地場・旬・自給

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鳥インフルエンザと松岡農林水産大臣

2006-12-16 07:34:31 | 自然養鶏
韓国の鳥インフルエンザは深刻度を増している。3例目は12キロ離れたうずら養鶏農家に飛び火した。一、二例目のつながりは、種鶏場という関係が、推測できたが、3例目は明らかに、違う原因の感染の広がりが考えられる。この先どう展開するのか、予断を許さない状況だ。国立獣医科学検疫院の姜文日(カン・ムンイル)院長は13日、全羅北道益山市と金堤市で相次ぎ発生した高病原性の鳥インフルエンザについて、発生状況や各種疫学的調査を考慮し、学会や諮問委員では早期の終息は難しいと見ている

対応で問題を感じるのが、3キロの感染エリアの設定だ。そう考えていたやさき12キロ離れた、養鶏場が3例目になった。感染経路の推測が、一番重要だが、人による感染の拡大の恐れが、一番に考えなくてはならない。この点は韓国ではどう捉えられているのだろうか。

12月12日茨城県から人感染調査の結果が報告された。厚生省から、1月10日弱毒の鳥インフルエンザの人感染が起きたと言う、調査結果が出た。直接鶏と接していない人まで、感染したという調査結果に驚いたものだ。茨城県がそれを正確を期して、再調査した。結果おおよそが厚生省の調査が正しかった事を示している。一部推測として、風邪としてのインフルエンザによる抗体が、鳥インフルエンザ抗体と混在しているのではないか。と言う部分はある。

しかし、弱毒のH5N2のトリインフルエンザが人に感染するという、世界初の確認になった。しかし、このウイルスの感染はなんら人が発病する事は無い。鶏も発病する事は無い。推測では、この抗体も、H5N1の強毒のウイルスに対する抗体にもなると言う事が言える。ここは学問的には否定されている。しかし、普通の人間のインフルエンザの抗体反応が、鳥インフルエンザと判別できない。この抗体と言うものの意味は、どういったものなのだろう。交差免疫と言う事がやはり推測できるのかもしれない。

農水大臣松岡氏が、養鶏団体から多額の政治献金を受けていることが判明した。以前、茨城で自殺した、自民党の衆議院議員も政治献金を受け、養鶏団体との関係は深かったそうだ。茨城の最大手の養鶏場で連発した、鳥インフルエンザワクチン使用疑惑は、結局あいまいなまま終わった。松岡氏はBSEの偽装食肉問題で、有罪になった浅田氏とも懇意だそうだ。それは、農林省生え抜きの大臣だから、当然と言えば当然の事だ。献金している養鶏団体が、同時に出している要望書が、鳥インフルエンザ・ワクチンの利用許可だ。おおよその背景は見えてきそうだ。

BSEパニックの最中、保存の肉の廃棄処分を可能にした農水省。それに乗じてBSE偽装で大儲けした浅田氏。鳥インフルエンザでは、ワクチンの解禁。ウインドレス鶏舎に対する補助金。そして、ワクチン利用の疑いの濃厚な、養鶏業者の存在が在りながら、全ては闇に終わる。この一連の流れ全てに松岡氏は関係している。

韓国の鳥インフルエンザが今後どう展開するのか。少なくともここ2,3ヶ月は、人が介在した感染の広がりが推測される以上。対策の為に養鶏業者を集める事は絶対にしてはならない。養鶏業者間の行き来も最小限にしなければならない。家畜保健所も指示があるなら、FAXでのみ行うべきだ。飼料の業者、農協の配達。出入り制限が必要だろう。
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畑作りと小屋作り

2006-12-15 06:28:33 | 自給
最小限の畑がついに出来た。裏山の竹薮だったところに、昨日菜花を蒔いた。ここまで来るのに、丁度1年かかった。開墾して、畑や田んぼを作るという作業は、実に面白く、やりがいのあることだ。人生3回の開拓で生きた人がいる。満蒙開拓。岩手での戦後開拓。そして、ブラジルに移民しての3回目の開拓。何となく理解できる。大地を耕すことの善悪は別にして、身体を張って土を耕す事は、生命的な作業で深い感動がある。

20年前山北で開墾をしていた時は、まだ30代だった。身体を酷使する事に、爽快感もあった。一日、岩場につるはしを振るっていることができた。機械力を使う事は考えもしなかった。今回は、竹の根を掘り出す事は、機械でやってもらった。竹の開墾は奥の和留沢でやった人の話では、1日の作業量が人力だと2坪だそうだ。今回、畑になったのが、70坪。その周辺や、道路。最小限の家の予定地。200坪はあったと思うので、100日の作業になる。これが機械だと1日少しですんでしまった。なんと言うことか。化石燃料のアリガタさ。程ほどにしないと。

竹林を庭にした人の話を聞いた。先ず完全に切り払い、根はそのままにして、空き地のようにして、何年間竹が出てくるか、気長にしていたそうだ。出てくる竹は、即座に捕り尽して、8年目にやっと出てこなくなったそうだ。竹の強さと言うのはすさまじい物だ。そうだ、竹林に地震の時逃げろというのが、嘘だと言う話も昨日聞いた。竹は根が浅いから、そのまま地滑りするのだそうだ。関東大震災の熱海では竹林が大崩れして、崩壊した家があったそうだ。

畑にしたと言っても、まだまだ竹の根が出てくる。これを片付けるのが、結構大仕事だった。土は大きな塊なので、それを細かく崩すだけでも、1日仕事だった。そこに、鶏糞を20袋撒いた。鶏糞は養鶏場から出して、米袋に入れておき、2ヶ月ほど経ったものだ。床で熱が出ているものを、袋詰めして再度熱を出したものだ。これは畑にそのまま使ってもいい結果になる。10アールで1,6トン堆肥を入れた計算になる。それでもわずかな物だ。もう一回は近いうちに入れたい。

今から、菜花を蒔いて間に合うのか、と言う心配がある。昨夜、雨が降ると言う事が分かっていたので、その前に蒔く事にした。まず、鶏糞を撒いて、1週間置いた土を耕した。次に、畑は平らにレーキでならした。そこに、菜花の種をばら蒔きにした。その上から、竹を3本切り倒し引っ張って歩いた。それが終わる頃から雨に変わった。10月中に蒔くように袋には書いてあるが。この後暖かい日が、続いてくれれば、発芽するはずだ。いい方に考えている。

