さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんは入院することになりました

2021-11-30 23:57:16 | 大腿骨転子部骨折
トイレの中で、僕は思わずが滲んでしまいました。
それはさっちゃんが浮かべる笑顔を思い出していたからです。
朝、目覚めた時に笑顔を見せてくれることがあります。
テレビの画面を観ていて、僕の方を振り返って笑顔を見せてくれることがあります。
さっちゃんと二人で話をしていて、笑顔を見せてくれることがあります。
僕がお道化た仕草を見せると、笑顔を見せてくれることがあります。
何故だか理由は分かりませんけど、笑顔を見せてくれることがあります。

そんなさっちゃんの笑顔が僕の心を幸せにしてくれていたんだなと思って、僕はが滲んできました。
去年の後半、何ヶ月間かの間、さっちゃんの表情から笑顔が消えた時期がありました。
デイサービスがこしらえてくださった傘寿のお祝いカードに貼り付けてある写真は笑顔の顔ではありませんでした。
その後、笑顔が復活し、どれだけ僕の心が救われたことでしょう。

今日のNHK朝の連続テレビ小説で、ヒロインの安子が赤ん坊のるいをきつく怒るシーンがありました。
その直後、安子は「ご免ね」とるいに必死に謝ります。
るいは赤ん坊ですから、きょとんとしているだけ。
そんな場面を観て、僕は泣けて来てしまいました。
安子の怒る気持ち、安子の謝る気持ちにとても共感してしまったからです。
僕とさっちゃんの姿をだぶらせて観てしまったからです。

さっちゃんと顔を合わせることも出来ない日々が長く続くと、さっちゃんとの関係は一体どうなってしまうんでしょう!?
さっちゃんのあの素晴らしい笑顔が再び消えてしまうかもしれないと思うと、泣けて来てしまいます。

僕はどちらかと言うと、理性的、合理的な人間です。
悪く言えば、冷徹な面があるかと思います。
さっちゃんの今後や、自分自身の将来を考えて、頭の中だけでは酷く打算的なことが浮かんできたりします。
考えるだけのことと、本心や実際に行動することは違うんだ、と自分で自分を弁解したりしますけれど、そんな考えが浮かぶ自分は酷い人間だとも思います。
ある人からは「〇〇さんの得意技の自己中」とまで言われたことがあります。
もちろん憤慨しましたが、こんな要素が少なからずあることも事実だと認めざるを得ません。

ここまでは11月30日の火曜日の昼に書いています。
ここからは先週の土曜日から起きた出来事を順を追って簡潔に記録しておこうと思います。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

土曜日の夕方5時12分、寝室からバタ~~ンという大きな音が響きました。
何事だっ! と、僕はすぐに寝室の戸を開け、中を見ました。
すると、足元にさっちゃんが倒れて呻いています。
さっちゃんが布団から立ち上がって何かに躓いたりして転ぶことは2、3度起きたことはありました。
でも、今回のように呻いているのは初めてです。
顔中に汗を掻いていることも心配でした。
セーターなども着たまま寝ていたからだろうと、自分を納得させました。

とにかく、さっちゃんを抱きかかえて、布団に戻しました。
を打ったんだろうかと、頭を触ってみますが、たん瘤のようなものも出来ておらず、触ってもさっちゃんが痛いとは言いません。
全身を触ってみましたが、どこが痛いのか分かりませんでした。
ともかく、しばらくは布団の中で安静にしておいてもらおうと考えるしかありません。

土曜日は朝食(遅い昼食?)が凄く遅かったので、夜の8時前に寝ているさっちゃんに声掛けをして起きてもらおうとしました。
ところが、さっちゃんに起きる気配はまったくありません。
無理矢理起こすのも可哀想ですし、眠気が強い状態では食事も出来ないでしょうから、そのまま寝かせておくことにしました。

日曜日もさっちゃんはまったく起きる気配がありませんでした。
ただ、横向きで寝ているさっちゃんを仰向けに位置を変えようとすると、痛がります。
脚をあちこち触っても痛がりませんが、左膝の辺りに手を当てて、脚を開かせようとすると、痛がるんです。
さっちゃんは股関節のどこかを痛めたのだろうかと、思いました。

さっちゃんは夜になっても一向に起きる気配はありません。
ただ、これだけ長く寝ていると、パッドは多量のおしっこを吸っているはずです。
夜7時ころ、さっちゃんのパッドを取り換えることにしました。
さっちゃんに立ってもらおうとすると、立てません。
背中側から両脇の下を持って、立ち上がらせますが、左足に全然力が入っていません。
これではトイレまで歩かせることも不可能です。

僕はお風呂場からお風呂場用の椅子を持って来て、布団の上、壁側に置き、座布団を敷きました。
そして、さっちゃんを脇の下で抱えて立たせ、それからその低い椅子に座らせました。
ズボン、ズボン下を引きずるようにして脱がせました。
パッドは重くなっていましたが、許容量にはまだ余裕がありました。
土曜の夜から丸一日ほとんど水分を摂っていないからでしょう。
新しいパッドに替え、分厚いズボンは脱いでもらって、また布団の中で寝てもらいました。

この体験をして、僕はやっとさっちゃんの状態が大変なことになっていることを実感しました。
それまではどうしてもいいようにいいように考えてしまっていたんです。
救急車を呼ぶべきかもしれない、呼んだ方がいいと考えました。
また一方で、今日は日曜日だし、にもなってしまった、今病院へ行っても・・・・と思う自分もいました。
明日目が覚めると、さっちゃんは起き上がって自分で立てるようになっているかもしれない、そんな楽観的な想像もしました。
どうであるにせよ、明日の朝まで待ってみようと決めました。

水屋の中に紅茶用の急須があったので、それに白湯を入れて横向きに寝ているさっちゃんに飲んでもらいました。
白湯が注がれる様子が見えませんから、ほんの少しずつしか飲んでもらえません。
半分寝ているようなさっちゃんですけれど、白湯を少しですが飲んでくれました。
さらに8時過ぎ、少しだけ食べてもらいました。
昨晩作ったさっちゃん用の夕食です。
キウイ1個と柿半分、クリームチーズと花豆とサラダチキン。
ほんの少しですが、さっちゃんは食べてくれました。

夜、熱を計ってみました。
37.4度ありました。


11月29日の月曜日。
僕が何時に起床して、何をしていたのか、まったく記憶がありません。
メモをしている訳でもありませんから、忘れてしまっています。
ただ、朝食を摂る余裕はなかったようですね。

まず、9時前にケアマネさんに電話を入れました。
簡潔に状況を説明し、ケアマネさんの意見を求めました。
ケアマネさんはすぐに救急車を呼んだ方がいい、と言ってくれました。
僕もそうしようと思ってはいましたから、その行動を取ることに確信を持つことが出来ました。
9時3分に僕は119番通報をしました。
9時9分、「もうすぐ到着します。建物の名前を教えてください。何号棟の何号室ですか」との連絡が入りました。
玄関の外で物音がしましたから、玄関を開けると、隊員の方がすでに到着していました。
この部屋に救急隊員を迎えるのはこれで2回目ですが、どかどかと乗り込んでくる、そんなイメージは覆りませんね。
人の住まいのイメージとは明らかに異質な侵入者です。

さっちゃんの状態を調べると同時に、僕に対しても指示を出します。
「健康保険証、飲んでいる薬、お薬手帳、お金を持って来てください」
他にもあったように思いますが・・・・
「病院からすぐ戻ることもあるかもしれませんから、靴も忘れないように」
前回の場合は、さっちゃんは救急隊員を見ると状態がよくなってしまって、病院でも特に悪い箇所が見つからずに帰宅したんです。
でも、今回はそんなことは期待できそうにありません。
さっちゃんは毛布にくるまれて、玄関の外に置いてあるストレッチャーに載せられました。

