さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

枝垂桜で有名な梅岩寺から青梅丘陵へ登り、青梅の森を歩いて来ました

2020-11-30 23:55:24 | 山登り
本当は前の週に歩きたかったコースです。
1週間前なら黄葉、紅葉も綺麗だったかもしれません。
ただ、さっちゃんは便秘との戦いの真っ最中でしたから行けませんでした。
でも、今回は落葉が進んでいて、すでに初冬の雰囲気が漂っていましたね。

最近はいつもそうですが、さっちゃんに「今日は山を歩きに行くよ」と言っても、反応はありません。
デイサービスへ行く日の朝とほぼ同じように準備を進めて行きます。
とは言え、青梅駅までは電車の本数が多いので、急ぎもしませんし、焦りもしません。
準備が進むままに家を出て、いつもだいたい予定範囲内の電車に乗ることが出来ています。

ここのところ3回連続で森下町の霧久保橋から青梅丘陵に登っていました。
今回はその手前の梅岩寺からのハイキングコースを初体験するのも目的のひとつです。
さらに、「青梅の森」2度目ですから、少し違うコースも歩いてみようと考えています。
青梅市街地に隣接した丘陵地帯で、市民の憩いの場として整備されていますから、歩くコースも数多くあるんです。


▲10:13。青梅駅を出てすぐにあるベンチ。さっちゃんにここに座ってもらって、登山靴の紐をしっかりと締めました。さっちゃんは長く座っているとすぐにしびれを切らします。まだ紐を結んでいる最中なのに、「早く行こうよ」と立ち上がるんです。


▲10:24。梅岩寺には初めて訪れました。枝だけの枝垂桜がありましたが、この寺はこの枝垂桜で勇名なんだそうです。桜の花の時季にまたここへ来てみようと思います。


▲10:26。梅岩寺の境内を左に行くとハイキングコースの入り口がありました。写真右の広いスペースは駐車場、中央は鐘楼。すぐにそれと分かる山道が階段で山へ登っています。


▲10:30。最初はさっちゃんにとっては急な山道が所々出て来ます。そんな急な山道を写真に撮ろうと、さっちゃんに「そこで待っててね」と言って上から撮ろうとしたんですが、さっちゃんはひとりで登って来てしまいました。


▲10:36。山道は次第に緩やかな傾斜になって来ました。


▲10:41。小尾根に出ると、神社が建っていました。額には「秋葉山」とありましたから、秋葉神社なんでしょうか?


▲10:44。実に緩やかな小尾根を登って行きます。もうすぐ青梅丘陵の主稜線です。


▲10:48。主稜線のハイキングコースに出ました。正面の階段を登ると第2休憩所があります。梅岩寺から山道を22分間歩いて主稜線のハイキングコースに到着です。標高差は80mです。


▲10:51。ここが「青梅の森」へ入る分岐です。左の階段も第2休憩所への道。階段の向こう側に平らで広い道があるんです。青梅駅からここまで33分かかっています。霧久保橋経由だと43分でしたから、「青梅の森」へ行くには梅岩寺経由が近いんですね。


▲この日歩く予定のコースを矢印で示しました。前回は、最初の矢印が指しているマツボックリ山展望台から東へ東西幹線を歩きました。幹線と言うほどですからなだらかで広い山道でした。


▲10:52。葉は色づいていましたが、ほとんど落ちてしまっています。


▲10:59。東の方に黒い雲のようなものがあったので、よく見ると街から黒煙が立ち上っていました。おそらく火災なんでしょうね。


▲11:08。前回はここから右の東西幹線へ歩を進みました。正面の階段を登るとマツボックリ山展望台、僕とさっちゃんはその左の山道に入ります。


▲11:10。こんな広い山道でも、さっちゃんは僕の手を求めます。これくらい広いと僕も楽ではありますね。


▲11:28。「リスの展望広場」でこの日最初の休憩を取りました。温かいスティックコーヒーを作り、コロッケを食べようと思いました。さっちゃんは朝食をしっかりと食べて来ましたが、休憩のたびにちゃんと食べて飲んで欲しいと思っています。ところが、さっちゃんは食べることも飲むことも拒否。そればかりか、休憩の途中でザックも置いたままで、ひとり先に行ってしまいました。さっちゃんの背中が少し先に見えていますよね。残された僕は慌てて食べ物を片付けて、さっちゃんのザックも持ち、まだたっぷりと入っている温かなコーヒーのカップを右手に持って、さっちゃんを追いかけました。


▲11:38。これがおにぎり岩。このあたりの地質は大部分が砂岩で出来ているんだそうです。でも、このおにぎり岩は硬いチャートなので、これだけが風化せずに残ったんだそうです。この後、予定していた山道よりも少し北を東に向かっている山道に入りました。すぐに予定した山道に合流すると予想していたのですが、そうではなさそうでしたので、再びおにぎり岩に戻って来ました。10分ちょっとタイムロスしましたね。さっちゃんも不安感を抱いたせいなのか、何やら文句を言っている風でした。


▲11:56。正しい山道に出て来て、少しずつ下っていきます。


▲12:05。谷津(やつ)地形になり、湿地っぽい場所には木道が敷かれていました。尾瀬のような木道ならいいのでしょうが、この梯子を倒したような木道はさっちゃんは苦手のようでした。途中で下に落ちてしまって、そのまま泥の上を歩いていました。幸い、この季節は水気が少なくて硬い泥でしたから、靴も汚れずにすんだようですね。谷津とは谷戸(やと)、谷地(やち)、谷那(やな)とも呼ばれ丘陵地の谷に形成される地形です。水田になったり、湿地になったりすることが多いようです。


▲12:07。ここの谷津には耕作を放棄した水田の跡地があったそうですね。開放水面を保つためにヨシ刈りなど、人の手を加えているようです。


▲12:22。最近の山行では珍しくさっちゃんは笑顔を見せてくれました。他にも2回ほどあったと思いますが、カメラを向けるとすぐに消えてしまいます。この時は何度か笑顔を浮かべてくれました。このムササビ広場が2度目の休憩地です。ここでもさっちゃんはあまり食べたり飲んだりはしてくれませんでした。でも、少しは口に入れてくれましたね。


