つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
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お節と年越しソバ

2008-12-31 23:59:00 | 家事

 大晦日の今日は、忙しい。洗濯をし、その間新聞を読んで、洗濯物を干す。いつもは11時~12時ころにブランチを食べるのだが、10:30に摂りおせち料理の準備に掛かった。ほとんどが煮物と焼き物なので、煮物の間は掃除機掛けをしたが、焼き物は付きっ切りでいなければならない。夕方になってやっと終えた。

 いつもは夕食は18:30からだが、今日は、早く18:00からにした。年越しソバがあるからである。夕食後は、12月15日に訪れた月山富田城のホームページの作製をした。もちろんTVは紅白歌合戦を放送していたが、画面は見ていないので、時々目を休めるために目を上げて見た僅かなものしか分からない。

 23時頃になって、娘が階下へ下りてきて年越しソバを作り出した。二人で揃って炬燵で年越しソバを食べ終わると丁度新年となった。お互いに新年おめでとうをいって、娘は後片付をして、自分の部屋に上がった。私も自分の部屋へ上がり、1時間半ばかりベッドで本を読んで寝た。


筑波山山行

2008-12-30 20:09:00 | ウォーキング

 今月は今まで1回しか山行に行っていない。年末で忙しい時だが思い切って出かけた。このところ天候がすこぶるよく、ひょっとして富士山が見えるのではないかと期待した。

 ほぼ25日振りの山行だったので、ケーブルカーの脇をゆっくり登った。年末の精か意外と人出は少ないように感じた。頭上は雲一つない快晴だったが、空の裾は霞んでいて遠望は利かない。富士山はおろか、日光連山などの山々も全く見えない。加波山がかろうじて見える程度だった。

 御幸ヶ原から男体山に登り、そこから下って自然研究路を廻って、女体山から弁慶茶屋跡を通り、白雲橋コースを下った。下山後は筑波山神社をじっくり見回って、今まで気付かなかった石碑も見た。藤田小四郎の像を見て大御堂の前を通って市営第3駐車場に戻ったが、途中夕日が真っ赤で雲に映えて綺麗だった。これが、今年最後の山行であり、32回目だった。


玄関周り植栽剪定

2008-12-26 21:59:00 | 家事

 今日は、午前中いつものルーティンの用事を終え、昼から玄関前の山茶花と丸柘植の剪定を行った。丸柘植は、毎年剪定するのだが、山茶花は何年もしていない。しかも、丸柘植は夏頃に手の届く球の下半分のみは済ませていたので、5個だったが、トリマーでやったのであっという間に終わらせることができた。脚立を移動させるのが大変だった。

 門から玄関が直接見えないように目隠しに置いている山茶花は、玄関口の雨避け庇より高くなった。その部分や茂り過ぎた枝をすいた。

 結局切った枝を縛り、木や葉屑を掃除して17時頃まで掛かった。金木犀、百日紅、木蓮は以前に剪定したが、その木屑は大量で、未だ掃除をしてなく、そのままになってしまったが、こちらは庭なのでそのままに放置、年が明けてそのきになったときにでも整理しよう。


水戸学受講:近世水戸の教育施設-第5回「加倉井砂山と日新塾」

2008-12-21 14:16:10 | 学習・講座受講

Blog081221 10時から受講。本日は8月から始まったこの講座の第5回で最終回であり、講師は水戸史学副会長久野勝弥氏であった。「文憲先生加倉井君墓碑銘并序」と砂山の略年譜を基にその生涯についての解説があった。その教育内容については必ずしも明らかではないが、砂山の門人たちの列伝資料より、大方の内容は分かる。

 来年度の水戸学講座は、8月から始まるが、来年は水戸藩開藩400年につき、頼房がメインになるかも。


はつらつ百人委員会第1部会(#10)

2008-12-18 18:05:00 | はつらつ百人委員会

 今日は、山仲間との12月月例会の花香月山から鶏足山縦走の山行日であったが、この百人委員会のためまたもや月例は欠席した。

 今回は、来年2月27日~3月1日に行われるはつらつ文化祭の作品の出展・演芸出演の申込状況の説明があった。演芸申込が多く、申込どおりだと6時間38分にもなるそうだ。これではとても収まりきらないので、演芸の一部割愛と演芸時間の短縮を要請している、とか。

 前回で議題となった行事参加者の保険付保についての説明があった。現在は1人・回10円で、保障は死亡130万円、入院1,500円/日、通院1,000円だそうだ。これまでは、行事参加料は無料。それを、保障料を引き上げ、行事参加者から参加料を徴収することが議論された。