向かう病院は部屋に居る時にすでに決まっていました。
僕の住む市の東の端にあるA病院です。

救急車の中でさっちゃんに関していろいろと聞かれました。
病歴、手術歴、アレルギー、身長、体重、etc.
体温を計ると、その時も37.4度でした。

A病院に入ると、整形外科の診察室前にあるストレッチャースペースに止めて、診察を待ちます。
その後、診察室へ。
10時18分、最初の診察を終えて、レントゲン室へ。
僕は診察室の前で待つことになりました。
この時から、病院での記録をメモしています。
10時58分、レントゲン撮影を終了したさっちゃんが別室で待機するとのことで、ストレッチャーを押して別室へ行きました。
先ほどまでいた救急隊員から、病院のスタッフに代わっていました。
別室は空いている言語療法室でした。
ストレッチャーも救急車のから病院のものに代わっています。
看護師さん(多分)が「念のためコロナの検査もしますね」と言います。
コロナ検査をするということは、入院なのでしょうか?
さっちゃんはずっと寝ているように見えました。

看護師さんが再び来て、PCR検査と抗原検査をしました。
PCR検査は鼻の奥深くまで綿棒を突っ込んで痛いという話は聞いていましたが、確かに深くまで突っ込むんですね。
抗原検査は唾液でするのかと思っていましたが、この時はPCR検査同様綿棒を鼻の奥深くに突っ込む検査でした。
さっちゃんは凄く嫌がっています。
痛そう。
他にも、ここで採血もしました。
細い瓶に数本の血液を採りました。
注射針を刺すときに、さっちゃんは腕を動かしますから、僕はさっちゃんの腕をしっかりと押さえておきます。
11時9分に終了。
抗原検査は20~30分後に、PCR検査は翌日に分かるそうです。

11時33分、待機していた部屋から出て、先ほどの診察室前に移動して待ちます。
11時50分ころから、診察室で医師の説明を受けました。
レントゲンの映像を見ながら先生は説明してくれます。
でも、「この線とこの線が離れていますよね」と言われてもどういうことなのかさっぱり分かりません。
看護師さんが左股関節周辺の骨の小さな模型を持って来てくれました。
さらに、骨折部分の3D映像もあって、それを見せてくれました。
それでようやくさっちゃんの左足のどこがどうなっているのかが理解できました。
左脚大腿骨の股関節に近い部分の前側が骨折しているのですね。
手術が必要とのことです。
自然には引っ付かないのですね。

手術は骨の髄部分に芯となる金属棒をいれて、それと交差するようにもう2本の金属棒で固定するんだそうです。
人工骨等は使わないそうです。
普段、血液をサラサラにする薬(エゼチミブとエパデールでしょう)を飲んでいるので、その効果が薄まるまで期間を開ける必要があるそうです。
なので、おそらく手術は翌週以降になるのだそうです。
手術後は翌日からでもリハビリを始めるそうです。

12時4分に診察は終わり、さっちゃんが入院する部屋も決まり、入院のための検査と言うことで、さっちゃんは心電図を取りに連れて行かれました。
僕は診察室の前で待つことに。

その後、看護師さん(ではないかもしれませんが)が来られて、入院に関する説明を受けました。
抗原検査の結果は陰性だったそうです。
今、コロナ禍なので基本的に面会は出来ないことを伝えられました。
ただ、手術当日は会えるかもしれないそうです。
他にもいろいろと説明を受けましたが、詳しくは忘れました。
12時半にその説明が終了。

続いて、12時40分に4階のさっちゃんが入院する病室のあるフロアへ行きました。
12時50分から、ナースステーションの前のフロアで男性看護師さんからいろいろと質問を受けました。
今後の看護や入院生活に必要な情報を僕から聞くためです。
それに、すでに入院生活は始まっていますから、そのための寝巻きや肌着、オムツなどの件も決めておかねばなりません。
特に自宅から用意するものは無いみたいですね。
さっちゃんが着ていた服は全部僕に返してくれましたから、さっちゃんはすでに病院が用意した肌着や寝巻きを着ているようですね。

いろいろ言われた中で、ひとつ気になった点がありました。
「早めに介護度変更の手続きをした方がいいですよ」と言うんです。
「術後でなくても、手術前に手続きを進めてもいいですよ」と言うんです。
確かに、後期高齢者が大腿骨骨折をすると、その後どうなるかは想像がつくかもしれません。
要介護3では出来ないことがあるんだろうか、とも思いました。
(この点に関しては、ケアマネさんが病院側に再度問い合わせてくれました。
その結果、手術後ある程度経ってからでもいいでしょう、との結論です。)


あと、「保湿剤を持って来てください」と言われました。
さっちゃんが認知症になってから保湿剤は使っていません。
痒がることもありませんでしたから、どうしようかと思案中です。
家にそれらしきクリームのようなものはありますが、そのどれなんでしょうね。
僕はその中のニベアクリームを借りて使っていますけどね。

13時17分、この男性看護師さんの聞き取りや話し合いが終わりました。
これで今日の病院での仕事はすべて終了です。
コロナ禍でなければ、これからさっちゃんの病室へ行って、しばらくはそこで一緒の時間を過ごすんでしょうが、今はそれが出来ません。
多分、夕食時まで病室にいただろうと思います。
でも、それは不可能ですから、すぐに帰らなければなりません。
コロナ禍の影響をこんな時に受けるとは、哀しいですね。
13時25分、ケアマネさんに報告の電話を入れました。
この日の言語リハビリの中止は伝えてもらっています。
さらに、デイサービスとショートステイの中止も連絡してもらうよう頼みました。

駅へ向かい、ホームで持ってきたお菓子を食べました。
この日初めての食事です。
最寄りの駅中でお弁当を買って、家で食べました。

その後、このブログの文頭のトイレでの涙、朝ドラの録画を観て涙した話になるんです。
夜は何も食べませんでした。
目の奥が痛くて、この日一日、僕は凄く緊張していたんだと思いました。
隣りにさっちゃんのいない布団でひとり横になりました。

11月30日、火曜日。

目の奥の疲れは取れていました。
朝食をしっかりと食べて、入院手続きの書類を書き込んで、持って行きました。
入院保証金5万円も持って行きます。
これは退院時に精算されます。

行き帰りを自転車で行きました。
片道30分くらいですね。
帰って来て、早めの夕食を取り、このブログを書きました。

すぐ書き終わると思っていましたが、すでに真夜中を過ぎています。
文字のレイアウトなどをすると、終了は1時過ぎでしょうかね?
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パッド等に漏れた尿量新記録です。長すぎる睡眠時間もその原因のひとつかもしれません

2021-11-28 22:28:56 | トイレ・排泄
昨日の土曜日のこと、さっちゃんは正午を過ぎてもまったく起き出す気配がありませんでした。
声掛けしても目も開けませんし、あまり無理に起こすのも躊躇われますから、そのまま寝かしておきました。
とは言え、このまま放置すると食事もせずに明日の朝まで寝てしまいそうですから、起こすことにします。

機嫌が悪くならないように、優しく声掛けしながら、やってることは布団剥がし。
でも、意外に穏やかに起きてくれました。
そして、着替えますが、ズボンを穿く前にトイレへ連れて行きます。
3時半でした。
ズボン下を下ろし、リハパンを下ろそうとすると、リハパンの自重で下がって行きます。
パッドがパンパンに張っています。
パッドを外し、リハパンもチェックすると、リハパンもかなり重い。
リハパンを側線で破って脱がせます。
片方のズボン下とソックスを右足から外し、新しいリハパンとパッドを穿かせてあげました。