▲12:23。ここも昔は水田だったんですね。谷の最奥の田んぼだったんでしょう。


▲12:31。幾つもさっちゃんの嫌いなこのような木道が繰り返し出て来ました。僕はさっちゃんの両手を持ってあげて、一歩前を歩きました。


▲12:42。北谷津からこの東西幹線に合流しました。


▲12:51。こんな広い山道をただ進んで行けば前回同様四小口に出ると思ったんですが・・・・ 前回あったアカマツ広場や石灯籠が出て来ないので、不思議に思ってはいたんですが・・・・


▲12:56。前回には見たこともない里の風景が突然現われました。東西幹線よりも北を歩いていたようです。


▲12:59。里にはスムーズに下山できました。東に行けば大きな道路があるはずですから、適当に歩みを進めます。


▲13:09。大きな道路に出てから7分ほど南に進むと、前回渡った歩道橋がありました。

「青梅の森」を2回歩いて、分かってきたことがあります。
第2休憩所から北へ、マツボックリ山展望台、おにぎり岩へ続く山道、
そして、マツボックリ山展望台から東へ四小口まで続く東西幹線、
このT字を左に倒したような山道がこの「青梅の森」の骨組みの道なんですね。
その他の山道もたくさんありますが、普通の山道です。

さっちゃんは相変わらず淡々と歩いています。
ただひとつ、僕が閉口していることがあります。
それはさっちゃんがせっかちなのか、僕が写真を撮ろうとして立ち止まったりすると、僕の手を掴んで引っ張ろうとするんです。
それじゃあカメラが揺れて余計に時間がかかっちゃいますよね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さっちゃんは庭先の花を見て「綺麗ね」と言うことが時々あります

2020-11-28 23:55:51 | 些細なことだけど
さっちゃんは言葉が不自由で何を喋っているのか分かりません。
怒っている、喜んでいる、不機嫌、心が沈んでいる、、、とかの感情はだいたい分かります。
とはいえ、微妙な感情は分かりませんし、さっちゃんに繊細な感受性があるのかどうか、僕には理解不能です。

ただ、さっちゃんなりの美意識は残っているみたいです。
それは道を歩いていて、何かを指差しながら、時々「綺麗ね」と言うからです。
僕は「そうだね。綺麗だね。菊の花じゃないかな」とか応じます。

2年くらい前だったでしょうか?
さっちゃんはその頃も「綺麗ね」とよく言ってました。
でも、それは自動車や家の壁を指差してのことでした。
僕は返答に困りましたね。
一応「そうだね」と言ってはおくんですが、何故わざわざ「綺麗ね」と言うほどのことなのか分からなかったんです。
確かに、「綺麗ね」と言われた車に共通していることは、よく洗われていてピカピカだったこと。
壁も洗った直後のようにピカピカな雰囲気がありましたね。

さっちゃんの美意識が変わっちゃったんだろうか? と当時は不思議に感じていました。
さっちゃんは車とかには興味はなかったはずですから。
しかも、車には「綺麗ね」と言うことがあっても、お花とかには言うことはあまりなかったんです。
その後、車に対しては「綺麗ね」と言うことがなくなりました。

それが今年になると、変わって来ました。
お花に対して「綺麗ね」と言うことが増えたんです。
とりわけ、今年の初夏くらいからだったでしょうか。

駅やスーパーに行く時、家を出てすぐに通る細い路地があります。
その路地の舗装した路面とブロック塀の境目に、一見すると雑草のような紫色の花が咲いていました。
さっちゃんはそこを通るたびに、その花に目をやって「綺麗ね」って言うんです。
ほぼ毎回、その紫色の小さな花に気付いて「綺麗ね」と言うんです。
認知症ですから、そこにその花が咲いていることを記憶できているはずがありません。
毎回毎回、新鮮な気分でその花にハッと気付いて、綺麗だなぁと感じているんでしょうね。

人の家の庭先に咲いている花で、同じように毎度毎度「綺麗ね」と言うお花が他にも3、4ヶ所ありました。
黄色いキク科の花だったり、少しだけ変わっている青いアジサイの花だったり、薄紫色の唇形の花だったりしました。
そこを通るたびに必ず「綺麗ね」と発するのは不思議でもありました。

もちろん、違う所を通った時に、別の花に「綺麗ね」と言うことだってあります。
僕が先に「綺麗だね」と言って、それに同意してくれる時もあります。

さっちゃんが「綺麗ね」と言う花に共通していることがありました。
こんもりとたくさんのお花が咲いていることです。
ただ、最初に例に上げた道端の紫色の花は例外でしたね。
さっちゃんは昔は小さくて可憐な花が好みでした。
そういうお花を美しいと感じる精神性は、ちょっと複雑な美意識が作用しているのでしょうね。
今は、そんなタイプの花が咲いていても、あまり注目することは少ないようです。

お花に対して「綺麗ね」と言ったりする心を僕はとっても愛おしく感じます。
いつまでもそんなことがあって欲しいと思っています。
散歩などで歩きながら、綺麗な花、可愛いい猫、元気な子犬、美しい夕焼け空や夕焼け雲、塒へ急ぐカラスの群れ、
飛んでいくアオサギやシラサギ、水路の鯉、水路の鴨、空に浮かぶ三日月や上弦の月や満月、宵の明星、・・・・
その瞬間に僕自身が美しいな可愛いな珍しいな、などと感じたものをさっちゃんにも指差して語りかけるんです。
さっちゃんはいい反応をすることもあれば、まったく無視することも、僕を急かして、そんなことを言う僕を怒ったりもします。

言葉での意思疎通が困難なさっちゃんですが、身の回りの世界の姿に心動かされる感受性が少しはあることが僕にとっては本当に救いです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

買い物であちこちへ自転車を走らせ、トイレ詰まりの後片付けをし、1ヶ月ぶりにゆったりと湯船に浸かりました

2020-11-27 23:42:44 | 今日一日の暮らしぶり
さっちゃんがデイサービスに出かける日の朝はいつもバタバタしています。
今朝はとりわけバタバタしていましたが、さっちゃんがしっかりと行動してくれたので、慌てずに済みました。
おしっこも出ましたし、朝食のオートミールも完食。
ですから、薬も全部飲めました。
おまけのヨーグルトも食べてくれました。
全てが終わって、ちょうどデイサービスからのお迎えの車が来ました。

