さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんは鷹取山での岩トレのサブリーダーです。そして、月報へのルポも書きました

2023-01-31 23:53:35 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年1月31日(日) 鷹取山 (当時所属していた山岳会の月報より)

大草原をめざそう!

 珍しくゆっくりした集合時間でのんびりした気分で出かける。

 一年ぶりの鷹取山ゲレンデであるが朝から天気も上々だし、追浜の高級住宅地の朝を、住みなれたわが街のようにリッチな気分にひたりながら、前方に要塞のようにそびえる鷹取山へといつもの顔ぶれのみんなと勝手なことを言い合いながら西友ストアに到着。ここで本日の食料を買い込む。午前10時をすぎるとさすがにゲレンデも朝のトレーニングがあちらこちらで始まっている。しかし、鷹取山は砂岩の岩場なので、他のゲレンデに比べてザイルサラダになるような混み方はしない。

 我々は予定通りのメニューで、まず足慣らしにと15メートルⅢ級ルートジェードル15メートルⅣ級ルートにトップロープをセット。いずれも参加者にセットしてもらい、リーダーがOKを出すまで何度もやり直す。少々時間はかかっても、自分でやってみるのがいちばん覚える。それぞれ苦労しながらやっと完了し、それぞれ同じルートを確保と登りを交互に繰り返すうち、天気のせいか気分のせいか、暑くて自分はとうとう半袖姿になってしまった。一月の終わりだというのにこの陽気はなんなのだ! というもののゲレンデ遊びには最高である。

 珍しい人、Fさんに会う。何年ぶりだろう? 相変わらず見事な登りである。知っている人、どこかで逢ったような人に出会ったり、苦労しながら登るのを下から見てて、ああでもないこうでもないと無責任なヤジをとばしたり、励ましたりワイワイ、ガヤガヤ。これがゲレンデの楽しいところなのかもしれない。

 弓形クラックと称する15メートルⅤ級ルートはレイバックの登り方で挑戦。上部は細かいフェースでかなりのバランスを要する。何度も苦戦しながらも全員クリヤー。but one。最後にリーダーとサブリーダーの好奇心の目が誰も取り付いていない他のパーティーのザイルの下がっているところに・・・・・・・・。結局、ザイルの持ち主を探して許可をもらい、ぶらさがらせて(?)もらう。そろそろパワー切れの腕にはやはり難しい。また鷹取山に来るチャンスがあれば、最初にチャレンジしたいところだ。

 そろそろ腕もパンプアップしたころには鷹取山にも夕暮れが迫り、毎度のことながら我々は残り少ないグループのひとつであった。日頃の行ないの良い者ばかりの集まりかどうかは知らないが、冬の木枯らしは我々のそばから一日中遠のいてくれ、代わりにポカポカ陽気を与えてくれ、快い疲れを残してくれた。

 それにしてもみんなよく頑張るなぁ! と感心したり、彼等を見てると、自分が岩沢はじめたころのことを思い出させてくれる。沢シーズン到来も間近。本番にジャンジャン挑戦して力を付けて欲しいなあと(自分が言える立場ではないが)願わずにはいられない。ということは。―――本音をはくと、少しは長い沢、ワンビバークとか、同じ流域のやさしい沢をあっちゃこっちゃから入谷し、大草原のようなところにヒョッコリ現われてご対面。こういう沢山行を何パーティーもで出来たらよいなぁ~と思うのでありまぁ~す。(夢だけで終わらせたくない)みなさん! 一緒にトレーニングに励みましょう! よね。

 と、言うことでして、それから我々は街の灯りがチラチラと輝きはじめた追浜の町へ吸い寄せられるように急いだのでした。    (さっちゃん記)

(参加者)L○○(僕の姓)、SLさっちゃん、A立、K子、K島、U田 (計6名)

交通費 1420   食事(昼)400 (夕)2500

 

2023.01.31 追記

鷹取山は神奈川県横須賀市と逗子市の境にあるゲレンデです。もともと石切り場だった場所で岩登りの練習をし始めたもので、すべてがほぼ垂直です。軟らかい砂岩にあけられた穴をホールドに登りますから、腕に強い負荷がかかります。