最小限の家の丁張りもした。砲台型に地面を作った。これは一年前にやった。その後土が馴染んで、落ち着いた地面に、3,2メートルの正方形を描いた。これも楽しい作業だ。正方形に糸を張るだけでも、直角を採るのは案外難しい。1つの角を合板の角の90度にした。後は3,2をとり、更に3,2を採ると正方形。こんな事に半日かかった。その外側50センチに丁張りをした。今度は水平を取って、杭とヌキで、ぐるりと取り囲んだ。土台を何処に、どんな深さに掘ればいいかがこれで見えてきた。抜きには柱の来るところや、あれこれ書き込んである。これはまだ、途中だ。

近い内に榎の大きい物を3本倒す事になっている。これも大山さんにお願いした。この準備で、竹薮を切り払った。毎日何かしら外仕事がある。
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市民活動応援活動資金

2006-12-14 06:00:54 | あしがら農の会
あしがら農の会が主催する、「田んぼの会」「お茶の会」「大豆の会」等の市民自給の会は、小田原市から活動資金の助成を受けている。3年前、市民活動応援資金を申請する一番の理由は、あしがら農の会が社会的事業である事を、会員自体に認識して欲しかったからだ。応援資金の報告の会でも、このことを繰り返し申し上げた。自分たちの活動の社会的位置づけに対して、少しは意識が変わってきたと思う。そのきっかけに市から補助金を頂くと言う事が作用すると思った。報告会で過去2回その事を話した。そして最後となる、3回目の報告も、その事の意味を話したいと思っている。

「地域に根ざした食育コンクール」で市民自給の会は
【優良賞 地域に根ざした食育推進協議会会長賞】を頂いた。
■提 唱:農林水産省
■主 催:地域に根ざした食育推進協議会・(社)農山漁村文化協会
■後 援:内閣府/文部科学省/厚生労働省


3回目の市民活動応援補助金を頂くにあたっての申請の公開アピールの席で、審査員の方から活動の公共性と言う事が、頻繁に問われた。実はこれは審査の席で、簡単に結論がでるような事ではなかった。「公共とはなんぞや」これは行政が日々問われていることだろう。しかし、私達が自分の食料を自給する事に公共性があるか。これは言われてみれば変な事かもしれないと思った。

そこで、書類がそのまま出せるコンクールがあったので「地域に根ざした食育コンクール」というものに出してみた。ちょっと書類の意味が違ったが、第3者がどのように見るかを押さえて置たかった。食育とは違うと言う事もあったが、最近良く聞く食育の方がどうも変だと思うので、あえて食べ物を作ることこそ、育むべきものだといいたかった。と言う事もある。

今年で4回目のようで、過去の受賞を見てみると、農の会の活動がそう特殊という訳ではないという事が分かった。但し、こうした物に出すには書類作りを面倒だと感じる人には無理だと思う。私達の活動よりはるかに公共性の明確な、「こっこ牧場」でも、ちょっと書類作りで止まってしまう。本当に困っている活動と言うのは、説明の方法が無いのだ。変に取りまとめて、飲み込みやすく説明してしまうと、なにやら嘘を付いているような気持ちになる。

農の会の特徴は、農業者が直接やっていることだ。農協とか、学校とか、生協とか、そうした組織が間に入るのでなく、職業として農業をして行こうとしている者が、市民の自給活動に関わっている点だろう。これが負担だ。そんな事は市民が勝手にやってくれ。こうした意見が出てきている。ありそうなことだし、普通の事だ。そのもう一つ奥には、周りから助けられるなんて不愉快だ。助けるのも嫌いだが、助けられるのは尚更厭だ。こんな気持ちが感じられる。新規就農しようと考える、人達は自立心が当然に強い。

そこをゆるやかに、隔たりなく、連なる事。鉢植えのトマトを1本育てる人も、寝る間も惜しんで畑仕事を続ける人も、同じにつながれないか。生きると言うところで、人間の手を結びたい。そうした事を夢見てきた。
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農村の保全

2006-12-13 08:09:25 | Peace Cafe
農村と言うのは人の住んでいるところだから、保全などと言えば、原住民とか呼び習わした、イギリス人のようで怒られるかも知れない。そういう意味でなく、私が好きな、今も住んでいる、こうした場所がどうすれば保全できるのか。里山保全、は里山作りに変わってきた。すでに失われた所が多いいからだろう。今度は里地が加わり、里山だけでなくもっと畑や、田んぼのあるところも考えなくては、どんどん失われてしまうと言う事になった。更に問題は、深刻になったと言う事だろう。

里地と言う言葉は、良い。しかし、露骨に農村の保全と言わないと、分からない人もいるだろう。そうだ、農業者はすでに伝統工芸士のようなものだ。この農業者の生息地を保全しなくてはならない。伝統的農業技術の保持者を、国は認定し、特段優れた方は、人間国宝にする必要がある。第一号認定は福岡正信さんかな。

農村が滅びてゆく、これは本当に致し方ないことなのだろうか。農業者が大企業の工場労働者のような、暮し方になってしまって、日本の文化はどうなるのだろうか。農業に根ざしてきた、日本人のすべてと言ってもいいものが、失われることに成る。教育の問題が盛んに言われているが、日本の教育に、食料生産技術がないことがおかしい。読み書きそろばん。と言われた寺子屋時代。農業は各家庭で行われていて、あまりに常識的なことだから、学校であえて取り上げるまでもなかった。

お米が、穂に実ると言う事も知らずに、根の方に実るのだろうと思っていた人がいる。そんな事はどっちでも良いが、自分が食べている物が、自分と言う人間の生きると言う土台だ。といことに気付かない。否、水や空気だ。そう言った人がいた。それはそうだ。それは汚す事はできても作れない。受身だ。食料を作る。これが人間たるゆえんだ。この作り方に、日本人らしいやり方を培ってきた。いくら機械化したところで、その原則的な考え方は、少しも変わらない。季節に合わせ、天候に合わせ、土壌に従い、作物を頂く。

農村が崩壊している。それは、都市近郊の壊れ方と、中山間地での過疎による崩壊とは違うが、いずれも危ういどころではない。舟原は、戦争前後の戸数が50軒だそうだ。今は70軒。2年に1軒が増えて、4年に1軒がなくなるとそうなる。40軒ほどの家は、江戸初期から続いている家の本家分家だ。日本でも変化の最も少ない、集落だろう。そこで、農村が崩壊している。集落が崩れ始めている。ミカンを栽培した辺りから、危機が迫った。自分たちの食べる物の生産は、副次的な物になった。農家も野菜を購入する事になった。そして、高度成長期と言われる工業化社会への変貌。

