。ここからもまた七尾市街が見下ろせ、奥に能登島も望めた。16choudomarusakurababa 17honmaruchushajyoukara

写真は左から、北から調度丸へ入る石段。正面眼上には桜馬場の石垣が数段並んでいる/本丸北駐車場から北に七尾市街を見下ろす

 12:15駐車場を発し、所々でマンホールの写真を撮りながら七尾街道(県道244)を南に進み、芹川で左に氷見田鶴浜線(県道18号)に入って、阿尾で道にR160に載って、13:21高岡古城公園小竹藪駐車場(無料)に車を停めた。

 高岡古城公園に小竹藪口から入り、時計回りに東から回った。ブロンズの像があちこちに立っており、芸術の森となっている。三の丸(民部丸)と本丸を結ぶ朝陽橋から三の丸にある民部の井戸をみてその北側にある浪漫亭というレストランで昼食を摂った(写真を撮るのを忘れた)。01takaokakojyokouenkotakeyabuiriguc 02nakanoshima 03minbunoido 04chouyoubashi

上写真左から、高岡古城公園小竹藪入口/朝陽橋から中の島を望む/民部の井戸/三の丸から西に朝陽橋を望む

 食後は明丸(動物園あり)を通り、鍛冶丸にある市立博物館(無料)に入った。立派な展示物があり、勉強できた。「高岡城」という冊子(¥500)を買い求めた。そこを出て大手口まで南に進んで、この城の縄張りを行った高山右近像を見て、南外濠の南側を西に進んで駐春橋の南詰に出た。そこから南に街中を通り、高岡大仏に行った。奈良、鎌倉の大仏とならんで日本三大仏としょうされているそうだ。05ooteguchidobashi 06ooteguchi 07chuushunbashi 08takaokadaibutsu

上写真左から、鍛冶丸から西に本丸大手口の土橋を見る。唯一残る石垣/大手口から北を望む。右に縄張りをした高山右近像が見える/高岡大仏) 

 大仏から真っすぐ引き返し、南外濠に架かる赤い駐春橋を渡り、土橋の大手口から本丸に入る。本丸は予想以上の大きさで、現在は東に射水神社、西側が芝生の本丸広場になっていた。北側にある前田利長公遺徳碑や前田公の騎馬乗像を見て、また南に芸術の森の彫刻を見ながら戻り、西側の池の端濠(西外濠)に架かる本丸橋を渡って池の端濠の外側の柳通りを北に進んで、遊覧船乗船場に行った。遊覧船に乗り(¥500)、濠から眺めた。09honmaruhiroba 10maedatoshinagakoudouzou 11ikenohatabori 12yuuransenkararyokusuitei

(写真上は左から、本丸広場/前田利長公像/池の端濠を南から北に見る/遊覧船から中の島緑翆亭付近を見る

 観覧船から降りて二の橋から中の島に渡ってそこからの景色を眺めた。周りがうす暗くなったことと、デジカメのバッテリが切れたので、一の橋を渡って小竹藪駐車場に戻った。

 17:05駐車場を発し、17:24道の駅「新湊」に到着。今晩はここで車中泊をする。「白エビ」が有名で、これは富山県のみで採れるそうだ。それを食べたくてここにした。レストラン「道の駅」で白エビかき揚げ丼を食べた。結構ボリュームもあって腹いっぱいになった。111022yuushoku

 ところが、食後1時間ばかりすると吐き気がしだした。トイレに駆け込んだが、吐くのも苦しく胃袋が収縮するのが分かるが、吐けない。そのうち身体にポツポツと斑点ができだした。車に戻り、横になるのだが1時間おきくらいに吐き気がし、そのたびにトイレに駆け込む。夜中までこのような状態が続いたが結局吐くことはなかった。吐けば楽になったか、と思うが吐くのも苦しかった。全身が真っ赤になり熱く、無性に痒くて堪らなかった。25時頃眠りに着いた。


#10悠々旅行(8日目:福井城・丸岡城)

2011-10-21 23:59:00 | 

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 7時起床、7:15から朝食を摂り、その後「河甚」の近くにある西光寺と左内公園を歩いてきた。西光寺は柴田勝家とお市の墓がある。お参りして、橋本左内の墓がある左内公園に行った。左内の大きな銅像も立っていた。1110211shibataichinohaka 1110212sanaihaka 1110213hashimotosanaizou

