さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

胃瘻造設手術は無事終了し、さっちゃんの退院の日も決まりました

2022-07-30 17:44:25 | 胃瘻

さっちゃんの胃瘻造設手術今週の水曜日に行なわれました。

病院から何の連絡もありませんでしたから、何事もなく無事に終了したものと思っています。

昨日の夕方と今朝、T病院から電話が入りました。

ちょうど僕が電話に出ることが出来なくて、こちらから掛け直したのですが、繋がりません。

昨日は受付の対応時間を過ぎていたからでしょうね。

今朝は出ることが出来ました。

予想通り、退院の件についてです。

 

退院は8月3日(水)になりました。

僕が9時に病院へ行き、9時半に介護タクシーでI老健へ向かい、10時に到着というスケジュールです。

入院費もその時に支払いますから、概算を教えてもらいます。

もちろん、その電話で手術が無事終了したことや、その後も順調なことを教えていただきました。

僕は洗濯物のことも聞きました。

寝巻きは十分な数あるとは思いますが、あまり残らなかったなら、I老健に再入所してすぐが忙しくなりそうですからね。

 

ちょうどお昼過ぎに買い物に出かけている時、しかも自転車に乗った僕がT病院の真ん前を通りかかった時に電話が入りました。

洗濯物が1着分あるとのことです。

こんなに近くに来ていますから、当然受け取りに行くことにします。

病棟でさっちゃんの寝巻きを受け取りました。

さっちゃん担当の看護師さんではありませんでしたから、さっちゃんの様子を聞くことは出来ませんでしたが、何となく安心できましたね。

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胃瘻造設手術のために入院するさっちゃん。僕は105日ぶりにさっちゃんに会い、手を握り、身体に触れました

2022-07-26 23:53:25 | 胃瘻

昨日7月25日は胃瘻造設手術のためにさっちゃんがT病院に入院する日でした。

朝10時20分にI老健へ電話を入れました。

今日のスケジュールの確認です。

特に、T病院での手続き終了後、I老健へ戻って来る必要があるのか否かがポイントでした。

戻ってくる必要はなく、病院からは直接帰宅してもいいとのことでした。

ですから、自宅から比較的近いT病院まで自転車で行き、そこからI老健までは歩くことにしました。

40分くらい歩きました。

 

I老健へ12時30分ころに着き、洗濯物の交換をしようとすると、「退所するので預かれません」とのこと。

「来週にはまた戻って来るのですから」と言ったのですが、無理なようです。

洗濯物ばかりか、櫛やクリーム、口腔ケア用品まで全部の所持品を渡されましたから、僕も諦めざるを得ません。

ザックはパンパンになり、その上、大きな紙袋まで手にしています。

 

するとすぐに、さっちゃんが車椅子に乗ってこちらに来ました。

105日ぶりの再会です。

実に、コロナ憎し! ですね。

コロナ禍がなければ、毎日面会が出来たのに!

玄関前で待機していてくださった介護タクシーに乗りました。

 

▲12:37。介護タクシーの中です。今回はさっちゃんの車椅子のすぐ横の席に座ることが出来ました。さっちゃんの手を取って、ずっと握ったり擦ったりしていました。でも、さっちゃんはずっと目を閉じたまま。眠たいのでしょうか? 何も喋りません。

 

T病院に着くと、介護タクシーの方2名と僕だけですから、どこで受付してもらえばいいのか分かりません。

介護タクシーの方が受付で聞いてくれています。

入退院窓口へ行き、その前で待つことになりました。

 

▲13:12。入退院窓口の前です。さっちゃんは頻繁に目を開けてくれるようになりました。それに小声ですが、なにやら喋ったりもしています。もちろん意味不明ですけどね。僕はさっちゃんの手を握って、肩を抱いたり、額を撫でたりし続けています。以前のデイサービスでもそうでしたが、さっちゃんはよく髪の毛を三つ編みにしてもらっています。I老健でも同じみたいで、細い三つ編みですけれど、左右に2本編んでもらっていますね。

 

