非国民通信

ノーモア・コイズミ

浮動票と不動票

2014-04-29 23:05:58 | 政治・国際

 世の中には、時流に合わせて投票先を変える人と、変えない人がいます。前者は浮動票とも呼ばれるところで、後者の場合は固定票と言われることが多いでしょうか。固定票より不動票と書いた方が語呂が良いかなと言う気がしないでもありません。それはさておき、状況次第で票の行き先が動く要素もあれば、状況の如何に関わらず必ず見込める票もあるわけです。

 「動かない」票に関しては専ら組織票を想像する人が多いように思います。特定の組織、団体からのまとまった支持の存在は、幾分かの陰謀趣味も添えられて悪し様に語られることが多いものです。ただ組織もしくは団体に属していない人の場合でも、投票先が完全に固まっているケースを目にすることは少なくありません。何がどうあろうとも断固として民主党支持みたいに、候補者の主張や時代の情勢と言ったものに左右されず、頑なに同じ党を支持し続ける人もいるわけです。

 政治家は自分の支持層に便宜を図るもの――そういうイメージもあるでしょうか。ただ、それは古い固定観念のなせる技で、あまり正しくないようにも思います。むしろ「釣った魚に餌はやらない」タイプの方が今時は目立つのではないでしょうか。かつてハト派が保守「本流」を称していた頃の「古い自民党」では、確かに支持基盤に対して利益を誘導するようなところもありました。しかしレイシストが「保守」を称するようになった現代は幾分か事情が違うはずです。

 転機はやはり小泉時代にあると言いますか、この時代から支持基盤の利益に配慮するよりも浮動票に阿る傾向が強くなりました。それまで自民党を支えてきた固定票、不動の票田にではなく、どこに投票するのかハッキリしない層に向けたパフォーマンスが主流化するようになったわけです。そうした小泉流は自民党よりも民主党にこそ忠実に受け継がれたところですが、その浮沈は浮動票依存の功罪をよく表わしたものという気がします。

 民主党は典型的な「釣った魚に餌はやらない」タイプで、その最大の支持基盤である連合/労組に便宜を図るようなことは最後までありませんでした。利益誘導がない、という点では実に潔癖な政権でしたね。そして専ら民主党の目線は浮動票の方に向いていた、古い自民党への批判票を掻っ攫うことを狙っていたと言えますが、それが上手く行かないと途端に与党の座から滑り落ちてしまうのは思い出すまでもないでしょう。

 石原慎太郎が何度となく暴言を吐いて非難を浴びることもありましたが、それで選挙に負けることはなかったわけです。石原支持層は、差別発言など最初から気にしないので妄言があっても投票先は変わらない、逆に差別発言に批判的な人は最初から石原を支持していないので、やはり暴言の如何に関わらず石原慎太郎が得る票には影響がない――そんな風景が続いてきたところもあるでしょうか。時に問題視されるような発言や政策であっても、票の動きには実は影響が少ないものもあると言えます。

 現在の首相である安倍晋三は、どちらを気にかけているのでしょう。一度は民主党に流れた浮動票も概ね取り戻せている中で、逆に心配なのはこれまで「不動」であった層の票なのかも知れません。前にも少し触れましたが、先の東京都知事選は良くも悪くも国政の縮図でした。専ら国政上のテーマばかりを訴える候補がいたのもさることながら、かつては民主党の「不動票」であったはずの連合が自民党が推す舛添を支援し、一方で安倍内閣の意を汲んで選ばれたはずのNHK経営委員が自民党にとっての対立候補である田母神を応援していた辺り、昨今の勢力図をよく表わしていたように思います。浮動票の離反よりも、飼い犬の暴走の方がむしろ総理大臣にとっての懸念事項にも?

 細川―小泉―民主党ラインに比べれば、舛添―自民党を支持した方がマシであろうとは私も思うところで、都知事選における連合の判断には同意できないでもありません。ただこれは自民党と民主党系の会派が都議会で蜜月関係にある東京だからこその例外とも言えますし、それ以前にもうちょっと早い段階から各政党(候補者)を天秤にかける動きがあっても良かっただろうとも思うわけです。(与党時代の)民主党が労働者の立場を蔑ろにするのであれば対立候補を支持するぐらいの、政権に揺さぶりをかけるような振る舞いの一つもあってしかるべきだったのではないでしょうか。

 不動の票は「なめられる」ことが多いです。どうせなにをやっても投票先は変わらない人のことなんて考えるだけムダですから。単に投票先を変えさえすれば良いというものではありませんけれど、党の掲げる政策や主張次第では票が逃げてしまう、そういう恐れは少なからず政治に影響するものですし、逆に好ましい政策や結果を提示できれば新たな票が呼び込めるという、そういう期待感もまた政治を動かすものと言えます。民主党政権時代の与党にものが言えなかった連合よりも、自民党が政権に復帰して野党気分で気楽に批判できる今の連合の方が随分と口がなめらかになったようにも見えますけれど、一応の労働者の代表としてどれだけ政治に影響力を及ぼせるでしょうか。今はむしろ極右層の方が安倍内閣に揺さぶりをかけるのに成功しているようにも感じられるところ、大きな組織にはよく戦略を考えて動いて欲しいとしか言えません。

 

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心は誰でもエグゼクティヴ

2014-04-27 22:58:40 | 雇用・経済

JR東子会社に初勧告=消費増税分の転嫁拒否で―公取委(時事通信)

 納入業者による消費税増税分の仕入れ価格への転嫁を拒否したとして、公正取引委員会は23日、JR東日本の子会社JR東日本ステーションリテイリング(東京都港区)に対し、消費税転嫁対策特別措置法に基づき、業者負担分の支払いや再発防止を勧告した。同法施行後、勧告は初。

 リテイリング社は品川、大宮などJR5駅で商業施設「エキュート」を運営。食品や雑貨などの納入業者は、施設内に店舗を設け、商品の販売価格の一定割合を仕入れ代金として受け取っている。