その後、リハパンとパッドの重量を計ってみると、リハパン240g、パッド550g。
パッドの重量としては今年9月の640gに次いで2番目の重さ。
でも、リハパンの重量は新記録です。
尿重量だけを計算すると、リハパンには184g、パッドには504gで、トータル688gでした。
9月のトータルは681gでしたから、それを僅かに抜いてしまいました。
しかも、9月の際はリハパンからは漏れ出していなかったのですが、今回は少し漏れ出したようです。
ズボン下が心持ち湿っているような気がして、着替えましたからね。


おしっこをたくさん漏らすことは、それ自体はあまり悪いことではありません。
しっかりと水分を摂った結果ですからね。
今回僕が問題だなぁと思っているのは、漏らした尿量が多いことのひとつの原因が睡眠時間の長さによるものだからです。
寝ている間も数時間おきに排尿があるとしたら、8時間前後の睡眠時間で2回の排尿があるのでしょう。
でも、この日のさっちゃんは前の晩9時くらいから寝て、翌日昼の3時過ぎですから、18時間以上寝ています。
この間、数回の排尿があっても不思議ではありません。
1回の排尿目安を150gとすると、4回で600g、5回なら750gですからね。

さっちゃんは昼間どれだけ寝ても、昼夜逆転は起きたことがありません。
それもあって、昼間でも眠たそうだったり、テーブルに突っ伏して寝ようとしたりしていると、布団へ入れていました。
基本的にはそれで構わないと、今でも僕は思っていますが、まずは排尿の面で僕にも問題意識が生じました。

最近、ただでさえ長かった睡眠時間がさらに長くなっていくようです。
今日も昼の2時くらいに声掛けしたのですが、ぐっすりと寝ていて、反応がありませんでした。
あまりにも起床時間が遅くなると、散歩に行けなくなるのも問題なんです。
3時起床だと、それからいろいろなルーティーンをして食事をすると、4時になってしまい、30分後には日没なんです。
昨日は寒くて風も強かったからなんですが、起床が遅いこともあって、散歩は取り止めにしました。

デイサービス等がある日はある程度無理をさせてでも起こしていますから、何も予定がない日もせめて正午までには起こした方がいいのかもしれません。
今後、考えておこうかと思います。
ちなみに今、日曜日の午後3時13分ですが、さっちゃんは寝ています。
しきりに何か独り言を喋っています。
喋っている時も、目を開けて喋っていることもありますし、寝言の場合もあります。
今はどうなんだろう?
声を掛けてみると、起きてはいるようですね。
目は開けませんが、「起きてるの?」と聞くと「うん」と返事してくれました。

この後、大変なことに気付くのですが、そのことは別に記そうと思います。
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僕自身の登山が再開されました。同時にもうひとつのブログ『ザイルと焚火と焼酎と』も

2021-11-27 23:18:35 | ザイルと焚火と焼酎と
先週の土曜日にさっちゃんは初めてショートステイへ行きました。
そして、土曜日と日曜日の晩をショートステイで泊まりました。
一方、僕は日曜日3年ぶりくらいでしょうか、自分の登山を実行することが出来ました。

調べてみると、2018年まではYYDの仲間と僕は沢登りをしていますね。
さっちゃんが家で留守番を出来ていたからです。
さっちゃんとは2019年夏までは沢歩き、楽なハイキング2020年までは行なっていました。
コロナ禍の影響もあって、今年はハイキングも出来ていません。
歩いてもいいかなと思い始めたころには、さっちゃんは階段の上り下りも少し下手になって来ていました。
山道はこれでは無理です。
それに、普段の散歩もすぐに疲労が腰に現われるようになってしまいました。
ただ、さっちゃんとどれだけ多くハイキングに行ったとしても、僕の山体力は確実に衰えて行きます。
何故なら、歩く距離も時間も短いですし、歩くスピードもかなり遅いからです。

今後、月に1回か2回は自分自身の登山が出来ると思います。
その第一目標は「山体力の回復」ですね。
以前と同レベルとまでは言いません。
半分のレベルでいいので、山体力を早く取り戻したいですね。

では、長い山行記録になりますが、興味おありでしたら、僕のもうひとつのブログ『ザイルと焚火と焼酎と』を読んで見てください。
何年振りかの普通の山歩きを奥多摩駅裏の本仁田山で行ないました。山体力が悲惨なほど低下しています


肉体へのダメージはやはり相当ありました。
僕は膝痛持ちなんですが、その膝中心に痛みが金曜日くらいまで残りました。
登山中は膝サポーターをしていますから、痛くはなりません。
それに膝周辺の筋肉のサポーターも自前で持っていますから、下山後も痛くなることはなかったのです。
登山を頻繁に行なうようになった20代後半に、おそらく下山の仕方が下手で無理をしたせいだと思いますが、すぐに膝を傷めてしまったのです。
その後、さまざま試した結果、膝周りの筋肉をジムでのトレーニングによって鍛えることにしたのです。
その膝周りの筋肉にここ数年負荷を掛けていませんでしたから、衰えてしまったんでしょうね。

も膝から2日ほど遅れて痛くなりました。
でも、それほど酷くはありません。
当然、全身の筋肉が少し痛くて、強張っています。
たった5時間ほど歩いただけなのに、肉体が受けるダメージは過酷なものでした。
でも、このレベルの山行を2度3度続ければ、これくらいの山行には大丈夫な肉体は取り戻せると思います。
それ以上のレベルに関しては、その後考えることにしましょう。

取り敢えずは復活の狼煙を上げることが出来て幸せです。
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ケアマネさんの口から初めて施設入所の話が出ました

2021-11-24 23:49:53 | 特養などのこと
昨日のデイサービスはさっちゃんはほとんど眠っていたそうです。
お風呂だけは起こして入ってもらったようですね。
ショートステイの影響なんでしょうか? 
いつもよりも疲れているのでしょうかね?
家に居ても、1日中眠っているような日もありますから、ショートステイが原因だとばかりは言えないでしょうが。

今日もさっちゃんはよく寝ています。
せめて正午前には起きて欲しいので、カーテンも開けて、ダイニングとの間の戸も開けておくのですが、ぐっすりと眠り続けています。
結局、1時に声掛けをし、起きてもらいました。
1時半から食事をし、ケアマネのT口さんが来られる直前に食べ終わりました。
そう、今日はいつもの月に1度のケアマネさん来訪の日だったんです。

今日のケアマネさんはいきなり12月の利用票や居宅サービス計画書の説明から始まりました。
いつもはさっちゃんの話し相手をひとしきりしてくださるのですけどね。
多分、この後ほかの用事がすぐに入っていたのでしょうね。

そんな書類関係の話が終了して、最後のひと時、こんな話題をケアマネさんが僕に振りました。
「施設入所とかは考えておられますか?」と。
僕は「特養とかのことですか?」と確認します。
「そうですね。もし考えているのでしたら、すぐには入所できないので、早めに申し込んでおいた方がいいかと」
入所申し込みをしてから、どれくらいで入所できるのか等の話題をひと通りしてから、
「入所に関してはどのように考えておられるのですか?」と聞かれました。
僕は現時点ではまったく考えていないこと、とは言え将来そういう選択肢もあることは理解していると話しました。

また、可能な限り在宅介護を続けていきたいとも話しました。
それに今のさっちゃんの状態は一時期よりも穏やかで、僕にとってもになっていること。
その穏やかさがさっちゃん自身の変化によるものなのか、僕自身の成長によるものなのか分かりませんけどね。
僕だって若干は成長したでしょうけれど、さっちゃん自身が穏やかになっている気がする、そう話しました。
穏やかと言えば聞こえのいい表現ですけれど、様々なことへの感受性が弱くなったことでもあります。

