さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんとハイキングに行けなくなった理由は2つあります

2021-10-26 23:56:16 | 出来なくなったこと
さっちゃんと最後にハイキングに行ったのは去年の12月6日のこと。
もう1年近くもハイキングには行っていません。
緊急事態宣言発令の影響で、自粛していた時期もありましたし。
でも、二人でハイキングするくらいでは感染しないことが何となく分かって来たんですが、それでもハイキングには行っていません。

何故なら、これまでのようにさっちゃんとハイキングするのが無理そうだと考えるようになったからです。
そう考えるようになった理由は大きく2つあります。


まずは体力の衰えです。
これはほぼ毎日ほぼ同じコースを散歩してますから、よく分かります。
さっちゃんとは手を繋いで散歩します。
(九州男児の僕には妻と手を繋いで歩く習慣はありませんでした。
さっちゃんが雪の愛鷹山のバリエーションルートで右膝骨折して以降、さっちゃんと僕は手を繋いで歩くことが日常化したんです。
普通に手を繋いでいるだけでした。)

それが今年の何時くらいからだったでしょうか?
繋いでいる僕の手にさっちゃんの体重が掛かるようになって来たんです。
最近では、僕の手に縋るような感じになりつつあります。

散歩も基本周回コースが40分なんですが、それより遠くまで行く、1時間や1時間20分コースでもさっちゃんは平気でした。
それが今年の暑くなって来たころだったと思いますが、基本周回コースでも腰が曲がり、僕への体重の預け具合が増して来たんです。
基本周回コースくらいでも肉体的疲労が現われるようになったんです。


もうひとつは運動機能の衰えです。
認知症は脳の経年劣化のようなものですよね。
劣化して委縮している脳の部位がどこだかによって、認知症の症状が表出するわけです。
共通の症状は記憶を司る海馬の萎縮が原因の記憶障害ですよね。
新しい記憶、最近の記憶が失われていくわけです。
さっちゃんは側頭葉にも萎縮が認められますから言語不如意になってしまいました。
失語症です。
ここまでは運動ではありませんが、脳のそれぞれの部位が担当している機能が衰えることは一緒です。

さっちゃんの運動機能の衰えですが、いろいろとありますけれど、とりわけハイキングに関係する点を考えてみたいと思います。
さっちゃんは階段の上り下り、とりわけ下りが今年急速に下手になっていきました。
階段を下りるためにはまず下りる階段の情報を入手しなければなりません。
階段の幅と高さが主な情報でしょう。
そして、その情報のもと足をどこに下ろすか決め、実際にそうしなければなりません。
ここから先は僕の推測になりますが、さっちゃんは得た情報、下した判断、その通りに足が動いてくれていないんだと思います。
どこへ下ろそうと狙った場所とは少しずつずれているんだと思います。

ですから、こんなことが起きます。
下の段へ下ろそうとした右足が、左足がのっている段に右足の踵がのってしまう。
下の段へ下ろそうとした右足が、のせようとした段のひとつ下の段まで行ってしまう。

今日の散歩でもそんなことがありました。
多摩川土手から降りる場所に11段の階段があります。
ほんの少し急な階段です。
階段の幅がちょっとだけ狭いんです。
ほんのちょっとだけなんですけどね。
僕はさっちゃんの右手を右手で持ち、僕の左手はさっちゃんの右脇の下に添えておきます。
さっちゃんの左足が上から3段目にあり、右足を4段目に下ろそうとした時、右足の踵が3段目に引っ掛かってバランスを崩してしまいました。
僕は脇の下に添えている左手で支えますからさっちゃんに危険は及びません。
でも、バランスを崩しているさっちゃんは時計回りに180度回転して、逆向きになり、腰を曲げて手を付く姿勢になりました。
さっちゃんはこの姿勢から自力で体勢を戻すことは出来ません。
僕がまずはさっちゃんの両脇を持って階段の3段目に立たせます。
立って、上の段を持っている手をそこから離させます。
さっちゃんは手を離したがりません。
さっちゃんにとってはその手で自分の不安定な体勢を支えている訳ですから、当然ですよね。
でも、手を離して、腰を伸ばして、3段目に立って、再度180度回転して、階段の下へ体を向けないといけません。

そして、最後手前の9段目。
最後の11段目の足は地面に着くのですが、さっちゃんは10段目をすっ飛ばして、9段目から次の足を地面に下ろしてしまいます。
当然、前のめりになってバランスを崩します。
ただ、もう地面ですから転げ落ちることはありませんけどね。