以前所属していた山岳会はハイキング中心の会でした。一応、オールラウンドの山行を標榜していましたから、少数ながら岩や沢をするメンバーもいました。しかし、岩沢メインの会員は僕のお師匠さん(ザイルパートナーを組んでいる二人です)くらいしかいませんでした。そのお師匠さんに続いて、僕とさっちゃんが岩沢メインの山行をする会員になったのです。会員数が300名を超えていましたから、岩沢を時々はやるメンバーも10名以上はいたという訳です。

ですから、最後の方に記されているさっちゃんの夢(沢の集中山行ですね)が叶うことはありませんでした。沢中ビバークの沢登りはその後さっちゃんと数多く行きましたけれどね。

この前年からだったでしょうか? 僕とさっちゃんはこの山岳会のリーダー、サブリーダーになりました。そして、月に1度のペースで会山行を計画・実行しました。この鷹取山もそうです。

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天覧山での岩トレもこの日からしばらくお休みです

2023-01-30 23:39:02 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年1月24日(日) 天覧山岩トレ

○○(僕の姓)、A立、さっちゃん、(以下、現地にて出会う)K島、A部

またまた天覧山に遊びに行った。今年は雪の状態もいまいち。氷はダメ。天候不順、北風の寒い日は天覧は意外と暖か。

トラバースをしたり、3段ハングをやってみたり、のんびりと遊ぶ。下部の岩場の方で見たようなヘルメットと声、A部・K島ペアと出遭う。もちろん帰りはみんなでタケダにて一杯。今日もよく遊んだものだ。

3段ハング、やはり前回と同じく1段目を越え、2段目はタッチのみ。手を伸ばして精一杯で、岩を抱く感じで余裕なし。

交通費 700    昼食 790  夕食 3000

 

2023.01.30 追記

「氷はダメ」と言うのは、アイスクライミングも少しだけしていたので、滝が完全凍結していないということ。当時はまず西丹沢の沢で日帰りで練習し、身体を慣らしてから、三つ峠周辺や奥秩父や八ヶ岳の沢に遠出するパターンでした。この頃から地球温暖化の影響でしょうか、西丹沢の滝が完全凍結しなくなり、西丹沢ではなかなかアイスクライミングが出来なくなったのです。アイスクライミングにはそれほど熱中していませんでしたから、とりあえず日帰りでの練習から始めたかったんですね。

天覧山でのトラバースはトラバース岩でのことです。当時は最下部岩場でのトラバースはしていませんでした。今、YYDの仲間と練習しているトラバース岩でのトラバースですが、トラバースの中でも一番易しいノーマルルートをやっています。さっちゃんは身長が低いのでこのノーマルルートは出来ません。足が届かないからです。それで、さっちゃんはノーマルルートより一段低い場所をトラバースするセカンドルートをやっているんです。ノーマルルートよりもワングレードほど難しくなります。

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天覧山の3段ハングにこの日もチャレンジしました

2023-01-28 11:52:46 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年1月17日(日) 天覧山岩トレ

天覧山 ○○(僕の姓)、A立、さっちゃん

前回にひき続き、3段ハングに挑戦。前回は思いがけず、1段目に立つことが出来た。しかし、今日は駄目だろうと思っていたが、同じく1段目に立ち、2段目に左足をかけるところまでいく。

3段ハングの右のハングも前回より手が上に届いた。

午後から雲も出て、少し肌寒い一日であった。

天覧でもかなりのベテラン達が大勢いた。3段ハングは女性では4人は完登しているとのこと。

交通費 700   食費(1日分) 2700

 

2023.01.28 追記

3段ハングの女性完登者(トップロープで)について教えてくれたのは、天覧山の主(ぬし)ことM田さんの言でしょう。彼はこの当時、毎日天覧山に居続ける人でした。クライミングシューズは履かずに、裸足でどこでも登っていました。3段ハングもソロで登り、クライムダウンしていました。教え好きな人で、それを嫌う人もいましたが、僕は多くのことを彼から教えてもらいました。

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3ヶ月ぶりの山歩きは、さっちゃんとの想い出がたくさんある青梅丘陵です

2023-01-27 21:40:07 | ザイルと焚火と焼酎と

山のブログ『ザイルと焚火と焼酎と』にもまだ記録してませんが、昨年の10月に僕は腰を痛めてしまいました。

2週連続で今の僕にとってはハードで重荷も背負う山行に行ったからです。

それ以降はクライミング三昧の山生活を行なっていました。

3ヶ月ぶりの山への復帰戦が、超易しいハイキングコースの青梅丘陵です。

3ヶ月ぶりの山歩き。小手調べに選んだコースはちょうど1年前と同じ青梅丘陵ハイキングコース

 

