さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんの想い出が濃く残るナメイリ沢、続いて棡葉窪を遡行しました

2022-09-24 16:50:25 | ザイルと焚火と焼酎と

ナメイリ沢はネットなどでの評価は「ショボい」「水量少なく見栄えしない」など、あまり良くはありません。

僕自身何回か来ていますが、好印象は持っていませんでした。

水量が乏しくて、沢らしい瑞々しさに欠けているのです。

さらに言えば、埃っぽいイメージすら抱いていました。

 

それでも僕がナメイリ沢を大切に感じているのにはこんな理由があるからです。

さっちゃんが1998年2月に雪の愛鷹連峰で、脛骨骨折した3年9ヶ月後のことです。

2001年11月27日大怪我から復活後の初めての沢登りがナメイリ沢だったんです。

今回同様、続いて棡葉窪も同じ日に遡行しています。

僕ひとりでは心配でしたから、当時の僕の沢パートナーだったK磯さんにも同行をお願いしました。

ですから、ナメイリ沢にはこの時の僕が味わった感動、さっちゃんの沢復帰への喜びの感情が伴って来るのです。

さっちゃんはザイルパートナーでしたし、それ以前も今でも僕の人生のパートナーです。

大怪我以降の、とりわけ復活の一場面一場面が印象深く僕の記憶の中で息づいているのです。

 

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

(さっちゃんのことは出て来ませんけれどね)

ナメイリ沢と棡葉窪の2本の短い沢を組み合わせて遡行しました

▲10:49。F3-11mトイ状です。SRさんがリードして、上で確保してくれています。フォロウで登っているのはO崎さん。

 

この日のナメイリ沢は平水よりも随分水量が多く、瑞々しく感じました。

陽光も時々射し込んで来て、ナメイリ沢の印象が覆って、美しく明るい沢とすら感じられました。

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北アルプスから帰って来て2週間後、やっと懸垂岩での岩トレで再始動

2022-09-22 13:42:37 | ザイルと焚火と焼酎と

若いころは夏のお盆休みの1週間前後の長期山行を終えた翌週、よく苗場山の赤湯温泉2泊3日で行ってました。

山では連日フルに動き回っていますから、若いと言ってもさすがに湯治が心地よかったのです。

山口館に泊まって、コーヒー、果物、お酒、文庫本を持って行きます。

2泊3日なので、2日目朝から晩まで温泉三昧!

20代の頃も行ってましたし、さっちゃんとも行くようになりました。

でも仕事もありますから、確実に行けるとは限りませんでしたけれどね。

 

今年はたかが3泊4日で、まともに動いたのは3日目の横尾本谷右俣だけでしたが、疲れましたね。

赤湯温泉に行ければ良かったんでしょうけれど、天気もさほど良くありませんでしたから、自宅でじっとしていました。

2週間後、YYDのS藤さんが丹沢の懸垂岩での岩トレを計画してくれたので、参加させてもらいました。

 

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

北アルプスの疲労がだいたい取れて、懸垂岩の岩トレに参加しました

▲14:29。M澤さんは僕たちがトップロープで練習していた支点に用いたシュリンゲとカラビナを回収して来てくれました。

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北アルプスお盆山行の最終日です。今回の山行はさっちゃんとの思い出を辿るような日々でした

2022-09-18 22:16:56 | ザイルと焚火と焼酎と

天気(台風)に翻弄された北アルプスお盆山行でしたけれど、まずまず満足できる内容で終了しました。

前穂北尾根に登れなかったことは残念ですが、横尾本谷右俣の日が好天でしたので、気分よく歩けました。

同行のS﨑くんは横尾本谷右俣をいたく気に入ってくれたようです。

K野さんは北アルプス穂高周辺のバリエーションルートの魅力を知ってもらえたと思います。

僕自身にとっては、肉体的弱さをまたしても知らしめられる結果となりました。

このレベルの山行から遠ざかって来たことの結果ですから甘んじて受け入れなければなりません。

そして、このレベルの山行を時折り行なうことで、肉体を慣らす必要があると思いました。

同時に、常日頃の山行であと2、3kg重いザックを背負うことで、歩荷力も向上させなければならないと痛感しました。

今回の山行ではK野さんにたくさん背負ってもらって、過剰な負担を課してしまいましたから。

次回からはそんな甘えは許されないと思います。

 