 公取委によると、同社は、消費税が8%に引き上げられた4月1日以降、全店舗で一部商品について3%以上の値引きなどを行うセールを独自に企画。昨年11月と12月、全納入業者161社に対し、一方的に文書で参加を要請した。

 同社は値引き分を業者に負担させており、公取委は、同法で禁じる「買いたたき」に当たると判断。同社の売り上げ規模や納入業者数を考慮し、勧告の対象とした。公取委の調査後もセールは実施されているが、同社は業者負担分を支払う方針だという。

 

 端的に言えば消費税とは「立場の弱い側が負担する税」なわけで、似たようなケースは他でも見られることでしょう。法人税については高い高いと子供のように駄々をこねる一方、消費税増税には諸手を挙げて歓迎するような財界人が数多いるのは、要するに消費税負担の偏りの故でもあります。消費税を実際に負担する立場もあれば、消費税の負担を他人に押しつけられる人(事業者)もいるわけですね。今回のケースは氷山の一角という気がしないでもありませんが、行政による勧告が行われたのは良いことです。消費税増税のダメージを最低限に止めるためには、こうした悪質な事業者を厳しく取り締まっていかなければ行けません。

 この消費税増税という世紀の愚策は、菅直人に野田佳彦という日本史場の汚点とも言うべき愚劣な政治家が、その政治生命を賭して実現を企てたものです。しかる後に政権を継いだ安倍晋三は、所々に継ぎ接ぎを当てた程度で消費税増税を予定通りに進めてしまいました。「あれは民主党のバカが決めたこと、民主党の過ちを正すのが自民党だ」ぐらいに言い切って前政権時代の決定を一方的に反故にするくらいのことをやってくれれば、全体としてみれば概ね良い政治家であったと安倍は評価されそうなところですが、流石にそこまでは望めなかったわけです。

 

「残業代ゼロ」一般社員も 産業競争力会議が提言へ(朝日新聞)

 政府の産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)は、労働時間にかかわらず賃金が一定になる働き方を一般社員に広げることを検討する。仕事の成果などで賃金が決まる一方、法律で定める労働時間より働いても「残業代ゼロ」になったり、長時間労働の温床になったりするおそれがある。

 民間議員の長谷川閑史(やすちか)・経済同友会代表幹事らがまとめ、22日夕に開かれる経済財政諮問会議との合同会議に提言する方向で調整している。6月に改訂する安倍政権の成長戦略に盛り込むことを検討する。

 労働基準法では1日の労働時間を原則8時間として、残業や休日・深夜の労働には企業が割増賃金を払うことを義務づけている。一方、企業には人件費を抑えたり、もっと効率的な働かせ方を取り入れたりしたいという要求がある。

 

 第一次安倍内閣時代にいったんは取り下げられたホワイトカラー・エグゼンプションが性懲りもなく提言されたりと、まぁ消費税増税に続く経済面でのマイナス要因はなかなか消え去りません。連合が民主党政権時代に実現することのできなかった賃上げ幅を安倍内閣は達成したところで、自民党の首相としては13年ぶりにメーデーに出席するなど勢いづいてもいるようですが、ただまぁ「連合よりは役に立った」のは確かであるとしても、まだまだ胸を張るには不足、景気と賃金の回復は小さな一歩を踏み出したばかりでもあります。

 さてホワイトカラー・エグゼンプションとは要するに残業代の踏み倒しを合法化する制度なのですけれど、第一次安倍内閣時代には結構な反発もあって結局はお蔵入りになったものです。そして類似の制度が導入されている国における適用対象は字義通り「エグゼクティブ」階層です。つまり、限られたエリートのための特別枠であって、一般社員に及ぶようなものでは本来ありません。政治家という特別な階層には特権がある一方で世間からの厳しい批判に晒されるように、普通の労働者よりも高級を得るエリート層にはその分だけ厳しい競争が待っている――その点では一定の釣り合いも見受けられるところです。

 しかるに「日本版」の場合は話が違って、制度の適用対象が「一握りのエリート」ではなく幅広い範囲の「社員」が想定されているわけです。まぁ日本は正社員であれば下っ端であろうと「経営的視点を持て」とか白面で要求される国ですから、そういうものなのかも知れません。ともするとヒラの社員や非正規の従業員までもが労働者よりも経営側の視点で物事を語りがちな国では、待遇はともかく「心は」誰でもエグゼクティヴなのでしょう。所詮は末端の社員にできることなどたかが知れているのに、「正社員」であるだけで過大な責任を求められる、そんな日本的雇用が日本的ホワイトカラー・エグゼンプションの源流になっているようにも思います。

 安倍内閣のこれまでの成功は、市場に介入したからだということを政府関係者には強く認識して欲しいものです。選手任せの戦術的な規律なきチームが決して強くなれないように、規律のない経済もまた同様に国全体として発展していくことはできません。多少なりとも景気が回復して雇用情勢も幾分かはマシになって、そして人件費を抑えることで低価格のサービスを提供することでシェアを伸ばしてきた企業――例えばすき家(ゼンショー)とか――が揺らいできているわけです。デフレ時代の低賃金に依存して成功した企業が日本経済を活性化してくれたのかどうか、人件費抑制によって利益を確保する企業を延命させることが国益に適うのかどうか、政府関係者がその辺を理解していることを願うほかありません。

 

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本を読むよりも重んじられることが、日本にはある

2014-04-25 21:13:14 | 社会

読書時間ゼロ、大学生の4割 「暇ならスマホ」(朝日新聞)

 1日の読書時間が「ゼロ」という大学生が4割を超えた。全国大学生活協同組合連合会(全国大学生協連)の調査で明らかになった。1カ月の本の平均購入費も過去最低だった。読書よりも、インターネットやゲームに熱中する学生が多いという。

 独協大学経済学部2年の男子学生(19)は「本は月に1冊読むかどうか」と話す。「大学生になって好きなことができるようになった。その中で読書の優先順位は高くない」

 暇があれば、スマートフォンを使うという。通学時間や授業の空き時間に、スマホでニュースサイトをみたり、友達と情報交換したりする。「ライン」「ツイッター」「フェイスブック」「インスタグラム」……。常に複数の交流サイト(SNS)で知人らの最新情報をチェックしている。

