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59歳になる。

2008-08-21 07:43:17 | 身辺雑記
いよいよあと一年になった。60歳までは何とか、世間の役に立つ事もしなければならない、でも、60に成ったら、そんなことはかまわない。それが定年であり、隠居だ。隠居と言うと立場も封建制の時代に出来た、不思議な立場だが、家督を譲り、悠々自適という姿が浮かぶ。しかし、私のイメージする隠居は、伊能忠敬だ。隠居して、日本地図つくりに打ち込む。隠居になってからの事は今はどうでもよかった。今は後1年をどう頑張るかだ。養鶏業は農業の中では軽作業の仕事、と思われている。しかし、なかなかそうでもない。力仕事も結構ある。餌のオカラ運びから、おから詰めは。結構大変だ。餌の運搬や仕込みも、やはり力仕事ではある。30キロぐらいの単位の荷物だ。これを軽トラに載せて下ろして、の繰り返し。だんだんに辛くなっている。出来ないほど衰えているわけではないが、疲れる仕事になってきた。

元来、虚弱体質と言われて育った。今でも風呂屋で、わたしより貧弱な体型の人にはまず会わない。たまにやせた人だなとおもうと、80は過ぎたお年寄りで、そうだよなと思う。子供の頃を知っている人なら、とても農業が出来る訳がないと思っているだろう。少し頑張れるようになったのは、高校のときの陸上競技部に入ったことだ。頭が混乱して、しばらく学校を休んだりして、神経衰弱だと言われていたが、それがどう言うものかはわからなかった。どうするかと言う時に、思い切って運動に身をゆだねてみようと考えた。陸上競技のただ走ると言うのが、良さそうに思えた。毎日最低でも10キロは走って、その上にインターバルなどをやった。練習をしすぎては身体を壊し、の繰り返しだったが、努力では限界があるという当たり前の事に、到った。努力次第では、そこそこの所へ到達できると思っていたが、スポーツはそんなものではないという事を知った。

それでも、そのときのほぼ3年間が体力を、やっと人並みにしてくれた。肉体労働のアルバイトを、随分やったが何とかこなせるだけになった。何よりも、何とかここまで自然養鶏をしてこれた。自給自足の実験をして見ようと思えたのも、体力があればこそだ。今ではそういう発想が出てこない。しかし、そろそろだと思っている。食べ物を作ることは、責任の重いことだ。本気で、全力で取り組む事だ。その責任が取れるのは、60までとした。農業は既に平均年齢で70歳と言う仕事になっている。これは、子供の頃から農業をしてきた人が、今は居るからだ。今の農家では、めったに手伝う子供など居ない。途中から農業を始めた人の身体では、70で農業をやるなど、不可能な事だ。だから、農文協が「定年帰農」と主張したのには驚いた。

あと一年、無事に自然養鶏を継続する事にかけたいと思う。私が考える最高の卵をあと一年生産する。これが社会貢献ではないかと思う。ささやかな事ではあるが、これが一番大切な責任だ。次に、平行して自給自足の探求を進めたい。最小限の家も、だいぶ出来上がった。年内には完成に持ち込みたい。畑のほうは今だいぶ荒れてしまった。草に負けて居る。昔はこんな事はなかったが、今の状態では、夏などあまり働けないと言う事がわかった。養鶏場の草刈で、もう手が回らない。それなら夏の畑はどうするか。今旺盛なのは、さつまいも、サトイモ、大和芋、のようなイモ類。あるいはカボチャ、冬瓜。それなら、夏の間の葉物をどうするか。ヒユ菜とか、田んぼのエンサイとか。何か手のかからない方法を考える必要がある。
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2 コメント

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歳をとること? (実名でない人)
2008-09-26 13:37:38
遅い反応ですが、

昨日9/25の夜、環境に興味のある方達の会合で、84歳日帰りで2千メートルの山登りした方とお会いできました。少しびっくり。

もっとも、義理のお父さんは81歳の酒屋さんで最近までビールケースを運んでましたし、そのお兄さんは84歳で新潟から一人で高速を飛ばして千葉まで来られてます。

それらの方々は好奇心も旺盛で、皆元気です。

身体を使わず、机上の帳簿取引のみ見続けた当方は、そのつけを今から払うことになるのでしょう。環境、田んぼや畑の維持には汗が必要と観念しつつあります。長年のクーラー暮らしが、どうやって抜けるのか?心配ではあります。

「老いさらばえた犬」が尊いわけでなくとは、「老いても元気な犬がいい」というわけでもないように思われ。しかし、「元気な老犬」の方になりたくもあり。
どんなお名前でも (笹村 出)
2008-09-27 07:11:37
どのようなお前でも、もちろんかまいません。
感想、ご意見、ご批判いただければ、ありがたいです。
頭の中で、あれこれ考えていることが、違った刺激が与えられ、又、新鮮に考えられます。

実は本音では、身体の衰えより、頭が固くなるほうを心配しています。
重労働しないで良い、方法はあるかもしれません。
でも、硬くなる頭をどう新しい気持ちにさせるかは、なかなか困難そうです。

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