いまや、当たり前に農家経営ができる地域に。こういう当たり前のはずの要望が、頑迷な伝統主義者の発言と受け取られている。先日出合った環境保護派の方の食料などもっと田舎で作って欲しい。町場の残された、貴重な自然を壊してまで畑をやるなど、止してもらいたい。こう言われた。地域の農家の方には、資材置き場にすれば、駐車場にすれば、出来るならアパートにしたら。もう少しは収入になる。こんな気持ちがある。日本と言う国が、どうやって生きてゆくべきか。自分たちが食べる物は、自分の国で作るという、当たり前の事をしてゆかないと。日本人の日本人たるところは、言ってみれば美しい日本は、終焉するだろう。
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市議会の定数

2006-12-12 06:38:18 | Peace Cafe
小田原市議会では近く、定数削減が本会議に提出される。市議会も殆ど役に立っていないのだから、経費がかからないように定数削減して、小さくなるほどいい。こういう市民の声がある。昨日も、委員会を傍聴させてもらった。本会議も何度か傍聴した事がある。なるほど、すごい場所だ。小さくするどころか、無くしてしまった方がいいかと思うほど、内容の無いところだ。

国民保護法は、正式には「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」この法に基づいて各市町村は現在基本計画を立てさせられている。今回、友人の神谷さんが請願書を出した。考え方はジュネーブ条約では武力攻撃に対し避難する時に、自衛隊と一緒にいると、敵から攻撃されてもしょうがないとなっている。自衛隊とは別に非難する、避難計画を立てるべきだ。こういう意見だった。もっともな事だ。

委員会ではジュネーブ条約については、一言も出なかった。出たのは、何と災害時の避難の事だけだ。神戸の震災の時自衛隊がどれほど役に立ったか。全く論旨を理解できない。論旨だけでなく、国民保護法を理解していない。これは武力攻撃の問題なのだ。災害時の事ではない。そうした、理解力も全く無い人達が、現在市会議員だ。共産党のS議員のみが、この意見を取り上げるべきだとしたが、やはりジュネーブ条約について、理解が無い。きちっとした議論ができる市会議員のレベルになっていない。

今までは市議会の仕組みが悪い、そう思ってきた。どうもその前に市会議員の質が悪すぎる。きちっと議論をすることができるような人達ではない。だから、足をすくうような言いたい事だけ発言し、内容に入る事は無い。結局知性の低い人を選んでいる市民が悪い。市民は普通の人達だから、市民の中から、市会議員になろうとする人が、あるタイプの人達だったのだ。一言で言えば、地域ボスのようなタイプだ。議論など、何の足しにもならんと思い込んでいる人達だ。そもそも話し合いではなく、裏取引でことを決めようとするタイプだ。

定数削減が現在市議会に出されている。最初委員会に出された。そこで議論するのかと思いきや。そこでは、議論すると削減案がどうも通らなくなる。話し合うと問題点が見えてくる。そう思ったらしい。これを引っ込めてしまった。その上で、突然、12月の本会議に提出した。裏取引が出来たらしい。議論をせず、結論を出そうと言うのだ。

定数の問題は、議会の内容次第だ。まともなことをやらないから人数は要らない。これは提出議員の考えが正しい。問題はまともな議論をしない。有名無実の市議会になっている事のほうだろう。現在小田原では100億円規模のプロジェクトがいくつかある。市民会館、駅前再開発。広域焼却場。これをいい加減にする事は、小田原も夕張市のように倒産する事に成る。相当な危機にあると考えなくては成らない。20万都市で、絵をまともに展示する場所も無いという、施設が殆ど無い町が、神奈川県では1,2に財政状況が悪い。

一方行政は、広域ごみ処理では、実施計画を現在策定中と言いながら、一日延ばしに情報を押さえ、結論だけを、県に提出しまおうとしている。そうとしか思えない。ゴミは市民と共に考えなければならないなどと言いながら、何一つ情報を出さない。情報を出せば反対されると思い込んでいる。行政も、市議会も実にお寒い状況だ。
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手打ちそば「くりはら」

2006-12-11 06:54:55 | 身辺雑記
渋沢から震生湖の方に行く道の途中に、栗原さんがお蕎麦屋さんを始めた。先日昼時に傍を通りかかったので、寄らしてもらった。ちょっと居心地がよすぎて、離れ難いようなお店だった。栗原さんの人柄がお店の作りに出ている。凝った蕎麦屋にある、普通人には気取って近寄りにくいような、へんちくりんな雰囲気が無い。普通であって、本物である。これは簡単なようで難しい事だ。

手打ちそばと言うと、趣味の手打ちそばが流行だ。女性にはパン焼きで、男性は蕎麦打ち。先日の団塊サミットで、講演された残間理江子さんは「それでいいのか蕎麦打ち男」と言う本を書いている。データー好きの残間さんは10万人が蕎麦打ちを趣味にしていると言われていた。そばを日曜になると練習する。その出来た下手くその蕎麦を近所に配る。近所も最初はいいがアリガタ迷惑。そんな事をしているぐらいなら、福祉施設に出かけて行って、いくらかでも金を貰って蕎麦を打て。金を払えばまずい蕎麦を上手いなど、お愛想は言わないから、腕が上がる。そんな話だった。趣味は良く無い、どうせなら仕事でやれ。そんな話だった。

栗原さんの家は酒屋さんだった。お酒が何処ででも販売が出来なかったころは、酒屋もそれなりに成り立つ商売だった。私の奥さんの育った家は酒屋だ。お兄さんが跡を継いで、苦戦している。それで栗原さんの気持ちや先行きは、少し想像がついた。彼は古民家を見つけて、少しづつ手を入れていた。それは蕎麦屋への第一歩だったわけだが、直し始めた頃は控え目な彼は、そんな事は一言も言わなかった。だいぶたってから、蕎麦をうちに来てくれた何か機会に「あの民家で蕎麦屋をやりたいんだ。」ポッツンといわれた。