写真は左から柴田勝家・お市の墓、橋本左内と橋本初代・父・母の墓、左内銅像

 9時頃宿を出て、車で数分の距離にある福井城西側御廊下門のすぐ脇のコイン駐車場に車を停めた。

 福井城は現在内堀と本丸しか残っていない。そして、本丸には県庁、議事堂、警察本部がほとんどを占めており、往時の面影は本丸石垣と内堀にしかない。この故に百名城に入れなかったのだろう。

 御廊下橋を渡り、本丸内を一周し、本丸の北東にある養浩館庭園とその西隣にある市立郷土歴史博物館(両館共通入館券¥330)を鑑賞した。

 福井城は、二代将軍の兄である結城秀康67万石の城だけあって、残っている部分だけでもその巨城の一端が分かる。不祥事続きで32万石にまで減らされたが、明治維新まで存続し、幕末には多くの英傑を出した。01goroukabashi 02yamazatoguchimonato 03tenshudaitohikaetenshudai 04fukunoi 05tenshukuruwa 06kawaramonatokaratatsumiyaguraato 07tatsumiyagurakaragohonjyobashi 08tenshudai

写真は上段左から、御廊下橋/そこから本丸に西から入る山里口御門跡を見る。立派な枡形をなしている/天守曲輪で左天守台、右控天守台/福井の名のもととなった福の井。下段左から、本丸から乾方向天守曲輪をみる。この上に天守台、控天守台、福の井がある/大手口にあたる瓦御門多聞櫓跡から東に巽櫓跡を見る/東から内堀沿いに巽櫓跡と奥に御本城橋を見る/乾方向から内堀越しに本丸を見る。正面が天守曲輪、右端に御廊下橋を見る

09otsukiminomakaraseiren 10ikehokuseikara 11kyoudorekishihakubutukan

写真は左から養浩館庭園内御月見ノ間から池越しに西を見る/池の東北から東の館を見る/松平春嶽の銅像が立つ歴史博物館入口部

 12時頃コイン駐車場を出て、途中のコンビニでタバコ1カートンを買って、丸岡城脇の一筆啓上茶屋に12:15到着。この茶屋で昼食を摂ることにしてメニューを見ると、福井県人セット(¥780)というのがあったので、それを注文した。1110214chushoku

 大根おろしのかかった冷たいソバが2皿と、かつ丼が1つでそれぞれは小振りだが、合わせると結構ボリュームのあるものだった。

02maruokajyotenshu 04maruokajyotenshu 06nikaikaidan 12:55登城開始、天守台の回りを一周し、天守に入る(入場料¥300)。天守内部の階段は今まで登った天守の階段はせいぜい60度位だが、丸岡城の階段はいままでのどの天守の階段より急で、70度を超えるほどの傾斜だった。そのためか、どこにもなかった補助ロープが設けてあった。

08tenshukara  天守最上階(3階)からは市街地の展望がが良く、天気の良いこともあって素晴らしい。

 日本現存最古の天守をでて、そぐ下にある歴史民俗資料館(無料)に入って資料を見た。14:20一筆啓上茶屋の駐車場を出て本日の宿、和倉温泉を目指す。

 14:25丸岡ICから北陸道にのり尼御前SAでアクエリアス買って、金沢東ICで北陸道を降り、能登有料道路・田鶴浜有料道路(4か所も料金所があってその都度停止を余儀なくされた)を通って、和倉温泉「花ごよみ」に16:17到着。風呂に入って、1110215yushoku 部屋に配膳された夕食を摂り、それまでの記録や写真をパソコンに摂り込んで、24時就寝。


#10悠々旅行(7日目:一乗谷城)

2011-10-20 22:46:00 | ウォーキング

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 6:20、道の駅「宇陀路大宇陀」で車中起床。6:47出発。R370を北上し榛原からR368をさらに北上し、R25(名阪国道)針ICにのって東に走り上野ICで降りてR422から江田でR307を通って信楽ICから新名神自動車道に載った。ICの手前でガソリンを満タン(@135¥/?)。草津JCTで名神道に入り、米原JCTで北陸道に入った。9:24賤ヶ岳SAに到着。1110201blog コーヒがお代り自由なモーニングセット(¥650)を食べた。