 

 この手のニュースは定期的に出てくるわけですが、率直に言って「だからどうなの?」と思います。私が子供の頃は、本なんか読まずに外に出て遊びなさいと教えられたものです。ゆとり世代だの何だのと、下らないレッテル作りに勤しむ人も多いですけれど、敢えて言葉を作るなら昨今の学生は「下放世代」とかどうでしょうかね。部屋にこもって読書に励むより、外に出て友達を作りコミュニケーションを深める、そういう志向が強いわけですし、そういう人を企業だって好んで採用しているはずです。

 読書よりも、インターネットやゲームに熱中する学生が多い――そう伝えられる一方で、その後に「実例」として出てくる人が語るのはニュースサイトの他に「ライン」「ツイッター」「フェイスブック」「インスタグラム」と交流サイトばかりでゲームの影は窺えません。ソーシャル系の伸長とは裏腹に従来のゲーム市場は衰退傾向にあるのですが、朝日新聞の記者はその辺をご存じないのでしょうか。むしろ私には、読者はおろかインターネットやゲーム「よりも」交流サイトに張り付いてコミュニケーションに励む学生が増えているように見えます。

参考、算数ができなくても就職はできますし

 新入社員の算数の能力が低いと嘆いてみせる記事もあれば、そんな中ですら「企業が採用の際に重視する能力は『コミュニケーション』がトップの87%。一方、学生に低下を感じるのもコミュニケーションが59%と最も多かった。」などと記されています。端的に言えば、日本で就職するなら勉強なんてできなくても良いのです。もちろんネームバリューのある大学を卒業することは重要ですが、そこで何を学ぶか、いかに学ぶかは問われません。日本の会社では、必要とされないことなのです。

 どこの国でも、純粋に勉強がしたくて大学に進む人は、そう多くないと思います。大学に進んだ方が将来的な就業機会など可能性が広まるからと曖昧な気持ちで、あるいは明確な目的意識を持つ人でも少なからぬ人は「○○になるため」と就職を視野に入れているのではないでしょうか。そこで大学で何を学んだかを採用側(企業)が問うような文化圏では、当然ながら学生は己の目的を果たすために行動します。一方で評価するのは大学の名前とコミュニケーション能力である場合――就職のためという目的意識を高く持ち将来設計も確かな人物がどのような学生生活を送るか、それは考えるまでもないことです。

 趣味は読書です、というのはあんまりウケがよろしくないと昔から言われます。京都大学総長の松本紘は「受験勉強ばかりでなく、高校時代にやっておくべきこと、例えば音楽とか、恋愛始め人間関係の葛藤とか、幅広い経験をしてきた人に入試のバリアを少し下げる」との構想を語りましたが、要するに日本社会では勉強することよりも高く評価されるものがあるわけです。勉強したくて大学に来るような一部の好き者は別として、社会に出た後のことまで視野に入れた意識の高い学生ほど、勉強以上に日本社会で求められるものに合わせようとするのではないでしょうかね。

 ヨソの国はともかく日本では統計上、年齢が上がるにつれ読書量が減っていくものです。普通の日本人は、勉強も読書も年を取って「卒業」してしまうものなのでしょう。ある意味で、本を読まない大学生ってのは、昔の夢見がちな大学生よりもずっと「大人」で現実志向が強いのではないかという気もします。若者が夢を見ないのは寂しい話かも知れませんが、何せ福島なり外国人なりへの偏見を煽り立てるのに熱心な妄想家ほど読書量が多くて、そういう人を「優良顧客」としてトンデモ本を目立つところに平積みする本屋も大いに目立つくらいですし。

 本好きの自分にしてみれば、読書とは良いものだと言いたいところですけれど、ただ本を読みさえすれば何かがどうにかなるというものでもないと思います。何の価値もない本もあれば、誤解や風説を広めるばかりの本もある、本を読めば読むほどおかしくなっていく人だっていくらでもいることでしょう。結局は本人の心掛け次第です。そもそも読書から得られた「何か」が評価される世の中なら話は違うのかも知れませんが、そうでない以上は学生が本を読まなくなった云々と嘆いても詮無いことです。

 

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追記、

 例えば先の東京都知事選では、若年層の田母神支持率が高かった――より正しく言えば「選挙に足を運んだ若者の」田母神支持率が高かった――わけです。しかし、若年層の投票率は相変わらず低いままでした。果たして選挙に行かない若者には、田母神支持者は多かったのでしょうか? むしろ若年層でも投票しなかった人は、他の世代とあまり違いがなかったのではという気もします。選挙には必ず行くのが正しいと信じられがちですけれど、投票に積極的な若者は、そうでない若者よりも良心的であると言えるでしょうか。読書にしても然り、本屋で売れている本を鑑みれば尚更のこと、よく本を読む人よりもむしろ本を読まない人の方がマトモなのかも知れないと感じないでもありません。

 自分は概ね読書家の部類に入りますが、読書家でいられたのは自分の趣味を第一優先で生きてきたからです。大学の同期が就職活動に全力で取り組む中、自分は趣味の読書や趣味の勉強に励んできましたが、たぶん人生を真面目に考えていたのは、学業を捨てて就職を第一優先にした人達の方であって、趣味に走った私の方ではないでしょう。推測するに、本をよく読む学生よりも本を読まない学生の方が就職実績は芳しいのではないか、大学卒業後のキャリアでも成功を収めているのは――少なくとも国内ので就職である限り――本を読まない学生の方ではないかと、そんな気がします。本は、趣味で読むものです。

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フードナショナリズム

2014-04-22 23:27:33 | 社会

「米と牛乳合わない」? 新潟・三条市が給食牛乳廃止検討 北海道の酪農地帯・釧路、根室管内に波紋、異論(北海道新聞)