この人はいつか本当にやる人だなと思った。今やっている仕事が充分で無いから、蕎麦打ちに憂さを晴らす。そういう人が普通だ。残間さんのように、そんな趣味に時間を費やすのはくだらないから、有意義にやったらなど余計な事は言いたくない。お金にもならないことをやれるというのは、ありがたいような不幸だ。

ワーキングプアーと言う事が言われる。階層社会と同じ事だ。働いても働いても貧しい。豊かな社会での貧困。アメリカでも日本でも、資本主義の成り行きだろう。以前にも書いたが、外国人労働者の職域に、日本人が入らざる得ない現実。安倍首相はむなしく、再チャレンジなどと見当違いの発言で、現状をごまかしている。「貧しいのは、努力が足りないからだ、再チャレンジの機会を与えるから努力しろ。」こう言っているのだ。普通に働いて、普通に生きることが出来る社会。これは憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 」と保障されている。男性50代以上が毎日36人自殺している計算になるそうだ。なんと言う不幸な社会だ。この理由の多くが、貧困。

話はそれたが、栗原さんがすばらしい蕎麦屋を始めた。もうそれだけで喜びがあふれる。あんなすばらしい空間を提供してもらい、美味しい蕎麦を食べる事ができる幸せを、感じる。電話0463-88-1070、渋沢2098番地。間違いなく、県西部で一番美味しい。食べ物は物語だ。栗原さんが紡ぎだしている物語を味わうのだろう。その昔、栗原さんはこれから蕎麦打ち修行に、何年か行くのだいう前日。みんなに蕎麦を食べてもらいたいと、道具を持ってきてくれた。その時の蕎麦はもう趣味の蕎麦ではなかった。
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9条の会小田原 講演会

2006-12-10 07:14:42 | Peace Cafe
冷たい雨の降る夜に、小田原中央公民館に出かけた。この雨ではどれだけ人が集まるか、不安だったが300人と言う事だった。多いのか少ないのか。一橋大学の教授渡辺治氏が講演された。明快で分かりやすいお話だった。「9条の会」の事務局次長という肩書きだ。連日の講演できっとご苦労されているに違いない。内容も話し込まれていて、要点が整理されている。2時間近い講演も一気に進んだ。

安倍政権の特殊性、アメリカの世界戦略、日本の財界の要望。9条の改悪の意味。北朝鮮の核開発への日本の対応。どの分析も正確で、腑に落ちるものだった。日本の知識人にこうした方が居られることは、少し心強かった。保守層にまで広げた、運動の展開を9条2項の改変阻止と言う1点で、連帯してゆかなくては成らない。この指摘がされた。これは、ピースカフェを始めた、大きな方向だ。

グローバリゼーションと世界の警察論。日本の企業の低賃金国への進出の問題。企業は国を越える。資本は国を越える。低賃金国政府が誘致する。この奥にあることを考えてみたい。中国には日本の企業が多数進出している。日本企業による現地法人の設立も多数ある。中国政府もそれを歓迎している。20年前、日中文化交流団で、中国政府の招待と言う形で中国に絵を描きにいったことがあるが、そのときも、盛んに日本企業の誘致を言われていた。アメリカ企業の進出が行われている、このままでは日本は遅れをとる。中国は安定していると言う事を分かって欲しい。絵描きの団体にそんな事を言われても、どうしようもないのだが、上海で盛んに言われた。

日本の企業が中国の為になっているのか。地方から出てくる中国人には職場が無い。外国企業に職場を提供してもらう。出稼ぎに行かないでも、国内で労働力の輸出ができる。これは果たして、その国の将来にプラスになっているのだろうか。食べる事の無い食料を作り、着ることも無い服を作り、見る事も無いテレビを作り、乗る事の無い車を作る。こうした生産様式は、中国の腐敗構造の背景に、こうした利益が出れば、国の空洞化はかまわないとする考えがある。経済だけで人間は生きている訳ではない。健全な暮らしを形成する為には、毛沢東の主張した自力更生しかないはずだ。白でも黒でもネズミを捕れば好いとする、経済優先主義がよい結果をもたらすとは思えない。

こうして進出したその国の人にとっては、愛情のもてない、出稼ぎの場であって生活に根ざさないで存在する企業は、危ういものだ。それ故に、世界警察としての武力の必要性が出てくる。それが日本政府の9条改悪の願望になっている。ライフラインの確保。とか言いながら、世界に進出する日本企業の権益を日本自身が確保しなくてはならなくなっているのだ。イラクでも、イランでも、莫大な金銭を出したのは、実は日本企業のためとも言えるのだ。中国でも同様な事だ。北朝鮮を前面に出した、日本の再軍備戦略を考えているように見えるが、中国が対象だと考える必要がある。中国の危うさは、日本経済の地雷になっている。
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農の会の代表交代

2006-12-09 08:22:50 | あしがら農の会
農の会の総会があった。代表が千田さんから、相原海さんに変わった。千田さんの途中交代が起きた。千田さんが責任を全うしない事には、驚きもあったし、怒りもあった。途中で代表を降りる事が、どの位問題があり、会にとって迷惑なことか。千田さんが言われるには、代表は名誉職だと思ったそうだ。こんなに沢山の仕事があるとは思いもよらなかったそうだ。

確かに農の会でのあれこれを、やらなければいけない仕事としての負担と思えば、それは大変な事になる。例えば農地の紹介と言えば、その土地が、どんな条件で、どんな地主さんか。周辺はどんな方か。そうした事まで調べなければ成らない。それでなければ紹介など出来ない。今は、各人が貸借を行うと言う事になっているのはいいが、ここ1年新しい人は加わっていない。新しい人を受け入れる動きを止めたことによる。多分この辺は余り理解されていないところだろう。

相原海さんが新しい代表になり、農の会の枠組みの大きな変更が提案された。千田さんがギブアップしたような事が、繰り返されないように、農の会の行う仕事を大幅に減らそうと言う事が基本の考えのようだ。農の会の事業を1、田んぼの会 2、大豆の会 3、お茶の会 4、就農宅配の事業の4つにする。その他行われてきた、活動をサークル活動とする。多分サークルと言う言葉を選んだところに、眼目があるのだろう。

ここで言う、収穫祭や、料理の会や、最小限の家の活動が、サークル活動であると言われても、違和感がある。やりたい人が提案して自主的に行う活動と言う事らしい。しかし、立教大学の長島選手は大学がどこにあるかしらなかったとか。横綱輪島氏は日大の教室にいるつもりで、法政大学にいた、とか。面白く語られる。サークル活動の方が主と言う学生もいるから、何ともいえないが。農の会でのサークル活動はやめようと思う。何かつまら無いことになりそうだからだ。