2016年に認知症だとの診断を受けてから、さっちゃんの状態は年々急速に変化しています。
どちらかと言うと、肉体的にも精神的にも不活発になっていってますから、必ずしも介護が大変になる部分ばかりではありません。
トイレに関しては、オムツ生活になってから、それ以前のお漏らしアクシデント騒動みたいなことがなくなって、実にです。
食事にしろ、服薬にせよ、全介助だったり、食事に混ぜて分からないように飲んでもらうことの方が僕としてはなんです。
この6年間近くの変化の様子からも、今後2、3年でさらに大きく変わることは推測できます。
どういう風に変化するのかまでは想像も出来ません。
そういう点を考慮して、ケアマネさんが施設入所のことをこの段階で口にされたのも理解できます。

僕はケアマネさんに言いました。
「可能な限り一緒に暮らして行きたいんです」
「今の介護生活が出来なくなりそうな要因が芽生え始めた時に、施設入所のことも考え始めます」
「今はそんな要因はありませんから一切考えていません」


まあ、確かにそんな要因が突発的に発生することもあるでしょうから、ケアマネさんのおっしゃる理由も分かりますけどね。
ケアマネさんは「そうですね。それでいいと思いますよ」とおっしゃってくださいました。
おそらくそれは単純な同意ではなくて、僕の考え方への尊重だと思います。


ケアマネさんがいつもより早めに帰られ、それから僕とさっちゃんは散歩に出かけました。


▲14:45。サザンカの花と青空をバックにさっちゃんを撮りました。顔を隠すので、のっぺらぼうになってしまいましたね。


▲14:48。奥多摩の山々もよく見えています。


▲14:52。照葉常緑樹に映るふたりの影。


▲14:57。この道は二人で手を繋いで歩くと、自転車がすり抜けられません。後方から来る自転車の接近を常に気に掛けなければなりません。右の森は多摩川河川敷の自然林です。


▲15:27。今日は少しだけ散歩の距離を延ばしました。1時間コースです。この近辺の今年の紅葉はあまり良くないように感じますが、どうなんでしょうね。鮮やかに紅葉せず、少し枯れた感じの紅葉です。鴨は1羽だけいました。ほとんどの鴨は番(つがい)でいるのですが、こいつだけはいつも1羽です。多分、同じ鴨だと思います。パートナーに先立たれたんでしょうか?
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さっちゃんが初めてのショ-トステイ体験から帰って来ました

2021-11-22 23:54:50 | ショートステイ
さっちゃんは人生初のショートステイ土曜日から今日月曜日まで体験して来ました。
土曜日も日曜日も施設から電話が来るんじゃないかとずっと気にしてました。
さっちゃんが何か問題を起こして、「もう面倒見切れません。引き取りに来てください」とか言われるんじゃないかと。
今頃は食事かなとか、もう寝たかなとか、知らされているスケジュールに合わせていろいろと心配ばかりしていました。
僕が部屋に居ても、さっちゃん一人が居ないだけで、部屋の雰囲気はいつも以上にシ~ンと静まり返るんですね。
さっちゃんが布団で寝てる時の静かさと同じはずなのに、それ以上に寂しいくらいに静かです。
人にはやっぱり存在感とか気配とかがあるんでしょうね。

今日月曜日はY田先生の言語リハビリの日です。
ショートステイから自宅に送ってくれる時間は2時半から3時くらいなんです。
それでは言語リハビリが終わってしまいますから、間に合うように僕が迎えに行かなければなりません。
言語リハビリ開始の2時のすぐ前帰宅では、さっちゃんはまだ疲れているかもしれません。
帰宅してから言語リハビリが始まるまで、少しでも体を休める時間があった方がいいでしょう。

という訳で、僕はさっちゃんを午前中に迎えに行くことにしました。
昨日からの天気予報では月曜日は雨。
でも、朝起きると雨はまだ降っていません。
朝食を摂ってから、10時前に家を出ることにしました。
施設に到着したのは10時半ころ。
「さっちゃんの夫です。迎えに来ました」と告げます。
午前中に迎えに行くことは契約の段階で話をしてありますからね。

まだ、雨は降っていません。
気象庁のナウキャストでは確認するたびに雨の降りだす時間が遅くなっていってます。
雨が降ったら施設から家までタクシーで帰ろうと思っていました。
何とかタクシーを使わずに帰れそうです。

そんなことを考えていると、男性スタッフに連れられてさっちゃんが玄関まで下りて来ました。
第一印象は「あれっ? 体が左に少し傾いてるな?」というもの。
ほんの少し、分からないほどですが体が左に傾いているのです。
さっちゃんは普通疲れたりすると体が右に傾くんです。
ほんのちょっとだけですが、逆の左に傾いているので不思議でした。

自動ドアが開いて僕の前にさっちゃんが来ました。
感動的な再会、さっちゃんが僕に気付いて笑顔を浮かべたり、僕のことを怒り出したり、・・・・
そんな印象的なシーンは展開されませんでした。
さっちゃんは無表情、無言のままです。
どちらかと言えば、ちょっと怒ってるような疲れてるような印象です。

さっちゃんと手を繋いですぐ近くの駅へ向かいました。
僕の足で徒歩5分ほどです。
最初は無言だったさっちゃんですが、歩き始めると少しずつ小さな声で喋り始めました。
やはり最初の印象通り、さっちゃんの喋りの中にも怒りや疲れの雰囲気がありました。
まあ、それは仕方のないことです。
初めての場所、初めての人々に囲まれて、いきなり2晩も泊まったんですから。

電車で隣りの駅まで乗って、まだ雨は降りそうにありませんでしたから、家まで歩くことにしました。
歩きながらのさっちゃんの喋り声は、だんだんと普段の声の大きさにまで戻って来ました。
見慣れた風景に囲まれて、さっちゃんも安心したのでしょうか?
家の直前で僕は久し振りの感動を覚えました。
2往復の会話が突然成立したからです。
僕:「家に戻って来たよ」
さっちゃん:「本当?」
僕:「もうすぐだよ」
さっちゃん:「うん」


家に着くと、着替え、トイレへ行き、手を消毒し、布団で横になってもらいました。
すぐに眠りに就いたようでした。
12時でした。

1時半ころ、さっちゃんを起こしました。
ラコール+牛乳を少し温め、飲んでもらいます。
ヨーグルトを1個食べました。
するとY田先生が来られました。


ショートステイからは『利用中のご様子』という報告書が付いて来ます。
その中の、最後のコメント欄には次のように書かれていました。
全文をそのまま載せておきます。
「ご利用中のご様子ですが、日中はウトウトされていることが多くありました。夕方頃からは活気あり落ち着かずフロアー内を歩いたりすることもありました。その際は、職員付き添い対応しています。食事は介助を行いまして、毎食ほぼ全量召し上がっています。持参されましたラコールも1日1本飲んでいただきました。なかなか上手くコミュニケーションが取れなこともあり、介護拒否で手が出てきてしまうこともありました。
夜間は20時過ぎには入床していただきましたが、眠れない様子ですぐに起きてしまいました。ベッドに慣れていないためか、ベッド上に立ち上がろうとしてしまうこともありましたので、廊下の職員が待機する場所にいっしょに座り、見守りしながら過ごしていただきました。22~23時過ぎ頃から眠そうな様子が見られ休んでいただきました。」


僕が予想していた様子とほぼ同じような感じですね。
それにしても、朝食・昼食・夕食をほぼ完食とは素晴らしいと思います。
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天覧山ひとり岩トレ№33も前週に引き続き、いい結果でした。それほどいい結果が続かなくてもいいのですがね

2021-11-21 23:56:36 | 僕の自由時間
18日木曜日天覧山ひとり岩トレ№33は、問題なく朝のルーティーンが進行し、いつも通り最下部岩場に到着しました。
コロッケを食べ、チャイを飲みます。
柔軟体操やストレッチをします。