 のんびりと過ごし、この先の交通状況を確認、事故等渋滞もなし。50分ほど休んで出発、一乗谷城に向かうため福井ICで北陸道を降りた。

 一乗谷朝倉氏遺跡資料館(入館料:復原町並入場料と合わせ共通観覧券¥230)に入館。その後、復原町並地区に移動、そこを歩いて見た。バイパス道と一乗谷川を隔てた対岸にある朝倉氏館跡を見た。北と東西の三方を堀と土塁で囲まれている。堀を隔て北西にある入口には三木瓜の門表のある唐門が立ち、団体さんを引率していたガイドに聞くと1663年建という。朝倉氏が滅亡したのは天正元年(1573)で、戦火に遭い町は焼土と化したはずなので、ちょとおかしいと思った。5代目義景の菩提を弔うために建てられた松雲院の寺門という。現存はその後再建されたのだろう。01fukugenmachinami 03yoshikageyakataato

写真左が復原街並、右が朝倉氏館跡入口に立つ唐門

 朝倉亭の駐車場に車を移動し、そこから一乗谷城山城をめざした。八幡神社の右を入りその先林道から左に馬出しで曲がり細い登山道に入る。当然のことながら、道は登り一方で20~30度の傾斜が続く。これも千畳敷(標高416m、本丸跡といわれている)に着くと、それから先は尾根を削っているためほぼ平坦ですが、奥の方へ一の丸(443m)、二の丸(463m)、三の丸(470mほど)、一乗城山(473m)に向かっては少しずつ登りにはなる。その間谷を利用した(あるいは、現在谷状になっている)空堀を何回も超える。連郭式縄張であるが、本丸から奥に進むにつれて高くなっているのはめずらしい。一乗城山からさらに奥に東道口に進んだが、道も途絶えてきたので引き返した。05tozandouiriguchi 07tozanro 09senjyojiki 11ichinomaruato 12ninomaruato

13sannomaruato14ichijyoushiroyama 15kannojiyashiki写真は上段左から登山入口、途中の登山路、千畳敷跡、一の丸跡。下段左から二の丸跡、三の丸跡、一乗城山、観音屋敷跡

 千畳敷まで引き返し、そこから西に観音屋敷跡を通り、宿直(曲輪)に出て、そこからの展望を見ながら昼食を摂った。昼食は復原街並に併設されていた土産物売り場兼食事所で残っていた一口大のおにぎり2個(合わせ¥100)を買い求め、味噌汁を沸かして済ませた。ここは元物見だった跡だけに眼下に一乗谷が、ずっとその奥に福井市(昔風にいえば北ノ庄)の街並みが見えた。16ichijyoudanitofukuishigai 1110202blog

写真左は宿直から見下ろした町並、右は昼食

 城山から降りて、駐車場から来た道を福井市街方面に戻り、今夜の予約していた宿「河甚」に17:20に入った。

 風呂の後夕食1110203blog を摂って、それまでの写真や記録をパソコンに入れて、24:10消灯。


#10悠々旅行(6日目:大台ケ原山)

2011-10-19 22:55:00 | ウォーキング

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 6:35起床。Kiさんは友人のご夫婦を個室にして、御自分は大部屋に移り寝た。布団をたたみ、7時からの朝食を摂った。昨夜は飲み過ぎたとかで朝食は摂られなかったが食堂には来られ、その他は一緒に朝食を摂った。残念ながら写真を撮り忘れた。

02tozanro 昨日はあれほど天気がよかったのに、今日は一面にガスがかかり展望が効かない。雨の心配はなさそうだが、好天を期待していただけに少々がっかり。3人は先に出発され、小生は手間取り少し遅れて出発。後を追った。

04sanchoutenboudai 鞍部の三交叉で小休憩し、左に北へと日出ヶ岳(1695m)へ向かった。のんびりと歩いて、スタートから40分で山頂の展望台に立ったが、相変わらずガスが掛っていて周りの山は見えなかった。 展望台上で記念写真を撮って10分足らずで降り、尾鷲辻に向かった。