こういう現象の頻度が高まって来ているんです。
簡単なハイキングコースでも困難さは階段どころではありません。
僕がしっかりと支えてあげられる所ばかりでもないでしょう。
バランスを崩したさっちゃんを咄嗟に支えようとした僕もバランスを崩してしまうかもしれません。


体力と運動機能の衰え、この2つの理由でさっちゃんと一緒にハイキングに行くのは無理そうだと判断しています。
ですから、毎日の散歩が今のさっちゃんにとってはとても大切なんでしょうね。
さっちゃんは歩くことを嫌がりません。
今でも歩くことは大好きなはずです。
歩き続けさせれば、2時間でも3時間でも疲労困憊して体が壊れてしまうまで歩き続けると思います。
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洗面所での手洗いは随分以前から出来なくなっていますが・・・・

2021-08-25 23:03:39 | 出来なくなったこと
今日はさっちゃんの手洗いについて書いておこうと思います。
今更ながら思いますが、こういう些細なことをきちんと記録しておけばよかったなぁと後悔しています。
洗面所の蛇口を捻って水を出し、手を洗って、タオルで手を拭く。
そんな当たり前のことが、その時その時、何は出来ていて、何が出来なくなってしまったのか、記録しておくことの大切さをいま感じています。
それを記録しておくことが何の役に立つの? と聞かれても、僕は明確な返事を持ち合わせている訳ではありません。
とりたてて今後に向けて役立つ目算などこれっぽっちもありません。

でも、もの凄く個人的レベルで語らせてもらうと、こんな感じでしょうか?
例えば、僕もそうでしたが、思春期や青年時代、あまり継続性はありませんでしたが、日記を書いていたことがあります。
あるいは、友人や好意を抱いていた女性などに書いたけれども投函しなかった長文の手紙が残っていることがあります。
そんな文章を発見し読み返した時の感じに似ているんだと思います。
そんなことを書いた頃の、ほろ苦くも甘い記憶が蘇って来るのです。
その記憶は長い時を経て、悦ばしい記憶や情感だけが蒸留されたアルコールのように心地よいものとして昇華されているのです。

手洗いの記録も同じだと思います。
生活の中のひとこまが詳細に記述されていることで、将来この記録を再読した僕の心の中に、ありありとその情景が蘇ると思うんです。
それはさっちゃんの姿、さっちゃんへの想いが蘇ることです。
手洗い、というそんな些細なことを記録しておくことが、
僕のさっちゃんとの日々の生活の中の心温まったり心締め付けられるような宝物の存在を教えてくれるのです。

一方で、このブログを読んでくださっている方々にとってを考えると、こんなことも言えるのでしょうか?
とりわけ、身近な方が認知症になったり、介護をされていたりする方々にとっては、進行していく症状の具体的な一例を知ることになります。
さっちゃんが蛇口を全開に近く捻って水道水を大量にほとばしらせたり、水の入ったコップを倒して水を床にこぼしたり、
手拭き用のタオルを引き抜いて放り捨てたり、歯磨きの載った歯ブラシをポ~ンと投げ捨てたり、・・・・、

そんなことどもも記録しておけば良かったと今になって思います。
そんな仕打ちを受けて、僕は怒ったり切れたりすることも多くありました。
でも、今ではこんな風に思います。
そんなことをされて怒るのではなく、まだそんなことが出来るんだと喜ぶ方が楽しいと。



▲我が家の洗面所。今のさっちゃんは蛇口を自分で捻ることはしません。僕が水を出しても、その水で自分の手を洗おうとはしません。僕がさっちゃんの右手を掴んで水をかけ洗ってあげます。続いて左手を。さっちゃんは自分で拭こうとはしません。僕がさっちゃんの手にタオルを握らせます。でも、大抵さっちゃんは何をしていいのか分からずにタオルを離してしまいます。タオルを両手で挟むように持たせても結果は同じ。結局、僕が拭いてあげることになります。

でも、ほ~んのたまにですが、自分で両手を水道水の流れに出すことがあります。
ほ~んのたまにですが、タオルを持たせると、自分で手を拭こうとすることがあります。
そんな些細なことが僕にとっての喜びになる生活、それも悪くはないなと最近思うようになりました。