それから最下部岩場の10往復がスタートです。
もうこれ自体はよほどヘマしない限り、失敗はありません。
問題は前々回からスタートさせたタイムトライアルです。
記録は以下の通り。(10往復所要時間・1往復平均時間)
●10月28日
 31分48秒55・3分10秒85
●11月11日
 27分16秒35・2分43秒635


前週の記録が僕の思いとしては凄すぎるので、これをさらに短縮しようとはさらさら思わないことにしました。
きつ過ぎるでしょうし、次のトラバース岩でのパフォーマンスに影響ありそうですからね。
疲れを残したくありませんから。
10往復30分以内が確保できればいいやと思っていました。

1往復目。
前週からのこの日なので、ムーブがまだ体に沁みこんでいます。
1往復終わってスマホを見ると、ななな、何と! 2分35秒・・です!
速い!
その後も、体がスムーズに動きます。
5往復目にまたスマホを見ました。
前回は13分台だったので、この日の感じでは12分台に入っているかもしれないな、とは思いました。
ところが! ところが! 何と! 11分台です!
僕は往復回数を数え間違えたかな? と思いました。
トラバースしながら働かない頭で考えましたが、もし4往復だったとしたら3分×4往復=12分です。
1往復目以降は1往復目よりもスピーディーに出来ていますから、4往復なら確実に10分台にはなっているはず。
ひょっとしたら9分台でも不思議ではないと計算しました。
数え間違いはしていません。
5往復で正しいです。

で、最終結果は?


▲11:31。22分28秒10! 驚くべきタイムです!

前の週より4分50秒近く短縮しています。
前回はその前よりも4分30秒近く短縮しました。
それも凄い! と思っていたのに、さらにそれ以上短縮してしまうとは!
吃驚です!

1往復の平均時間は2分14秒81ですね。
前回よりも29秒ほど短縮しました。

安定的に30分切れればいいや、と目標を設定していたのに、その目標設定は現実と乖離し過ぎちゃいましたね。
こうなればもう、安定的に25分前後で10往復することを目指そうかな?
でも、せっかくのタイムトライアルですから、20分を切ることを目標にしてもいいかもしれませんね。
まあ、なるようになるでしょう。

息も弾んでいますし、筋肉疲労もしたでしょうけれど、前の週ほど辛くは感じていません。
呼吸は落ち着き、心拍数も下がって来ます。
筋肉疲労はあまり感じません。
疲労はしているはずなんですが、肉体がこの休憩なしの10往復に慣れてきたみたいです。


▲11:55。トラバース岩へ登って行く途中の左にこの写真の獅子岩があります。写真下に逆三角形の黒い部分がありますが、ここは洞窟なんです。その上にも出っ張り(ハング)があって、黒く陰になっていますよね。黒いハングが3ヶ所連続しているので、ここを3段ハングと呼んでいます。ハングのいちばん中央部分のルートが5.11bだったと思います。ただ、最上部ハングを乗っ越すときに使っていたホールドが欠けてしまいましたから、5.11cかdにグレードが上がっているはずと思います。30年以上昔、日本のフリールートの最高グレードがまだ5.11台だった(5.12台も僅かならあったのかもしれませんが)時代にはこの3段ハングにも日本の優秀なクライマーが来て、リードしてましたね。

さてさて、お次はトラバース岩7往復です。
前回は最下部岩場の10往復での筋肉疲労が不安要素となっていましたが、今回はほとんど感じません。
当然、筋肉疲労の自覚はあるんですが、だからトラバースに影響があるとまでは感じません。
別に好調感がある訳でもありませんし、いたってニュートラルな感じです。

この日も平日なのにハイカーは多かったですね。
紅葉が美しくなり始めてますからね。
前回ほど息が弾むこともありませんでした。
ハイカーが多いので、待つ時間は多くなります。

1往復目で足が滑って危うい場面があった(足は地面に着きませんでした)だけで、その後は順調でした。
問題なく7往復できました。

7往復終了後、トラバース岩両端での休憩の様子を写真に撮ってみました。


▲13:05。左端(スタート地点)で休憩する姿。スタートは右足を置いているスタンスからなんですが、そこに両足で立ってもあまり休息にはなりません。ですから、左足をさらに左上に上げると、両手を離すことも出来て、ゆっくりと休めます。


▲13:08。右端は乗っかてる杭を足でタッチすればいいことにしています。でも、休憩したいので、写真のように乗って立ちますね。タイマーで写真を撮ったんですが、この杭に乗る手前で岩場に左足の脛をぶつけて2ヶ所、擦り剥いてしまいました。

今年になってから、このトラバース岩を始めた最初は1往復することが大変でした。
夏ごろは2往復半くらいだったかな? そのあたりで失敗が続き足踏み状態でした。
当時のことを思うと今7往復できていることが信じられないくらいです。
ムーブもほぼ体に沁みこんでいますから、10往復まで順調に進むと思います。
10往復達成は来年2月ころでしょうか?

これからも楽しみたいと思っています。
これでこの日の天覧山は終了。


▲13:32。この日は曇りの一日でした。紅葉も青空バックでないと素人には綺麗な写真は撮れませんね。昼から時々少しだけ陽が射すようになりましたから、そんなカエデを狙って撮ってみました。まだ紅葉しきっていない樹も多いので、盛りになるのは今週でしょうか?
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さっちゃんは野菜や果物の名前と姿を覚えてるんだろうか? と僕は思っちゃいました

2021-11-20 22:09:50 | 言語リハビリ
今週も月曜日の言語リハビリの報告を土曜日に書いています。
もう少し早く書きたいですね。
何をやったかとかは、メモを取っているので大丈夫なのですが、さっちゃんへの印象とか微妙な僕の思いとかはほとんど忘れてしまうので・・・・

今日はさっちゃんが認知症になってから、さっちゃんが家に居ない初めての日です。
今朝10時半ころ、ショートステイのスタッフさんが迎えに来てくれました。
さっちゃんは何も知らずに車に乗って行きました。
いつもと違う場所、いつもと違うスタッフさん、いつもと違う利用者さん達、さっちゃんは戸惑ってるでしょうね。
いま夕方5時、「もう帰らないのかなぁ」とか、さっちゃんは思うのでしょうか?
いつもなら、さっちゃんと散歩に出ている時間です。
そんな時間帯に、こうやってブログを書いている。
僕にとっても、いつもとは違う日。
居るべき人が居ない日。
するべきことをしなくてもいい日。
自分の想いの中で穏やかに過ごせる反面、どこかぽっかりと心に穴が開いた感じがなくもありません。

さて、言語リハビリの記録を書き止めておきましょう。

まずはいつも通りバイタルを計りました。
体温36.7度、SpO₂95、血圧119~94、脈拍74。
SpO₂がちょっと低かったですね。

Y田先生が新しいカードを持って来ました。
その中から3枚のカードをさっちゃんの前に並べます。
カードのサイズはハガキより少し小さいくらいでしょうか。
(ピーマン トマト ブドウ)の3枚です。
「写真なんですか?」と僕が聞くと、「絵なんですよ」とY田先生。
写真と見紛うほどの本物そっくりな絵です。
確かに写真よりは色が圧倒的に鮮やかですね。

すると、そのカードの半分以下のサイズの別のカードをY田先生は出します。
ピーマンの小さなカードを見せて、「これはどれかな?」と聞きます。
さっちゃんは出来ません。
質問されていることが分からないのか、質問の内容が分からないのか、質問は分かっても答えが分からないのか、答えは分かっても手が動かないのか・・・・
結果的には、さっちゃんは答えられなかったのですが、何故答えられなかったのかもY田先生や僕にも分かりません。