農の会は先例の無い活動だ。似たようなことは試みられたが、失敗ばかり見聞きしている。新規就農しようという人が、仲間と共にやれるかと言う。大変難しい課題に挑戦している。農業をやりたいと言う思いを持つ、極めて特殊な、個性的人間の集団だ。そう一筋縄ではいかない。経済的にも条件が違う。年齢も幅が広い。技術的、能力的にも大きな違いがある。個々でやるしかないのが普通だ。細い道を探りながら進めてきた。農の会が探っている道は、唯一新しい日本農業の可能性だと思ってきたからだ。

今までの農の会を立ち上げの段階と考えられる。新規就農者にはその自覚がなかったが。助けてくれる周辺の人をどれだけ集められるかが、今までの流れだった。それが、田んぼの会という形であったり、お茶の会であったり、料理の会であった。これからは、夫々が農家として自立してゆく、第2段階なのだろう。簡単に言えばそうした手助けが、余分になり、うっとおしく、負担を感じるようになってきたのだろう。

お茶の会、田んぼの会、大豆の会が、どのよう動き出すか見えてこないが、むしろこの3事業の方に、重点が移って行くのかもしれない。千田さんがこの三事業には関わりが全く無かったと言う事が、このような結果に成った原因だろう。自分の農業だけを考えたいと言う人が、これからも増えてゆくだろうから、三事業と、農業者の関係はさらに難しくなってゆく事だろう。しかし、この4事業が有機的に関連する事がなければ、普通の人が農業者になれる環境は生まれないだろう。
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栢山田植え歌

2006-12-08 06:10:30 | 身辺雑記
足柄地域には 下中座の人形浄瑠璃・寿獅子舞・鹿島踊り・栢山田植歌・箱根馬子唄・山王大漁木遣唄・小田原囃子 ・足柄ささら踊・足柄囃子・相模人形芝居・吉浜の鹿島踊り・世附の百万遍念仏・山北のお峯入り等が残っている。どの民俗芸能も保存会が地道に活動を続けている。一体、保存会の実情はどうなっているのか、気になっていた。

農業を行う者として、田植え歌ぐらい歌えなくてはならないと思い、2年間練習に入れていただいた。それでも良く歌えないのだから、記憶力の悪さと、音感のひどさはちょっとどうしようもないのだが、古い足柄地域の空気を少し知る事が出来た。この栢山田植え歌の保存会を続けてきた一人が、栢山の日比野さんだ。この方の一人の努力が、今か山田植え歌を残していると思う。

昨日は、日比野さんに保存会の活動について、話を伺いに行ってきた。改めて伺ってみると、折に触れて聞いていた事とは少し違って、面白かった。栢山と言えば当然、二宮尊徳のことが関連する。報徳祭の時にも田植え歌を演ずるそうだ。どの保存会の活動も、保存の為に演ずると言う事になる。そのために、少しづつ演出が入り、舞台で見栄えのするように変化してゆくそうだ。それでも、二宮尊徳を知るには栢山田植え歌ははずせないものだ。

古い足柄地域の農村の実際を知るというのは、本当は困難な事だ。例えば、今の時代の小田原の駅前商店街の実際はどうか。これを一くくりにするのは難しい。それを足柄の昔はこうだったなどと、とても言えるものではない。しかし、その時代時代の人の暮し、心の奥底を知る。そのの学問が柳田民俗学だ。本能寺の変は、何年にあり、誰が誰を殺した。こういうことは庶民の暮らしの歴史からしてみれば、大したことではない。

二宮尊徳の農村改革の背景にあるもの、を大変複雑に受け止めている。農村を飢饉から救った。などとパターンで捉えると、大きな誤解をする。その事は、もう少し調べて、別の機会に書くとして、今はその背景にあった暮らしの空気だ。これが栢山田植え歌にあると言う事。それがこの歌をなんとしても保存しなければならない、目的だ。

この歌は、何度も消えかかったらしい。田植えが機械化され、田植えで歌を歌わなく成ったので、消えるのもいいじゃないか。どうもそうではない。田の草取りの歌はすでに消えた。籾摺り歌も消えた。除草剤があっても草は生えるのだから、草取り歌は残って良さそうだけれど、先に消えた。田んぼを行う心が変わった。田んぼは、日本人の根源に結びつくものだ。例えば、日本人の所作、身のこなしに、田植えの動作、重心の落とし方に影響している、という。

昨日の話で一番驚いた事は、行政の補助が、ここ10年さまざまな事で、減ってきたそうだ。どの活動も経済的に苦しいところにあるらしい。栢山田植え歌では、地域の活動への補助と言う事で、栢山の自治会から支援がされているそうだ。にもかかわらず、小田原市は特段の支援をしないそうだ。民俗芸能の持つ市民にとっての意味を、きちっと押さえていないから、お金がなくなれば最初に削られてしまったのだ。

それでも心ある皆さんが、大変な苦労をしながら活動を続けてくださっている。お陰で、生きた歌として、「栢山田植え歌」が歌い続けられている。地元2校の小学校では、学校田の田植えのときには、保存会の皆さんに歌ってもらっている。それなら、せめて音楽の事業では歌うようにして貰いたい。
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最小限の家・畑の開墾

2006-12-07 06:44:15 | 自給
いよいよ最小限の家の地縄張りを行った。この場所に建てるのだな、とちょっと緊張した。一通り綱を張って、それだけで充分満足した。3、2メートルの正方形これだってけっこう難しい。穂田さんに見てもらったら、これじゃダメだと言う事で、やり直しになった。水準器で、水平を出さなければいけないと言う事だ。言われてみれば当然な事で、今日のところは、止めにした。
竹薮の片づけをやることにした。

新しい田んぼのハザ掛けの竹が無いので、竹を切らなくてはならない。竹薮が荒れていて、竹の整理は懸案だった。今竹を切るにはいい時期だ。でも、水土社の岩越さんなら、新月に切らなければだめだ、と言うだろう。今は満月だ。新月には時間が無いかもしれない。この際重い腰を上げて切る事にした。現在竹薮の広さは、100坪ぐらい残っている。昨日はそれでも、30本程切ったが何の変化も無い。一坪に10本とすると、1000本は生えているのだろう。大変な事だ。近い内に竹薮の上部に生えている榎の巨木を、大山さんに切ってもらう。そうすれば、大分スッキリするだろう。