僕は出来れば本当は天覧山に行きたかったんです。
今週はトイレ騒動で天覧山は行けなくなってしまいましたから。
さっちゃんがデイサービスに出かける日は僕が自由に動ける日です。
週2日のうち、火曜日天覧山に行ってしまいますから、金曜日はどうしても溜まっている野暮用をこなさなくてはなりません。
今日もやっぱりしておかなければならない用事があったという訳です。

まずは買い物に出かけました。
焼酎『三岳』を買いに行ったのです。
以前はここまで片道徒歩1時間ほどかけてさっちゃんと歩いて来ていました。
でも、途中で不穏になることが続いて、さっちゃんとは来なくなったんです。
ついでに安価なスペインの赤ワインも2本購入。

次にこの酒屋さんの近くのスーパーで肉類を買いました。
いつも行く近所のスーパーよりも肉類が安いんです。
さらにこのスーパーの隣りのドラッグストアでトイレットペーパーを購入。
僕はここで売っているトレペをよく買います。
質の割には安価だと感じています。
そのトレペですが、いつも購入する18ロールがありませんでした。
その代わりに12ロールですが、「2倍巻」となっています。
これまでのは30mだったのが、60mの長さになっています。
それなのに、ロールの直径はほんの少し大きくなっただけ。
レジの人に聞いてみると、今後はこの2倍巻が主流になるそうですね。

いったん家に戻り、今度はいつものスーパーへ。
お米が切れてたんです。
他にもいろいろと購入して、帰宅。
買ってきたお弁当を食べました。

昼食後は火曜日のトイレ作業で使ったバケツ等を階下の水道で洗いました。
バケツに水を入れて玄関の外に置いておいたんです。
何故だか、両方のバケツ合わせて10匹ほどのテントウ虫が水に浮かんで死んでいました。
ウンチの臭いに誘われて、水に溺れてしまったのでしょうか?
ゴム手袋をはめて、洗面所にあったマイペットでしっかりと洗いました。
スポイドは中まで綺麗になったとは信じがたいですから、玄関の外に置くことにしました。

バケツを洗った後は、お風呂です。
昼食後、湯船を洗ってお湯を溜めておきましたから、すぐに入れます。
着ていた服は全部洗濯。

ちょうど1ヶ月ぶりの、湯船にゆったりと浸かる入浴です。
1時間、お風呂に入っていました。
ここのところ、ゆっくりと入浴する時間がなくて、いつもシャワーだけでした。
以前はほぼ毎日小1時間お風呂に入ってる人だったんですよ。
それが1ヶ月ぶりとは!

お風呂から上がって20分後、さっちゃんが帰って来ました。
今日はあまり調子が良くなかったようですね。
お昼ご飯もあまり食べず、おしっこも出なかったようです。
暗い中、さっちゃんと僕は散歩に出かけました。
夕食後にはおしっこが出ました。
さっちゃんに関しては思い通りにいかないことばかりですね。
思い通りにいかなくてイライラするんではなく、思い通りにいかないことも想定内だとゆったりと構えることが大切ですね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今回の便秘との戦いは終わっていなかったようです

2020-11-26 23:06:41 | トイレ・排泄
11月23日のブログでは、その前日の日曜日で今回の便秘は解消したようだ、と書きました。
日曜日の丑三つ時にたくさん出ましたし、その後の日曜日の夕方から月曜日にかけてリハパンも少しも汚れませんでした。
ブログを書いた月曜日の夜の段階で、今回の便秘は終了だ! と思うのは当然だと思います。

ところが、ブログを書いた翌朝、火曜日の朝にリハパンが汚れていたのです。
その日のデイサービスでは3時前に少量の排便もあったそうです。
これで今回の便秘はまだ終了していなかったことが確認されたことになります。
帰宅後は目立ったことはありませんでしたが、リハパンも時々少し汚れていました。

水曜日の早朝、さっちゃんが起き出して来ました。
この日の言語リハビリは午後1時からでしたから、こんなに早く起きる必要はありません。
僕も一緒に起きて、さっちゃんがどうして起き出したのかは不明ですが、とりあえずトイレに連れて行ったのです。

6時半~6時40分。
最初はおしっこなのかなぁ、と思ってトイレに入りましたけれど、途中からひょっとしたらウンチかも、と感じ始めました。
でも、土曜日、日曜日みたいに苦しい感じはありません。
何かしらがするっと出て落ちたような感じがしました。
トレペで拭いてみると、排便があったことが分かりました。
使用済みのトレペを便器の手前の左右に置いて、水中の便を確認しました。
硬くもなく、柔らかすぎもせず、健康的な便がそれなりの量ありました。
前日のデイサービスで穿き替えたリハパンもまったく汚れていませんでしたから、そのまま穿き続けることにしました。

8時10分~8時15分。
また少し排便があるかな、と感じてトイレに入りましたが空振りでした。

その後は何事も起きませんでした。
リハパンも汚れることなく、今日木曜日にまだ綺麗なままのリハパンを脱ぐことにしました。
先週の金曜日から木曜日まで1週間にわたってリハパンを穿き続けて来ました。
まだちょっと不安も感じますが、今日の昼過ぎから普通のパンツに戻りました。

今度こそ便秘終了だと思います。
昨日の水曜日で終了です。
前の週の火曜日から始まって翌週の水曜日まで、足かけ9日間続いた変則的な便秘との戦いでした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天覧山は中止にして、トイレ詰まりを解決しました

2020-11-25 23:55:38 | トイレ・排泄
昨日の朝、僕は6時半に起きて、トイレに入りました。
水を流すと、一昨日と同じでほとんど流れません。
原因となっていると思われるウェットティッシュが時間の経過で徐々に細かくなって来て、水が前日よりも流れるようになるのではと期待していたのですが。
さっちゃんは朝のおしっこが出ませんでしたから、トイレの詰まり問題は顕在化せず、さっちゃんは無事デイサービスに出かけました。

本来なら昨日は天覧山へ出かけるはずでしたが、トイレがこんな状況でほったらかしには出来るはずもありません。
9時になり、団地の相談センターのようなところへ電話しました。
契約している水道工事の会社を2ヶ所教えてもらいました。
さっそく電話をしてみますが、両社ともすぐには来てもらえそうにありません。
1社などは予約が詰まっているので、1週間先になります、ですって!
こんな時にすぐに来てくれないなんて、本当に役立たずだ!