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

お盆山行4日目 ――― のんびりと上高地へ

▲8:11。中央に前穂高岳、左に明神、右に前穂北尾根。この景色の中にはさっちゃんと歩いた思い出が幾筋も刻まれています。

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さっちゃんの体調は安定しているようですが、まだ課題は克服されていません

2022-09-14 22:51:57 | 介護老人保健施設(老健)

一昨日の9月12日にI老健で面談がありました。

ブログへの記録が何やかやあって、遅れてしまいました。

 

まず最初に相談員のS田さんは「体調は落ち着いていますよ」と言います。

それを聞いて、僕はひとまず安心。

ただ、最初の言葉に続いて「でも、栄養摂取は400kcalのままなんですよ」と。

一ヶ月以上経過しているのに、何故まだ400kcalのままなんだろう? と僕は疑問を抱きます。

S田さんがおっしゃるには、こうです。

「800kcalにして嘔吐した際に、それが肺に侵入している可能性があるんですよ」

その心配があるので、「再度嘔吐させるわけにはいかない」と言うのです。

まあ、それは当然でしょうね。

「ですから、2~4週間は様子を見る必要があるんです」

確かにそうかもしれません。

僕はその後のさっちゃんの様子を聞いてみました。

肺炎になったような兆候があるのかないのかを。

そんな兆候はまったく見られないそうです。

よかった、よかった。

 

でも、400kcalのままでは基礎代謝分にも足りないはずですから、それが長く続くと心配です。

その点を聞くと、「長く続くと問題が発生するかもしれませんが、今のところ大丈夫」なんだそうです。

僕は前回同様、「500kcalとか600kcalとか、徐々には増やせないのですか?」と聞きます。

S田さんも前回同様、「お医者さんに聞いてみますね」と答えます。

 

話のテーマは僕に対する介護トレーニングに移ります。

S田さんはいつも必ず自宅介護の大変さを強調します。

そして、様々な専門分野の方々の協力を求めながら実践しないと不可能だと言います。

もちろん、僕自身もその点は現時点でも頭の中では理解しています。

僕自身がトレーニングを行なう中で、次第に頭だけではなく体と心でもその大変さが分かって来るのだと思います。

でも、さっちゃんと共に過ごせる喜びもあるわけですから、辛いことばかりではありません。

 

どの段階であるのかは聞きそびれましたが、サービス担当者会議なるものが持たれるんだそうです。

介護、看護、リハビリ、それぞれの担当者が集まって、さっちゃんのことを具体的総合的に話し合う場のようです。

それと、僕にとっては初耳だったんですが、ケアマネージャーのT口さんに対しても僕と同じ内容のトレーニングを行なうんですね。

ケアプランを立てたりする際に、僕の自宅介護の内容が把握できていないと、必要十分なプランが設計できないからだそうです。

もちろん、だいたいの内容が把握できればいい訳ですから、それほど徹底的にトレーニングする必要はないでしょうけれどね。

 

栄養摂取が400kcalのままだと、僕のトレーニングには移行できないんじゃないかと思いました。

その点を質問してみたのですが、これまでも400kcalの段階でトレーニングした例があるそうです。

そればかりか、200kcalのレベルでもあったそうです。

僕に対するトレーニングが出来るか否かは、栄養摂取量よりも体調の安定が重要みたいですね。

 

これは前回も聞いたことですが、病院からI老健に戻った時はさっちゃんにも緊張感があったみたいです。

それも取れて、落ち着いて暮らせてるようですね。

笑顔も見せてくれるそうです。

 

そして今回、S田さんの口から初めて聞かされた文言がありました。

それはさっちゃんが自宅介護になって以降のショートステイの件です。

I老健退所後のショートステイについても考えてくださっているようですね。

ショートステイで看護師さんが常駐していたり、痰の吸引が出来たりする施設は少ないと思います。

I老健で引き続きショートステイでも世話していただければ、僕にとっても嬉しいことです。

さっちゃんのことをよく知っていてもらえていますからね。

 

夕方、面談の内容をケアマネのT口さんに報告しました。

S田さんからT口さんには時々連絡をしているようですから、T口さんのトレーニングの件にも驚く様子はありませんでした。

大変なことですのに、有難いと思うばかりです。

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回復した天候の中、横尾本谷右俣を登ることが出来ました

2022-09-09 21:37:51 | ザイルと焚火と焼酎と

横尾本谷右俣には1996年8月にさっちゃんと二人で行っています。

2008年7月にもさっちゃんとK嶋さんと3人で行きました。

僕に限れば、2007年8月には穂高お池巡りの途中で横尾本谷右俣の上部カールを通過しています。

2014年8月にはウェストンの槍ヶ岳登頂横尾本谷ルートの解明のため、4人で登っています。

 