同じ問いかけをトマトでもブドウでもします。
さっちゃんは答えられません。

別の絵に並び替えました。
(バナナ、リンゴ、ナス)です。
同じことを繰り返しました。

僕のメモに読み辛い下手な文字でこんなことが書かれていました。
「上手くは出来ないが、出来ない理由は何だろう?」
「分かっているような気もする」

この僕のメモの意味はこうなんでしょうね。
質問の意味やどう答えるべきなのかは分かっているけど、言葉に出して答えられない。
さっちゃんを見ていて、そんな雰囲気を僕は感じたんでしょうね。

同じ絵を絵合わせするのは終わって、次にはその野菜や果物の名前を発声するレッスンに入りました。
Y田先生が手を取り、肩を叩いてリズムを作りながら一緒に発声しようとしてくれます。
でも、さっちゃんは出来ません。
ただ、「ナス」はそれらしく言えたかな?
「ピーマン」もそれらしく言えたかな?
Y田先生も僕もさっちゃんに発声してもらいたくて仕方がありませんから、聞こえる音にかなりバイアスがかかっていると思います。
さっちゃんは何やらいろいろと喋っていますから、その中から「ナス」や「ピーマン」と聞こえる部分を切り取って聞いてしまいがちです。

そして、僕は素朴な疑問を覚えました。
「さっちゃんはこれらの野菜や果物の名前や姿を覚えているんだろうか?」
さっちゃんはトマトもブドウもバナナもナスも普段よく食べています。
でも、その元の姿を見ることはありません。
スーパーへ一緒に買い物へ行くことも、もう1年以上はないと思いますから、野菜や果物を見るチャンスもありません。
家でも、料理をほんの一部でも手伝うこともなくなりました。

旧約聖書の『創世記』には最初の人間であるアダムがあらゆるモノに名前を付けるエピソードが出て来ます。
ひとつのモノに対応してひとつの名前が付けられます。
人間にとってモノに名前があることは人間の活動と切り離せない根源的なものであることをこの聖書の記述は示唆してるんだと思います。
その根源的な部分がさっちゃんには欠落しつつあるのではと思えるのです。
モノの姿と名前が結び付かないのですから。
アダムはモノの姿をよく観察して、相応しい名前を付けていったわけですからね。
さっちゃんの脳の中ではモノの姿とその名前がどのように結びついているのでしょうか?
あるいは、どの関連が外されたり消えたりしているのでしょうか?

最後はいつものように歌です。
1曲目は「ふじの山」:頭を雲の上に出し~
2曲目は「シャボン玉」:シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ~
3曲目は「里の秋」:静かな 静かな 里の秋~
4曲目は「旅愁」:ふけゆく秋の夜 旅の空の~


4曲ともさっちゃんは唄ってくれました。
Y田先生も「今日は一緒に唄ってくださる比率が高いですよ」と言います。

さっちゃんは言語リハビリが始まる前はどうだったのか、言語リハビリの最後の方はどうだったのか、5日も経つと覚えていません。
微妙な雰囲気はすべて忘れてしまっています。
早く書かなきゃですね。



▲16:17。言語リハビリが終わってしばらくしてから、さっちゃんと僕は掛かり付けのお医者さんに行きました。薬をもらいに行ったのです。往きの時にはすでに陽が沈みそうでした。帰路は多摩川沿いの公園の中は街灯もなく真っ暗なので、少し遠回りになりますが、住宅街を通って帰りました。
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今日、ショートステイの事業所との契約を行ないました。そして、今週末から2泊3日で利用することも決まりました

2021-11-17 23:53:25 | ショートステイ
さっちゃんが利用するに適当なショートステイ探しは一昨年から始めていました。
でもまだ、それほど切迫感はありませんでしたし(今でも同様ですが)、探し始めたばかりでのんびりしていましたから、1ヶ所の見学をしただけでした。
去年からはコロナ禍で見学も出来ませんし、コロナ禍が通り過ぎてからという気持ちになってしまいました。
今年の秋になってから見学を2ヶ所、電話を2ヶ所したのですが、その中の最後の事業所を利用させてもらうことにしたのです。
兎にも角にも、実際に利用してみないことには何も分かりません。
今回決めたショートステイは利用者の方々にスタッフの目が行き届き易いと思えたからです。

その事業所の生活相談員の方とケアマネさん今日の1時に我が家に来られました。
もちろん、さっちゃんも同席しています。
相談員の方がさっちゃんのことをいろいろと聞くんです。
食事、水分摂取、箸、ストロー、スプーン、食事介助、・・・・、書き切れないほど聞かれ、話しました。
睡眠、ベッド(我が家は床に布団です)、トイレ、お風呂、・・・・、いろんなことを聞かれ、話しました。
家で転ぶことはないかとか、食事中むせることはないかとか、布団からは自分で立ち上がれるのかとか、いろいろ聞かれ、話しました。

いま通っているデイサービスからの報告にも目を通されているようで、その報告内容が話の端に出て来ました。
さっちゃんはデイサービスの昼食は全介助なんですね。
出来るだけ、箸を使って自分で食べてもらうようにしている、と以前聞いていましたから。
まあ、その頃は家でも最初は箸を持たせていましたからね。
我が家同様、すでにデイサビスでも食事は全介助になっていることを知りました。
また、入浴ですが、なかなか湯船には浸かってくれないようで、シャワーだけになることも多いようですね。
湯船にゆっくり浸かれるようなら、それが一番なんですけどね。

利用するに際しての具体的な細々したこともたくさん聞きました。
今後、実際に利用した際にそんなことも書くチャンスがあれば書いておこうと思います。

そして、「介護保険負担限度額認定」制度なんですが、この件で先週市役所に電話してみました。
申請書の書き方や用意すべき資料等について教えてもらうためです。
その際市役所にあるさっちゃんのデータを見てくれたのですが、見た途端に「利用できませんね」と言われてしまいました。
我が家は二人の年金暮らしです。
さっちゃんは厚生年金、僕は国民年金です。
国民年金は皆さんご存知の通り微々たる額です。
さっちゃんの厚生年金も、同じ仕事をしても男以上の仕事をしても給与に明らかな男女差別があった時代ですから、本当に少ないんです。
僕たちは贅沢な暮らしはして来ませんでしたし、さっちゃんが超しっかり者だったので、お金に困ったことはありません。
でも、貧乏暮らしなのは確かです。
そんな貧困家庭なのに、この制度が使えないとは!
この制度が利用できれば、おそらく1日数百円から1000円程度は宿泊費と食費の実費部分が押さえられると思います。
でも、この制度はさっちゃんには適用されません。
その理由は「さっちゃんは税金を払っておられます」からだそうです。
市民税とか都民税のことだと思いますが、払える収入がある人はこの制度を利用できないんだそうです。
次の申告の際はもっとシビアに作成してみようかな、と思いました。
もしかしたら、非課税レベルに成れるのかもしれませんしね。
我が家も節税しなくちゃ・・・・

さっちゃんは途中で疲れてしまったようで、布団で横になってもらいました。
でも、またすぐに起きて来ます。
そんなことを何度も繰り返しましたが、1時間を越えたくらいからは、次第に不機嫌になって来ました。
さっちゃん以外の3人で会話が弾んでいるので、疎外感でも感じたからなんでしょうか?
相談員の方も「もうすぐ終わりますからね。ご免なさいね。すぐ帰りますからね」とさっちゃんに言います。

初回の利用ですが、最初は1泊からスタートした方がいいのだろうかとも思いましたが、
相談員さんのご意見も伺って、やはり2泊3日でスタートすることにしました。
前もってケアマネさんから教えてもらっていた通り、今週末に空きがあるとのことで、さっそく土日月で利用することにしました。
当面は土日月2泊3日の利用を月に2回のペースで利用しようと思っています。