すごいアイデア住居がある。生きた竹を組み合わせた小屋、というのも作ろうと思っている。竹薮の中に5メートルほどの丸い空間を切り開く。この周辺の竹をしなわせて、くくりあうのだ。周辺の竹を引っ張っては、どんどん結わえて、生きた竹の屋根にする。来年は、生えてくる竹の子は上手く誘導して、壁を作る。これは地震に最も強い家だ。果たして、雨が防げるほど茂るだろうか。これは課題だ。割った竹を横に縫うように差し込んで、やれば、壁は結構いい雰囲気が出るはずだ。こんな事を考えて居る時が一番楽しい。

平行して畑の開墾も行っている。一年前切った、竹が積み上げてあった。これが枯れて、弱ってきているので順次燃やしてきた。一年がかりで燃やしきった。もうパンパンはじける音もしなくなっている。確かに燃やすのは、後ろめたい。そこに生えていたものを、そこで燃やすのは、許されるのでないかと思う。積んで置いて腐るに任せるのがいいのだろうが、その場所を来春は畑にしたいので、待っているわけにも行かなかった。竹の根はホダさんにユンボで抜いてもらった。1年経った竹の根は大分弱くなって、簡単に抜く事ができた。

畑は、100坪ほどは出来る予定だ。ここに自給自足のモデル農園を作る。100坪在れば、1家族の野菜類は生産できる。お米は、田んぼで共同で作る。そして、最小限の家に暮す。60までにそこまで進めれば、いいだろう。今暮している家はどうなるのだ。穂田さんに、世間に笑われると言われた。笑われるのは一向構わないが、無駄にしようと言うつもりも無い。出来れば今の家を水彩画の展示館にしたいと思っている。

竹薮跡の土は単なる赤土なので、全く肥料分が無い。どうも上部の黒土を掘って売ってしまったらしい。そうやって畑を切り崩して、山崩れを起こしたようなところが、この辺りには結構ある。その後に竹が生えてきて、竹薮になったようだ。だから、ミカンの切り株がなかったのだ。赤土を冬の間に、充分いい土に育て、春に備えたい。養鶏場の床を出来る限り運ぼうと思う。冬の間に堆肥をたっぷり入れて、何度か耕してやろう。ここは人力だけでやるのだから、手作業になるが、今のうちに土を育ててしまえば、後が楽になるだろう。
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中国への米の輸出

2006-12-06 06:28:40 | 稲作
政府は中国への米の輸出を考えている。
①コメ、アジアの店頭に 輸出拡大、生産者に勇気(H18.6.5)
②青森リンゴ、中国に挑む 規格外の大玉、成長株に(H18.6.6)
③鳥取のナシ、台湾で人気 贈答品向け品質で勝負(H18.6.7)
④イチゴ人気品種、アジアへ 「あまおう」火付け役に(H18.6.8)
⑤温州みかん、北米市場争奪(H18.6.9)
⑥緑茶輸出、「高級」で復活 欧米向け味きめ細かく(H18.6.12)
以上は農水のメールマガジンの記事である。

今年の米作況指数は、96と最終的に発表された。特徴的なことは、北海道が105と豊作で、九州が50前後のかつてない凶作となった。温暖化がここでも始まっていると考えられる。2020年から温暖化の為に米は減産に入ると予測されている。その前に、今年のように前代未聞の台風の到来が起こり、九州のような被害が全国に起こる、これは現実的なことだろう。

今年は米の収穫量のなかでは、割合の小さい九州での台風被害であった。これが米処の東北、北海道に、大きな台風が来る事は、かなりの確立で在りうる。東北が50程度の作柄になることが、2年続けば日本の食糧は危機に陥る。明らかに、北朝鮮が日本に原爆を落とす確立より高い。ミサイル防衛の前に日本の食糧防衛をどうするか、考える必要がある。それが国民の生活をする権利を保障する、政府の第一の役割のはずだ。

政府は農産物輸出1兆円を掲げ、農家に幻想を振りまいている。だまされる人もいないと思うが。新潟県では高級米の中国輸出で農家の未来を開く、これを政策目標にしている。日本の米価格は中国の米の10倍だ。これを食べるのは、中国の富裕階層だ。バカバカしくないか。食料と言うものは、暮らしの一番の基本だ。自動車やパソコンとは訳が違う。中国は生活水準が急速に上がる中、食糧生産は均衡が崩れ始めている。いつ食糧輸入が爆発するか大変困難なところにある。ここに目をつけているのはむしろアメリカだ。アメリカは食料で、中国を押さえ込めると考えている。日本が何で、余ってもいない高級米の輸出をしなければいけないのか。

日本が食料輸出を行うと言う事は、その額がわずかであれ、食糧輸入を無条件で行う事を意味する。政府が重要と考えているのはむしろこちらの事だ。アメリカが主張し続ける。「日本の食糧輸入の自由化」をやれ、と言う要求だ。アメリカの要求が日本政府の政策になる、小泉政権で散々見たパターンだ。だまされたらいけない。わずかな中国への輸出の見返りが、日本の農業を破壊する。アメリカの世界食料支配計画が着々と進められている。

日本政府が目指すべき最優先政策は、食糧自給100%。食料は他のものとは違う。他の輸出産業の為に、食糧自給が阻害されてはならない。これは発展途上国の食糧生産にとっても同様な事だ。日本への食料輸出が、その国の経済を支える構造に成っている国は無い。タイの日本への輸出で食料が占める割合は生鮮魚介類中心で、全体の4%に満たない。日本の食糧輸出1兆円政策は、アメリカの食糧を買えと言う事のすり替えだと言う事を、肝に銘じておく必要がある。
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めだか市民会議

2006-12-05 06:10:30 | 環境関連
めだか市民会議があった。小田原市と環境保護団体と地域自治会と学校関係者で出来ている。この会議の性格が話された。話がそこに踏み込むように議論を誘導した。その事を、正面から出だすと、次回送りにされそうだからだ。小田原は神奈川県唯一の野生メダカが生息する。唱歌「メダカの学校」が作られたのも、小田原だった。そんな事から、メダカが段々取り上げられるようになった。一般にはこんな風に理解されているのだろう。