 保障料は多いほうがいいのは決まっているが、他地域の実情などいわゆる”相場”をも勘案して決める必要があると思うが、根拠のない話ばかりで、議論がぐるぐる廻るだけで、落ちるところが定まらない。費用徴収についても、何故・幾ら徴収するかを根拠のない感覚だけの議論となり留まるところがない。

 百人委員会運営規則との整合性やきちんとした徴収・支出根拠と規則をベースに議論をしないといけない。お陰で、休みなしで、2時間半も会議したが、結論という結論はでなかった。


昼食会

2008-12-17 16:46:00 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は、毎月1度行っている昼食会。都合の悪いときは出来ない月もあるが、できるだけ都合をつけている。

 水戸Lock CityにあるBig Boyというファミレスであった。小生には初めてで今迄聞いたこともないファミレスだった。小生は、ハンバーグビーフのセット(スープとパン付)とドリンクバー・サラダバーを注文した。ハンバーグはまあまあだったが、ビーフはゴムを食べているようだった。1,386円也。


カメラ塾(#9)

2008-12-16 20:29:00 | 写真

 今日は、先生のブランケット撮影で撮った写真により、露出補正の具合を見た。また、置きピン・追いピンについて学んだ。

 終わった後は、いつものように、生涯学習センターの食堂で食事をした。610円で、今日はエビフライ(3尾)・揚げ出し豆腐のきのこあんかけ・鶏肉の何とかと、お新香・サラダ・味噌汁・ご飯と最後にコーヒー。これで、610円。いつも美味しく・安いので、いつも楽しみにしている。


月山富田城訪問

2008-12-15 23:55:00 | 

 朝、7時過ぎ安来駅近くの宿で、起床。宿の朝食を食べ、8:02発のバスに乗り込み、広瀬町の安来市民病院に8時30分頃到着、下車。飯梨川(旧富田川)に架かる新宮橋を渡り、約10分強歩いて安来市歴史資料館に到着。脇の道の駅は10時から、資料館は9時30分から開館ということで、時間が早すぎたので入れず、先に月山富田城に向かった。小雨が降り続いている。

Blogshikanosuke  歴史資料間の前の道を南に進みと直ぐに月山への登山口が左にある。この御子守口から舗装道を左に入り進む。しばらくして左に鋭角に北に向きを替え山道に分け登ると千畳平に出る。隅には尼子神社があり、その脇を進む登ると太鼓壇に出る。ここには、山中幸盛(鹿介)公祈月像の大きな像が建つ(昭和53年7月17日)。さらに進むと奥書院平があり、ここには、広瀬町戦没者慰霊塔(昭和43年10月)の大きな塔が建っている。

Blogsanchugoten Bloghananodan  さらに進むと花ノ壇に出る。現在は南の端に2棟の建物が建っており、主屋と侍所を復元したもの。ここは、監視所であり、防御の兵士が待機する場所と考えられる。さらに進むと、御殿平というところに出る。ここは、山中御殿跡で、富田城の御殿があったところと伝えられる。周囲を石垣や土塁で囲まれた広い曲輪で、南北には虎口が存在し、石垣の櫓台も残っている。菅谷口・塩谷口・大手口と3方からの通路の終点となっていて、これから先(上)の三ノ丸から本丸に続く要の曲輪である。

 ここから、七曲坂と呼ばれる九十九折の山道を登ると、三ノ丸に着く。途中、親子観音がる。これは、慶長12年(1607)に富田城内で起こった堀尾家御家騒動の張本人、堀尾河内守とその一子掃部の霊を祀った宝筐印塔である。さらに登ると、山吹井戸を経て尾根に取り付き、そこが三ノ丸である。段状に石垣が積まれ、その段の上は武者走りの役目があったのではないかと思われる。何故か石の鳥居があり、標高およそ186mであった。その南には約4mほど高い位置に二ノ丸が続き、休所が1棟設けてある。ここは、戦時に飲み水や食物を貯蔵するための建物だったと考えられており、それを復元したものらしい。ここから南は、深さ10mほどの空堀(堀切)を隔て本丸がある。

Blogshikanosukekinenhi  本丸はニノ丸と三ノ丸をあわせたくらいの広さがあり、北西から南東に細長い。本丸のほぼ中央東北部には山中幸盛の記念碑(明治44年12月建立)がある。さらに、奥の少し高くなった場所には城の守護神社である勝日高守神社が建っている。本丸からは東北に京羅木山、北方向に中海が見える。

Blogootemonato  本丸から山中御殿まで往路を引返し、そこからは、西北部の大手門口を抜け、谷筋に舗装道路を北に歩いた。途中には田んぼの向う尾根麓には曲輪跡とも見える土塁が点在している。間もなく、往路で千畳平に分け入った道の分岐に出る。ここからは、また往路を戻り、安来市立歴史資料館に11時50分少し前に戻った。