横尾本谷右俣は北アルプスの中では僕にとって思い入れの濃い場所だと言えるでしょうね。

さっちゃんとの想い出も多くある場所でもありますしね。

そんな横尾本谷右俣を今年も訪れました。

 

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

お盆山行3日目 ――― 最初の予定通り横尾本谷右俣を登りました。でも、僕の脚の筋肉は大ダメージ!

2014年8月13日8時5分。6年前最上部カールを歩いた時の雪渓の様子です。雪渓があると、実に歩き易い! 今年はどうだったでしょう? さっちゃんと一緒の時も8月はこの写真と同じくらい雪がありました。7月の時は稜線近くまで雪がたくさん残っていました。

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北アルプス2日目は小雨模様のため前穂北尾根は断念し、北穂高岳を登りました

2022-09-06 22:15:16 | ザイルと焚火と焼酎と

僕とさっちゃんが初めてザイルを組んだのは北穂高岳の滝谷クラック尾根でした。

三ッ峠等で一緒に岩トレしたことはありましたが、ザイルを組んだことはありませんでした。

この時は僕が全ピッチをリードしたのですが、お師匠さんにこっぴどく叱られたのを覚えています。

 

さっちゃんは背が低く、150cmありません。

僕はリードしたといっても、まだまだ余裕はなく、必死でした。

目に入るハーケンやボルトで全てプロテクションを取るといってもいいくらいに、取りまくっていました。

その中には僕ですらギリギリに手を伸ばしてやっと取れるようなプロテクションもよくあったのです。

そうなると、背の低いさっちゃんにはそのプロテクションのカラビナとシュリンゲの回収が凄く困難になるんです。

お師匠さんたちパーティーは僕とさっちゃんパーティーの後ろから続いています。

さっちゃんがプロテクションの回収に苦労しているのを見て、僕にこんな風に注意してくれたんです。

「パートナーのこともよく考えて、プロテクションのセットをしないと駄目でしょ!」

僕のお師匠さんパーティーも男女パーティーでした。

その女性のお師匠さんからの強烈なお叱りを滝谷の岩壁の途中で浴びたのです。

僕はその女性から山へ行くといつも注意を受け、叱られまくっていました。

厳しく指導してくれていました。

同じ山岳会の仲間には「〇〇くんはあんなに言われてよく我慢して耐えられるね!」と感心されました。

でも、僕は平気。

何故って、その女性の厳しい言葉には愛情というか、期待が込められていましたからね。

 

僕はシュリンゲを締めずに二つ折りにして、カラビナを掛けることにしました。

そうすると、カラビナの場所でシュリンゲの片方を外せば、そこで引くことで回収できますから。

これでさっちゃんには苦労をかけずに済むようになりました。

全てのピッチでさっちゃんはよどむことなくフォロウしてくれました。

また思い出話をしてしまいましたね。

 

この日の様子は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

お盆山行2日目 ――― 天候悪く、涸沢で停滞。北穂高岳には登りました。夜は飲み過ぎて大丈夫かな?

▲17:03。午後には陽が射したり、青空が広がったりしました。夕食もテントの外でしたかったのですが、時々霧雨が降って来ました。回復傾向にはありましたが、一日中不安定な天候でしたね。

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8年ぶりに僕は北アルプスへ行きました。その1日目は涸沢まで。そして、遥か昔の想い出話を長々と

2022-09-01 23:52:23 | ザイルと焚火と焼酎と

北アルプスは僕にとって遥か遠くの異国の山のような存在でした。

テレビで上高地のニュースを見ても、自分で訪れるには遠すぎる憧れの地でした。

30歳を過ぎて、クライミング技術を教えてもらおうと入会した山岳会で、僕は初めて北アルプスへ行ったのです。

僕のお師匠さんはアルパインクライマーでしたから、入会翌年のGWに岳沢へ連れて行ってくれました。

そこをベースにして、奥穂南稜とコブ尾根を登攀したのです。

同じ年の8月には北鎌尾根、帰京してまたすぐにトンボ返りで北穂小屋で連泊し、滝谷を登攀しました。

北穂小屋へは北穂東稜をアプローチに使いました。

滝谷はクラック尾根、第4尾根、第3尾根を登攀しました。

お師匠さん達パーティーと、僕のパーティーの2パーティー4人で行きました。

そして、この滝谷で僕は初めてさっちゃんとザイルを組んだのです。

 

今となって振り返っても、怒涛の北アルプスデビューですね!