もう1社の人からは、自分でやってみても案外うまく解決できますよ、と言われました。
スポイドという道具があるらしい。
学校の理科の実験で使うスポイドしか思い浮かびませんが・・・・
さっそく、ホームセンターまで自転車を飛ばし、ついでに近くのスーパーで買い物もして来ました。
買ってきたお弁当を食べて、いざ! トイレの詰まり解消へ!

スポイドというのは、小学生のころ竹で作った水鉄砲みたいなものでした。
ピストンを押したり引いたりして、先から水を吸い込んで、同じ穴から水を飛ばす。
それをトイレの水溜りの中で行なう訳です。
水溜りの穴に密着するようにゴムの半球状のものも先っちょには付いています。
商品名は『ラバーカップ 真空式』、謳い文句は「強力な押し上げ圧力で、配水管のつまりを一気に解消」とあります。
便器の水溜りの中で水鉄砲を発射するという訳ですね。

その結果はと言うと、惨憺たるものでした。
スポイドの圧力で、ますます押し固めてしまったみたいで、トイレの水がまったく流れなくなってしまいました。
さらに、吸い込むときに水が逆流しますから、その勢いで奥の方で行き場を失っていた便が戻って来てしまったんです。
便器の水が便の色に染まってしまいました。

バケツにその便色の水を汲み溜めて、再び水位を下げてやってみましたが、何の変化もありません。
再度水を流してみても、ただ溜まるだけで、流れる様子はありませんでした。
そればかりか、水鉄砲のようにピストンを上下させるわけですが、その隙間から便色の水が溢れ出て来て、自分の手に何度もかかってしまいました。

どれくらいの時間、悪戦苦闘していたのでしょうか?
僕はやっと悟りました。
これはプロに任せようと。
契約業者はすぐには来てくれませんから、ここは「水の救急隊」みたいなとこに頼むしかありません。
我が家の玄関の鉄扉には何十枚ものそんな会社の宣伝マグネットが貼ってあります。
その中から適当なところを選んで、電話してみました。
みんなこういった緊急事態で頼むんだろうから費用は相当かかるだろうな、2、3万は覚悟しておかなくちゃ、と思いました。

電話すると、感じのいい女性の方が受け付けてくださいました。
こちらの状況を告げ、「それでは2時半から3時半の間にはそちらにお伺いします」との返事をいただきました。
こんな時って、本当にほっとして、安心しますね。
3時15分に、2m近くありそうな大きな男の方が来られました。

状況を説明し、原因と思われるウェットティッシュを見せ、スポイドでの苦労を話しました。
すると、その大男さんは「ウェットティッシュが詰まっているとすると、相当の塊りになっていて、水流の圧力だけでは無理でしょう。
強力な薬剤を使って、時間をかけて融かす必要がありますね」
と言うんです。
「薬剤が高価なので、4万円ほどになりますが」
4万円はちょっと高いなぁ、と思いましたが、この際しかたありません。
でも、念のために「メインの大きなパイプまでの距離は短いと聞きましたが、そこへ向かって何かで押すことは出来ないんですか?」と聞くと、
「出来ないことはないんですが、それをするとパイプに傷を付けてしまい、結局は便器ごと替えた方がよくなってしまいます」ですって。

我が家のトイレには換気扇が付いていませんから、「薬剤を使いますから、トイレのドアは閉めさせてもらいますね」と。
3時27分から、戸を閉めて作業を始めたんです。
何となく、このような業界に疑いの目を向けている僕には、そんなこともちょっと奇妙に感じてしまいましたね。
そんな僕の気持ちとは逆に、仕事は丁寧で迅速でした。
(直接見たわけではありませんが・・・・)
しばらくすると、水が流れる音が何度か聞こえてきました。

3時50分、作業が終了し、トイレは以前の状態に戻っていました。
大男さんが言うには、ウェットティッシュの詰まり以上に、パイプ自体が狭くなっているのが原因のようです。
尿石と言うのだか、石化したものが付着してパイプを狭くしているんだそうです。
ですから、これからも気を付けなければならないようですね。
市販の薬剤も無くはないようなので、ちょっと探してみようと思います。

その後、領収書、見積書兼請求書を受け取り、大男さんがセンターに工事終了の電話報告しました。
その電話に僕も出ることになって、最初に名刺を受け取ったかとか、価格は提示されたかとか、いろいろ聞かれました。
消費税込みで4万4000円でしたけれど、この価格が適正なのか否かは僕には判断できません。
工事内容とだけ比べると当然高く思いますけれど、電話をして1時間で来てくれて直してくれたことの価値はこの価格でも納得できなくはないですよね。
大男さんが帰ったのは4時でした。

さっちゃんが帰宅したのは4時20分。
ギリギリでしたが、さっちゃんが帰る前にトイレ問題は解決!!!

あ~~あ、良かった!
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今回の便秘との戦いは昨日・11日目で終了したようですね。幾つか新しい知見がありました

2020-11-23 23:55:37 | トイレ・排泄
昨日、夕食前に穿き替えたリハパン。
さっちゃんは夕食後そのまま寝てしまい、起きて来ませんでしたから、そのまま今日も穿いています。
朝、起きて来たさっちゃんをトイレに連れて行きました。
おしっこも便も出ませんでしたが、リハパンが綺麗なままであることが確認できました。
まだ何があるか分かりませんから、そのまま穿き続けてもらいます。
午後にも2度ほどトイレに入りましたが、リハパンはやっぱり汚れていません。
おしっこは1回出ました。
しみ出して来るような軟便も終了したようです。
便秘は昨日で終了したとみて間違いないでしょう。

今回の便秘との戦いは金曜日のデイサービスで過ごしていた時間から、土曜日、日曜日と続きました。
先週の火曜日は戦いと言うよりは前触れみたいなものですね。
以前も今回よりももっと液状の便だったことがありますが、やはり大変でした。
液状便や軟便だと対処が大変になります。