そして、この洗面所でもうひとつ嬉しいことが。
前からいつか書こう書こうとは思っていたのですが、どのように記述すればいいのだか分からなかったのです。
今でも分からないのですが、現象だけを洗面所ついでに書いておきますね。
この写真に鏡が映っていますが、その鏡に関係したことです。
さっちゃんは鏡に映った自分の姿に向かって、嬉しそうに話しかけるんです。
自分の姿とは分かっていないように、僕には思えるんですが、確証はありません。

これは鏡像自己認知の問題ですから、僕にはまったく専門的知識はありません。
ヒトの子供は大体2歳ころから鏡に映った姿が自分自身だと認識できるようになるんだそうです。
脳のどの部位が自己認知に関わっているのかも研究中のようですね。
さっちゃんも認知症の核心である海馬以外に、前頭葉や側頭葉にも委縮している部分がありますから、その影響もあると思います。
鏡像自己認知が出来ていない可能性もありますね。

そんな理屈は兎も角として、鏡の中の自分に対して、さっちゃんは好感を抱いているようで、常に朗らかに話しかけるんです。
そんなさっちゃんを見て、僕も幸せになります。


いつものように、今日の散歩です。


▲18:05。17時50分までには家を出たかったのですが、やっぱり18時になってしまいました。今日は昼間は蒸し暑く、それが夕方になっても続いていました。こんなに蒸し暑い中、散歩に出かけるのは嫌だなぁ、などと渋ってる間に時が過ぎてしまったのです。さっちゃんにとっての貴重な運動タイムですから、出かけることにしました。それにしても、風もなく、蒸し暑い! 棟を出て、道路を歩いている時は夕陽全体が見えていましたが、多摩川土手に下りて行くと、見えなくなってしまいました。雲の色あいはまずまずですね。写真の右に写っている山並は奥多摩の馬頭刈(まずかり)尾根です。


▲18:09。またしても、夕景とさっちゃん。夕景の明るい箇所にフォーカスして、さっちゃんにはフラッシュを当てる。そんな手法にも慣れて来ました。
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洗面所には手拭き用のタオルが提げられています

2021-06-07 23:49:37 | 出来なくなったこと
ほんのちょっとした生活の中でのひとコマですけれど、時々ブログに書き留めておこうと思います。
些細なことですが、生活と言うのはそんな些細なひとつひとつの行動の集積だからです。
そんな些細なこれまでのことも、書き留めておけばよかったと思うことだらけ。

今日、書いておきたいことは洗面所の手拭き用タオルのこと。
トイレから出て来た時(さっちゃんの手はほとんど汚れてないはずなんですけれど)、手を洗って拭きます。
さっちゃんはタオルが何のためのものかしっかりとは把握できていないと思います。
何故そう思うのかというと、手を洗って、僕がさっちゃんの手にタオルが触れるようにしても、タオルを掴んだりはしないからです。
以前はそれだけでタオルを手に取って拭いていたんですがね。
タオルが触れる程度でなくて、タオルをさっちゃんが掴めるようにしてあげると、分かるようで手を拭き始めます。
でも、軽~くチョイチョイチョイと触るようにするだけで、拭いている感じはしません。
結局、最後に僕がタオルを取ってさっちゃんの手をしっかりと拭いてあげます。

現状はこんな感じですね。
つまり、
「タオルで拭きなよ」と言葉で言っても理解はしてくれません。
タオルを指差して「手を拭いてね」と言っても理解はしてくれません。
タオルを手に取らせても、それでどうすればいいのか、分からない時と分かってくれる時があります。
今はそんな感じですが、そのうちタオルは手を拭くためのものだということも分からなくなるのでしょうね。


さっちゃんの今日の様子をちょっとだけ書いておきましょう。
いつも通り散歩に行こうと思ったのですが、何故だか怒っていて、布団から起き上がってくれません。
いつもなら「散歩行こ」とか「出かけるよ」とかのフレーズに割と敏感に反応してくれるんですけどね。
「どこに?」とか聞いてくることもよくあります。
一旦は散歩に行くことを諦めましたが、6時40分ころ、さっちゃんが起き出して来ました。
さっちゃんに「散歩行こ」と言ってみると、先ほどのように怒りはしません。
ズボンは室内用のまま、ソックスだけを履き替えて、急いで外に出ました。


▲19:02。この時刻ですから、太陽は完全に沈んでしまっています。淡い薄墨模様にほんのりと色を載せたような夕景でした。藤色とも桃色とも青紫とも思えるような薄い薄い色がのばされています。