クライミング始めて間もない僕を連れて行ってくれたお師匠さんの勇気に感心します。

 

その翌年から僕とさっちゃんはザイルパートナーとなり、一緒に岩トレをするようになって、沢へも行きました。

でもその夏、さっちゃんは吐血して胃潰瘍で入院してしまいます。

さっちゃんにとっては勿論ですが、僕にとってもショッキングな出来事でした。

でも、このことを契機にふたりの心がより接近したのかもしれませんね。

当時のことに想いを馳せていると、その後のさっちゃんとの山行を思い出してしまいます。

しかも、当時の主要な山行のメモまでが見つかりました。

紙に書いてあるだけですから、このブログにも記録として書き留めておこうと思います。

 

以下はすべて、さっちゃんと一緒の山行です。

1987年8月 剱岳八ッ峰6峰フェース(CフェースとDフェース)、八ッ峰上部と源次郎尾根縦走

1988年8月 剱岳チンネ左稜線と中央チムニー。下山は小窓まで進み、小窓雪渓下降~欅平

1989年8月 6月に会で重大事故が発生したため、本番は自粛。小川山で飲んだくれながらクライミング

1990年8月 滝谷:第3尾根と第4尾根

1991年8月 剱岳八ッ峰6峰フェース

1992年8月 アメリカのヨセミテへ旅行:ハーフドームを登山道から登頂、小さな岩場をトップロープで遊んだり

1993年GW 越後三山。夏休み中の北アルプスは雨だったよう

1994年8月 北鎌尾根~槍ヶ岳~北穂~奥穂~西穂~焼岳(僕が四十肩で登攀はせず)

1995年5月 さっちゃんが帯状疱疹で入院。8月 前穂北尾根

1996年8月 奥又白池~前穂A沢~前穂北尾根下降、横尾本谷右俣

1997年8月 明神東稜(この当時、僕は原因不明の倦怠感があり不調)

1998年2月 愛鷹連峰でさっちゃんが脛骨骨折の怪我

 

僕は基本的に沢屋なので、沢登りをすることがほとんどです。

上記記録以外の春から秋は、ほとんど沢登りをしています。

でも、お師匠さんがアルパインクライマーだった影響で、岩登り本番の楽しさも知ってしまったのです。

さっちゃんは岩登りが僕よりも上手でしたから、上記のような山行も楽しむことが出来たのです。

 

さっちゃんは1998年2月に膝を骨折し、2回の手術と計9ヶ月の入院をしました。

膝が曲がらなくなり、正座が出来なくなりました。

膝に大きな負荷を掛けられなくなりましたから、ザックも10kg以上は背負えなくなりました。

だんだんと慣らせば、それ以上背負えるようになったのかもしれませんが、怖くて僕は背負わせられませんでした。

大怪我後、最初の登山は標高192mの近所の山でした。

両松葉杖で登りました。

その後、装具とストックで歩くようになり、下りでケーブルカーを使える高尾や御岳周辺コースをよく歩きました。

退院から10ヶ月後には岩トレを再開し、11ヶ月後には雪山を歩きました。

2年10ヶ月後には沢登りにも行くようになりました。

7年半後には剱岳源次郎尾根をさっちゃんは再び登るまでになりました。

さっちゃんはその時65歳です。

 

北アルプスということで、僕はどうしてもさっちゃんとの山行を思い出してしまいます。

今年の山行とは関係のない話題でしたが、長く書き過ぎました。

いつかこのブログでそれぞれの想い出を綴る機会もあるかと思います。

思い出話はここまでです。

 

今回の山行について、詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

お盆山行1日目 ――― 初日はのんびり涸沢まで。僕は夜のアルコールを控えました

▲16:18。前穂北尾根の全貌(登攀する上部だけですが)が見える場所まで来ました。右から1峰(前穂高岳)、2峰、3峰がまずは連続してあります。その左に4峰、写真の左の平らなピークが5峰です。

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