これは、山田純さんの仕組んだ事だ。メダカではなく、はじめは桑原の自然環境の問題だった。山田純さんはコーディネーターと呼べばいいのだろう。農の会もコーディネートしたのは山田純さんだ。現在は国民森林会議の事務局長をされている。彼を最初に目にしたのは、山北の奥に産廃の処分場が出来る問題で、反対の活動が始まった時だ。この活動をコーディネートしていたのが、山田氏だった。この地域の活動を様々に立ち上げていた。この地域で起こることは全て自分の家の庭で起こることだと考えている。こう宣言していたので、大いに期待した。やっと、定時制高校の教師を退職し、いよいよ地域の問題に取り組むだろう。と思っていたのだが。国民森林会議の事務局とその関連の仕事で、地域での活動は少なくなってしまった。庭は荒れている。

最初はめだかの事など、目立っていなかった。たまたま、メダカがいて、それを新潟大学の酒泉先生に遺伝子的に特定をしていただいた。その頃、メダカが希少生物に入った。これも実態から言うと色々異見があるのだろうけれど、「レッドデーターブック」と言うのが国際自然保護連盟で作られていた。それの日本版、神奈川県版がある。そこにメダカが入った。ここにもコーディネーターがいるのだろう。何処にでもいためだかさえいなくなる衝撃。

桑原の都市計画道路の問題だった。工業団地が出来、道路が出来、桑原の農村環境がどんどん壊されていった。これをどう食い止めるか。その環境保全活動を、めだかを看板にして、枠組みを構築した。今は市行政、県行政も動き出しているが、ここまでが大変だった。もちろんこの枠組みをコーディネートする事が大変だったのだが、私個人としては、行政に信頼がもてないから、行政と共同する事は賛成でなかった。

結果は今の状態で、それなりに良かったと言う判定と、やっぱりだめだったと言う判定があるだろう。ビオトープとしてのメダカは残りそうだ。そういうのを野生メダカと言うのだろうか。桑原の農村的自然環境は今後崩れてゆく。行政としてはやれるだけはやってくれた。しかし、だめな工業団地計画と、都市計画道路が出来る事で、あの貴重な自然が、消えることは致し方ない。

農の会として農村環境が維持される為の努力はしたつもりだ。しかし、田んぼがなくなることを食い止められなかった事には、責任を感じている。これから、道路が完成し、一年一年田んぼが減ってゆくのを見るのは辛いが、いくらかでも、この酒匂川の左岸に残された、不思議に豊かな自然環境が、残される仕組みを作りたいと思う。市民メダカ会議が、それを担う機関になる。しっかりとした、形を作らないとならない。

4月1日にはめだかサミットがある。桑原で見学会を準備している。
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あしがら農の会収穫祭 

2006-12-04 10:55:38 | あしがら農の会
語れない事、言葉に出来ない事。こんな事は案外多い。今日は文章で表せない事を書き留めてみたいと思っている。昨夜眠れないまま、頭の中ではこのことがぐるぐる廻っていて、溶岩流のようで、形が見えそうで見えない、具合だった。

言葉では語れないという事がある。絵なら、表現できたような気になるものもある。文章では書けると言う事もあるようだ。「共感」と言う事の周辺の事で、このところ、めぐりめぐっている思考がある。共感と書くとすぐそれじゃあー無い。というような気がするので、周辺とつけた。結局は人間が生きる、根底にあるものは何か。と言うような事につながること。

それは昨日あった農の会の収穫祭の事でもある。夏祭りにはあった空気が、今回なくなったと感じた、あの空気の事だ。こんな風に書いても、大多数の人には何のことやら、不思議に思うだけだろう。自己確認だからそれはいい。なにしろ、私にも良く分からないのだ。色んな方向から言って見れば、すこし意味が伝わるか。「許される心地」のよさ。自由になれるというのも少し違って、おかしなままで受け入れられる、ゆるゆるの感じかな。おかしいと言ってしまっても違う。違う。変わっていても、の方が意味的にはしっくり来るが、やはり、おかしいと言いたい。

山北の山に13年暮し、小田原久野の舟原に越してきた時の、全く予想外の、あの居心地の良さである。死ぬまで、ついにここで暮せると思った。誤解を恐れず、書けば、ダメでもいいじゃん。変でもみんな変なんだからそのままで大丈夫だよ。こんな感じかな。更に誤解されそうに書けば、務所帰りもOK、コソ泥だって、やってないときは隣人。

カラオケを、聞かされているのに、聞こえないような「こころ」でに一緒にお茶を飲める。そりゃー辛いかも知れない。でも、聞こえないのだから、ニコニコ受け入れる事ができる。公民館の末席に座って、すごいタバコのもやに包まれて、とてつもない議論が行われていて、意見を求められたりしても、その場で一番いいようなことが、当たり障りなく言えるような、収まりのよさ。すこし違うけど、この辺に似てはいる。間違っても、いい加減でいいというんじゃない。

空気を作り出すために一番大切なことは、どうも正しいと言う事じゃない。それ辺りは難しい境界領域だけど、確かな事だ。心を通じ合う為に、そうだ。心を通じ合う事が大切。これは方法じゃなくて、目的。たぶん、そうかなと思うのは愛情と言うこと。人間愛と言うと、ちょっと違った受け留が起こりそうで。親がどうしようもない子供を、可愛いと思うような気持ちに近いのかな。話の方向を間違っちゃいそうだけど、、これが上からとか、誰かがというのじゃなくて、互いにと言う、全体性としての愛情。間違っているとか、自分と違うと言わないでも、自分のあり方を楽々示せる大きさ、全体性の持つ受け止める包容力の大きさ。肯定力の大きさ。人それぞれと突き放さない愛情力。

等など、書いても、書き留められているとは一向に思えない。考えていた通り、書けば書くほど離れてゆく、文章力が無いからか、言葉と言うものの限界か。はたまたことの本質を理解できていないからか。残念だが、限界。ピースカフェが捜し求めている、平和と言うものも、一体何処を探せばいいのか、中々難しい。全ては移ろいやすく、止まることが無い。昨日見ていたと思う世界も、今日は確かではない。陽炎のようにあったのかどうかさえも、確認が出来ない。
コメント (7)
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団塊サミットin丹沢