僕は夕景の中の紫色が大好きです。
夕景には紫色も必ず紛れ込んでいます。
僕は昔エベレスト街道をトレッキングした時、ヒマラヤの山々に沈む直前の夕陽が、谷を淡い紫色に染めるのを見ました。
輝く夕陽が周り中の景色を橙色に染めてしまうような体験は子供のころから幾度も味わっています。
でも、紫色に染まった体験はこの時一度だけでした。
谷の中の空気のひと粒ひと粒までもが紫色に染まっているようでした。


▲19:02。さっちゃんは僕が上の写真を撮っている時、そばで待っていてはくれませんでした。普通なら待ってくれるんですけどね。でも、今日はスタスタと先に歩いて行ってしまいました。この写真を撮った後、僕の方を振り向いたんですが、また先に歩いて行ってしまいました。


部屋に戻って来ると、7時半を過ぎていました。
残っていた最後のお味噌汁を温め直し、冷凍してあるご飯を解凍します。
プラスチックの袋に入ったポテトサラダの惣菜を小皿に入れ、温まったお味噌汁と一緒に出します。
さらに冷凍焼売2個を温め、小さく切って出します。
あとは玉子かけご飯。
さっちゃんは珍しく、そのすべてを食べてくれました。
まだ足りなさそうでしたから、お菓子のソフトマドレーヌを出して食べてもらいました。
でも、そのお菓子を4分の1くらい食べると、お腹いっぱいになったようです。
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今日は久し振りの雨の中の外出。さっちゃんは傘を差すことが出来ません

2021-05-19 23:20:25 | 出来なくなったこと
今日は1ヶ月ぶり言語リハビリがありました。
STのT田先生や病院の都合が重なって出来なかったからです。
言語リハビリについては改めて後日ご報告する機会があると思いますけれど、今日書き留めておきたいことはのこと。

正午ころ、家を出て駅へ急ぎました。
生憎小雨が降っています。
短い距離なら傘を差さなくてもさほど濡れないくらいの雨。
でも、駅まではさっちゃんの足で急いでも25分はかかりますから差さない訳にはいきません。

さっちゃんは傘の広げ方を忘れています。
昔からワンプッシュで開く傘は使ったことがありません。
昔ながらの開き方の傘です。
広げた傘を僕はさっちゃんに渡します。
さっちゃんの左手に傘の柄を握らせるんです。
でも、10mほど進んで、僕は諦めました。
さっちゃんの傘は背中に背負っているザックは勿論ですが、自分の背中や後頭部もカバーできていないのです。

以前からさっちゃんは傘を自分が濡れないように差し続けることが出来ませんでした。
それだけなら時々傘の位置を直してあげればいいことなんですが、修正不能なほど傘が横倒しになってしまうんです。
それだって無理矢理直せば何とかなりますが、強制的に傘を動かされることに腹を立てて、傘を放り捨ててしまうんです。

ただでさえ、時間の余裕はありません。
電車発車時刻まで30分ほどです。
雨なのでいつもより確実に時間はかかります。
結局、さっちゃんの傘は畳んで僕のザックに固定して、僕の傘に二人が入ることにしました。
ふたりともが濡れないように、ふたりが身を寄せ合って、そんな配慮はさっちゃんには出来ません。
左にさっちゃん、右に僕と、並んで歩きましたが、僕の右肩は犠牲にしました。

右手で傘を持ったり、左手で持ったりしましたが、右手で持つと、さっちゃんと僕との距離が離れやすくなるんですね。
さっちゃんの右手と僕の左手を繋ぎ合うことになりますが、どうしても体は離れやすいんです。
それで、僕は左手でさっちゃんの肩を抱くようにしてみたのですが、離れにくくはなりましたけれど、さっちゃんが不安そうなんです。
何故なら、さっちゃんと僕が手を繋げないからです。
さっちゃんの右手は僕の手を探すんですね。

ですから結局、傘を左手で持つことにしました。
さっちゃんの右手を僕の右手が掴みます。
さっちゃんには右手を僕の体の右前方まで伸ばしてもらって、僕の右手に載せるようにして繋ぎました。
さっちゃんの右手甲には雨がかかりますけれど、小降りですから手が冷たくなるほどではありません。

この体勢のままで駅までの25分間を急ぎ足で歩き、病院までの20分間を歩くのは、さっちゃんにとっては結構苦痛だったんではないでしょうか。
お互いの、特に僕の体の振動が常に伝わりますから、歩き難いと思います。
でも、さっちゃんは文句も言わず、嫌な表情ひとつ浮かべずに歩いてくれました。