そんな大変さの中で、幾つか分かってきたことがありました。

まずそのひとつですが、リハパンと尿漏れパッドの併用についてです。
金曜日、デイサービスから帰って来たさっちゃんはリハパンと尿漏れパッドを併用していました。
どちらも数回分のおしっこを吸収できそうな大きなのでしたから、どうして同じ役割なのにふたつも使うんだろうと疑問に感じました。
でもその後、土曜日、日曜日とリハパンを何度も穿き替えるはめになると、その理由が分かって来ました。

理由のひとつは、いちいち脱がなくても済むこと。
リハパンの穿き替えにはズボンもズボン下もリハパンも、一度全部脱いで穿き替えなければならないのです。
でも、尿漏れパッドなら、リハパンを脱がずとも、尿漏れパッドだけを交換すれば済みます。

もうひとつの理由はその経済性です。
リハパンよりも尿漏れパッドの方が安価ですから、今回のように1日で数回も交換する必要がある場合は影響して来ます。

実は1回だけ尿漏れパッドを使ってみたのですが、家にあるのは120ccと80cc用なので、ちょっと小さすぎました。
今回のような用途に使えるサイズの尿漏れパッドもあった方がいいと思いました。


今回の事態の中で、失敗したことがあります。
それは排便の際などによく使っていたお尻用のウェットティッシュです。
これまではトレペで拭いて綺麗にした後で、最後にお尻をそのウェットティッシュで拭いてあげていました。
1枚だけを使うことがほとんどでした。
ところが今回は、軟便が普段よりは少し広い範囲のお尻に付きますから、何枚も使って拭いてあげていたんです。
そんなことを何回か繰り返していると、トイレの水が流れなくなってしまったんです。
流れることは流れるんですが、時間がかかるんです。

そうなって初めて、そのウェットティッシュの説明書きを読んでみました。
『使用上の注意』には他の文字よりは少し大きい文字で、しかもそこだけ赤い文字ではっきりと書かれていました。
「※トイレに流す場合は、1~2枚ずつ大量の水で流してください。
このティッシュは水流の力でほぐれるので、水流が弱いとトイレに詰まる可能性があります。」

おそらく、パイプの奥の方で何枚ものティッシュが固まった状態で詰まっているんだと思います。
そこまでは水流の力は及びそうもないので、なかなかほぐれないでしょうね。
いつになったらほぐれて、水がスムーズに流れるようになるんでしょう?


新しい知見とかそんなものではありませんが、今回の事態の中であった事柄も書いておきます。

便座カバーが汚れたこと。
軟便が出た状態で寝ていることがあるからでしょうね。
お尻の少し後ろの方も汚れることがありました。
さっちゃんが少し後ろ気味に便座に座ることがあるのですが、そんな時に便座カバーに汚れが付くんです。
また、便座に座る際にリハパンを下ろしますが、どういう風に触れてしまったのか、便座カバーの最前部も汚れることがありました。
家に3枚ある便座カバーの3枚とも汚れが付いてしまいました。

便秘との戦いがあったので、日曜日には山へ行けませんでした。
今日もまだ終了したかどうか分かりませんでしたから、行きませんでした。
これまでも排便があるかもしれない時には山へ行かないようにしていました。
青梅丘陵の紅葉が美しいだろうなと予想していましたから、ちょっと残念ですね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今回のさっちゃんの便秘との戦いは変則的な長期戦になっています

2020-11-22 23:56:24 | トイレ・排泄
生まれてこの方、快便続きの僕には想像すらできない便秘というもの。
さっちゃんのトイレ介助をするようになって、その大変さを実感するようになりました。

今回の発端は11月17日火曜日のこと。
デイサービスからさっちゃんが帰って来た時に、スタッフさんから「今日、ちょっとだけ出ましたよ」と聞いたことから始まりました。
それ以前まったく予兆はありませんでしたから、ちょっと驚きましたけど、今回こそは快調に終了するんではと期待感を持ちました。

ところが、その日の夜も翌日からの水曜日、木曜日もまったく排便の雰囲気すらありませんでした。
そして、金曜日。
デイサービスに出かける際、スタッフさんにもそのことを伝えておきました。
夕方になって、さっちゃんが帰って来ると、「おしっこは帰る直前にしました」と報告を受け、
排便に関してははっきりとは聞き取れなかったのですが、「便が漏れ出てます」的な内容だったように思いました。

トイレには入らずに、そのままさっちゃんと散歩に出かけると、中間部でさっちゃんが尿意を訴えます。
デイサービスからリハパンを穿いていることは知っていたので、そのまま出してもらうしかありません。
立ち止まって、腰を下ろそうとするさっちゃんの両手を掴んで、僕はそのまま歩かせました。
(右膝が曲がらないさっちゃんは、最近は腰を上手に落とせなくなって、服や靴を濡らしてしまうことが多くなったんです)

帰宅して、トイレで見ると、リハパンとは別に大きな尿漏れパッドもセットされていました。
尿漏れパッドだけ取り外して、リハパン自体はまだ綺麗なので、そのまま穿いてもらうことに。
さっちゃんがリハパンや尿漏れパッドに排尿したのは初めての経験です。
ずっしり重くなっていました。
金曜日の夜は何事もなく過ぎていきました。

土曜日は一日中、便秘との戦争のような状況でした。

8時42分~8時51分。
便は出ませんでしたが、リハパンがずっしり重くなっていました。
リハパンを穿いてなかったら、布団の上でのお漏らしになってしまうところでした。
(防水シーツの効果のほどを知ることが出来るチャンスではありましたが)
家に置いてある新しいリハパンを穿きました。

9時17分~9時25分。
便は出ません。
リハパンは便でほんの少し汚れていました。
普通のパンツにしようかとも考えましたが、やっぱりリハパンを穿くことにしました。