06sansarokaraminamihe  鞍部の三交叉で登ってきた道を右に分け、真っすぐ南に木道を進む。今年は先の台風15号の影響か、綺麗な紅葉は見えず、ほとんどの葉が傷んで茶枯れていた。木道上にはテンと思われる糞があちこちに落ちていた。

08masakitouge 09masakigahara  立ち枯れた、あるいは倒れたトウヒの正木峠(写真左)、正木ヶ原(写真右)を過ぎて尾鷲辻の東屋に到着。この立ち枯れや倒木は伊勢湾台風(昭和34年)やニホンジカの食害によるものらしいが、正木峠や正木ヶ原は風の通り道で、土壌が浅く、根が横に這っているために風には弱い。シカを期待していたが、今回も一頭も確認することができなかった。木に樹脂網を巻く作業をしていて、自然保護のための努力が見えた。

10owasetsujiazumaya  9:50頃尾鷲辻の東屋に到着、コーヒを淹れて大休止。先の法事で戴いたお菓子を食べてのんびり過ごす。前回は雨だったのでここからKiさんと中道を通り引き返したが、ここから大蛇嵓に行くことにした。Kiさんは昨夜の飲み過ぎで、友人の旦那様は今回が初めての山行ということで、ここから中道を通り引き返すことになり、小生と奥さまは大蛇嵓まで行くことにした。

11migotonazoukei_3 12jinmutennouzou_3 13ushiishigahara_3  広々としたササの中でなぜこんな岩の上に根を下ろしたの面白い風景をみながら進むと、すぐに神武天皇像が右手に現れた。その前には牛石ヶ原と呼ばれるササ原が広がってる。その中にある岩状のものが牛に似て牛石というのだろうか、と思った。怪物がこの石に閉じ込められているというが案内板がないので分からない。

14kouyou  東屋を出て約20分で大蛇嵓分岐に到着。ここで、数人の人が休んでいて写真を撮っていた。小生も1本だけ紅葉していたシロヤシオ(?)の木を撮った。ナナカマドも赤い実を付けていたが、葉は茶枯れているようで美しくなかった。

15daijyagura  分岐からは約10分で大蛇嵓に到着。前方に岩が傾いているので、滑り落ちるような気がする気持ち悪い場所であった。ここまで、時々青空が出て、陽射しが差すときもあったが、またガスのため、正面に見える筈の大普賢岳や行者還岳は望めなかった。

 ここからシオカラ谷を渡って一周したかったが、140-150mの下りと同じだけの登り返しがあるので、奥さまと一緒に来た道を尾鷲辻までもどり、そこからは中道を辿って駐車場にまで戻った。

 駐車場に戻ると、Kiさんと旦那さんの方はテーブルを広げ昼食中であった。小生も、今朝宿で準備して貰ったおにぎり弁当を食べ、味噌汁をいれてのんびりした。

 帰りは中荘温泉でひと風呂浴び(¥700)、アイスクリーム(¥250)を食べて、そこで別れた。小生は、R370 を北上して16:18道の駅「宇陀路大宇陀」に到着。今夜はここで車中泊した。夕食はそばにあったコンビニでBLTEサンドと牛乳500mlを買い求め済ませ。早い19時頃に消灯した。


#10悠々旅行(5日目:高野山)

2011-10-18 22:32:00 | 旅行記

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1110181blog  6:45道の駅「紀の川万葉の里」車中起床。道の駅の店が開く8:30を待って、前回道の駅「上北山」に来た時食べようと思ったが、夕方となって終わっていたので、やっと念願の柿の葉すしを食べることができた。自動販売機でお茶を買い、初めての柿の葉すしを戴いた。

 食べ終わってすぐに、高野山に向かった。総本山金剛峯寺の前の駐車場は、生憎、満車だったので、手前の第2駐車場に9:30に車を停めた。無料なのがありがたい。脇にある高野山観光センターで色々資料を貰い、話を聞いて9:55出発。