 ご飯に牛乳は合わない―。学校給食を完全米飯化した新潟県三条市が正しい食育を理由に牛乳を試験的に廃止することを決め、全国的な話題を呼んでいる。酪農地帯の釧路、根室管内からは「牛乳を飲むことは地域を知る食育の一つ」と異論も上がっている。

 食の欧米化で生活習慣病が増える中、三条市は「日本人らしい食事で、健康な生活と和食文化の継承を」(食育推進室)と2008年に給食をすべて米飯に切り替えた。牛乳廃止は、父母や学校関係者から「米飯に牛乳は合わないのでは」との声が上がったのがきっかけで、12月から来年3月まで試験的に実施する。今春の消費税増税に伴う給食費の値上げを抑える狙いもある。

 

 この辺も変なカルト右翼が絡んでいるのではないかという気がしないでもありませんが、「食」の分野は少し事情が違うところもあるでしょうか。曰く「ご飯に牛乳は合わない」とのこと。ミカンジュースを使った炊き込みご飯があるくらいですから一概に「合わない」とは思えないのですけれど、三条市の偉い人が個人的な好みで学校給食に介入している印象も拭えません。故アンディ・フグはご飯にヨーグルトをかけて食べていたそうで、ともすると日本では奇異に見えるこの食べ方、実は彼の故郷であるスイスでは特別に珍しいわけではないのだとか。逆に日本では当たり前な、サンドイッチに甘いクリームを挟むとか豆を甘く煮るとか、その辺の方がヨソの国の人からは変に見えていることも多いでしょうし。

 フードファディズムもさることながら「フードナショナリズム」とでも呼ぶべきものもあるように思います。普段は排外主義に反対のフリをしている人でも、「食」の領域に関しては完全な排外主義者としか言いようのない主張を展開している人も多いわけです。他国の文化の影響や外国の習俗を自国のそれに比して劣ったものとして扱うのであれば、それは偏狭なナショナリズムに他なりませんが、こうした態度に批判的な人でも食の関わる分野では態度を翻し、外国文化の影響を無条件の悪として捉え、日本食に排他的な優越性を見ている人が少なくありません。

 「外国人」と言わずに「外人」という言葉を好んで使うようであれば、その人の立ち位置は自ずから知れるでしょうか。一方で「輸入米」ではなく「外米」との言葉を好んで使うケースはどうでしょう。私はこれも同様に排外主義の表れと見ますけれど、まぁ自らの偏狭さに無自覚な人は多いように思います。あるいは日本が強行する南極海その他での遠征捕鯨活動に関しても然りで、この辺は右翼層に限らず「左」と世間から扱われている類の政党やメディアも、おしなべて日本政府側の一方的な主張を繰り返すばかりです。ある意味、右と左が手を携える日本で最も理性の働かない対象が「食」の世界という印象が拭えませんね。

 軍事的衝突の可能性については話し合いによる解決や国際協調の必要性を訴えるような人でも、やはり「食」の領域に関しては先軍主義の信奉者と似たような考え方をするケースが多い、日本が「脅かされている」と強く信じ、国際的な友好関係の破談を前提として防壁を築くことを訴えるような論調が大いに目立つところでもあります。実際のところ、香川のうどんとオーストラリアの小麦のように「食」の世界であろうとも国際的な連携は不可避であり、相互に協力してこそ発展はあり得るとしか言いようがないのですけれど、まぁ現実に目を向けるよりも被害者意識に浸ることを好む人が多いわけです。

 

 栄養面でいえば、牛乳は日本人が不足しがちなカルシウムを多く含んでいる。文部科学省の基準で、カルシウムは給食1食あたり300~450グラムの摂取が望ましいとされている。牛乳は1パック200ミリリットルに200ミリグラム強を含んでおり、「ほかの食品だけで、摂取基準に達するのは難しい」(文科省学校健康教育課)。三条市も「基準の8割程度にとどまるかもしれない。家庭で飲むように啓発していく」という。

 

 「日本人らしい食事で、健康な生活と和食文化の継承を」というのが三条市の主張で、これを伝える北海道新聞でも「食の欧米化で生活習慣病が増える」と無批判に断言しています。「和食」とやらを押しつけることで、果たして本当に日本在住者の健康は促進されるのでしょうか。かつては「江戸わずらい」なんて言葉もありました。白米に偏った江戸の庶民の食事は栄養バランスが悪く、脚気になる人が多発したことが伝えられています。現代の「和食」にしても上で指摘されるようなカルシウムの不足傾向はありますし、その他にも全般的に日本食は塩分過多であることが広く知られているところで、決して「和食」は手放しで褒められるようなものではないでしょう。

 あたかも欧米の食文化が不健康なものであるかのように(そして日本食が欧米の食文化とは「違って」健康的であると)語られがちですけれど、それは偏狭な姿勢に他なりません。他国の食文化を尊重できずに自国の食文化を押しつけようという動きは、排他的ナショナリズム以外の何物でもないと言えます。だいたい「日本人らしい食事」とは何なのでしょう。給食に置ける牛乳は、ほぼ全ての政党と新聞が日本の伝統であると言い張る鯨食なんかよりもずっと長い間、続いてきたもののはずです。

 そもそも白米が日本全国で主食化したのは近代に入ってからのこと、日本で独自発展を遂げて世界に輸出されるレベルにまで昇華されたラーメンなんかと、実は同じくらいの歴史しかないと言っても過言ではないでしょう。日本で米の自給率が100%に達したのは1960年代後半ですし、三条市の位置する新潟の米などはまずくて有名で、鳥も食べない「鳥またぎ米」などと呼ばれていた時代も長かったものです。和食=米食の時代なんて過渡期の産物であって食文化は常に変わり続けているわけで、その時計の針を無理矢理、特定時期を「文化」と言い張って巻き戻そうというのも馬鹿げた話と言うほかありません。

 

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分社化でどうにかなる問題とは思えない

2014-04-20 12:00:10 | 雇用・経済

「すき家」人手不足、対策で7地域分社化 バイト賃金、配置など改善へ(産経新聞)