11時35分~11時50分。
便は出ませんでしたが、リハパンが軟便でべっとりと汚れていました。
リハパンを新しくします。

この頃もそうですし、この後でもそうなんですが、トイレの中で僕とさっちゃんが激しく争っています。
さっちゃんのお尻をトレペで綺麗に拭かなければなりません。
何度も何度も拭かなければなりません。
おそらくは拭いて綺麗になって来ていても、また再び軟便がしみ出ているんではと思います。
ですから、きりがないと思えるほどなんです。
さっちゃんは座り続けていることが辛くて嫌になって来るんでしょう、立ち上がろうとします。
それを阻む僕。
それが10回、20回、30回と繰り返されます。
だんだんエスカレートしてきて、さっちゃんの言葉には憎しみがこもって来ますし、僕はだんだん力づくになっていきます。

14時20分ころにケアマネさんが来られました。
さっちゃんはその時は気分は良かったようです。
笑顔を浮かべて、ケアマネさんとも喋っていました。

15時12分~15時35分。
リハパンを下ろすと、べっとり付いた軟便がこれまでよりも分厚いようです。
よく見ると、全部が軟便ではなく、同じ色の便が1本軟便の上に乗っていました。
その1本はトイレに流して、新しいリハパンに穿き替えました。

夕食前にも2回、トイレに入りました。
軟便が付着しているので、リハパンを替える、これを繰り返しました。
さっちゃんも疲れたんでしょう。
夕食後はすぐに寝てくれたのですが、21時ころに起き出して来てからのことは昨日のブログに書きました。
さっちゃんが23時前ころに寝て、僕が23時半頃に目が覚めたんです。
僕はそれからブログやら山仲間へのメールを書き始めました。

思いのほか時間が経過して、2時になった時、珍しくさっちゃんが起き出して来ました。
こんな時間にさっちゃんが目覚めるのは珍しいことです。
何となく、トイレだなとは分かったので、さっちゃんに上着を着せてからトイレへ連れて行きました。

2時2分~2時20分。
この時のさっちゃんは本当に苦しそうでした。何度も前屈みになったり、僕の額にさっちゃんの額をこすり付けて来たりしました。
喋る言葉も辛そうなものでした。
ブホッ、というような弱くて鈍い破裂音がしました。
出たなっ、とすぐに分かりました。
でも、水の音が全然しなかったので、確信は持てません。
ただ、さっちゃんの表情が一気に穏やかになったのです。
喋る雰囲気も優しいものに変わりました。
トレペでお尻を拭いて、そのトレペを便器の端の方に置いて、まだ拭いている途中で、さっちゃんに一旦立ってもらいました。
便器の中を覗くと、それなりの量の便があります。

ああ! これで終わりだ!

誰しもがそう思って当然だと思います。
ところが朝が明けてからの日曜日も、前日同様のことが繰り返されたんです。
リハパンには軟便がべっとりではありませんが、付くんです。
そのたびにリハパンも穿き替えました。
排尿2回分を吸収してくれるSサイズのリハパン24枚入りを購入していました。
今回、10枚ほどのリハパンを使ったことになります。

お尻を拭き終わって、さっちゃんが立ち上がってすぐに、トイレの床にポトンと軟便が落ちたこともありました。
別の時には、やっぱり拭き終わってから、さっちゃんに「ここで待っててね」と僕はリハパンを取りに行ったんです。
じっと待てるようなさっちゃんじゃあありませんから、さっちゃんはダイニングまで来てしまっています。
僕もダイニングに来て、リハパンを穿かせようとすると、ポトン。
この軟便はいつまで続くんでしょうね?

今回の便秘との戦いが終了したら、改めてご報告させていただきます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログを書けない日があります

2020-11-21 23:52:28 | 生活の一場面
今週は珍しく、水曜日、木曜日、金曜日と3日連続でブログを書きませんでした。
今日、土曜日も危うく書かなくなるところでしたが、ギリギリの時間で短いブログを書くことにします。

ブログとは日記のようなものですから、その日記の書き方には各自さまざまな形式があるでしょう。
僕のブログも、書き始めたころはその日のさっちゃんの言動のメモみたいな記録でした。
でも、それがだんだん、さっちゃんの様子言動を反映した僕自身の内面記録の様相が濃くなって来たのです。
僕も子供の頃や青春期に日記を書いていたことがありますが、そのほとんどは行動や出来事の記録ではありませんでした。
内面描写だったり、自身の様々な思索だったりしたものです。
友人や恋人への長文の手紙も同様でした。
今になって読み直してみると、赤面ものの文章ばかりだと思います。

でも、それらの実に面倒くさく長々しい文章こそが、自己反省であったり、自己分析であったりする、貴重な行為でもありました。
それは今のこのブログも同様です。
子供時代、青春時代からほとんど成長していない、青臭い自分の内面を探るためのブログなんだと思います。

ですから、このブログを一日の終わりごろに書く労力は肉体的にも精神的にもかなりの重労働。
ちょっとしたことで、書くことを諦めたり、さぼったり、忌避したりしてしまいます。
ブログを書くことのできた日は、いろんな意味で僕にとっては良い日だったと言えると思います。
とはいえ、ブログを書かなかった日が良い日ではなかったとは言えません。
いろんな理由で書けないこともあるからです。

書けない理由は幾つもあると思いますが、思い浮かぶ理由を上げると、
1.平凡な日で、書いておこうと思うような事柄がなかった。
2.疲れてしまって、ブログを書く気力が起こらなかった。
3.書こうとしたんだけれど、さっちゃんに邪魔されて書けなかった。

今週の水曜日と木曜日は〈1.〉でしょうか。
でも、平凡な日なんて実際にはありませんよね。
やっぱり疲れていて、この程度のことなんか書いても仕様がない、と思ってしまう自分が居たんでしょうね。

金曜日は〈2.〉でした。
夜、横になると、そのまま寝てしまって、目覚めると夜中でした。

土曜日は、こうやっていま書いていますけれど、あやうく〈3.〉の理由で書けなくなりそうでした。
さっちゃんは夜の9時ころから1時間以上僕に纏わり付いて、喋りかけ続けて僕に何も出来なくさせてしまいました。
僕は布団に逃げ、横になっていましたが、不思議なことにさっちゃんは布団には来ませんでした。
途中一度、さっちゃんの歩く音が大きな硬質な音に変わったので、その時はさすがの僕も起きてさっちゃんの元へ行きました。
さっちゃんがサンダルを履いて部屋を歩き回っていたからです。
さっちゃんはなかなか布団には来てくれずに、やっと来た時には僕は本当に眠たくなってしまっていました。