さっちゃんと2020年2月8日に歩いた時の写真を一枚載せておきます。

この日は二俣尾駅から西城林道へ入り、すぐ左の尾根を登って青梅丘陵に出ました。

青梅丘陵に出てからは、少しだけ雷電山方面へ進み、登って来た尾根の西隣りの尾根を下ったのでした。

▲14:22。下山後の二俣尾駅ホームで。山行中は笑顔のなかったさっちゃんに最後になってやっと笑顔が見えました。

 

2023年1月26日(木) 青梅丘陵

1年前に僕が歩いた際の所要時間の記録も今回のと併記しておきたいと思います。

全ての区間で前回よりも速く歩けています。

            僕がかかった時間    コースタイム

            今回    前回
軍畑駅~榎峠      22分    23分      30分
榎峠~三方山      81分    90分      60分 
  (榎峠~雷電山   26分    28分)
  (雷電山~三方山  55分    62分)
三方山~矢倉台     43分    53分      60分
矢倉台~青梅駅     53分    65分      50分

トータル        199分     231分      200分

 

どうしても僕が納得できない点がひとつあります。

それは榎峠から三方山間のコースタイムです。

昭文社の地図では60分になっているのですが、これは絶対に間違いだと思います。

榎峠~雷電山間のコースタイムが消えてしまっているのだと思います。

ヤマレコの最近の10の記録を調べてみました。

10個調べて、その上下2つずつをカットして、6つの山行の平均を取ってみました。

結果は、榎峠~雷電山24分、雷電山~三方山45分でした。

今回の僕よりも1~2割速いですね。

ヤマレコに載せている人は健脚ぞろいです。

ほとんどの人が標準コースタイムよりも速く歩いています。

それを考えると、そんなヤマレコに載せる人たちでも榎峠~三方山69分かかっています。

昭文社の榎峠~三方山の60分が間違いだと分かります。

参考記録ですが、トレランで三方山から榎峠へ走っている人も多く見受けられます。

その人たちでも36分ほどかかっています。

これは雷電山からは下りの記録ですから、逆コースなら40分近くになるのではないでしょうか?

 

と言うわけで、昭文社の地図には榎峠から雷電山間のコースタイムが書き落とされているとの結論を出しても間違っていないと思われます。

その時間ですが、30分が適当ではないでしょうか?

そうなると、1年前も標準コースタイム230分に対して、かかった時間が231分ですから、ほぼ標準コースタイム通りだったという訳ですね。

でも、そうだったとしても、今から言えることは、1年前にショックを受けたことが良い方向へと僕を導いた気がしています。

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雲仙スラブの翌日は、天覧山

2023-01-26 23:59:33 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年1月10日(日) 天覧山岩トレ

I川リーダーの会山行。M田(SL)、○○(僕の姓)、K子、さっちゃん、Y井

大ハング(以下、3段ハングと書き替えます)に挑戦。一段目に立つ(初)。二段目タッチ。1月とは思えないポカポカ陽気。4時ころまで遊ぶ。

いつものタケダにて新年会をかねて打上げ。おばあさん(タケダの女将さん)も元気。椿の花を二枝もらう。10時半ころ帰宅。もう少し早く帰れるようにした方がよいのでは・・・・

交通費 700   食費一式(昼夜) 2000

 

2023.01.25 追記

3段ハングのダイレクトルートは5.11b(5.11dとも言われていますが)、大雑把に言うと1段目が5.9、2段目が5.10、核心部は3段目です。僕たちはもちろんトップロープで登っています。

タケダは当時僕たちが打上げで活用させてもらっていた食堂です。その後、高齢のためでしょうか、お店は閉められてしまいました。

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今日も吸引と栄養補給を行ないました

2023-01-25 23:20:40 | 介護トレーニング

東京は大寒波のピークです。
自転車でI老健へ向かいましたが、身体の表面が冷え切ってしまったようです。
入館する前に体温を測るのですが、肌に数センチ近づけて計るタイプの体温計が測定不能になってしまったんです。
額に向けてもLOWの表示、手首でもLOW、首筋でもLOW、腕をまくって肘の近くで計ってもLOWでした。
僕自身は自転車を漕いでいたのですから、それほど寒い感覚はないのですが、体表面は想像以上に冷えてしまったみたいですね。

そして、毎度の抗原検査。
看護師さんが「もう慣れました?」と聞くんですが、僕の返答は「慣れません」。
最初の頃のように痛いほどではなくなりましたが、嫌なものは嫌ですね。
玄関ホールは館内と外部との中間ですから、外ほどではありませんが、暖房は効いていなくて寒いです。
陰性との結果が出ると、館内に入ることが出来ます。
暖かい!