 ゼンショーホールディングスは17日、傘下の牛丼チェーン「すき家」で人手不足による休業が深刻化しており、対策として全国に7つの店舗運営会社を置く「地域分社化」に踏み切ると発表した。約4万人在籍するアルバイトやパートの労働条件に各地域の実情を反映させ、働きやすい環境作りを進める狙い。分社化は6月に行い、正社員も各地域で採用する。

 すき家の店舗数は3月末時点で1984店。6月からは、北海道・東北▽関東▽首都圏(東京・神奈川)▽中部・北陸▽関西▽中・四国▽九州・沖縄-の各地域会社を設け、それぞれ約300店舗ずつ運営。従業員の採用や賃金、配置のほか店舗統廃合などの権限を各社に委譲する。

 ゼンショーによると、すき家の人手不足は、調理の負担が大きい「牛すき鍋定食」などを発売した2月から深刻化。計画的な店舗改装による休業を除き、これまでに計約250店が時間帯休業や深夜・早朝の営業休止を余儀なくされた。

 こうした事態をうけ、ゼンショーは「従業員の不満を十分把握できていなかった」(広報)と判断。分社化と並び、労働環境改善に向けた有識者による第三者委員会も設ける。

 

 アルバイトの離職やサボタージュが急増したとかで話題を呼んだ「すき家」ですが、ゼンショー側の発表でも250店ほどが営業休止に至る事態であったことが伝えられています。すき家の店舗は全国で1800程度ですから、7店に1店は営業に支障が出る事態であったことになります。実際には、もうちょっと多いくらいかも知れないわけで、流石のゼンショーも事態を深刻に受け止めざるを得なかったのでしょう。その結果として上に伝えられているような分社化案が出てきたようですが、果たして……

 分社化と、その反対のグループ会社統合はヨソの会社でも頻繁に見られるところです。改革ごっこの大好きな経営陣が牛耳る会社では分社化と統合のループが繰り返されているなんてこともありますね。私の過去の勤務先の中にも、そういうのがありました。経営合理化のためと称して会社を分割、そして経営合理化のためと称してグループ会社を統合、上の人の唱える効用は同じなのに、正反対のことが繰り返されているのですから奇妙な話です。

 自称経済誌に書かれているような分社化の意義を諳んじている人はいるかも知れませんが、そのエビデンスはどれほどのものなのでしょうか。分社化すれば何かが良くなる保証などどこにもない、ただ単に「改革をした」というアリバイ作り、自己満足のための分社化でしかないケースが多いように思います。少なくとも経営者や知ったかぶり論者が得意げに語るような分社化の効用が当初の目論見通りに得られたケースなど、それこそ偶然に成功したのと同レベルの割合でしか存在しないのではないかという気がしてなりません。

 間接雇用の数少ない利点の一つとして、残業代が踏み倒されにくい、というものがあります。直接雇用すなわち自社の従業員に対しては当然のようにサービス残業を強いている会社も多いわけですが、派遣社員の場合はそうもいかないのです。というのも派遣社員の場合は従業員に直接賃金を支払っているのではなく、まず派遣会社という取引先への支払いが先にあるだけに、働く人への賃金不払いは何とも思わない事業者でも取引先への不払いはまずいと考えるものです。自前の社員の賃金を誤魔化すのは平気でも、他社から提供を受けるサービスの使用料を誤魔化すことには躊躇いのある経営者もいますから(ただし最初から雇用の偽装を目的に作られたグループ内派遣会社の場合は除く)。

 そんなわけで残業代を「他社に」支払わなければならない派遣社員よりも、定額使い放題の直接雇用の方が安上がりになっているケースもあります。ブラックだからこそ、より従業員を支配しやすい正規雇用を中心としている、そんなパターンもあるはずです。自社従業員の福利厚生を充実させている、ちゃんと残業代を支払っている会社の場合は非正規雇用への置き換えがコスト削減になりますが、直接雇用の社員を定額使い放題の奴隷として扱っている真のブラックにとっては逆になりかねないのですね。

 少し話がそれましたが、「身内」と「ヨソ」のどちらを相手にした方が会社は強く出てくる、あるいは節度を守るのでしょうか。上述の残業代のケースですと往々にして「身内」の社員に対しては踏み倒したがる傾向が強く、「ヨソ」を通して雇う従業員に対しての方がルールが守られる傾向にあります。一方で警察における不祥事の隠蔽など典型的ですが、身内の失態をかばい立てする「ウチに甘い」タイプの組織もまたあるわけです。身内に甘く、取引先に無理難題を押しつける人もいれば、反対に取引先へは良い顔をしつつ身内には無茶を強要する人もいるでしょう。

 そういえばJRなんか、他の私鉄・地下鉄に比べて不可解な遅延や復旧の遅さが(ついでに矛盾に満ちたアナウンスでも)際立つところですが、この辺も路線が「JR一社」の場合と「複数の私鉄が相互に乗り入れ」の場合で違いがあるのかも知れません。ともすると前者の方がスムーズな運行が可能に思えますが実態は正反対だったりします。JR単独路線だからこそ安易に「止めればいいや」「とにかく動かさなければ良いのだ」という判断が可能になる、逆に複数の私鉄が相互に乗り入れしている路線の場合は「ここで踏ん張らないと他の会社に迷惑がかかる」と考えられるものなのでしょう。一社単独か、それとも会社が分かれている場合か、どちらが良いかはなかなか難しいところです。

 なおゼンショーは「従業員の不満を十分把握できていなかった」とのこと。(元)従業員との訴訟やユニオンとの交渉拒否などを続けてきたゼンショー側が従業員の不満を知らなかったはずがありません。ただ不況に救われてきたと言いますか、雇用情勢が悪いからこそ劣悪な待遇でも我慢して働き続ける従業員が多かった、そこに甘えてきたのが景気の回復と共に通用しなくなってきたというだけの話です。「分社化しました、経営改善に向けて手は打っています!」と株主に対する説明材料にはなるのでしょうけれど、根本的な問題を解決しうるものではないように思われます。