土曜日に面会に行って、一緒に近所を散歩したかったのですが、今はコロナ禍で面会は出来なくなっているそうなんです。
残念・・・・
月曜日は午後2時から言語リハビリですから、午前中さっちゃんを迎えに行くことにします。
施設側の送る(帰る)時刻は午後3時くらいになってしまいますから、僕が迎えに行くことになります。
遅くとも11時半までに来て欲しいと言われました。
僕としては10時台に迎えに行ければいいなと考えています。
帰宅して、ゆっくりと落ち着く時間が十分に取れてから言語リハビリが出来るようにしたいと思っていますからね。
明々後日の土曜日にはショートステイの利用が始まります。
さっちゃんは馴染んでくれるでしょうか?
最初は戸惑うでしょうね。
不安にも感じるでしょうね。
そんなことを思うと、可哀想に感じてしまいますけれど、早く慣れてくれることを願っています。
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木曜日の天覧山ひとり岩トレ№32は何故か結果が良かったですね

2021-11-15 23:56:03 | 僕の自由時間
木曜日の朝はさっちゃんをデイサービスへ送り出すために、僕は6時に起きることにしています。
そのためにアラームを2つセットしています。
その内ひとつは解除しない限り5分おきに鳴り続けるのです。
そのアラームを僕は止め続けました。
何回止めたかは記憶していませんが、そのうち鳴っていても起きなくなってしまったみたいです。
アラームも永遠に鳴り続けるわけではなさそうですね。
おそらく30分ほどが限度なんでしょう。

僕が次に目覚めた時はすでに7時でした。
お湯を沸かして、コーヒー豆を挽いて、ドリップしながら、ベーコンエッグを作って、トマトとレタスを皿によそおう。
イギリスパンも焼いて、マーガリンを塗り、ジャムをパンの半分だけに載せる。
こんな風な僕の朝食を特急で作って食べたとしても、最短で30分はかかります。
その他にも僕自身が個人的にやるべきことにかかる時間は10分では終わりません。
20、30分はかかります。
ですから、僕はいつもの朝食は諦めて、ちょうどあった豚まんを1個チンして食べたのです。

その後、さっちゃんを起こして、朝食を食べてもらって、デイサービスへと送り出しました。
さっちゃんを送り出すと、僕はすぐに着替えて、駅へ向かいます。
いつもはコロッケと塩くるみパンを買うのですが、この日はサンドイッチと塩くるみパン。

電車に乗って、駅に着くと、駅のトイレに入りました。
家でゆっくりトイレに入る時間も取れなかったから。
この日の朝はバタバタしましたけれど、家を出てしまえば全てが僕の自由時間です!


▲10:29。駅から飯能市の中心街を通り抜け、住宅街から天覧山山頂が見えるようになります。この天覧山の南面に幾つかの岩場が点在しています。


▲10:30。飯能幼稚園のマスコットの山羊。通るたびに姿だけは見ることにしています。とりわけ愛想がいい山羊でもないのですけどね。


▲10:53。朝ご飯のサンドイッチとドリップコーヒー。最下部岩場前の広場です。

本当は朝、爪を切ろうと思っていたのですが、時間がなくて、爪切りだけを持って来ました。
ここで爪を切りました。
切り終わった後からはいつもと同じ。
ストレッチや柔軟体操をしてから、最下部岩場のトラバース10往復です。
前回からスマホのストップウォッチでかかった時間を計ることにしました。
前回は10往復で31分48秒55、1往復平均が3分10秒85です。

スマホのストップウォッチをセットし、トラバーススタート。
1往復したところで地面の枯葉の上に置いてあるスマホを見ると、左端の数字がです。
何と、2分台で1往復したのです!
何秒かまでは確認できませんでしたが、「へぇ~っ! 速いな!」と思いました。
2往復目は5分台、3往復目は8分台でした。
このあたりから次第に記録への欲が生まれて来たようです。

何も時間短縮を重要な目標にしているわけではありません。
ほんの少しずつでも、スムーズに動けるようになって、数秒ずつでも時間が短縮できればいいな、と思っているだけなんです。
とは言え、欲は出るものですね。
4往復目は11分台、そして何と! 5往復目は13分台が出てしまいました!

前回も時間を計るとなれば、両端の両手を離して休める場所でほとんど休みませんでした。
とは言え、時々は数秒から10秒近くは休んだものです。
でも今回は、まったく休みません。
これまでは息が弾むようなペースで行なったことはないのですが、この時は息が弾んでます。
ふ~ふ~は~は~と呼吸数も増え、心拍数も増えています。

そして、10往復終了。
ストップウォッチを止めました。
あれ~っ? 止まっていません。
タイムの数字は動き続けています。
再度止めましたが、駄目。
再々度止めましたが、やっぱり駄目。
スマホ画面をよ~く見て、やっと分かりました。
今度こそは止まるはず。
正しい場所をタッチして、止まりました。


▲11:54。最初の3回ラップをタッチしたようですね。ですから、一番下のスプリットタイムが正式なタイムです。

10往復で27分16秒35!
1往復平均を計算すると、2分43秒635!!

これはちょっと出来過ぎのタイムですね。
前回より10往復で約4分30秒、1往復平均では約27秒も縮めてしまいました。
このタイムを次回から基準にするときつ過ぎるでしょうから、このタイムは基準にはしません。
次回からはコンスタントに10往復を30分以下で出来るように頑張ろうと思います。

10往復終了後、呼吸と鼓動を整えました。
これは何とかなるのですが、筋肉疲労は急速回復はしません。
前回2往復半で落下した原因のひとつが筋肉疲労だったと思っています。
今回も何となく不安です。


▲12:21。上のトラバース岩に上がって来て、腰かけられる緩やかな岩場で体を倒して休息を取りました。そこから右前に見える景色がこの写真です。岩場にハイキングコースが作られています。普段山を歩かない人にとっては緊張する場所です。下から登って来たハイカーはこの写真中央に立つと、皆歓声を上げます。左や前方の風景が一気に開けるからです。この日は快晴の爽やかな日でした。

平日ですけれど、この日はハイカーが大勢通りました。
そのたびに、僕は岩場で待機します。
出来るだけ両端の両手を離せる場所で待機します。
時には岩場の途中で待機しなければならないこともありますが、そんな場所での待機は筋肉疲労が進んでしまいます。

この日の目標は6往復半。
前回と同じです。
さ~て、始めよう。
と思った途端、ハイカーの声が聞こえました。スタート地点で待機して休みます。
左から右へ、半往復して、僕の息はかなり上がっています。
右端で深呼吸したり、腕のストレッチをしたり、十分な休息を取りました。
かといって、筋肉疲労が取れるわけではありませんけどね。

1往復、1往復半、2往復、2往復半、・・・・
半往復するたびに息がすごく弾んでいます。
半往復の両端で毎回長く休みます。
ハイカーも来るので、それで休むこともよくありました。

そんな感じで両端で休みながらゆっくりと時間をかけてトラバースしたことが功を奏したんでしょうか?
6往復半できてしまいました!
今回は7往復には進みませんでした。
やれば出来たのかもしれませんが、次回のハードルを上げたくなかったのが正直な気持ち。


▲13:23。左のザックが置いてある場所が、僕の休息場所。その右にトラバース岩があります。南向きの岩場ですから、北風の強い冬でも半袖で出来そうな暖かい場所なんです。