今日は面談室で行ないました。
最初は吸引です。
吸引機を電源に繋ぎ、ONにします。
その状態で目盛りは20ちょっと。
カテーテルを水に浸けて吸い込むと目盛りは上昇します。
水に長くは浸けていませんから、どれくらいまで目盛りが上がるかは分かりませんでしたが、60くらいまでは上がっていました。
つまり、口腔内に入れて吸わせっぱなしにしておくと、強い力で吸い続けるので、口腔内の粘膜が傷むんだそうです。
ですから、強い力で長い時間吸引し続けることは危険なんです。
さっちゃんは自分で溜まっている唾液も飲み込んだり出来ているようですから、涎が溜まっている時などに吸引すればいいのだそうです。

栄養補給は手順が何も言われなくてもほぼ大丈夫になりました。

ただ、栄養剤の色が薄いので、管の先端にまで栄養剤を落とすときにどこまで流れて来ているのかがよく見えません。

前回は少しこぼしてしまいました。

今日は先端から30センチほど手前を見ていて、「来た!」と思ったら、管をすぐに折り曲げました。

先端の直前で栄養剤が止まりました。

あっという間に流れて来るんですね。
苦手な胃瘻のボタンへの接続や、その逆の外すことも今日はわりと上手に出来ました。
上手くいくと、カチッと小さく音がするんです。

シリンジに薬を入れた微温水を吸い取ったり、フラッシュ用の微温水を吸い取ったりする際に、シリンジを両手で使わないと出来ません。
微温水の入った容器やシリンジの目盛りが、自分の手が邪魔になってよく見えません。
看護師さんはそれを片手で出来てしまいます。
「片手で出来るんですね」と僕が言うと、「これでお金をもらっていますからね」と看護師さんは笑います。

今日は最後に胃瘻のボタン周辺に巻いておくティッシュで実際に巻かせてもらいました。
強く締め過ぎず、弱くもなく、外れにくいように巻き付けるのにも、コツがありそうですね。

これでさっちゃんともお別れです。
今日のさっちゃんは目をつむっていることが多かったですね。
あまりお喋りでもありませんでした。
でも、1回だけ、僕の「さっちゃ~ん」の呼びかけに対して、明瞭に「は~い」と答えてくれました。
この1回だけでしたけれど、こんなに嬉しいことはありません。

▲16:15。看護師さんが吸引機を返却している間にパチリ。さっちゃんはほとんど目を開けてくれませんでした。

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1988年、最初の山行は、雲仙スラブでの岩トレでした

2023-01-24 15:54:22 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年1月9日(土) 鳩ノ巣のゲレンデ(初見)

初岩登り    僕、T沢、さっちゃん

今年はじめての岩登りは鳩ノ巣渓谷の中にある岩場だ。駅からすぐで、橋の下、北面で全く陽があたらず寒い。しかし、この日はそれほど風も冷たくなかった。

フェースはスラブぎみでこまかく、むつかしい。ピンが上部には全くないため、○○(僕の姓)、トップロープをとるため上部へと出ようとするが、この巻きもなかなか困難を要したようである。

まずT沢君、○○(僕の姓)、そしてさっちゃん、どういうわけだか1回目は自分が最高到達点へ。2回目は3人とも上部へ。しかし、さっちゃん上部で手こずる。5.9 or 5.10はあるとのこと。ピンがもっとあればリードも可能かも。今後楽しめるゲレンデのようだ。

交通費 フリーキップ 1300    食事(朝昼夕) 3000

 

2023.01.24 追記

この岩場は鳩ノ巣渓谷の雲仙橋の下に見える谷底の岩場で、この少し前に発表されたところ。通称、雲仙スラブ。下に、そのトポを載せておきます。

▲『新版 関東の岩場』(クライミングジャーナル編集部編 平成元年発行 白山書房)より

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さっちゃんの山日記が見つかりました

2023-01-23 18:47:10 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。

 