 西の入口にある大門(重文)まで約1km歩き、そこから東に向かって戻ってきた。御影堂の前では、白装束の団体がしきりに経を唱えていた。金堂、不動堂(国宝)、大会堂、三昧堂、西行桜、根本大塔、蓮池などを見て回り、総本山金剛峯寺に入った。内部の写真撮影は禁止だったが、各部屋・庭などを見て回り、最後にお茶と麩煎餅の接待を受けた。その後、徳川家霊台に向かった。家光が建てた家康と秀忠の霊屋(重文)で、家康は神(東照大権現)になったためであろうか、こちらだけには正面に鳥居が立っていた。

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写真は左から右へ、上段:大門、金堂、根本大塔、不動堂、下段:霊宝館、総本山金剛峯寺、金剛峯寺内蟠龍庭、徳川家霊台で手前が家康霊屋

 奥之院を見ようと、駐車場に戻って一の橋から中の橋の駐車場に向かって走ったが、駐車場が一杯だったのと、今夜は大台ケ原まで行かねばならず、それを考えると奥の院での時間は1時間余しかない。それでは十分に見きれないので止めて次回のチャンスに見ることにした。大台ケ原までの道は先の台風による土砂崩れなどにより、大きく迂回させるとの情報を得ていた。

111018xchushoku  昼食を「和食おぐら」で天ぷらうどんで済ませ、13時30分過ぎ出発。途中のコンビニでドリップコーヒを買って大台ケ原に向かった。橋本から五條、下市、吉野町を通り国道169号線を南下。水を抜いたような大滝ダムを超えたところで、回り道の片側交互通行となった。20分ほど待ってこの北上川を右岸に渡り、旧道を南下して再び、国道169号線に戻った。新伯母峰トンネル手前(北側)から大台ケ原ドライブウェイに入るのだが、入口は封鎖されている。さらに南下し。大台ケ原への旧道には鋭角に左折して入るのだが、そこには交通整理人が配置され、危険防止なのか左折を許さずさらに南下し、路肩の広くなったところでUターンし北上してその一本道に右折で入り大台ケ原に向かった。

 途中片側通行の信号待ちしいる車の後ろに着いた。見覚えのある車に気付き運転席に寄ると、案の定、前回の大台ケ原で一緒になって、今回一緒にまた来ようと約束していたKiさんのものだった。珍しいこともあるものだ。彼は、前回は小生と同じく単独だったが、今回は知人ご夫婦と一緒だった。車を連ね、今夜の宿「大台荘」に到着。111018yyushoku 食事後、小生と大部屋で同宿となった男性が、星が多く綺麗というので、外に出た。目が慣れるにつれて下界では見られないほどの星空で、薄く天の川らしきものも見えた。カメラを北西方向の空に向けて10分46秒間解放して撮影したが、大台ケ原駐車場の明かりが映り込んでしまった。111018zyozora 寒くて途中で皆は部屋に引き揚げたが、小生は撮影後Kiさんとご夫婦の部屋で22時近くまで話し込んだ。酒を飲まない小生はコーヒをよばれた。

 その後、自分の大部屋に戻るとすでに、同宿の単独行の男性はお休みだった。少し、パソコンにデータや写真を記録して22:45消灯。


#10悠々旅行(4日目:千早城)

2011-10-17 20:25:00 | 

1110171blog  大阪のホテルで起床。サービスの朝食を摂り、コーヒを飲んで8:30出発。今年5月30日に登ろうと出掛けたが風雨のため断念した千早城を目指した。10時頃千早城登口の駐車場に到着したが、さらに奥に進んで、金剛山ロープウェイの所まで行ってみた。月曜日の言うのに結構な車が駐車していた。引き返して千早城大手口にある駐車場に引き返した(¥600)。

 千早城は金剛山(1125m)の中腹にあり(最高所673m)、出丸として下赤阪城、本丸として上赤阪城、そしてそれらと連動した詰の城としての役割を果たしていた。元弘2年(正慶元年、1332年)楠木正成の築城になる。鎌倉幕府滅亡に繋がる千早城の戦いの舞台である。太平記によれば、100万の鎌倉勢を千人で守ったという。

