さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

病院の相談員さんから連絡が入りました

2023-03-31 23:22:11 | 肺炎

今日の1時29分、さっちゃんが入院している病院の相談員さんから電話が入りました。

「療養病棟に空きが出たので、4月4日にそちらへ移ります」との報告でした。

同じ病院内での移動なので、連絡なしにすでに移動しているのかな、とも思っていました。

でも、わざわざきちんと連絡をくれるのですね。

 

その電話で僕は幾つかの質問をしました。

第1に、痰の吸引はどれくらいの頻度かということ。

2~3時間おきだそうです。

第2には、今現在どのような方法で栄養を摂っているかということ。

もうすでに経管栄養になっているそうです。

200Kcal×3で、1日600Kcalのようです。

それはいいですね。

嬉しいです。

第3は、入院申込書兼誓約書のことです。

僕は昨日、さっちゃんの妹さんにお会いして、連帯保証人欄に記入・捺印してもらいました。

この書類は退院までに提出すればいいとは聞いていたのですが、一般病棟から療養病棟へ移る前に提出する必要があるのかも、と心配もしていました。

でも、もっと後でもいいみたいですね。

療養病棟へ移ることになれば担当医師も代わって、「お医者さんからの説明があるはずだから、その時でいいですよ」と言われました。

 

熱も下がっているようですし、痰の吸引の頻度がI老健でも受け入れられる程度まで収まれば、いいのですけれどね。

 

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今年もさっちゃんとはお花見が出来ません

2023-03-28 21:41:23 | 気分や思い

我が家の桜が満開です。

我が家のと言っても、我が家はアパートで庭はありませんから、ベランダから手が届くほどの近くで咲く桜のことです。

▲2023年3月28日14:52。今日は少し陽の差すこともありましたが、雲の多い一日でした。満開になってから気温の低い日が続きましたから、落花せずに美しさを保っています。

 

さっちゃんが入院することがなければ、この桜を目にすることが出来たのにと、残念です。

さっちゃんと僕は毎年、多摩川土手の桜を見に散歩していました。

さっちゃんが認知症になってからは、尚更そんなお花見を大切に思っていました。

ところが、昨年は最初の誤嚥性肺炎で入院中。

お花が終わったころ、I老健へ入所しましたから、自宅に戻ることはありませんでした。

一昨年の2021年は桜の時季に何度も散歩をしました。

▲2021年3月29日14:29。2020年までは青梅丘陵のあちこちをハイキング出来ていたさっちゃんでしたが、2021年からはそんな体力もなくなりました。散歩も1時間近くなると、腰が曲がって来て辛そうでした。でも、その後のことを思うと、歩けているだけで素晴らしいですし、嬉しいですね。

 

▲2021年4月2日16:56。桜の花びらが散って、地面を覆っています。綺麗ですね。この場所はさっちゃんのお決まりの散歩コースの途中にありました。このころのさっちゃんはどういう訳かは分かりませんが、ただでさえ乏しい表情の中から笑顔が消えていました。

 

昨日のことですが、僕は自転車に乗って買い物から帰って来てました。

「今年もさっちゃんとお花見が出来ないなぁ」と、自転車を漕ぎながら僕は思っていました。

「ずう~っとさっちゃんとお花見して来たのになぁ」と、思いました。

過去のさっちゃんとのお花見の1シーン1シーンが脳裡に浮かびます。

自転車を走らせながら、僕はが滲んでしまいました。

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さっちゃんは退院後、療養病棟に移動するようです

2023-03-23 22:25:41 | 肺炎

先週、担当のお医者さんから電話があって、「今週中くらいには退院する予定だ」と聞かされていました。

「相談員の者から電話が行くでしょう」とも聞いていました。

昨日の11時34分、ちょうど天覧山にいてトラバースを終了させていた僕に病院から電話が入ります。

病院からの電話は基本的には驚きますし、不安になります。

でも、おそらく相談員さんからだろうな、と予想できていましたから、この時はさほど不安にならずに済みました。

予想通りで相談員さんからでしたが、その内容には驚くしかありませんでした。

予期せぬ内容だったからです。

 

退院後、すぐに自宅へ戻ることは困難だろうとは予想できましたけれど、当然病院から老健へ移るものと思っていました。

それが老健側が「受け入れ困難だ」と返答したんだそうです。

その理由ですが、さっちゃんの現状は痰が多く出ているからなんです。

そのため夜中でも何度も痰の吸引をしなければなりません。

夜中に1回程度なら老健でも大丈夫なのですが、(例えば)2時間おきにとなれば、充分には対応できないのです。

(上記内容は相談員さんの言葉ではなく、僕の類推です)

 

それでどうなったかと言うことですが、病院には療養病棟と言う施設があるのだそうです。

そこでもっと落ち着いた状態(老健へ移動できる程度の)になるまで過ごすことにしたいという訳です。

僕に対して、その許可を得るための電話でもあったのですね。

僕はもちろんOKです。

 

療養病棟、その後の老健、さっちゃんが自宅に戻って来れるのは何ヶ月も先のことになってしまいそうです。

コロナ禍でなければ、自由に面会も出来ますし、さほど寂しさもないのでしょうけれど、今は面会すら出来ません。

さっちゃんは失語症ですし、自分の意志や感情を表わすことが出来ません。

ガラス越しやタブレット越しの面会もじれったさが増すだけで、何の意思疎通もできません。

でも、直接手を握ったり顔を撫ぜたりするだけで、僕の心は充分に満たされます。

さっちゃんがどう感じているのかは分かりませんが、僕にとっては確かなことなんです。

バレンタインデーからのさっちゃんと自宅で共に過ごせた2週間珠玉の日々だったんだと、今ではそう思えます。

再び、そんな日が来ることを強く願い続けたいと思います。

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さっちゃんの担当医師から電話がありました。「来週には退院できるでしょう」と

2023-03-17 22:08:47 | 肺炎

今日の正午ころ、病院から電話が入りました。

嫌な気分ですね。

でも、さっちゃんの担当医師からの病状説明の電話でした。

先週、担当看護師さんと話した時に、担当医師から説明をしますとの約束を守ってくださったのです。

僕もいろいろと詳しい内容を聞かなかったこともありますが、報告内容は至ってシンプルなものでした。

「炎症度合も良くなっているので、来週くらいには退院する方向で考えています」と。

具体的にもっと状態を聞けばよかったのですが、突然の電話でしたから、そこまで思いが回りませんでした。

栄養補給は経管栄養なのか点滴なのか、聞いておきたかったですね。

微熱はあるのかとか、便秘の状態はとかも聞きたかったです。

僕が聞いたのは病院の相談員さんのことでした。

入院した際に、相談員を付けることは聞いていましたから、退院に向けてや退院後のあれこれは相談員さんと相談することになるからです。

お医者さんですから、その辺りのことは詳しくはないのでしょうが、「今後そちらに連絡があると思いますよ」と言ってくださいました。

 

ただ、お医者さんはひとつだけ心配な内容を話してくれました。

「腺癌の疑いがあるので、退院後も時々診てもらってください」と。

肺炎の状態を調べた際に見つかったのでしょうから、肺腺癌なのでしょう。

「疑い」ですから、何でもないかもしれませんし、悪性腫瘍でない可能性もあります。

どちらにせよ、今後経過観察が必要です。

 

この直後にケアマネさんにも報告しました。

病院の相談員さんからも連絡が入るでしょうから、退院のことや退院後の居場所等もだんだんと決まって来ることでしょうね。

 

僕はと言えば、YYDの仲間が一緒に天覧山で岩トレをしてくれています。

家に独りでいても気が沈むだけですから、山仲間と共に体を動かし話すことで、僕は心身ともに平常を保つことが出来ています。

天覧山は携帯の電波も届きますし、緊急電話が入って病院へ駆けつけなければならなくなっても、1時間少しで行けるのです。

さっちゃんの入院後、8日(水)、15日(水)、16日(木)と天覧山へ行きました。

4時ころには終了して、飲食せずに帰宅します。

今後も19日(日)、21日(祝)、22日(水)、24日(金)、26日(日)に天覧山での岩トレに声を掛けてもらっています。

感謝ですね。

ただ、来週は病院へ出かけることもあるでしょうから、予定通りにはいかないこともあると思います。

退院と関係してのことでしょうから嬉しいですね。

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さっちゃんの夢を見ました

2023-03-12 18:36:38 | 生活の一場面

さっちゃんが入院していると、我が家には誰も訪れる人はいません。

訪問看護師さんもケアマネさんも来る用事はないのです。

すると、テーブルの上は片付けない物で埋まり、床も掃除しないので埃だらけになってしまいます。

今週の土日はどこへ出かけることもなく家でじっとしています。

早く起床する必要もないので、だんだんと夜寝るのが遅くなっていきます。

ついに昨晩は4時ころに寝て、今朝は10時過ぎに起床する、昼夜逆転直前の状況になってしまいました。

さっちゃんが居ないと、僕のいい加減さはエスカレートしてしまいます。

かろうじて山へ行ったり岩トレしたりの日があることで、普通の生活リズムを取り戻すことが出来ています。

 

今朝、目覚めるころにを見ました。

さっちゃんの夢です。

入院しているはずのさっちゃんが何故か家に来ています。

そして、僕はさっちゃんのオムツ交換をしています。

夢の中で、僕はこんなことを考えているんです。

さっちゃんは点滴で栄養を摂っているから排便は無いのだろう。

点滴なら排便が無いのかどうかは僕には分かりませんが、夢の中での僕はそう考えていました。

ですから、パッドだけの交換で済みましたから、楽に終わりました。

夢の中で僕はいろいろと考えています。

さっちゃんはどうして酸素マスクをしていないんだろう?

夢の中でも、さっちゃんは入院中だと言うことには変わりはありませんでしたから、そもそも我が家に来ること自体が不思議なんですけれどね。

夢ですからね、不思議だらけです。

車椅子で来ていました。

ただ、さっちゃんの表情などは夢の中では一切出て来ませんでした。

表情どころか、顔すらも出て来ませんでした。

でも、夢とは言え、さっちゃんと少しの時間を一緒に過ごせて、ちょっぴり幸せでした。

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捻挫から3週間後、さっちゃんはビッコをひきつつ、鷹取山へ行きました

2023-03-11 23:59:32 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年3月13日(日) 鷹取山

 

鷹取山  I川、A立、K子、A木(K子さん友人)、さっちゃん、○○(僕の姓)

足の捻挫はまだ直らないというのに、少しでもよいかなあと思うと、じっとしていられず、自分では見学と決めて出かけた。みんなには捻挫のことは内緒にしてある。少しビッコをひいているのだが、誰も気づかないようだった。

見学なんて出来るわけがない。目の前に岩があって、ザイルが下がっていて、みんな楽しそうに登っているのだから。結局、全部人と同じように登り、南面フランケダイレクトも登る。前回よりテンションの数も少なくなった。彼(僕のこと)に言わせると、ホールドほってあるのではないか、とも言う。それもあるだろうが、我々も慣れたせいもあるのではないだろうか。

結局、足の捻挫の件、打上げの席で自分が話すまで分からなかった。

 

2023.03.11 追記

つづら岩の帰りで捻挫してから、さっちゃんは2週は大人しくしていたようですね。でも、3週目には我慢できなくなったようです。

南面フランケダイレクトのホールドを持ち易いように掘ってあるのではないかと僕は疑っていたようですね。この件、記憶に残っています。ホールドの奥が指がかかり易くなっていました。チッピングと言われるホールドを岩に刻み込む行為で禁止されています。鷹取山の岩は軟らかい岩なので、容易に出来てしまいます。

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さっちゃんはつづら岩でリードしました。でも、下山中に・・・・

2023-03-07 22:29:49 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年2月21日(日) つづら岩

 

つづら岩            ○○(僕の姓)

会山行(4月5日)下見もかねて、トレーニングに出かけた。

東面3級ルート、南面一般ルート(はじめて)のリードをした。あとはトンネルくぐりのオケラルートのリード。天気もよく、あたたかい。岩場はそれほどの混雑はなかった。

リードもできたし、気分はよかったのに、下りにすってんころりん。またもドジってしまい、ヒザを捻挫してしまい、早く下れるはずなのが、いつもより遅くなり、バスはちょうどきれてない時間帯(5時すぎは6:30までない)にひっかかり、タクシー(次のバス停も始発なし)の営業所まで歩く。なんとか歩けるものの痛い。これが長びくと彼に申訳ない。

とにかく4月5日の会山行が行なえるとよいのだが。

交通費  北○○→五日市   660

     タクシー(五日市→千足バス停) 2390/4  600

         (北秋川→五日市)2000/2     1000

                          ¥2260 

 

2023.03.07 追記

さっちゃんは小柄で骨も細いので、僕と一緒に山に行くようになってからも、よく捻挫や骨折を繰り返していました。この時のこともよく覚えています。暗い山道を下山して、バス停を数個通過したところにあるタクシーの営業所に辿り着きました。営業所のストーブに当たりながらタクシーが来るのを待ったように思います。

つづら岩に行く時に4人でタクシーに乗ったことになっていますね。恐らくは同じ方面へ行く登山者を誘って相乗りしたんだと思います。昔は相乗りするのは普通でしたね。

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さっちゃん、突然の入院です

2023-03-06 23:51:29 | 肺炎

今朝11時14分、ショートステイしているI老健のS田さんから電話が入りました。

「昨晩嘔吐し、これから救急車に乗ります。健康保険証を持って、T病院に向かってください」

僕はちょうど洗濯機を回している最中でした。

早く目覚めたのですが、前日の岩トレ後の打上げで飲み過ぎて(さほど飲んではいないのですがアルコールに弱くなっています)、二日酔い気味でした。

朝食も食べていませんでした。

バナナ1本食べて、健康保険証を持って、自転車でT病院へ向かいました。

 

11時40分ころ、救急車の到着口に着きましたが、さっちゃんはまだ到着していませんでした。

12時過ぎ、救急車が来ましたが、さっちゃんではなく別の方でした。

12時半ころ、救急車が来て、さっちゃんが運ばれて来ました。

目をつぶっているさっちゃんは苦しそうでもなく、いつもの表情でした。

ただ、酸素マスクだけは装着されています。

病院内に入ると、さっちゃんとはすぐに別れて、I老健から同行して来てくれている看護師さんと僕は待合室へ行き、待つことになりました。

 

その看護師さんがおっしゃるには、さっちゃんは昨日の夕方5時ころと夜の10時ころに嘔吐したんだそうです。

今朝になって、不安な状態になったので救急搬送をすることに決めたのだとか。

 

13時20分ころ、担当医師からの簡単な説明がありました。

血圧も救急到着後は70くらいにまでなったそうですが、搬送中は50くらいだったそうです。

太い血管からでも、があまり取れなかったようです。

Sp0₂も酸素を5リットル入れているのに、90くらいにしかならないんだそうです。

「より詳しい検査結果が出たら説明をするので、ここを動かないで欲しい」と言われました。

 

2時間後くらいになるとのことでしたから、I老健から同行されていた看護師さんが僕を気遣ってくださいました。

僕が朝からほとんど何も食べていないと知り、「私がここで待っているので、食事をしてきたらどうですか?」と。

僕は病院内のコンビニでお弁当を買い、飲食の出来るコーナーで食べることにしました。

ところが、お弁当を半分くらい食べたところで、その看護師さんが僕の元へ。

お医者さんが呼んでるんだそうです。

 

医師の説明では、さっちゃんは誤嚥性肺炎であると。

そうなった理由がはっきりとしないんだそうです。

肺炎になっている部位も広いので、徐々に侵されていたのではないかと、おっしゃいます。

さっちゃんの体では処理できない量の栄養や水分が補給されるので満杯になって溢れた可能性もあると、おっしゃっていました。

(僕の曖昧な記憶に基づいて書いていますから、表現としての間違いがあるかもしれません)

胃から溢れて、喉元へ出て行った内容物の一部が誤嚥されたのかもしれませんね。

(これは僕の感想です)

 

お医者さんは今後の治療について話しを進めます。

端的に言うとどこまでの治療を施すかと言うことです。

例えば点滴の方法。

通常の腕の血管から投与するのでは十分ではない場合、首の太い血管を使うのだそうです。

そうすると、より強力な薬も投与できたりするんだそうです。

でも、強い薬ですから副作用は強いんだそうです。

また、人工呼吸について。

今は酸素マスクを通じて5リットル入れていますが、これは15リットルまで増やせるんだとか。

これで駄目なようなら人工呼吸器になるのですが、僕は医師がどのように説明したのかを忘れています。

とにかく、さっちゃんの体に相当な負荷がかかることになるのだそうです。

他にも説明を受けたと思います。

 

医師は僕に暗に返答を求めているのです。

さっちゃんに対してどこまでの治療を行なえばいいのかを。

去年の春、さっちゃんが誤嚥性肺炎になって救急搬送された際に、医師や救急隊員に問われたことがら。

肺炎治療の主治医からも問われたことがら。

その時、僕が決断したこと。

その内容を今回も繰り返し告げました。

前回も涙が出て来て、言葉に詰まってしまいましたけれど、今回も同様でした。

「さっちゃんの体に強い負荷がかかるような治療はしないでください」

僕は嗚咽で動きにくい唇を何とか動かして、告げました。

僕がそんなことを独断で決めてもいいのだろうか?

生きていること、それが一番の価値なのではないだろうか?

でも、さっちゃんと共に生きて来た僕には分かる気がします。

「私は充分に生きた」

「幸せだった」

ナルシシスト的独断かもしれませんけれど、僕はそう感じています。

入院後のことについても教えてくださいました。

急変などがあると僕に連絡をくれること。

危篤状態になった場合、コロナ禍ではあるけれど1名だけは直接会えること。

会う前には必ずコロナの検査(おそらく抗原検査)が必要なこと。

同室で長く一緒に過ごせるようです。

 

医師からの説明もあったので、I老健から来てくださっていた看護師さんは戻ることになりました。

僕は入院が決まって病棟へ移動するまで、さっちゃんのそばにいることが出来ました。

さっちゃんの表情は大変な状況だと感じさせないような、いつもと変わりないものでした。

ほんの少し薄目が開いた気がしたので、「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」と耳元で何度も呼んでみました。

すると、さっちゃんはしっかりと目を開けて、僕のことを見てくれます。

普段なら、すぐにまた目を閉じてしまうのですが、長くずっと目を開け続けてくれています。

「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん、元気になるんだよ」と話しかけました。

僕はマスクを外して、顔を見てもらいました。

さっちゃんの顔には顕著な表情は表われませんが、僕だと分かっているようです。

長くじ~っと、僕を見続けてくれていました。

疲れてしまったのか、さっちゃんは目を閉じてしまいました。

その後、声を掛けてもさっちゃんは目を開けてくれませんでした。

さっちゃんの気持ちが伝わったように感じるのは僕の思い上がりでしょうか?

さっちゃんの瞳の奥の表情が喜んでいるように思えたのです。

 

待合室にいた時も、さっちゃんのストレッチャーのそばにいた時も、病棟のフロアにいた時も、数多くの書類にサイン等しました。

寝巻きやタオル等は入院中レンタルすることにしましたが、オムツ類は家にたくさんありますから、それを持って行くことにしました。

4時過ぎに病院を出て、再び5時前に病棟のナースステーションにオムツと2種のパッドを届けました。

登山用の100リットルザックにも入り切らなかったので、後の2袋は大きなゴミ袋に入れて持って行きました。

家に戻って来たら、5時半。

こんなことがあったのに、僕はご飯を炊き、お味噌汁を作って、夕食を食べます。

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さっちゃんのショートステイ中、僕はけっこう多忙です

2023-03-03 23:39:25 | ショートステイ

3月1日の水曜日から8日の水曜日までさっちゃんはショートステイに行っています。

ショートステイの送り迎えには僕も同行する必要があります。

往きは一緒に車に乗ってI老健へ行き、徒歩と電車で僕は帰宅します。

帰りはその逆で、徒歩と電車でI老健へ行き、さっちゃんと一緒に車に乗って帰宅するのです。

ですから、水曜日は両日ともほぼそれで潰れます。

本当に僕の自由になる日数は6日間ですね。

自由と言っても、半分はさっちゃんのために行なうことがありますけどね。

 

2日の木曜日は武蔵五日市駅の裏山を歩いて来ました。

3日の金曜日、今日は洗濯と買い物で大忙しでした。

汚れたオムツやパッドを入れるポリ袋を買いました。

スーパーで自然に手に入る枚数だけでは不足するからです。

さっちゃんのも買いました。

さっちゃんが使っていた枕は小さい枕でしたから、今のさっちゃんは頭がすぐに落っこちてしまうんです。

落っこちても自分で頭を戻すことをしませんからね。

ですから、長めの57cmの枕にしました。

これなら滅多には頭は外れないでしょう。

 

いつものスーパーでは僕の食料の買い出しをしました。

それほど多量の買い出しをする訳ではありませんが、ショートステイ中は出来るだけ夕食のおかずを作るつもりなんです。

作って冷凍しておけば、さっちゃんが戻って来ても、夕食のおかずは解凍すればすぐに食べられますからね。

 

大きめの金属トレイと小さめの吊り棚は見つかりませんでした。

トレイはさっちゃんの栄養補給や水分補給、薬の投与を行なう場所にしたいのです。

ついでに吸引器もそこに載せておきたいし。

吊り棚はオムツやパッドがすぐに手に取れるように、数枚~10枚程度置いておきたいと思っているんです。

汚れたのを入れるポリ袋もそこに吊るしておけますしね。

 

今晩の夕食はゴーヤチャンプルーを作りました。

残ったゴーヤチャンプルーで2食分を冷凍しました。

こうやって、メインのおかずさえあれば、お味噌汁などは作るのにあまり手間暇かかりませんしね。

 

明日はさっちゃんのベッドのシーツやタオルケットを洗濯したいと思っています。

ショートステイ中には必ずそうしたいと思います。

また、I老健に行って、さっちゃんの洗濯物を受け取ります。

ついでに今日は見つからなかったトレイや吊り棚も探そうと思っています。

夕食も何か作って、残りを冷凍しておければと思います。

 

日曜日はYYDの仲間と日和田で岩登りのトレーニングです。

月曜日洗濯と買い物でしょうね。

火曜日山を歩いて来れればと思っています。

 

それなりにけっこう多忙ですが、運動して体を鍛えて、精神的にもリフレッシュしておきたいと思っています。

もちろん、さっちゃんと二人一緒にいると、心癒されますし幸せなんですが、運動が出来ず体がなまってしまうんです。

さっちゃんと僕、お互いが幸せで長続きする暮らし方を模索して行こうと考えています。

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