1987年12月25日(金)~1988年1月2日にかけて

同志7人で北インドのさわりの部分を旅行してきた。1度くらいはぜひ訪れてみたい大国であった。今まで話には何度も出たが、なかなか実行するまでに至らず、突然11月の初めころ話が具体化し、T桑夫婦、Y岸夫婦、K島氏、T橋さん、それに自分の七人の侍ならぬ、いろとりどりの参加者となり、エアーオンリーで出発したのである。(詳しいことは別記)

昨年はネパールの山、今年はインド旅行と2年つづきの海外脱出で新年を迎えた。贅沢な年のはじまりとも言える。

昨年の山行は、沢23回、岩(ゲレンデ含む)22回、尾根5回、と総数にして50回・62日の山行記録であった。よくやったものである。無事故で。

年々、気持ちとはうらはらに、歳とともに体力の消耗は隠せないだろう(実際は落ちている様子はないと本人は思っているのだが・・・・)。しかし、無理をせず、人に迷惑をかけず、おおいに意欲的に、また今年も山行をやっていきたいと思う。

最良のパートナーである○○○○(僕の姓名)にも手伝ってもらいながら・・・・

 

※山行において、参加することはあくまで自分の意志である。決して人からおし進められたり、無理して参加することはない。たとえ、事故発生した時も決して他人を恨むことは絶対ゆるせない。これも運命なのだから。

 

安全登山 第一に!    1988年1月 年頭において

 

2023.01.23 追記

最後の※印の文章はさっちゃんの身内(妹弟)に向けた言葉だと思います。あくまでも自分の意志で行なったことだから同行の山仲間には責任はないことを明確にしておきたかったのでしょう。

この頃の僕とさっちゃんの関係ですが、まだ入籍はずっと先のことです。確か、さっちゃんが僕の自宅の隣り町に引っ越して来て、ほぼ同棲状態だったと思います。

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栄養補給のほか、吸引も行ないました

2023-01-20 19:24:06 | 介護トレーニング

今週の介護トレーニングは昨日の木曜日に行なわれました。

入所者のおひと方がお正月に自宅へ戻って新型コロナウイルスに感染した影響で、先週は介護トレーニングが中止になってしまいました。

今週も水曜日には行なうことが出来ず、翌日の木曜日へずれ込んでしまいました。

その影響も受けてか、洗濯物も家族には任せない措置が取られ、所内で洗濯してくださってるようです。

どうやら所内ではその後感染が広がってはいないみたいですから、そろそろ平常に戻るのでしょうね。

 

第8波では感染者数の実態は発表されている数よりもかなり多いと言われています。

それに1日あたりの死者数が第7波と比べても多くなっているので、とりわけ高齢者にとっては心配ですよね。

亡くなっている方のほとんどが高齢者だと言われていますし。

 

この日のトレーニング自体は通常通り行なわれました。

新たに加わったことと言えば、口腔内に溜まった唾等を吸引することくらいでしょうか。

吸引機自体や繋がっている管の扱い方に慣れなければなりません。

カテーテル先端を溜めた水の中に浸けて吸引されているかどうかをチェックしました。

口腔内に入れる前にカテーテルの先端を濡らしておくこともちょっとした気配りとして大切なようですね。

さっちゃんの場合、今では喉の奥までカテーテルを入れる必要はないそうですから、口腔内だけで十分で、さほど負担ではありません。

実際にやってみました。

思いの外、よく吸い付くんですね。

カテーテル先端には横穴もあるのですが、それも使う感じで滑らせるように使わないと、いつまでも吸い付いてしまって傷つけてしまいそうです。

終了後は水を吸引させて、管の中を洗い、カテーテル先端は消毒しておくのですね。

 

次は栄養補給です。

これに関しては、その手順にはもうほとんど手こずることはありません。

ただ、胃瘻に管の先端を嵌め込んだり外したりの作業にまだ慣れることが出来ていません。

胃瘻のボタン本体が小さいので、それをしっかりと指で持つことがなかなか出来ないのです。

それ以外は心配なさそうです。

 

▲16:24。看護師さんが吸引機を戻しに行きました。その間を利用して、さっちゃんをパチリ。目を開けてくれた瞬間を撮影できました。

 

昨日は2本の管がすでに連結されていました。

栄養がすべて入って行った後、捩じって連結されているふたつの管を外すのですが、あまりにもきつく締まっていて外れませんでした。

力持ちの男性が繋いだんだそうです。

と言う訳で、昨日はシリンジを用いずに、栄養容器から薬や管洗浄用の水を流し込むことになりました。

 

胃瘻のボタンから管を外すのですが、僕が手間取っていると、看護師さんがやってくれました。

ボタンとお腹の皮膚の間には、柔かいしおりのようなが巻き付けられています。

お腹の皮膚を守っているのでしょうか?

看護師さんがそれを作っているところを見せてくれました。

ティッシュ半分ほどで作っているようですね。

日本製のティッシュはいろんな用途に使えると、言ってました。

 

昨日は、何となくですが、さっちゃんの介護トレーニングの後も、看護師さんは用事が迫っているようでした。

僕としては、口腔ケアもさせて欲しかったですね。

マスクをしていますから、見てすぐには分からないのですが、さっちゃんはが結構出ています。

喉の下の窪みにほんの少しですが、涎が溜まっていたりしていました。

吸引した際もそうでしたが、唾がよく出ているようです。

 

S田さんも看護師さんも、所内の皆さんがそうのようですが、さっちゃんにはいろいろと話しかけてくださいます。

今日もさっちゃんはよくお喋りしていたそうです。

もちろん、意味不明な、言葉にはなっていないお喋りなんですけどね。

僕もいろいろと喋りかけ、「さっちゃん」と呼びかけます。

呼びかけると、ごくごくたまになんですが、「は~い」みたいな返事をしてくれます。

昨日も2、3回はそのようなことがありました。

「さっちゃん」と呼びかける時以外で、「は~い」と言うことはありませんから、明らかに呼びかけに対する返答なんですね。

嬉しくなってしまいます。

 

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 

昨晩は2日前に作って冷凍しておいたクリームシチューとパンを食べただけでした。

もちろん、ワインも少し。

その後、横になると寝てしまって、目覚めると夜中でした。

それから、マンガ『キングダム』66巻を読みます。

『キングダム』は歴史上初めて統一中華を創った秦の始皇帝の物語です。

昨日、67巻が発刊されたので購入したんです。

3~4ヶ月おきに発刊されますから、前巻から読み直さないと、ストーリーの繋がりが分からなくなってしまうんです。

1巻読了するのに2時間はかかります。

66巻を夜中に読み終え、今日の午前中の朝食前に67巻を読みました。

67巻も出ているのに、秦はまだ一国も滅ぼしていません。

中華統一の第一歩もまだなんです。

以前、作者の原泰久氏が全話終了するのに80巻ほどかかりそうだと言っていましたが、到底無理そうですね。

100巻ほどかかるのではないでしょうか。

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今日の介護トレーニングは中止になってしまいました

2023-01-11 23:15:59 | 介護トレーニング

今日は水曜日、1月からの介護トレーニングのある日です。

自転車でI老健へ行く途中、老健から電話が入りました。

それには気付かなかったのですが、老健へ到着すると、その理由が分かりました。

お正月に自宅に戻った入所者のお一人が新型コロナウイルス陽性になったんだそうです。

さっちゃんには問題はないのですが、施設としては念のために介護トレーニングを中止にするとのこと。

まあ、仕様がないですね。

でも、介護トレーニングが中止になるということは、さっちゃんの自宅復帰が1週間遅れるということですよね。

 

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 

介護トレーニングとは関係のない話題をひとつ。

自宅にはさっちゃんが撮影した山の写真が何枚か飾ってあります。

その中の一枚に、三ノ窓から見下ろした三ノ窓雪渓が朝陽に輝く写真があるのです。

その写真の雪渓がこの冬の一時期、本当に太陽で光り輝くんです。

その写真がこれ。

▲2023年1月9日13:50。この写真は1988年8月にさっちゃんと僕の二人で三ノ窓にテントを張ってチンネを登攀した時のものです。遠くに見えている山は鹿島槍や五竜でしょうか。光が当たっていないと、雪渓はこれほど白くは見えていません。

 

太陽が低い冬ですから、窓から入る陽光が隣りの部屋のフローリングの床で反射して、床から2mほどの位置にある写真に当たるのです。

写真自体も朝陽に輝く三ノ窓雪渓を撮ったものなんですが、印刷物ですから実際に光っている訳ではありません。

でも、この時季の午後1時半過ぎには陽光が当たって実際にも光り輝くんです。

偶然、この位置に写真を飾って、その事実に遭遇した時は驚き感動してしまいました。

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