帰りも病院からは歩きましたが、家まではタクシーで帰りました。
そのタクシーが普通とはちょっと違うステーションワゴンのような形だったので、運転手さんに聞いてみました。
すると、座席に車椅子ごと載せられるタクシーなんだそうです。
でも、座席を動かして、スロープを設置して、車椅子を載せることになるので、所要時間が10分ほどかかるんだそうです。
「立ち上がることが出来るお客さんは車の座席に座っちゃいますよね」と運転手さん。

家に着いてから僕は思いました。
雨が本降りの日に、どうしても外を歩かなければならなかったら、山で着ていた雨具を着た方がいいな、と。
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さっちゃんは僕が血を流していても無反応です

2020-09-20 23:23:46 | 出来なくなったこと
金曜日にスーパーで買い物をした際、直径15cmくらいのかぼちゃが美味しそうだったので買いました。
それを土曜日の夕食で煮物にして食べたんです。


▲今晩(日曜日)も少し食べました。写真は残ったかぼちゃの煮物。明日も食べます。これまでは適当に作っていたので、べちゃべちゃになることが多かったんですが、昨日はクックパッドを見ながら作ったので、僕としては上手に作れました。美味しかったです。

硬いかぼちゃを注意しながら小さな3cmほどのサイズに切り分けていきました。
さらに、かぼちゃの皮も少し削ぎ落とします。

その皮を削ぎ落していた時でした。
「あ~~っ!」
包丁で小指を切ってしまいました。
一瞬、小指が指の皮ごと削ぎ落とされたのでは、と思ったくらい、スパ~ンと小指に当たっていったんです。
左手の小指を見ると、指先からが滴り落ちています。
「痛~ッ!」
大袈裟に大きな声で叫びました。
さっちゃんがすぐ側にいたからかもしれません。
「指が切れた! 血が!」
さっちゃんにアピールするように僕は叫んでいます。

この時点では僕はすでに冷静で、さほど切ってはいない、と分かっているんですね。
左手を高く挙げますが、血は止まりません。
水道で血を流して、殺菌消毒薬をかけ、バンドエイドを貼りました。
料理中の包丁による怪我の中では、僕としては一番切ってしまった怪我かもしれません。


自分の怪我のことより、僕はさっちゃんの様子を見ていました。
さっちゃんは僕が大声を出して痛そうにしていても、実際に血を流していても、まったく表情が変わりません。
驚く風もありません。

前頭側頭葉変性症の特徴的な症状のひとつに、共感能力の欠如があります。
例えば、家族が風邪で熱があってだるく辛くても、「なんでいつまでも寝てんの! 早く食事の準備をしなさい」と言ったりするんです。
さっちゃんにもそんなことはありましたね。
でも逆に、寝ている僕の体をなぜてくれたりすることもありました。

今回の件も、本当に共感能力の欠如によるものなのか、怪我や流血自体を理解できなくなっているのか、どちらなんでしょうね?
結果として、共感できていないのは事実ですけれどね。
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さっちゃんの血圧を昨日は計れませんでした

2020-09-03 23:40:19 | 出来なくなったこと
最近、いつも同じようなコメントから始まっているような気がします。

今日のブログも本当なら昨日書くつもりでした。
でも、タイトルを書いてから、疲れと眠気で「ちょっとだけ横になろう」と思ったところから当然のパターン。
目が覚めたのは、夜中の2時でした。

こんなに寝てしまったのには訳があります。
水曜日の言語リハビリから帰宅すると、僕は本当に疲れています。
この日もそうで、昼食後、PCチェックも布団に寝転がって行いました。
さっちゃんはと言うと、僕ほどは疲労を感じていないのでしょうか、家中をうろうろして何かしている様子。
布団の隣りに居てくれていれば、僕も少しは気を緩めることが出来ますが、うろうろされると、僕の緊張も緩められません。
しかも、時折近くに来ては、PCを触ろうとしたり、スリッパやサンダルを持って来たり、僕の椅子のクッションを持って来たりします。
僕が気付かないうちに、さっちゃんの枕の下にはフライパンの蓋まで置かれていました。
さらには、「出かけようよ、出かけようよ」と僕にしつこく要求するようにもなりました。