 

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出世する資質はあるんだと思う

2014-04-17 23:36:58 | 社会

小保方氏に引き抜き話 弁護士が明かす…事務所には激励手紙やメール殺到(デイリースポーツ)

 STAP細胞の論文問題で、捏造・改ざんなど研究不正の指摘を受けている理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダー(30)に対し、外部の学術研究者から複数の“ヘッドハンティング”の誘いが入っていることが14日、分かった。

 代理人の三木秀夫弁護士によると、理研と研究不正問題で意見対立している小保方氏に対し、研究資金・設備などの提供を申し出て「うちで研究をやらないか」との誘いだという。勧誘の主は科学者や、別ジャンルの学者もいるという。

 小保方氏は9日の会見で「私に研究者としての道が残されているなら」とSTAP細胞の研究続行を強く希望し「研究を前に進めてくれる人がいるなら協力していきたい」と語っていた。

 

 色々とネタにされることも多い小保方氏ですが(私自身が何度も引き合いに出したところでもありますし)、各種メディアは元より小保方氏叩きもしくは擁護で売名に走っているとしか言い様がない芸能人なんかの姿を見ると、まぁ同情しないでもありません。この人のせい、もしくはおかげで話題の人の座から転落した佐村河内氏あたりは今ごろ何を思っているのでしょう? 助かったと感じているのか、それとももう少し「時の人」でいたかったと惜しんでいるのか、その辺が興味深くもあります。

 「STAP細胞は、あります」――そう小保方氏は先日の会見で報道陣に訴えかけました。小保方氏の立ち位置をよく表わしている言葉かな、と思います。問われているのはSTAP細胞の実在性ではなく、その実在性を主張する上での手続き上の問題であり、STAP細胞の存在を第三者にも再現可能な形で不正や隠匿なしに証明できているか、です。そうした理研(及び問題提起したヨソの研究者)からの問題視に対し小保方氏が応えていたとは言いがたい、むしろ問題をすり替えようとしているというのが私の率直な感想であり、この点で小保方氏に対して私は不信感を抱いています。

 一方で小保方氏を擁護・応援する人の数は、批判もしくは中傷する人の数を上回る模様です。まぁ、科学者ではなく一般の観点ではそんなものなのかな、という気がしますね。真偽の程は不明ながら「ヘッドハンティング」の動きもあるとのこと、実際に少なからぬ引き合いはあるのではないでしょうか。純粋に研究が目的であるならば小保方氏の手法はダメ出しを食らうとしても、民間企業レベルで話題を作るなり商業的な成功を目指すなりといった範疇では、必要十分なものを持っているのだろうと思います。

 とにかく小保方氏の論文は不適切な箇所が目立つとのことで、なぜこのような人が理研のユニットリーダーという、多くの研究者が望んでも容易に付くことのできないポストを手に入れたのか云々と疑問を呈する人もいるようです。その辺はまぁ、「コミュニケーション能力が高かったのだろう」と考えるほかありません。研究者としてはいざ知らず、人事権を持っている人から高い評価を得るために必要な能力を、小保方氏は有していたということです。そしてこうした能力は、理研よりも普通の民間企業でこそ輝くことでしょう。

 大学の教授でも武田邦彦に早川由紀夫、比嘉照夫とか怪しいのはいくらでもいますし、小出裕章みたいに形の上では研究職に就いていても査読の対象となるような論文は書かずに一般向けの本を書くのが専門の人だって普通にいるわけです。小佐古敏荘のように感情論100%で科学的判断を歪めてしまうような手合いだって結構な地位を得ている、そういう連中がごまんといるのを嫌と言うほど見てきた後で小保方氏を考えると、まぁ「これくらいはマシな方だろ」という風に感じてしまうところもあります。

 消費者庁からダメ出しを食らったシャープのプラズマクラスター製品群や大幸薬品その他の空間除菌グッズもそうですし、健康食品などの分野ではそれこそ素人目に見ても誇張と捏造とハッタリで商売しているケースは枚挙に暇がありません。そういうのに比べれば、今回のSTAP細胞論文はまだしも真面目に作られた方だと言わざるを得ないようにも思うのです。研究者の目線では致命的な欠陥品でも、民間企業の目線では水準以上なんだろうな、と。

 小保方氏の所属である理研は、言うまでもないことですが営利企業ではありません。独立採算制の、自分の稼ぎで運営されている組織でもないわけです。そうであるからこそ、焦りもあったのかも知れません。自分の稼ぎで研究しているのであれば、どんな研究をしようとも他人からとやかく言われる筋合いはないですけれど、一方で税金の投入先ともなれば「世間」の目線は違ってきます。そこは税金が投入されるに足るだけの「成果」を、「世間」にも分かるような形でアピールできないと立場が悪くなるようなところもあったのではないでしょうか。研究者の視点からではなく、世間一般(及び政治家)にもわかりやすい業績を作らなければならなかった、そうした中で小保方氏をフロントマンとして大々的に売り出そうという、「不純な」思惑も産まれたのではと推測されます。

 「永田町の常識は世間の非常識」とは昔から言われることですが、「科学者の常識は一般人の非常識」でもあるのかも知れません。原発事故後の対応を巡っては科学者の知見を一般人の感情が押し切ってしまうような場面ばかりが続きました。そして小保方氏の場合でも擁護する声が少なくないのは、要するにそういうことなのだと思います。科学者の考える安全性や妥当性、正当性の基準は世間一般のそれとは大きく異なります。そして往々にして「世間」なり「民間」なり「一般人」なりの感覚が無批判に尊重され、専門家の意見は一蹴されがちでもあったりするわけです。でも、それでいいのかなと。