この後、ストレッチャーが運ばれて来て、そちらに移りました。

写真の車椅子は介護タクシー会社のものですから、介護タクシーの方もやっとお役ご免に。

料金を支払います。

普通のタクシーの5倍はしますね。

 

ストレッチャーで移動しながら、様々な検査を行ないました。

13時45分、綿棒を鼻に入れました。

コロナの抗原検査でしょうね。

13時50分、採血をしました。

けっこう多量の血液を採りましたね。

 

▲14:09。検査と検査の間、長く待たされました。僕は飲み物は持って来ていて、時々飲んでいました。お菓子も持って来ていたのですが、病院内ですから、食べるのは差し控えています。お腹が空きましたね。そのうち、感じなくなってしまいましたけれど。さっちゃんは目を開けている時の方が長くなりました。「目をつむって寝てたら」と言うのですが、目を開け続けていました。この写真で分かるかと思いますが、経鼻経管が鼻とこすれて、鼻に傷が付いていますね。赤くなって痛そうです。管を止めているテープも汗で剥がれそうになっています。

 

14時20分、レントゲン撮影。

14時40分、CT。

ここまでは各部署の看護師さんが次の検査場所まで連れて行ってくれたのですが、ここからはついに自分で行かなければならなくなりました。

「青い線に沿って行ってください」と言われて。

14時50分、生理検査室へ。

ここでは何の検査をしたのでしょうね?

これで検査終了です。

14時57分でした。

 

続いて、15時15分、担当医師とのお話がありました。

胃瘻造設手術の簡単な説明と発生しうる危険性の確認がありました。

また、重篤な事態になった際に、人工呼吸等の延命措置を取らない点の確認もありました。

手術は27日(水)の朝に実施されるそうです。

15分ほどで終わるんだとか。

面会は出来ませんし、立ち合いも不要とのことです。

 

その後、看護師さんからのこれまでの経緯等の聞き取りがありました。

2016年の認知症との診断、2018年の意味性認知症との診断、そして昨年11月からの大腿骨転子部骨折、さらには肺炎。

簡潔に説明しました。

 

16時10分、病棟からベッドを伴って、看護師さんが来ました。

さっちゃんをストレッチャーからベッドへ移し、エレベーターで上階の病棟へ向かいました。

 

▲16:19。病棟に到着しました。これでしばらくはさっちゃんともお別れです。

 

16時20分、さっちゃんは病棟内へ運ばれて行きました。

 

僕にとっては、そこからが長かったですね。

看護師さんから幾つか説明を受けたり、数多くの書類に目を通してサインをしたりしました。

寝巻きや櫛やコップ等、必要なものは病院へ置いておくことになったので助かりました。

最終的にすべてが終了し、帰宅できるようになったのは18時のことでした。

疲れ切ってしまいましたから、夕食を作るのは諦めて、スーパーで惣菜1品買って帰りました。

後は、冷凍したご飯、納豆2パックに玉子も入れて、インスタント味噌汁でした。

この記事も、当日に書くつもりでしたが、何も手を付けずにすぐに寝てしまいました。

疲れました!

病院での時間は本当に疲れます。

 

そして今日、必要なタオルとバスタオルを届けに行きました。

入院申込書兼誓約書も持って行ったのですが、保証人等すぐには記入してもらえません。

何時までならいいのかと質問するつもりだったのですが、記入してなくても大丈夫とのことで、そのまま提出できました。

すべてが完了です。

とりあえずホッとしました。

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4回目の新型コロナワクチン接種もこれまで通りの副反応でした

2022-07-24 17:36:06 | 新型コロナウイルス

7月22日(金)に接種した新型コロナワクチンの副反応に関する報告です。

今回は倦怠感はあまり自覚できませんでした。

と言っても、日常の家事をする気力は起きなかったんですけどね。

土曜日の朝から微熱(37.3度)があり、頭痛もありました。

きつかったのは、頭痛ですね。

倦怠感もあったのでしょうが、自覚症状の第一は頭痛でした。

風邪の頭痛程度なら動けるのですが、副反応での頭痛は動く気力は出ません。

微熱はになると36度台まで下がりましたが、頭痛は夜遅くなってほんの少し収まっただけでした。

当然、食事は作らず、買っておいたプリンを3個とバナナ3本を食べただけです。

他には、冷やした水と牛乳をがぶ飲みしていました。

 

今朝起きると(二度寝してしまったので10時ころでしたが)、頭痛はほぼ収まっていて、とっても空腹でした。

でも、さっちゃんの寝巻きを先に洗濯しなければなりません。

洗濯日和でない日が続き、昨日は僕がダウンしていましたから。

明日、I老健へさっちゃんの洗濯物を届けるので、午前中に洗濯しなければなりません。

洗濯を終え、腹ペコの状態でいつもの朝食(もはや昼食)を作っていただきました。

ワクチン接種後、毎回2日後には通常に戻っています。

 

朝食を食べながら、溜まりに溜まっている録画を観ました。

2020年8月2日に録画した『猫のしっぽ カエルの手』Vol.124です。

イギリス人女性でハーブ園芸家ベニシアさんの自然や人々との関わりをエッセイのような映像で綴った番組です。

どんなきっかけでこの番組を知ったのかは忘れましたが、彼女の夫が梶山正さんだったのが番組を見るようになったきっかけです。

梶山正さんは登山者の中では有名な山岳カメラマンです。

自ら岩を登り、雪山も登る、アルピニストでもあるカメラマンは本当に希少価値です。

そんな希少な山岳カメラマンの中でもトップレベルの方ですから、その奥さんであるベニシアさんにも興味を抱いたという訳です。

僕はハーブのことはあまりよく分かりませんし、園芸もしていません。

でも、自然や庭の植物などと親密に暮らすベニシアさんの生き方には共感できる部分が多いのです。

しかも、舞台が京都の大原です。

京都大原は僕にとっては思いで深い地。

僕が沢登りを楽しむようになったきっかけを与えてくれた地なんです。

 

今は録画もしていませんが、2年前のこのころもほとんどが再放送ばかりでした。

眼の病気が進み、体調が悪いんだろうとは思っていましたが、今日観た番組では最新の(録画ですから2年前のですが)ベニシアさんが映っていました。

2020年の夏至の直後のベニシアさんです。

でも、番組のほとんどはその10年ほど前に撮影された映像ばかりです。

その最新の映像の中でベニシアさんの眼がほとんど見えなくなっていること、歩きづらくなっていることが分かりました。

そして、とても共感できる言葉が、涙なしでは聞けない言葉もありました。

梶山正「ニコニコしてたらいいんだよ。

僕はベニシアがニコニコしてたら、何か悲しそうにしてなかったら、楽しそうにしてたら、それでいいんだよね」

ベニシア「だから、ニコニコするしかないんだよ」

梶山正「ニコニコするの上手やもんな。安心するよね、こっちは」

ベニシア「絶対笑わんとあかんよね。最後まで笑う」

梶山正さんの年上で弱りつつある妻を想う気持ちが痛いほど伝わって来ます。

若いころには当たり前だった笑顔の、本当の素晴らしさがこの年齢、この状況になって初めて理解できるんですよね。

 

ちょっとだけネットでベニシアさんの最近の様子を調べてみました。

関心のある方は見てみてください。

ベニシアさん、介護施設へ | 今日とこれからと (kyoukore.com)

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新型コロナウイルス、4回目のワクチン接種を今日しました

2022-07-22 20:43:10 | 新型コロナウイルス

さっちゃんはI老健を通じて、先月中に4回目のワクチン接種は済んでいるはずです。

僕は今日10時45分からの予定でした。

5分ほど前に会場へ到着すると、すでに入場していて、僕は最後の方の列に並びます。

4回目ともなると、いつも通りの進行ですから、慣れたものです。

 

ワクチン接種を終えると、僕はすぐそばの映画館へ。

『キングダムⅡ遥かなる大地へ』を観ました。

ずいぶん前のこと、新聞に全4面だったか、主人公・信が子供のころの漫画が掲載されたんです。

大将軍になる夢を抱く奴隷の子・信と中国の歴史上初めて中華統一を実現させた若き始皇帝・嬴政(えいせい)とが織りなす壮大な歴史ドラマ。

すぐに惹きつけられて、僕はコミック本を読み始めました。

その第2作目の映画です。

コミック本自体も今65巻までですが、中華統一道遥かといった感じですね。

映画も第2作で主人公・信が初めて戦争に参加したところまで。

一体、第何作まで続くんでしょうかね?

 

映画はもちろん面白かったですけれど、信が一歩兵として初めて戦争体験するだけですから、派手なストーリー展開はありません。

地味ですけれど、今後の展開にとっては重要な作品になるようですね。

 

その後、映画館のすぐそばのニトリでマットレスを購入。

さっちゃんが介護ベッドに寝るようになるまで、さっちゃんと僕はずっとひとつの布団で一緒に寝ていました。

最近ではセミダブルサイズの厚さ6cmほどのマットのような敷布団に寝ていました。

さっちゃんが戻って来たら、介護ベッドの横で僕は寝ますから、6畳の部屋ではセミダブルサイズのマットは敷けません。

ですから、今は昔使っていた幅1mほどの敷布団に寝ています。

でも、古い敷布団なので硬いんです。

山での筋肉痛の回復が遅い原因のひとつがこの硬い敷布団にあるのかもしれないと思って、マットレスを買いました。

低反発4cmマットレス トッパーという商品です。

トッパ―の意味が分からなくて、レジの人に聞きましたが、知りませんでした。

近くの別の店員に聞いてくれたのですが、敷布団の下ではなくて上に敷いた方が効果がある、という意味合いだそうです。

敷布団の上に敷くマットレス! 何やら固定概念が外されてしまいますね。

 

今回のワクチンによる副反応はどんなもんでしょうかね?

1回目だけは少し熱も出た記憶がありますが、僕の副反応は倦怠感が主でした。

翌日は何も出来ずに、丸一日寝て過ごしていました。

今回はどうでしょかね?

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石津窪の遡行は僕の問題点を明瞭に示してくれました

2022-07-21 21:08:11 | ザイルと焚火と焼酎と

昨年の11月から自分のペースで山を歩き始めました。

2021年はさっちゃんが山を歩けなくなっていましたから、僕も山へは行けませんでした。

それまでの2年間、僕はさっちゃんのペースで山を歩いていたわけです。

8ヶ月前から自分のペースで山を歩き始めても、最初は思うようにはまったく歩けませんでした。

標準コースタイムよりもずっと時間がかかるスピードでしか歩けなくなっていたのです。

自分自身の感覚的には、本来の1~2割くらいの山体力に低下していました。

それから努力を続け、今は5割くらいにまで山体力は復活したでしょうか?

高齢ゆえの体力低下は致し方ない部分もありますけれど、せめて本来の7割くらいまでには復活させたいと願っています。

 

小同心クラックの後、その疲労がなかなか抜けません。

『少し長い距離を歩く』シリーズは実践できそうにないと感じています。

ですから、2週連続で短い沢の遡行をすることになったのです。

K野さんにとっては登攀的な沢、僕にとっては短い沢ということで、7月10日(日)石津窪が決まったわけです。

 

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

石津窪をK野さんのリードで遡行しました。僕は自分のリード能力を上げないと、と痛感しました

▲13:09。石津窪の大滝25m。K野さんがリードした後、SRさんがフォロウしています。

 

『ザイルと焚火と焼酎と』の中でも書きましたけれど、自分のクライミング能力低下ショックを受けています。

若い人たちの登攀能力の成長を期待するばかりに、自分の成長や維持を疎かにし過ぎました。

今後は成長中の人間のように、積極的にリードもしていきたいと思います。

後輩たちに遠慮して譲ってばかりいては、自分自身が成長できません。

と言うか、急速に衰えて行ってしまいます。

若者は何もしなくても成長することがありますが、高齢者は何もしないでいると確実に衰えて行くだけです。

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僕の肉体には重い疲労感が残っていましたが、休まずに小さな沢へ出かけました

2022-07-15 14:16:53 | ザイルと焚火と焼酎と

『標準コースタイムで歩く』シリーズ6回こなし、何とか標準コースタイムよりほんの少し短い時間で歩けるようになりました。

続く第2ステージとして、『少し長い距離を歩く』シリーズをたった1回実行しただけでの小同心クラック。

いきなりのベルアップに僕の肉体は悲鳴を上げていました。

でも、翌日以降に肉体に残った疲労感が凄かっただけで、山行中は問題なく体は動いていました。

その疲労感は一週間後も残っていて、『少し長い距離を歩く』シリーズ2回目を実践する気にはなれません。

(小同心クラック登攀の当日は全行動時間が休憩込みで11時間ですから、これは『少し長い距離を歩く』シリーズ№2ですね)

 

それで、どういう計画を立てたかというと、こうです。

短い沢の登下降を組み合わせたのです。

ウルシゲ谷沢左俣、千ガ沢下降、棡葉窪、この3本です。

途中で疲れ切ってしまったら、1本目終了時点でも、2本目の終了時点でも気楽に中止できるんです。

 

この7ヶ月間ちょっと、僕の衰えきった山体力と向き合って来ましたけれど、哀しくもあり、楽しくもあり、ですね。

明らかに若いころの肉体とは違っています。

当り前に出来ていたことが出来なくなったりしています。

でも、若いころと同じこともあります。

繰り返し鍛えれば、体力は向上するということです。

ただし、向上のスピードは遅くなっていますけれど・・・・。

 

山体力復活作戦をスタートさせたころは、なかなか成果が現われなくて気持ちが落ち込むこともありました。

それでもめげずに続けていると、ほんの少しずつ成果が見えて来ました。

さらに続けると、予想や期待以上の成果も現われるようになりました。

小同心クラックもホップ、ステップ、ジャンプのジャンプの気持ちでチャレンジしてみた成果です。

ある程度の山体力の裏付けがあると、心の持ちようも積極的になれます。

 

7月2日の沢登りはちょっと中休み的な山行です。

完全休養も考えたのですが、やっぱり体を動かすことにしたんです。

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を見てください。

ここはウルシゲ谷沢? 千ガ沢下降は期待以上の楽しさ

▲14:24。千ガ沢下降のハイライトは15mF1の懸垂下降。この滝の左側、水流の多い辺りを下降しました。

 

このブログにも書きましたが、上の写真の大滝の懸垂下降後、僕は沢歩きで転倒してしまいました。

転倒は若いころでもなくはないですが、高齢になればどうしても増えてしまいますね。

反射神経は実に衰えていますし、眼も悪くなっていますし。

高齢者が沢登りを続けるには、自らの弱点を自覚して、しっかりと対応することが必要になりますね。

さっちゃんと年間20本以上、30本以上、沢を跳び回っていた頃とは比べようもありません。

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手術日が決まったとの一報が入りました

2022-07-12 22:01:12 | 胃瘻

今日の夕方、5時17分にI老健のS田さんから電話が入りました。

S田さんからの電話ですから、何の件かは分かっています。

でも、最初は「今日は市役所へ行ってレントゲンを撮って来ました」という話でした。

うろ覚えなので、市役所なのかレントゲンなのか、正確には記憶していません。

考えてみると、ちょっと変な気もしますよね。

それはともかく、S田さんは「絶好調ですね。よく喋りますし」と言ってくださいます。

 

続いて、「あっ、そうそう、今日、T病院からも電話が入りましたよ」とS田さん。

(おいおい、この件の方がこの電話の一番の要件だろ!)

胃瘻造設手術のスケジュールが決まったみたいです。

7月25日(月)13時にT病院到着して欲しいということだそうです。

恐らくは、翌日の26日手術、その5~7日後退院、そんな流れみたいですね。

 

ですから、25日12時半までにI老健へ行くことになりました。

介護タクシーを頼んで、T病院へ向かうことになります。

その際、僕は3ヶ月半ぶりさっちゃんと会うことが出来るんです!

覚えてくれているかな~!

不安です。

覚えていても、忘れていても、表情には出ないでしょうけれどね。

さっちゃんもいつもと違う雰囲気に緊張するでしょうしね。

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さっちゃんの胃瘻造設の件が動き始めました

2022-07-08 18:38:57 | 胃瘻

今日の11時半ころ、I老健のS田さんから電話が入りました。

昨日が木曜日主治医の先生の診察がある日でしたから、すぐに「来た~っ!」と思いました。

S田さんの語る内容もまさにそれで、「胃瘻造設の手術をT病院にお願いすることになりました」とのこと。

T病院は僕がいつも買い物をするスーパーの隣りの大きな病院です。

「手術の日程はこれから検討するそうですから決まりましたら連絡します」と、S田さん。

I老健入所後3ヶ月間、進展がありませんでしたけれど、とうとう動き始めました。

僕も気持ちを新たにし、緊張感を持って日々を暮らそうと思います。

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さっちゃんが家に戻って来るまでにやっておきたいことがあります。そのひとつが小同心クラックの登攀でした

2022-07-05 16:24:12 | ザイルと焚火と焼酎と

6月25~26日、八ヶ岳の小同心クラックを登攀しました。

実に9年ぶりの岩登り本番です。

2018年まではYYDのメンバーと沢登りする計画も立てていましたが、2019年以降はさっちゃんとしか歩いていません。

さっちゃんが留守番を出来なくなったからです。

2019年と2020年はさっちゃんと奥多摩の低山をハイキングしていました。

2021年はそんな低山ハイクもさっちゃんには歩けなくなり、僕もどこへも行かなくなりました。

 

せめてもと2020年10月から、さっちゃんがデイサービスへ行っているわずかな時間に天覧山ひとり岩トレだけは実践し続けました。

クライミング能力はかろうじて最低限は維持し続けられたのですが、山体力は悲惨なレベルにまで衰えてしまいました。

さっちゃんが大腿骨骨折で入院し、面接にも行けず、何も出来ない僕は、自分の山体力復活作戦を行なうことにしたのです。

幸か不幸か(絶対的に不幸です!)、さっちゃんが自宅に戻れる状況が訪れません。

2021年11月からスタートしたその作戦は半年間を経過したころから少しずつ効果を現わし始めました。

標準コースタイムとほぼ同じ時間で歩くことが出来るようになり、徐々に長い距離も歩くことが出来るようになって来ました。

YYDのメンバーとも沢登りをすることが出来るようになって来ました。

 

さっちゃんは今I老健に入所しています。

当初は7月にも退所できるものと僕は予想していました。

でも、その予想は甘かったようで、8月、否、9月や10月に退所がずれこむかもしれません。

どちらにせよ、さっちゃんが戻って来るまでの短い期間、僕はYYDへ少しでも貢献したいと思いました。

僕にできる貢献は僕の山でのこれまでの体験を共に味わってもらうことです。

今回の小同心クラックにもそのような意味があります。

もちろん、自分自身がこれからももっと楽しみたい、登山を充実させたいということもあります。

自分の年齢を忘れるくらいに楽しみたい、そう思っています。

 

詳しくは、『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

9年ぶりの岩登り本番は、10年ぶりの小同心クラック。これからもまた登攀できるでしょうか?

 

▲10:45。小同心クラックの3ピッチを終え、横岳直下の岩場の最終ピッチを前に、コンテで歩いているところ。僕はウルップソウを撮っています。向こうにはS﨑君。

 

僕にはこの小同心クラックの山行を余裕を持ってこなせるほどの体力は備わっていませんでした。

10日間ほど経った今でも、僕の肉体にはその時のダメージが残って、疲労感を感じています。

前回の日陰名栗沢でやっと長めの距離を歩き始めたのですから、いきなりのステップアップが大変なのは当然です。

ただ、山行後にダメージがなかなか消えないだけで、山行自体は問題なくこなすことが出来ました。

ちょっと強度のある山行を時々実践することで、肉体もそれにゆっくりと慣れて行くことと思います。

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