あんなこんなで、PCチェックが終わって、ゆっくり休もうにも休めるわけがありません。
そんな状況のまま、夕食準備の時間になってしまったのです。
夕食後、眠たくなるのは当たり前ですよね。


そんなことは兎も角として、本題です。
完全に出来なくなった訳ではありませんが、さっちゃんの血圧が計れなかったというお話しです。

言語リハビリを始めるまでに、リハビリルームに置かれている血圧計でその日の血圧を毎回計るんです。
ここにある血圧計は腕を筒状の部分に深く入れて、スタートボタンを押す、そんなタイプです。

さっちゃんは最近この血圧計がとっても苦手になっています。
どんな点が苦手なのかと言うと、腕を奥まで突っ込まなくてはいけないことですね。
僕がさっちゃんの腕を掴んで入れさせるんですが、最後のもう20cmくらいを入れてもらおうと、腕を引っ張ると、立ち上がっちゃうんです。
腕を前に出すだけなのに、なんで立ち上がっちゃうのか、僕にはまったく理解できません。
それじゃあと、座ってる椅子のもう少し前にお尻を移してもらおうとすると、何故か梃子でも動きません。

最近はこんなことの繰り返しです。
それでもまあまあ奥まで腕が入ったりすると、スタートボタンを押します。
変な数値が出ることもありますが、妥当な値のこともあります。
昨日はまったく駄目でした。

機械で計れなかったり計り忘れたりした時には、先生が手動ので計ってくれます。
昨日も最後に先生が計ろうとしたんですが、駄目でした。
「ちょっと締まるよ~」と、先生は言ってくれているのに、ちょっと締まり始めると、さっちゃんは凄く嫌がるんです。
昨日はチューブを掴んで引っ張ったんです。
もう一回トライしてみたんですが、今度は立ち上がったり、腕を動かしたりしました。
まともな数値は出なかったようですね。
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薄暮の空に浮かぶ月を指差して、「綺麗だね」と言っても、さっちゃんには伝わらないことが多いですね

2020-08-31 23:20:41 | 出来なくなったこと
ここのところの僕はやっぱり疲れているんでしょうか?
夏バテしている感覚はありませんが、ストレス疲れなのかもしれません。
昨晩もちょっと布団で横になったら、夜中の1時過ぎまで寝てしまいました。

さっちゃんがすぐそばに居ると、僕は常にイライラしているような気がします。
さっちゃんは起きていると、ほとんどの時間、僕に纏わり付いているんです。
僕に対して何かを喋り続けていたり、いろんなものを動かしたり持って来たりするんです。
僕がさっちゃんに応対せざるを得ないようなことを常にするんです。
僕は自分がしたいことを自由にすることが一切できません。

イライラしているわけですから、僕は怒りっぽくなっています。
さっちゃんとは喧嘩していることが多くなり、大声を何度も発したり、押したり突いたりもします。
怒らずに大声も出さずにいると、それがストレスになりますし、
怒って、大声を出して、プチ暴力を振るったりすると、自己嫌悪に陥って、なおさらストレスが溜まります。
そんな様子をブログに書き残しておきたいのですが、それに至るプロセスをすぐに忘れてしまいますから、書き残せません。
本当に些細なことが積み重なっていって、だんだんだんだん僕の我慢の限界点に達するんです。
途中の積み重なっていく様子はその直後にメモしておかないと、忘れてしまうような小さなこと、どうでもいいようなことばかりです。
でも、そんな僕にとっては心理的圧迫が10分、20分、30分、1時間と続くと、僕は耐えきれなくなってしまいます。

そんな僕の繰り言はともかくとして、今日の本題です。
月見散歩とでも言いましょうか。


できるだけ、夕方涼しくなってきたころに、いつもの多摩川土手の散歩コースを歩くことにしています。
歩くだけでも十分楽しいのですが、途中、花が咲いていたり、鳥や飛行機が飛んだり、犬や猫がいたりすると、見ても楽しむことにしています。
ここのところは月が南東の空に浮かんでいますから、さっちゃんには月を愛でて欲しいと思っていました。

さっちゃんはすぐに忘れてしまいますから、5~10分おきくらいに何度も月を指差して「綺麗だね」を連発します。
でも、さっちゃんは僕が指差している方角をすぐには見てくれません。
それ以前に、僕の腕全体や指自体も見てくれません。
腕全体を使って指差すという行為の意味を理解できなくなっているようなんです。
でも、おぼろげには記憶が残っているようで、何とか僕の指差す方角を見てくれます。