 文系とか理系とか自らの陣営を明白にしたがる人も多くて、往々にして「向こう側」の人間の考え方に対して否定的であるケースが多いように思います。私はむしろ自分が文系だからこそ、自分とは異なる分野で知見を持っている人の意見は尊重することを心掛けていますが、むしろ自分が「文系であること/理系であること」に絶対の自信を持っている、自分の領域に排他的優越心を持っている人の方が多いようです。そして「一般人」と「専門家」の場合も然りで、この場合は多数派の一般人の方が強くなりすぎている、驕れる世間の感覚が専門家の指摘を葬ってしまうような場面が多くて、それは結構な問題ではないかという気がするところだったりします。

 

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算数くらいできろよ

2014-04-15 23:15:41 | 社会

生活保護 不正受給は許さない! 福岡市が“たれ込み”ダイヤル開設(産経新聞)

 生活保護の不正受給を防ごうと福岡市は4月下旬、専用ダイヤル「生活保護ホットライン」(仮称)を開設する。不正受給に関する“たれ込み”を受け付けるほか、ギャンブルやアルコールなどに過度に依存する受給者の生活立て直しに向けた支援に生かす。高島宗一郎市長は8日の記者会見で「行政だけではつかめない情報をすくい上げる。生活保護の公平性を担保し、守るべき人をしっかり守りたい」と語った。(大森貴弘)

 

 この種の密告受付窓口を設ける動きは既に他の自治体でも例が見られるところですが、「結果」はどうなのでしょう。自治体の思惑通りに生活保護申請を抑え込むことに成功しているのかどうかも報道機関には合わせて伝えて貰いたいものです。ともあれ生活保護受給者を容疑者と見なす運動は広がる一方で、その監視を市民にも呼びかけるのは自治体だけに限らず無関係な民間人にもしょっぱいブロガーにも少なからず見受けられます。

 今回の福岡市の決定を受けて、生活保護受給者の取り締まりを訴えてきたレイシスト――彼らの頭の中では生活保護受給者とは不当に利益を受けている在日外国人ということになっているようで――からの「犯行声明」みたいなものも見かけましたが、実際の影響の程はどうなのでしょうね。何か重大事件が起こると「我々の仕業である」と犯行声明を出して自身の影響力を大きく見せかけようとするテロリスト集団とかもいるわけですが、それと似たものを感じないでもありません。ただ、浦和レッズやはだしのゲン問題でも分かるように、レイシストの要求に対して「気遣い」を見せるのが日本では一般的とも言えます。レイシスト集団からの訴えかけとは無関係に生活保護受給者を締め上げようとする動きは存在しているのですが、決定打はどの辺にあったのやら。

 

 福岡市では、生活保護の受給世帯数が急速に膨らんでいる。

 平成26年2月現在は3万2268世帯となり、20年度(年間平均2万96世帯)に比べ、5年間で1万2千世帯以上増えた。増加率は60%となり、同期間の全世帯増加率7・6%を大きく上回った。全人口に対する受給者の割合を示す保護率は2・86%(全国平均1・68%)に達した。

 この結果、25年度に市が支出した生活保護費(当初予算ベース)は803億円に上った。市の一般会計7500億円の1割を占め、市の財政を圧迫する要因となっている。

 

 さて慣例と言いますか、本来なら比較として適切でない手法でも普通に受け入れられるようになっているパターンがありまして、典型的なものとしては官民の給与比較などが挙げられます。「非現業(≒ホワイトカラー)の正規職員」の給与平均と、「パートなど非正規を含めた」民間企業で働く全労働者の給与平均を並べて、「公務員の給料は高い!」などと訴えるのは、比較の仕方を思えばお笑いも良いところですが、新聞やテレビに限らず政治家の間にも広く受け入れられているわけです。

 これに続くものとして、上記引用元にあるような自治体財政に占める生活保護費の扱いが挙げられるでしょうか。周知の通り生活保護費は「国庫負担分」と「自治体負担分」に分かれるもので、国が4分の3、自治体が4分の1を出すことになっています。福岡市の場合は総額が803億円ですから、自治体負担分は約200億円ですね。ところが上記では「生活保護費の総額(国庫負担分+自治体負担分)÷市の一般会計」という計算式に基づき、「(生活保護費が自治体財政の)1割を占め、市の財政を圧迫する要因となっている」と伝えられています。常識的に考えれば、妥当な比率の求め方は「生活保護費の自治体負担分÷市の一般会計」ですよね。

 ただしこれは引用元の産経新聞に限ったことではなく、基本的に国内のメディアには全て共通した求め方です。生活保護費が自治体の財政を圧迫している重荷であるように見せかけようというのは朝日も読売も毎日も東京新聞も同じで、「生活保護費の総額(国庫負担分+自治体負担分)÷市の一般会計」という式がどこでも当たり前のように用いられています。より先鋭的なのは神奈川新聞で、「生活保護費の総額(国庫負担分+自治体負担分)÷市の個人市民税」という仰天の計算式を使っていたりしまして(参考:神奈川新聞の印象操作が酷い)、まぁ酷い話です。

 

 さらに、不正受給が大きな問題として浮上している。

(中略)

 24年度に福岡市が不正受給と認定し、返還を求めたのは1521件(4億5900万円)に上った。受給総数3万1154件(784億円)の5%弱にあたる。

 

 加えてメディアによっては、計算式云々に止まらない印象操作に励むケースが散見されます。例えば昨年9月の中日新聞報道では「空間線量は毎時約0・24マイクロシーベルト。一日8時間で1年間積算すると許容線量の1ミリシーベルトを超える数値となる」と伝えられていました(参考:中日新聞社のカレンダーの1年は何日あるんだろう?)。0.24×8×365=700.8ですので、我々が知っている算数の仕組みに沿って計算すれば、許容線量の1ミリシーベルト(なお正しくは、自然放射線量+1ミリシーベルト)を超えることはありません。しかし中日新聞としては初めに結論ありきで、放射線量が許容値を超えているのだと力説せずにはいられなかったのでしょう。 

 そして上記引用元も然り、不正受給額が「4億5900万円」で受給総額は「784億円」です。

459,000,000÷78,400,000,000=0.005854...