Blogshiryoukan  資料館の前のバス停の時間を見ると、この月山バス停発12時41分だったので、早速200円の入館料を払って観覧。係りの男性と色々話を聞かせて貰い、山陰の城館跡を纏めた資料をも戴いた。2階の展示場は時間が来てしまったので途中までで全部は見ることができなかった。担当の男性の方には色々お世話になったが、名前を聞き忘れてしまった。

 13時15分安来駅に到着、今年4月に出来たばかりの駅舎の中にあるレストランで、おいしいビーフシチューカレーとコーヒーをゆっくり戴いて、色々お世話になった駅舎内の案内所にお礼を言って14:17やくも20号で岡山駅へ、同駅16:49発のぞみ38号、上野駅発21:00スーパーひたち63号で水戸駅着、タクシーで帰宅。長い、充実した1日が終わった。


松江城訪問

2008-12-14 22:40:00 | 

Blogyonagobashi  今朝は岡山を発って、やくも5号で松江に来た。松江城を見るためである。岡山を発つときは曇だったが、さすが山陰に来ると雨だった。バスで県庁前まで行き、そこから雨の中を大手前近くの堀川めぐりの船着場へ歩き、1200円を支払い堀を一周する船に乗った。乗船場はこの他2箇所、計3箇所あるようだ。城山内堀川から北上し、北田川を西北にすすんで、城山西堀川を南下最南端部で外堀に向かい京橋川へ出ると東に進み甲部橋を潜り米子川を北上して北田川を西に進み、宇賀橋を潜って直ぐ城山内堀川を南下して大手前発着場に戻る約40分の遊覧だった。(左上写真は米子橋)

Blogmatsuetenshu  その後、大手前にボランティアガイドの方に案内してもらって、天守まで説明を聞きながら案内して貰った。天守最上部で別れ、その後、小生は一人で本丸内を通って北にある北ノ門跡を通り、水ノ手門跡を抜け、馬洗池の脇を鋭角に北西に北ノ丸を横切り搦手之虎口を通り内堀に架かる稲荷橋、新橋を渡って、内堀外側に沿って時計回りに歩いた。途中、ボランティアに薦められた共通入場券の対象である小泉八雲記念館と武家屋敷を見て宇賀橋を渡り、南に進んで大手前まで戻った。

 日も暮れ始めたので、バスで松江駅までもどり、17:18発の電車で今夜の宿を予約している安来に着いた。外はすでに闇に包まれている。安来駅の立派な案内所で明日の月山富田城へのバスの時刻表を貰って、宿にチェックイン。すぐに近くの「かば」という店で夕食。ホテルに戻り風呂に入った後、クラブワールドカップサッカーのがんば大坂対アデレード・ユナイテッド(豪州)との対戦を見た。遠藤の唯一の得点で「がんば」が勝ち、ぐっすり眠れた。


久しぶりの結婚式出席

2008-12-13 22:58:00 | お祝い

 今日の結婚式は、亡くなった小生の妻の弟の長男のそれである。教会での挙式、それに続いてレストランでの披露宴であった。小生にとって、教会での挙式に出席するのは初めてであったので、興味があった。賛美歌312と430だったが、何とか聞いたことのあるメロディで歌うことが出来た。312は冬の星座?と同じと思った。式終了後、ライスシャワと思ったが、米を撒くのは食べ物を大切にしないことに憚りあるのか、フラワーシャワだった。

 披露宴は、和風フレンチというべきかフレンチ風和食というべきか、食材は和のものであったが、盛り付けはなどはフレンチ風を装っていた。媒酌人のいない披露宴で、堅苦しさはなく友人たちの心のこもったカジュアルな披露宴であった。

 新郎・新婦は共に26歳の同い年であり、どちらも働いている。これから色々と厳しいことがあるかも知れないが、現在を一生懸命生きていってほしいと思う。それも、健康あってのことであり、身体にはくれぐれも気をつけて欲しい。幸い、新婦は看護師とか、厳しい職業だが専門家だけに安心はしている。


岡山城訪問

2008-12-13 20:38:00 | 

 昨日水戸を発って、スーパーひたち、東京からのぞみで岡山に着き、駅前のホテルに宿を取った。当初は、今日出発することも考えていたが、小生の亡くなった妻の弟の長男の挙式が15時からで、その30分前には集合とのことであったので、ホテルチェックインし、式服に着替えてタクシを飛ばしても、大変なことが分かり、前日に岡山に入ったものである。

 したがって、午前中は空き時間があるので、岡山城を訪問した。前回訪れたのは平成17年(2005)3月21日だったので、ほぼ3年9ヶ月ぶりである。日本百名城が発表されたのは平成18年2月13日、そのスタンプラリーが始まったのは平成19年5月中旬からなので、そのときはスタンプは押すことはできず、今回岡山城のスタンプを押した。