11時50分ころからこのブログを書き始めています。
投稿日時はブログの作成開始から作成完了までの間であれば、自分で決めることが出来ます。
ちなみに今は0時34分、1時ころまでにはこのブログの作成は完了するでしょう。
でも、ブログ作成日時は21日の23:52:28と記録されます。

〈3.〉が理由だと言っても、さっちゃんが悪いわけではありません。
僕が何も出来ないほどに纏わり付いたり、喋りかけ続けたりするのも、さっちゃんの僕に対する愛情表現なのかもしれません。
僕への文句の言葉をずう~っと喋り続けることもありますが、それだって文句を面と向かって言えるんですから、いいことです。
僕が勝手にイライラしたり、一方的に対抗措置を取ったりするだけです。
さっちゃんには申し訳ないと、いつも反省に追い込まれてしまいます。

今日は短い文章にするつもりで書き始めたのに、ついつい長くなってしまいました。
何の結論も落ちもありませんが、ここらで終了とします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝は僕のチョンボで天覧山到着が30分遅れてしまいました。でも、クライミングの練習は目標通り出来ました

2020-11-17 23:51:05 | 僕の自由時間
火曜日のデイサービスの日。
それは僕の自由時間、天覧山でのクライミングトレーニングの日です。

朝のルーティーンを予定通りこなし、さっちゃんを無事に送り出すことが出来ました。
時間的にも余裕を持って、僕も家を出て駅へ向かいました。

ところが、家と駅との中間点あたりで僕はハタと気付いてしまったのです。
マスクを持って来なかった!
僕は人の姿がまばらな普通の道路ではマスクをしない人。
息苦しくて、マスクは嫌いなんです。
だから、マスクを持っていないことにすぐには気付きませんでした。

駅の改札口の中にドラッグストアがありますから、そこで買うことにしました。
安価なのは枚数がたくさん入っていますから、この際、枚数が2枚入りのちょっと高価なマスクを買うことにしました。
エアフィールタッチマスクです。
なかなかいいマスクですね。
さっちゃんにも使ってもらうことにします。

まあ、そこまでは冷静だった僕でした。
でも、注意力散漫になっていたんでしょうね。
なんと! なんと! 下り電車に乗らなければならなかったのに、上り電車に乗ってしまったんです。
ホームの両側に同じ時刻発車の上りと下り両方の電車が入線していたんですね。
言語リハビリの時と同じ電車に乗ってしまったんです。

2つ目の駅で乗り換えて、東飯能駅にはいつもより30分遅れで到着。
本当に馬鹿ですね、抜けてますね。

飯能の街中を歩いて、天覧山麓の能仁寺あたりからが美しく赤く色づいていました。
観光客やハイカーや地元の散歩に来られた方々などがカメラをしきりに向けています。
僕は天覧山の最下部岩場に急ぎました。


▲この写真は帰る際に撮ったものです。往きの午前の斜光に照らされた葉の方が鮮やかだったように感じます。

最下部岩場に到着してからは、まず一人分のドリップコーヒーを淹れて飲みます。
そして、コロッケ1個を食べます。

今日はいつもとちょっと違うメニュー。
・1往復のトラバース
・10往復のトラバース

最初と最後、そして間では柔軟体操やストレッチも行ないます。
何が違うかというと、今日の10往復は目標ではないんです。
今日からは10往復はウォーミングアップの一環。
今日の目標は最下部岩場での上記のメニュー終了後にあるんです。

10往復は問題なく終了しました。
途中で一度も休まず連続で行ないました。
息がゼーゼーハーハー、けっこう弾みます。


▲最下部岩場の中央部と右側部。右端の根元付近が曲がった木がこのトラバースのスタート&ゴールです。岩場の傾斜が緩いので所々で手を離して立つことも出来ます。


▲最下部岩場の左側部。このトラバースの最難部があります。

10往復達成後、スティックコーヒーと塩くるみパンを食べます。
食事も毎回同じなんです。
そして、上へ移動。


▲通称トラバース岩の左側部の写真です。このトラバース岩は左からスタートするのが一般的。写真を見て分かるように傾斜はほぼ垂直。ホールドは指の第一関節がかかるカチがほとんどです。


▲トラバース岩の右側部。木の影の部分やその右側は嫌らしい体勢が要求されます。

今日の目標はトラバース岩の左から右への片道、そのムーブを思い出すことです。
岩の弱点をつきながら、縫うようにトラバースするムーブがあるんです。
30年以上昔、僕はよくこのトラバースをしていました。
その後も時々、この2、3年の間にもほんのたまに触ったりしていました。
ですから、何となくムーブは覚えてはいるのですが、あやふやな記憶でもあるんです。
そこを確かな記憶として蘇らせるのが今日の目標。
片道が出来なくても構いません。

その目標は達成できました。
何度も何度もああではなかった、こうでもなかったと試してみて、だんだんと分かって来ました。
まだ途中で2ヶ所ほど繋がらなかったのですが、ムーブはすべて理解できました。

今日は火曜日で平日なのにもかかわらず、ハイカーがひっきりなしに通るんです。
そのたびに岩からは降りて、ハイカーが通り過ぎるのを待つんです。
今週が紅葉のピークでしょうから、だんだんとハイカーも減って来ることでしょう。

結局、いつもより1時間遅い電車で帰路につきました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めて青梅丘陵主稜の北側を歩いて来ました

2020-11-15 18:27:33 | 山登り
先週の土曜日はさっちゃんの妹弟さん達が傘寿のお祝いをしてくれましたから、さすがに翌日の日曜日はのんびりと過ごしました。
この時季はハイキングには最高ですから、今日は行かないという選択肢はありませんでした。
運動主体の半日のデイサービスも止めましたし、さっちゃんの運動のためにも山へ行くことに。

青梅丘陵のメインのハイキングルートである主稜線はJR青梅線と並行してあるんです。
その青梅線の各駅から主稜線に登るので、主稜線と青梅線の間を歩くことが多かったんです。
主稜線も青梅線もほぼ東西に走っていますから、これまでは主稜線の南側を歩いていたのです。