01ooteguchi  60度を超える急な階段を登り、それに続く石段などを登り広々とした四の丸、小さな三の丸を通って25分歩くと二の丸跡にある千早神社に到着。ここには「史跡千早城阯」碑がある。08chihayajyoushihi 09chihayajinjya ここで近くに住むというご夫婦に会う。これから金剛山に登るとのこと。小生も一緒に登ることにした。丸太で造った段を登りながら進んだが、手に持っていたはずの記録帳がないことに気付いた。これまでの記録が一切なくなってしまうのは惜しいので、引き返すことにした。でも見つからず。千早城跡五輪塔(楠木正儀の首塚とも)を見て、本丸の東の分岐を北に七曲を降りて駐車場にまで戻った。途中バーナーでお湯を沸かしてコーヒとビスケットで昼食代わりとした。

 鎌倉末期の城跡であり、今まで見てきた山城よりは小振りな縄張りであるが、楠木正成の差配よろしく、寡勢でよく大軍を退けた一端は見ることができた。

 14時過ぎ駐車場を発し、途中で諸処でマンホールの写真を撮って15時過ぎ道の駅「万葉の里」に到着した。今日はここで車中泊する。紀ノ川の堤防をぶらぶらしたり、道の駅で富裕柿を買って、1個食べ、1110174blog 散歩をしている地元の人と話をしたりして、2時間ほど過ごした。記録帳を失くしたので近くのコンビニまで行ってメモ用紙を買い、ファミレスのジョイフル・レストラン(このファミレスは知らないものであった)で夕食を摂った。1110172blog 1110173blog 20時消灯。

 


#10悠々旅行3日目(法事)

2011-10-16 23:44:00 | インポート

 6:45起床。車内を片付け外に出ると、空は快晴で空には19夜ほどの月が残っていた。1110161blog 朝食1110162blog にモーニングセット(コーヒはお代り自由)。8時過ぎに吉備SAを発ち、8:29笠岡ICを降りた。ここまでの高速代は0円だった(ETC割引を使わない場合では19,500円ほど)。

 今日は亡妻の父の三回忌と祖母の三十三回忌であり、今回の旅行の主目的である。亡妻の実家に8:37到着。しばらく休んで、大阪から息子夫婦が10:20頃やってくるので、笠岡駅まで出迎えた。

 法事は11時から自宅で始まり、墓参りの後葬儀場に場所を変えて食事を摂った。宴も終わり、再び亡妻の実家に戻りひと休憩。

 明日水戸に帰る二女を残して、小生は悠々旅行に出立した。今日は大阪で定宿にしているホテルに宿泊するので、息子夫婦を載せて出た。

 宝塚トンネル手前12㎞で渋滞し時間を要したが、18時ホテルに到着。息子夫婦と別れ車を立体駐車場に入れチェックイン。夕食をどうするか息子に連絡、一緒に摂ることにし19:30頃車で出掛け夕食を摂って21時ホテルに戻る。

 今日までの記録とデジカメから写真をパソコンに取り込み、0:30消灯眠りに着いた。


#10悠々旅行(2日目)

2011-10-15 22:00:00 | 帰省

 7:00携帯電話の目覚ましで車中起床。7:46尼御前SAを出発。8:22南条SA到着。モーニングセット(コーヒのお代り自由で、3杯飲んだ)の朝食を摂り、お土産物を選び買い、ガソリンを満タンにして1時間20分ほどのんびりと過ごして、9:39出発。賤ヶ岳SAに立ち寄り、柴田勝家ー豊臣秀吉の合戦の話を聞いて、20分を過ごし発った。

 米原JCTで名神に合流し、吹田JCTで中国道に入り、神戸JCTで山陽道に入って、12:06淡河PAに到着。ここで、かき揚げうどんの昼食をとり40分強をのんびり過ごし、12:50出発。

 13:55吉備SAに到着。今日はここで車中泊をすることにした。、桃太郎にちなんだイヌ、サル、キジの像が置いてあるSAの庭を歩いたり、吉備津神社の五重の塔を模した建物を眺めたり、お土産を選んだりして時間を過ごした。夕食はカツカレーを食べ、テレビニュースを見て22:15消灯した。

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#10悠々旅行へ出発

2011-10-14 21:21:00 | 旅行記

 いつも旅行は朝早く出立するのだが、昨夜は準備に大わらわだったので、今朝は7:30に起床。朝食を済ませ、16日に岡山の法事参列のために電車で今日出発する二女に、「お先に!」の声をかけて9:00自宅を出発した。

 今回は、東日本地震被災者支援の高速無料を利用しようと水戸ICで一般口から載った。友部JCTから北関東道に載り、藤岡JCTで上信越道に載った。11:03横川SAに到着。1110141blog 妙義山の山並みを望み、いつの日か登ってみたいと思いながら昼食には1110142blog フィレカツを食べ、Tully'sでコーヒを飲んだ。のんびりと1時間強を過ごして出発。

 更埴JCTを経、上越JCTで北陸道に入り14:37有磯海SAに到着。ここで、この先の道路情報を入手。中国道で集中工事があり渋滞がある(但し、土日は工事中止)ということだったが、その区間は土日に通過するので、問題ないことを確認した。10分足らずでここを出発、15:55尼御前SAに到着。今日はここで車中泊することにした。

 テレビニュースを見ながら時を過ごし、夕食に1110144blog 甘エビかき揚げうどんを食べ、21:30消灯した。


秋色

2011-10-11 17:16:48 | 

 朝は曇気味だったが、昼前から晴れ間が出てきた。暑(熱)いのが苦手な小生には、気持ちのいい、爽やかな気候となって嬉しい。

1110111blog でも、今はあれだけ香っていたキンモクセイは匂わなくなった。花も傷んできていて、もうおわりのようだ。我が家では大昔買ったノギクのようなキクの株が鉢やプランタに残っていて、それに小さな花をつけ、その後早咲きのサンザンカが咲くまで花はなくなる。

 花はなくなるが、木々の葉や柿の実が色付き始め、秋の景色が楽しめる。でも、この時期濃く色付いているのはすでに生きていなく、熟柿となったものである。4・5個は落下していて、枝にぶら下がっているものも早晩落ちるか、鳥につっつかれる運命だ。

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(写真左は鳥に突っつかれた熟柿。右は、正常な柿、食べられるようになるにはもう少し日数が掛りそう)

 家の横の道路を隔てた小さな森では虫が、最期とばかりに盛んに鳴いている。夜、外に出るとうるさいくらいだ。


きょうも一日パソコンに向かってしまった

2011-10-09 23:09:41 | 日記・エッセイ・コラム

 長女家族が今朝山形に帰る。8時頃階下に降りると朝食を準備して、食べているところだった。9時頃に水戸の友人に遭うとかであわただしく8:50出発していった。出がけに、息子(小生にとっては孫)の誕生したとき植えた柿の木の前で、孫の写真を撮った。

 桃栗3年、柿8年というが、将に8年目に柿は実をつけた。9年目の昨年はほとんど実がならなかったが、10年目の今年は20個ばかりの実を付けた。食べられるように熟れたら送ってあげよう。途中で虫に食べられて落ちるのもあるので、何個収穫できるだろうか、楽しみではある。

 新聞を読んで、いつものように10時過ぎにブランチを食べ、昨日までのグアム旅行の整理をしたり、旅行中にできなかった毎日のデータを記録・整理したりして一日中パソコンの前に座りっぱなしだった(2~3時間/日掛るデータ類x4日分=8~12時間)。


帰国

2011-10-08 23:27:00 | お祝い

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1110081blog  今日はいよいよ帰国する日だ。空港への迎えが7:45来るので、いつもより早起き。ベランダから眺めると、6人が漕いでいる舟が3艘西に向けて走っていた。

 7:55ホテルを出発、8:05空港到着。チェックイン、荷物検査を終え、出国手続きを終えて、小生は朝食を摂ることにした。グアムでの朝食は初めであった。Whopper ハンバーガとコーヒで$8.05。煙草の吸える部屋で食事をとり、煙草をゆっくりと吸うことができた。他の4人も別の場所で食事を摂っていた。

1110082blog  8:50搭乗、B767-300ERは往路と同じものであった。9:22(日本時間では8:22)離陸。順調に飛行して予定時間より早めに成田到着した。機上からは色々な雲を楽しめたが、富士山は望むことはできなかった。12:50着陸、12:59ゲートに停止。入国手続きも税関検査も何事もなく通過して、駐車場からの迎えのバスに電話連絡。指定場所に行くと丁度バスが到着。