 岡山駅前から路面電車に乗り、城下駅で下車(100円)、そのまま旭川に沿って歩き、北側の廊下門から入城した。

Blog081213  前回は気付かなかったが、岡山城の天守の三階から上の屋根・唐破風の丸軒瓦と全鬼瓦と鯱は金色に輝いていた。また、鯱は最上階の棟だけではなく、千鳥破風の棟にも金色の鯱があり、合計8匹の鯱が輝いていた。

 ボランティアの方としばらく話をし、天守に入り見学。常設展示は前回と同じであった。岡山城の資料本を1,530円で買い求めたが、現在の常設されているものを1冊の本に纏めたらそれも立派な資料本となるのにな~、と店の人に伝え、来た道を引返し、岡山駅のなかにある「めりけんや」という店で、900円也の海老かき揚げざるうどんを食し、ホテルに戻り式服に着替え、結婚式に出発した。


久しぶりの新幹線からの富士山

2008-12-12 21:29:00 | 

 12月13日の小生の亡き妻の弟の息子の結婚式のため、本日岡山に行くことになった。このときを利用して、14日には松江城、15日には月山富田城を見て、その日中に水戸へ帰ることにした。

 12月12日の今日は、のぞみ23号で、東京駅を11時10分出発。今日は天気が良く、富士山が見えることが期待できた。予想通り、富士山ははっきり見ることができた。前回新幹線から富士山を見ることができたのは、3年前の2005年3月19日だったので、3年9ヶ月ぶりである。

Blog081212  富士川を渡るとき、およそ11時58分頃に、撮影したのが左の写真。F6.3、露出時間1/1600で撮影。時速300km/h程度で走っていても、目の前の橋桁のブレもほとんどない(ピンボケはあるが)。


わくわく学園:絵画講座#18(最終回)

2008-12-11 20:39:00 | わくわく学園

 本日は、わくわく学園中央校の絵画講座の最終日である。今日は、受講生各自2点作品を持ち込み並べて、先生が一品ずつコメントを下さった。中には、教室外で描いたものも含め5・6点も持参の方もいて、先生のコメントを貰いたい熱心さは分かるも、2点といわれれば、2点に絞って持参するのが、礼儀であろうと思う。

 小生の持参の2点は、いずれも、教室内で描いたもので、1点は古代ギリシャ(?)女性の石膏頭像の木炭画、もう1点は最終回に描いた自画像にした。

 いつものように、下手な小生の絵に対しては、褒める点だけを指摘される。一方、小生から見てすばらしいと思う絵には、高度な厳しいコメントが出される。技術的(構図・色・調子など)とともに、精神的(訴えどころなど)に関する高度なコメントである。小生にも大いに参考になるが、小生の力は全然及ばないものである。

 午前中に終わり、午後からは、先生を囲んで、コーヒーとケーキでのお茶会(お別れ会)のようなものを開くとのことだったが、小生は、午後は、明日からの旅行のための乗車券・特急券などの購入があったので、出席できなかった。前週の前回にでも事前に連絡して貰えれば何とかやりくりできたのに、当日の話では対応できず、残念だった。


金木犀と杏の木剪定

2008-12-09 17:46:08 | 家事

 この3日間ほど、毎日2時間ほど金木犀と杏の木の剪定を行っている。幹や枝が伸びすぎたためにこれ以上伸びると自分で剪定するのが困難となる、と思い始めた。本当は夏椿や山帽子などをも剪定したいのだが、大きくなり過ぎて自分では剪定できなくなった。

 杏の木1本は剪定終わった。現在金木犀の剪定もほぼ終わり、あと1日もあれば剪定自体は終わる、と思う。しかし、剪定した幹や枝の後始末がこれから大変。兎に角多すぎる。今年中には終わらせたいが、・・・。


わくわく学園#6共通講座

2008-12-05 19:33:00 | わくわく学園

P1010231blog  午前中は、「遺言と相続税の基礎知識」と題し、税理士根本明人氏の講演だった。余談が多く、肝心の話は尻切れトンボとなってしまったようだ。余計な(小生にとってはそう感じた)話はほどほどであるべきと思う。

 話は、今迄知っていたことがほとんで、新しいものは特段なかった。

 小生の財産一覧はパソコン内に作ってあるが、未だ子供たちには説明していない。そのうち、印刷して、分かるようにしておこうと思う。毎年年末にそれをup-to-dateしておけばよい。遺言は、何の準備もしていないが、そろそろ少しずつ考えて書き溜めておこうと思う。

 午後からは「『ビタミンI(愛)は元気の素』~リズムとシニアフィットネス~」と題し、フォーラム・ネクスト代表井上忠志氏だったが、午後は欠席した。