2006-12-03 06:17:45 | 身辺雑記
昨日は「団塊サミット」が秦野であった。「緑と農の元気作り」と言う分科会にパネリストと言う立場で出た。消化不良のまま終わった。事前の打ち合わせが無いまま、分科会と言う事だったので、大雑把な事に成ってしまった。各自が各々の活動を語れと言われたわけだが、団塊世代とどうかかわるかと言う肝心な点が、抜け落ちていた。どの団体にとっても大切な課題ではあるが、その事を考えてきていないのだから、分科会の話に方向が見出せないままだった。

その中で印象に残ったのが、残間理江子氏松田輝雄氏の話だった。お二人ともマスコミで活動されている方なので、顔を見れば殆どの方がご存知の方だ。と言っても内容は相当に違っていた。いや、むしろ逆だった。残間氏は分析力がすばらしい。しかし、方向は見せない。分析をどんどん展開して、後はあんたらがやることだ。こんな感じか。松田氏は一人ひとりの心にどう入り込むか。内側に直接響く話だった。この方は深い。お二人ともマスメディアを通して、お見掛けしたときとは、全くの別人だった。何故、あれほど濃い人たちが、当たり障りの無い人を演じられるのか。テレビの世界は不思議だ。

農の会では団塊の世代を特別に考える事も無いし、年寄りが農業をやるのは、無理だと話した。60になって定年になるのは、良く出来た話で、足手まといになるから、会社のように利益と効率を考えているところでは、失格と言う事だ。それを、農業分野なら、いい加減な世界だから、充分やれるだろうと言うのは、甘い。これは教職にいて、絵を描いていた人が、定年になって時間が出来た。さあーこれからやるぞ、などと力む。ますますろくな絵を描かなくなる。よくあることだ。

全ての事は、時間の余裕などと関係がない。その人間だ。忙しくて出来ない。すばらしい口実だ。結構な事だ。農業は20歳までの育ち方で決まる。そういう身体になっていなければ、辛いだけだ。外に一日いるだけで、身体のできていない人は疲れてしまう。家庭菜園と農業は似て非なるもの、どちらが上と言うものでもない。家庭菜園の延長に農業があると言うのが、幻想。農業をやりたいなら、一日も早くやる。会社に行ってる場合じゃない。

NPO法人の人集めに、団塊の世代の定年が期待できる。こういう目論見が背景にあるのだろう。人集めはしてはいけない。やりたい人がやればいい。これは活動の原則だ。集めなければ出来ないような活動は、間違いなく魅力無い、おかしな活動だ。ねずみ講みたいなものか。

ミカン減反をした跡地に、杉檜が植えられている。これを畑に戻す。こういう話をしたら、会場からそのまま置くべきだと言う意見があった。「せっかく自然が増えたのに畑に戻すとは何事か。食料はもっと田舎で作れ。」すごい意見だった。熱帯雨林を消滅させても、自分の家の周りには自然が欲しい。こういう人は自然と言うものを本当には感じていない。人家に近い杉檜の荒れた植林が、美しい景観だろうか。鬱陶しい景色だとしか思えない。絵を描くとその黒々とした林が、集落を寂しく見せ、暗い物にしている。間に残った畑も、あの日陰には、心底迷惑している。
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安藤和夫さんの個展

2006-12-02 06:33:29 | 身辺雑記
安藤和夫さんの個展を見に横浜に行ってきた。高島屋の美術画廊だという事は覚えていたので、横浜で降りればすぐ分かるだろうと、案内状を持たずに出かけた。所が駅で降りてすでに分からなかった。駅の辺りにあるはずなのに、それが見つけられない。人が多いとアワを食ってあたふたしてしまう。案内があるはずなのにそれが見つからない。やっと地図を見つけて、それに出ていない、そんな訳がないと思いながら、時間をかけて見つけた。人込みはどうもダメだ。

美術画廊は上のほうだろうと登る、この辺はおおよそ何処のデパートも同じで、だいたい壁際だ。するとなんと「吉岡耕二」さんの個展をやっている。この方は私がフランスにいた頃、サロンなどで目立っていた。どういう人かは知らなかったが、見栄えのする派手な絵を描いていた。その後、日本で活動するようになり、あちこちで見かけた。私の絵の師である、春日部洋氏とは同じ頃フランスで活動されていて、紹介された事もあった。

最近はBUNNKAMURAギャラリーで連続的に、個展をされていて、仲間の間では話題には出ていた。フランスにいる作家、あるいは長くいた作家は、岡野博さんや、木村忠太さんなどを代表に、通ずるものがある。精神の印象派とか、自称していたけれど、光に注目するにしても、悪く言えば思わせぶりの所が出てくる。もう一つには、磨き上げたような日本独特の工芸的な表現を拒絶する。これは、日本に対する反作用のようなもので、藤田嗣治のように、そこを売りにして伸して行こうとした作家とは時代が違い、日本での販売を目的にしているから、荒っぽさがフランス的というような、自意識があるのだろう。もちろん、東洋的を売りにして、ヨーロッパで、漆やら墨やらを強調する作家も多いので、一概には言えないが、いずれも商品絵画の時代の作家だ。

そんな事を思いながら、入ると、変わってきていた。絵がいらだっている。色が強くなった。赤でもレーキ系を使っているのか、赤堀尚さんを思い起こすような色だ。日本に暮し、ヨーロッパを描く。本当に描いているのだと思った。絵を作っているだけなら、こんな風に乱れる事は無い。何が起きているのか、人事では無い衝撃が在った。商品絵画の真っ只中でやってきた人として、見ていたけれど。絵はそう簡単なものでは無いな。恐れ入る。

そう友人の安藤さんの個展だった。対極的に技術の世界。楡の埋もれ木を使って、静謐な完成度を見せていた。さすがの、安藤さんらしい抜かりの無い仕事だ。何処におかれることが一番いいのだろうか。そんな風に思ってみた。欧米人の日本研究家の大きな家で、銘酒のビンでも入れて置かれたりするのかな。などと思った。ベリーナイスUMOREGIなどと、薀蓄が語られて、日本の伝統を教えてもらったりする。
ここで大切にされている、文化のようなものが、私達の暮らしから実に遠くて、どう考えればいいのか。吉岡さんの絵の余韻のまま、混乱した頭で帰ってきた。

国府津辺りで、海と空が見える。夕日が、箱根に沈もうとしていた。生まれてきた一日が、こうして死んでゆく。今日一日たくさんいただけたものの、ありがたさを自然は、確かめてくれる。人は明日もものを作る。それだけは変わらない。
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