前々回のこと、第2休憩所のそばで「青梅の森 案内図」に気付きました。
そのMAPを見て知ったのですが、青梅丘陵東部の山域には主稜線の北側に「青梅の森」が広がっているんですね。
そこは登山道が整備されているようなんです。
しかも、MAPをよく見ると、歩いて東青梅駅へ楽に出られるようなんです。
という訳で、この「青梅の森」エリアを歩いてみることにしました。


今朝、僕は6時半に起き、いろいろな用事を済ませて、自分の朝食を作り、先に食べました。
さっちゃんの朝食もすぐに作って、さっちゃんを起こします。
山用のアンダーウェアシャツを着てもらって、まずはトイレです。
嬉しいことに、おしっこが出ました。
続いて、いつも山で身に付けている尿漏れパッドと併用する防水のパンツを穿いてもらいます。
次には山用のズボン下、ウールのソックス、上着もズボンも山用ウェアで身を固めました。

さっちゃんは朝食もしっかりと完食してくれました。
と言うことは、薬もすべて飲んでくれたということでもありますね。
そして、2.5kgほどのさっちゃんのザックを背負って出発です。

だいぶん前からそうなんですが、さっちゃんはどの山を歩きに行くかとかは関心がないみたいです。
聞くこともなくなりましたし、僕も言わなくなりました。
何となくは「山に行くんだ」とは分かっているんだと思います。
とにかく、さっちゃんは出かけること、山を歩くことは今のところ嫌がりません。
ただ、電車とかに長く乗っていると嫌になってくるようで、帰りたがるようになるので、あまり遠出はしないんです。

今日はホームで電車を待っていたら、反対側に電車が入って来て、さっちゃんがそれに乗ろうとして大変でした。
僕の手を引っ張るし、僕が「その電車じゃあないよ」と動こうとしないと、大きな声を出すんです。
2分遅れくらいで、僕たちが乗る電車が入線すると、素直に乗ってはくれましたけれどね。


▲10:20。秋晴れの青梅駅前です。今日も前回と同じ登山口から歩きます。


▲10:34。登山口の段差の高い階段。今日もやっぱりさっちゃんはつま先をぶつけてばかりいました。


▲10:46。さっちゃんはどんな時にも僕と手を繋ぎたがります。自分の脚力やバランスに不安を感じているからでしょうが、手を繋ぎながら歩くのはけっこう僕にとっては大変なんです。この写真では後ろを振り向いて撮っていますが、そうでない時は前を向いて腕だけ後ろに伸ばして歩くわけです。


▲10:49。登山口からこの太陽聖髪塔まで15分で到着しました。もうここは青梅丘陵の主稜線です。


▲11:02。主稜線を東(右)へ進みました。道が3つ見えますが、左から主稜線、真ん中の階段は第2休憩所への道、右が「青梅の森」への道です。今日はこの右の道へ初めて入るんです。


▲11:03。「青梅の森」の案内図がありました。緑で囲まれたエリアの北部3分の2ほどが「青梅の森」です。現在地は左下の赤丸の地点です。黄色の矢印が点々と続いていると思いますけれど、それが今日歩いたコースです。


▲11:04。よく整備された歩きやすい道です。でもまだ、「青梅の森」には入っていないんですよね。


▲11:12。展望広場にすぐに到着しました。2人のハイカーが先にいました。僕たちもここで最初の休憩を取ることにしました。遠くは霞んでいるので、東京のどこが見えているのかまでは分からなくて残念でしたね。


▲11:17。甘いミルク入りコーヒーを飲むさっちゃん。ここではスティックコーヒー1杯とコロッケ1個、あんパン半分を二人で食べました。さっちゃんはいつも山では不思議なくらい小食なんですが、今日はいつもよりは倍くらいよく食べて飲んでました。でも、僕の数分の1ほどしか食べていませんから、少ないことには違いありませんけどね。


▲11:45。マツボックリ山展望台にはあっけなく到着しました。途中、歩きやすい道が続いているからです。写真はその展望台から北側に広がる景色です。空気が澄んでいる日ならどんな遠くの山が見えるんでしょうね?


▲11:50。マツボックリ山から進路を東に取ります。この道のことは「東西幹線」と呼ぶようですね。その東西幹線を進むさっちゃん。


▲11:59。「青梅の森」は里山にしては植林が少なくて、広葉樹林が多い山地でした。でも、もちろん針葉樹の植林も所々で出てきます。


▲12:27。アカマツ広場に着きました。ここで2度目の休憩です。スティックコーヒー1杯とクリームパン1個をふたりで食べました。さっちゃんもいつもよりよく食べました。


▲12:29。「青梅の森」は青梅丘陵主稜線に比べると、ハイカーがすごく少ないですね。主稜線から離れ、ここまでの間に10数人のハイカーにしか会っていません。このアカマツ広場も気持ちの良い休憩場所なのに、僕たちの独占でした。


▲12:33。この東西幹線も最後まで広い山道がなだらかに下っていってました。広葉樹林も美しいです。


▲12:37。山道の最後あたりで街並みを見下ろせる広場がありました。写真左の高いビルがあるあたりに最終目的地の東青梅駅があります。


▲12:38。その広場には大きな楓の木もありました。山中で見た紅葉ではこの楓がいちばん色づいていますね。青梅丘陵は紅葉、黄葉ともまだ少し先のようです。


▲12:41。ここが登山口。四小口です。


▲12:46。四小口の名前はこの青梅市立第四小学校から来ています。東青梅駅には13時ころに到着しました。

さっちゃんは今日山を歩いたことはすでに忘れていると思いますが、肉体にはその快感や疲労は刻み込まれているはずです。
そんなこともあってでしょうか、夕食は普通に食べてくれましたし、食事が終わった直後には布団に入って、そのまま眠ってしまいました。
途中で起き出して来ることが多いので、その時に口腔ケアを促したり、寝巻きに着替えてもらったりするんですが、今晩はそれも出来ませんね。

来週あたりは青梅丘陵の紅葉も盛りに近づいているはずですから、是非とも出かけようと思っています。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする