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落ち込みを悦びとする

昨日テレビを観ていたら感情の起伏の激しい若者に人気の女性歌手がこう述べていました。

「どんどんイケイケの時も思いっきりふさぎ込んでいる時もその時の感情を楽しみたい。何も心に何かが起こらないよりもマイナスでも感情が自分から出ている方が生きているって気がするから」

あー確かにそうだなーと思いました。私の歴史の中で一番劇的にインプットされているのはすごく調子に良い頃の自分よりも本当に落ち込んでいる頃の自分の方のウエイトが大きいからです。そしてその記憶を今思い出してどうかというとけっして悪いものでもないんです。
そうまるで映画の記憶にのこるワンシーンみたいに映像が明確である意味美しいのです。

「あーあの頃の自分、すごいなー。よく頑張っていたなー。今みたいな環境や精神でもないのに暗闇の中手さぐりで本当にけなげで涙ぐましい」

そう思えてしまいます。あまりにも美化しすぎではと思われるかもしれませんが、その時の息遣いまでがリアルに感じられてしまうのだから不思議です。
高校時代、授業中にパニック障害になった時に私の精神はあまりにも苦しくて身体からはなれようとしました。「あーやばい。発狂する。校舎から飛び降りたい」そう思いながら自分=物質である自分自身の身体が憎いと思って、私は離れようとしました。でも心臓が一生懸命動いているんです。ドクドクドクドク。

「私は生きたい。まだ頑張れる。生きたいんだー」

そう訴えているように私には感じられました。そしたら急に自分=身体が愛おしくなって精神がしっかり身体にもどったらパニックが収まりました。
そんな自分の過去の記憶も自分史の中ではとても色濃く映像として心に残っています。

私達の目指すところは心の平安であり、精神の安定、魂の浄化です。しかしそれにはただ山にこもって座禅しているような特別な境遇を求めるのは正しくありません。そしたらそもそも社会は成り立たなくなり、停滞、退廃してしまうからです。
荒療治かもしれませんが人間関係、社会生活の中でもまれることによって魂の原石をどんどんと磨き上げることができるのです。そう思うと「落ち込む自分を悦びとする」は究極の悟りかもしれません。
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今日だけお許しください。 (猪八戒)
2017-02-14 17:52:03
昨日、義母が急逝しました。
実母の記憶がほとんど無い私には唯一の母でした、守ると自分自身と約束したばかりなのに…。やはり私はまだ弱いままです。
…悔しいです。
 
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