それでも、すぐには月を見つけることは出来ません。
対象物を発見する行為は意外と複雑で難しい行為のようですね。
同じ薄暮でも、まだ空がかなり明るい薄暮では見つけにくいようです。
月の前景にある森や家や電線などが複雑だと見つけにくいようですね。
広い空に月だけが浮かんでいる、そんな情景の際に「月が綺麗だね」と指差す方が見つけてくれ易いです。

ところが実際には、僕が指差す方角を見てくれないことの方が多いんですね。
指差していることに気付いてくれないのか、関心を抱いてくれないのか、無視されてしまうことの方が多いんです。
そんな時のほとんどは、さっちゃんが他のモノに注意が向かっている時です。
すぐそばを人が通り過ぎていたり、自転車が見えていたり、ゴミが落ちていたり、そんな感じです。
さっちゃんも意外といろんなものに目を向けながら散歩しているようなんですね。

他のケースとしては、僕からのそのようなアプローチ自体を無視するということですかね。
僕からの言葉かけにいつも必ず応えてくれるわけではありませんからね。
足を止めて、月を指差して「綺麗だね」と言う僕を、「こいつ何をやってんだ」と胡散臭げに見て、そのまま先へと歩いて行くんです。

とは言え、散歩の間で2回ほどは月を見てくれます。
月を眺めては、さっちゃんは何か言葉を発しています。
言葉は意味不明ですが、月を見つけた驚きや美しさへの感嘆なんだろうと、僕は勝手に思っています。

散歩をしながら月を愛でることのできる時期はそれほど長くはありません。
三日月のころから始まって1週間くらいのものです。
満月が近づいてくると、月が東の空からのぼって来るのが遅くなりますから、散歩中には見ることが出来なくなるんです。

散歩している時は、僕もさっちゃんも穏やかな気分でいられます。
僕にもストレスはほとんどかかりません。
これから次第に涼しくなると、散歩の時間がもっと早い時間帯になるでしょうから、月を愛でるチャンスも減るかもしれません。
暑い夏の時季ならではの月見散歩なのでしょうか?
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緊急事態宣言解除後、さっちゃんはsuicaをまったく使えなくなったようです

2020-07-06 22:45:20 | 出来なくなったこと
緊急事態宣言の解除後、さっちゃんも電車に乗る機会が増えました。
それまでは不要不急の外出は控えていましたから、電車やバスにはまったく乗ってなかったんです。

この(ほぼ)完全自粛中の前後で何か変わったことはなかったかどうか考えてみました。
いろいろあるのかもしれませんが、はっきりと気付いたことはsuicaが使えなくなったことです。
以前から、自分では使えなくなってはいたのですが、それ以上に使えなくなってしまったのです。

以前は僕が改札の手前でさっちゃんにsuicaを手渡します。
さっちゃんに「この青いところにタッチしな」と青いセンサー部分のすぐそばで指差します。
そう言ってもsuicaを素通りさせたり、青いセンサー部分に置きっ放しにすることはありましたが、大概は何とか近づけていました

それが今は、同じようにsuicaを渡して、同じように指示をしても、さっちゃんはまったくsuicaをどうもしなくなりました。
suicaを青いセンサーに近づけもしませんし、そこに置いたりすることもありません。
僕が渡したsuicaをただ持っているだけなんです。

今はsuicaを持ってもらっているさっちゃんの右手を僕が掴んで、青いセンサー部分に近づけています。
急ぐ時にはさっちゃんが通るためのsuicaも僕がタッチしてあげますが、可能な限りさっちゃんが手に取って使って欲しいと考えています。
コメント (2)
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牛乳パックを切り開く作業を今日は初めて僕ひとりで行いました

2020-06-29 23:31:43 | 出来なくなったこと
牛乳パックとさっちゃんが夜飲んでいる野菜ジュースのパックがたくさん溜まってました。
お昼過ぎにその切り開き作業をすることにしました。

以前はさっちゃんにも手伝ってもらっていた作業です。
認知症になってからもしばらくは、切り開く最初の部分だけに数センチの切れ込みの目印を入れておきさえすれば、後はさっちゃんがやってくれてました。
そのうち、底部分の切り開きには力を込めてハサミを使わなければなりませんから、だんだん難しくなりました。
ですから、最初にハサミを入れる長い1辺だけを切ってもらうことにしました。
さらに時が経つと、その最初の1辺も最後の底に近づく辺りは力が足りずに切れなくなりました。
それで、最初の1辺の半分ほどだけを切ってもらうことにしました。
そして、前回のこと、最初の1辺を切り始めること自体が出来なくなっていました。
ハサミの握り方、使い方も忘れているので、手を取って握らせて切ってもらおうとしましたが、力自体も弱くなっていてまったく切り進めませんでした。

ですから今日は、最初からさっちゃんには何も頼みません。
さっちゃんはテーブルの向かい側に座って、僕の作業を見てもいないようです。
関心もないようです。
けっこう溜まっていましたから、僕ひとりで30個ほどを切り開きました。

たかが牛乳パックの切り開き作業ですが、物事が次第に出来なくなっていくプロセスを見せてくれている気がします。
牛乳パックのどの辺を切ればいいのかは、最初に分からなくなる事柄です。
これには知識や経験が必要だったり影響して来たり、考える能力も大切となります。
でも、どこを切るかということを教えてあげれば、だいたい出来ていましたね。
しょっちゅう忘れますから、そのたびに教えてあげる必要はありますけれど。

それに続いて起きたことは、ハサミの使い方を忘れてしまうこと、使う力が弱くなっていくこと、このふたつが同時進行だったように感じます。
牛乳パックは比較的硬いですから、ハサミを使う力の弱さの方が目立っていたかもしれませんね。

例えば、着替える作業なども牛乳パックの切り開き作業とよく似ています。
まず出来なくなったり分からなくなったりするのは、どれを脱いで、何を着るかということ。
脱ぐものを教えると、脱ぐことは出来ます。
着るものを教えるだけでは着ることは出来ません。
Tシャツをズボンのように穿こうとすることはしょっちゅうあります。
どう着るのか? 裏表、前後ろ、着方、いろいろと忘れていることはたくさんあります。
知識、経験、思考力は認知症では早く失われるもののようです。
今現在のさっちゃんですが、例えばズボンを穿く場合、ほとんどを介助しなければ穿くことは出来ません。
裏表と前後ろを確認して、さっちゃんに正しい向きで手渡せば、後はすべて自分で穿けていたころもありました。
つまり、今はズボンの穿き方(ハサミの使い方のよう)があやふやになって来ているのです。
さらに、以前は立ったまま自分だけで穿けていたのですが、今は僕の支えが必要です。
最近は、ソファに座ってもらって僕がズボンを穿かせてあげることも多くなりました。
これは肉体的能力の衰えでしょうね。

こんなパターンを経て出来なくなっていく事柄が今後増えていくと思います。
生きていく上で欠かせない、食べること、飲むこと、寝ること、排便・排尿、それらにも同様の進行があるように感じています。
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牛乳パックの展開作業をさっちゃんにも手伝ってもらいました

2020-03-14 17:13:01 | 出来なくなったこと
まずは前回のブログ記事も読んでみてください。
さっちゃんはハサミが使えなくなったのかもしれません

今日、およそ二ヶ月ぶりにさっちゃんと牛乳パック(ジュースパックも少し)の展開作業をしました。
今回はひょっとしたらハサミの使い方を思い出してるかな? と淡い期待を抱いていたのですが、それは無理でしたね。
ハサミの持ち方が分かりません。
手取り足取りでハサミを持たせて、まずは薄い紙を切ってもらいました。
なんとか切れました。

続いて牛乳パックですが、ハサミの持ち方をすぐに忘れてしまいますから、再びさっちゃんの手指を取ってハサミを持たせます。
指に力が入っていませんから、ハサミはすぐに外れてしまいます。
そんなことを繰り返して、やっと牛乳パックの一辺の切り進みがスタート。
牛乳パックは力も必要ですから、なかなか切り進むことが出来ません。
途中でハサミを手放したりしますし、それを再び持たせるのにも時間がかかります。

でも、何とか牛乳パックの最初の一辺を切ることが出来ました。
もちろん本当の角まではあと数センチ残っていますし、正しい切り口からも1cmは離れたりしています。
とは言え「やったね、さっちゃん。有難う。次はこれね」と2個目を渡します。
この間に僕は10個は完全展開しちゃってましたけどね。

2個目は1個目に比べるとスムーズに進みました。
3個目で指が痛くなったさっちゃんはこれ以上作業をすることを断念。
その時点で牛乳パックの残りはあと数個。
すぐに全部を終了させましたが、全部で28個を展開しました。

さっちゃんは出来ないながらも一生懸命やろうとしてくれました。
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