 駐車場からは順調に帰宅。途中コンビニに寄って煙草を一服して16:45無事に自宅到着。4人を自宅に下ろし、そのまま明日朝の食事用と今晩のデザート用にパン、卵やブドウを買いに出掛けた。

 コーヒを飲んだり、留守中の新聞に目を通してのんびりとして、18時過ぎ5人で夕食に出掛けた。回転すしは2軒回ったがどこも満員だったので、丸亀製麺で美味しいうどんを食べ、お腹一杯で帰宅。ブドウのデザートを食べ、この旅行中で撮った写真をパソコンに取り込んだ。

 24時寝室に入り、本を読んだり、テレビを見て26時就寝。


今日はGuam Off

2011-10-07 23:25:00 | インポート

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 今日は新婚の息子夫婦と、嫁さんのご両親・妹家族が午後便で帰国される日であり、午前中はアドベンチャーリバークルーズのツアーを楽しむそうだ。

 二女と長女一家とは一緒に買い物に出掛けるという。小生は、買物には全く興味はなく、グアム島内観光ツアーに参加した。各ホテルで乗客を拾いおよそ20名ほどの参加者であった。

1110071blog_2  スペイン広場(Plaza de Espana)は1736年(日本では、天文元年)から1898年(同、明治31年)にかけてのスペイン統治時代にあったスペイン総督邸の跡地を利用した広場で、その中庭には総督夫人が総督の客人をもてなしたというチョコレートハウスもある。

1110072blog_3 1110073blog_4  次は、アデラップ・ラッテストーン展望台だ。知事の執務室のある場所で、岬に幌がる緑のエリアからはアガニャ湾から恋人岬以北をも見渡せる。新しくできたラッテストーン型の展望台からの眺めも良い。今日は陽射しも強く、蒸し暑さも尋常ではない。$3を支払って入った建物(元の執務室?)内では冷房が効いていて、一息付けた。

1110074blog_21110075blog_2   次に静かなビティ湾に約300mほど突き出た桟橋の先にある海中展望塔。塔の中の螺旋階段をおよそ10mほど降り、円筒の展望塔の円周上に開いている観察窓から海中を観察できる。魚も色々泳いでいたが、写真写りは映えなかった。この塔のそばにはスキンダイビングの講習が行われていた。

 次はマイクロネシアモールでのショッピング。小生はショッピングには興味がない。先着80名にキーホルダーが貰えると案内のあったBIRKENSTOCKへのみ行って、キーホルダーを手に入れて、少しの間その履き物の特徴や効能を聞いた。その後は、Denny'sでコーヒーを飲んで時間を過ごした。$1.85でコーヒーを4杯飲んだ。

1110076blog_2 1110077blog_2  次は恋人岬(Two Lovers' Point:Puntan dos Amantes)。スペイン統治時代にチャモロの美しい娘が結婚を迫るスペイン人総督から逃れ、チャモロ人の恋人と永遠の愛を誓い、髪を結びあってこの岬から身を投じた、という悲恋伝説からこの名がつけられた。海抜123mの断崖になっており、展望台からはタモンの美しい海岸線をはじめ、イパオ岬、オロテ岬までを一望のもとに見渡せる。$3を払い入場。展望台に立って下を見ると、高所恐怖症の小生は脚がすくむ。ロックで固い愛を誓ったものや、言葉を書いた札が掛っていて、また幸せの銀の鐘(伊豆の恋人岬から送られたものという)もあり、賑わっていた。

 最後に立ち寄ったのはDFSギャラリアで、ホテルOutrigger Guam Resortの傍にある高級店のショッピングセンターである。高価な買い物にはもちろん興味はないし、13時にホテルを発つことになっている新婚夫婦とお嫁さんご家族を送るためもあって、急ぎホテルに歩き戻った。少々迎えのバスが遅れたが、13:25無事ホテル前で見送った。

 夜は、一緒にきた二女と長女家族とディナーに招待。CORE BBQ GARDEN & BARで美味しいディナーを楽しんだ。小生は、TASI SETを注文し、サラダとニューヨークステーキとロブスターでお腹を満たした。オープンテラスで薄暗い中での食事は雰囲気があり美味しかったが、料理を美味しく撮るのには無理だった。

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