すぐに間に合いそうな電車がありましたから、6往復半達成後はすぐに下山し、駅へ向かいました。
途中でいつものお団子屋さんでみたらし団子1本を買って食べます。

多くても週に1度のたった正味2時間ほどの運動ですが、全身の筋肉を使う本当にいい運動です。
体重も僕は普段62kg前後なんですが、帰宅後計ったら60.5kgでした。
食生活をいい加減にしないで、60kgを目指したいと思っています。
10年ほど前(もっと前からだったかな?)から目標体重は60kgなんですけどね。
60kgというのは、まだ腹筋の割れ目が見えていた30歳ころの僕の体重です。
現在は筋肉量もかなり落ちていますから、同じ体重になったとしても肉体の性能は比較にならないでしょうけどね。
山を登っていても怠惰な食生活をしていると、すぐに64kgになってしまいます。

翌日全身の筋肉が強張っていました。
腕、手、指、足、脚はもちろんですが、肩、胸、背中、腹回りや腰回りの筋肉が強張っていました。
つまり、正真正銘の全身ですね。
2日後はもっと酷い筋肉痛になるだろうと覚悟していましたが、翌日ほどではありませんでした。
1、2週間おきには確実に運動していますから、僕の体もそれに慣れて、それなりに筋肉も付いて来たのでしょうね。
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10日の水曜日はリハビリ科の診察がありました。やっぱり、ちょっと遠い病院へ通うのはさっちゃんにとっては大変なことのようです

2021-11-14 23:58:32 | 病院
水曜日2ヶ月ぶりのリハビリ科の先生による診察がありました。
その後、T田先生による言語リハビリも予定されていました。
先月の神経内科の先生の診察は何とか無事に終了しましたが、結構大変でした。
その時のブログはこちら。
今日は3ヶ月に一度の神経内科N川先生の診察がありました。・・・・

駅まで25分歩き、電車に10分ほど乗って、病院まで20分歩き、自分の番が来るまで待合室で待機する。
このことがさっちゃんには想像できないくらいの大きなストレスになるようなんです。
病院へ着くころには少し不機嫌な様子が見え始めていました。
待合室に入るころには完全に不機嫌でした。
待合室の椅子にじっと座っていることが出来ず、立ち上がって運動系のリハビリ室にフラフラと入って行こうとします。
僕が追いかけて止めようとすると、大きな声を出して怒ります。
そんな時はしばらく歩くと、少しは落ち着きますから、待合室から出てその階をぐるりと一周歩いて来ました。
戻って来ても、さっちゃんはとても怒りっぽい状態が継続しています。
待合室にいる他の方に触ろうとしたりするので、その手を止めると、また大きな声を発して怒ります。

それはF川先生の診察の時も続いていて、僕に怒りの眼と言葉を向け続けていました。
診察自体は先生が僕に最近のさっちゃんの様子、とりわけ変化したこと等を聞くだけです。
簡単に終了。
次回診察の日程を決めるのですが、F川先生は「神経内科のN川先生が1月にあるので、同じ日でいいかな?」と言います。
以前ならそれが良かったのでしょうが、最近は駄目です。
同じ日に神経内科とリハビリ科のふたつの診察をこなすのはさっちゃんには無理かもしれません。
結局、2月にしてもらいました。

F川先生の診察後は、T田先生の言語リハビリです。
さっちゃんの怒りっぽくてちょっと不穏な状況は続いています。
言語リハビリの部屋に入るのがまずは大変でした。
入ってからも、さっちゃんはリハビリメニューを行なえるような様子ではありません。
T田先生もそれは分かりますから、様々な事柄について僕から情報を得る時間として活用してくれました。
途中でも、リハビリメニューをやってみようとはしてくださいましたが、到底そんなことが出来る状況ではありませんでした。
その部屋から出て行こうとしないことの方が、僕には不思議なくらいでした。
結局、いつもよりずっと短い時間でその日は終了。

いつもなら、別れ際にはさっちゃんはT田先生にどこか名残惜しそうに喋りかけ続けるのですが、その日はそれも無し。
最後の挨拶も、いつもならそれらしく出来るのですが、この日は何も無し。

ただ、会計の窓口にその日のファイルを出し、自分の受付番号が掲示板に出たら機械で会計を済ます。
その30分間くらいが大変になることも多いのですが、この日は順調に進行できました。
次の電車まで20分を切っていたので、普通に歩けば20分かかるところを、ちょっとだけ急いでもらって間に合いました。


まあ、病院通いのたびにさっちゃんには大きなストレスがかかって、診察や言語リハビリどころではないことも多々ありました。
そんな理由もあって、訪問言語リハビリに切り替えたのです。
月曜日の訪問言語リハビリでは今回の水曜日のようなストレスはありません。
もちろん、さっちゃん自身の調子の良し悪しはありますけれど、外的要因によるストレスはないのです。
訪問言語リハビリに替えて良かったと思いました。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

土曜日散歩です。


▲15:34。このブログでもたびたび登場する猫です。虎毛の野良猫。すぐ近くまでは近寄れるのですが、手を伸ばせば届きそうな距離になると、静かに遠ざかります。


▲16:00。湧水沿いの散歩道に珍しくシラサギが飛んできました。さっちゃんは気が付いていないのか、普通に歩いて進みます。さっちゃんのすぐ近くで飛び立っても気付かなかったのか、関心がなかったのか、無反応でした。

続いて、今日日曜日散歩です。


▲13:41。日曜日ですから、まだ暖かい時間帯に散歩しました。


▲14:00。多摩川土手から降りて来た舗装道でお決まりの影ショット。さっちゃんの腰が曲がっていますね。腰が伸びていれば、時間も早いですし、もう少し先まで足を延ばしたかったんですけどね。


▲14:06。湧水の水辺です。ジャンパーと毛の帽子は暑かったので、多摩川土手で脱ぎました。さっちゃんがいま着ているブルーの上着は2013年に二人でNZに行った際に買ったもの。ニュージーランドのアウトドアブランドKathmanduの製品です。僕は着るものには無頓着なので何も買いませんでしたけれど、さっちゃんはセールなどで安くてセンスのいいものを幾つか買っていましたね。


▲14:06。がたくさん集まっていました。さっちゃんは鯉にはあまり関心がないようです。


▲14:07。カルガモです。今日は12羽いました。


▲14:08。さっちゃんの腰はやはり曲がっていますね。疲れている証拠でもあります。

散歩から戻り、5時過ぎくらいから僕は夕食の準備。
お味噌汁カリフラワーとジャガイモと豚ひき肉のカレー炒めを作りました。
薄切りしたタマネギをキツネ色になるまで炒め、唐辛子、クミン、コリアンダー、カルダモン、ターメリック、ショウガ、ニンニクを加え炒めます。
さらにヨーグルト200ccを液状にしてから加え、水分が飛ぶまで炒めます。
その後、ひき肉、カリフラワー、ジャガイモを加えて炒め、しばらくしてから水も少し加えて軟らかくなるまで煮ます。
味は塩、胡椒、本だしの素、ガラムマサラなどで適当に。



▲19:06。右下の玉子かけご飯から時計回りに。キウイ1個と柿半分、お味噌汁(具はあげ、えのき、大根、白菜、ターツァイ)、クリームチーズ1個と花豆4粒とサラダチキン15g、カリフラワーとジャガイモと豚ひき肉のカレー炒め。

さっちゃんはいつも通りに食事を始めたんですが、3周目くらいで目をつむってしまい、食べようとしません。
それ以上食べてもらおうと僕が努力しても、受け付けてくれませんでした。
仕方なく寝てもらうことに。
就寝前の口腔ケアもトイレも嫌がってしてくれません。
寝巻きへの着替えも抵抗しましたが、何とか着替えてもらえました。
それ以降、一度も起き出さず(起きて来たら、トイレには連れて行きたいのですが)ずっと眠り続けています。
久し振りに夕食をほとんど食べない夜でした。
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