 これを一般的な算数の取り決めに沿って%表記になおしますと、生活保護費に占める不正な受給額の比率は「約0.5%」ということになります。産経新聞の報道(もしくは福岡市の発表)とは、10倍の開きがありますね。その辺の小学生でも間違いに気づきそうなものですが、ただ日本の報道機関として生活保護受給における不正を大きく見せなければと言う使命感が記者にはあったのでしょう。これは福岡市の意図にも合致するところですし。(4/16追記、財政を圧迫云々という文脈からは当然、金額が問題視されているはずですが、どうも産経報道では「件数」で計算して比率を求めているようです。この場合は計算間違いではないものの、今度は「不適切な比較」の方に該当すると言えます。件数ベースで計算した方が「不正」の比率を大きく見せかけることができる、との観点から金額ではなく件数ベースでの計算が選択されたものと推測されますけれど……)

 なお一般的に不正受給額は総額の0.4%弱程度――各地の自治体で密告が奨励された結果としても実態はこの程度――ですので、福岡市の場合は「やや多い」とは言えます。ただ僅か0.5%程度の不正が密告によって減少したところで全体に影響があるかと言えば、そんなものはあるはずがないことは、やはり小学生にだって理解できそうなものです(むしろ密告への対応に忙しくて本業に手が回らなくなる事態すら懸念されます。かのドイツのゲシュタポですら、殺到する密告に振り回されて苦労したとか)。日本の貧困補足率は15~20%程度と言われます。そこから0.5%の「不正」額が摘発され、その分が「本当に困っている人」に「そっくりそのまま」回されたとして、貧困補足率はどう変化するでしょうか? 算数ができるならば、貧困補足率を増減させるにはあまりにも微々たる額、何ら意味のない誤差の範囲であることが分かると思います。

 ちなみにこの「不正」の最大は、所得を隠したケースです。生活保護受給者が収入を得れば、それに応じて生活保護費が減額される仕組みで、この辺を残念に思って収入を隠すという「不正」が大半を占めます(「例外」を強調したがる人も多いですが、それは大勢に影響を与えるものではありません)。将来的な生活保護からの脱却のために有益と、アルバイトで貯金するのを部分的かつ条件付で認める動きも厚労省レベルではあるとはいえ、それでも生活保護費の削減が至上命題になっている自治体も多いわけです。そのためには何がもっとも有効か――最も簡単なのは生活保護「受給者」へのネガティヴキャンペーンであり、生活保護受給者を不当な受益者として容疑者扱いすること、生活保護申請から貧困者を遠ざけ、生活保護の不備の責任を「悪しき受給者」のせいであると言い募ること、これが日本全国で実践されてきたと言えます。

 

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求職と嘘とハローワーク

2014-04-13 23:52:31 | 雇用・経済

求人票:職安に苦情年7700件 実際の条件とかけ離れ(毎日新聞)

 ハローワーク(職業安定所)に掲示された求人票の労働条件が、実際の労働条件とかけ離れているという苦情が後を絶たない。厚生労働省が2012年度の1年間に全国のハローワークに寄せられた苦情を調べたところ、件数は7783件に上った。事態を重くみた厚労省は先月、常設の相談電話「ハローワーク求人ホットライン」を設置。改善への対応に乗り出した。【東海林智】

 不当な長時間労働や賃金不払いを常態化させる「ブラック企業」が社会問題となる中、求人票との食い違いがブラック企業への入り口になっているとの指摘があり、調査した。厚労省がハローワークの求人票に対する苦情件数をまとめたのは初めて。

(中略)

 東京労働局に寄せられた苦情の中には、ある運送会社の求人票に「基本給30万円」と記されていたが、実際の給料30万円には60時間の残業代が含まれており、本当の基本給は13万円程度だった−−という事例があった。また飲食業のある企業は「勤務先は都心部の店舗」として募集していたが、実際には都心から遠く離れた郊外での勤務を提示されたという。「経理事務」を募集している製造業の企業で面接を受けたところ、「営業しか採用はない」と言われたというケースもあった。

 

 厚労省が苦情件数をまとめたのは初めてとのことですが、求職者にとっては半ば周知のことでもあるでしょうか。ハローワークの求人は嘘だらけ、ブラック企業を避けたければハローワークは避けるのが鉄則、私に言わせれば常識の範囲ですね。ハローワークの掲載の求人に応募したら採用を餌に金銭を騙し取られたのなんて可愛い方、ハローワークに紹介を受けて就職したら詐欺に荷担させられて豚箱入りになったなんてケースすらあります。後者のようなケースではハローワークも詐欺の共犯者として相応の刑事処分を受けてしかるべきはずですが、これがお咎めなしとは正義も糞もありません。

参考1、ハローワークの利用は避けることを奨めたい

参考2、ハローワークの求人広告が最も信用できない

 商品(サービス)の広告に虚偽や誇張があれば景品表示法違反などに問われます。しかるに、求人広告に嘘があっても、これを取り締まるものは何もありません。景品表示法は求人広告に対しても適用されるべきものと私は前々から考えていますけれど、その様な動きはないようです。あまりにも嘘だらけの広告を連発している会社は元より、そうした信用できない広告を掲載し続け、利用者を誤認させるような組織もまた大いに問題があります。ハローワークにも当然のこととして、利用者に不利益を与えた場合は責任が問われてしかるべきでしょう。

 タチの悪い事業者を放置するハローワークに業務改善命令や営業停止処分、資格失効などの措置が取られることがない現状、嘘の求人広告で求職者を騙すのは完全に「やったもん勝ち」となっているわけです。何の後ろ盾も、そして多くは職もないであろう求職者に個人の力で悪質な求人を出す事業者に立ち向かうことを求めるのは、あまりに酷な話です。ここはやはり、公的機関による取り締まりが必要なのではないでしょうか。ハローワークが何もしないのなら、消費者庁なり警察に動いてもらった方がまだマシになるのかも知れません。

 求人を「出す側」の言いなりで、何の審査もしないような組織は単なるアリバイ作りのために存在しているようなもの、もうハローワークなんて大幅に業務縮小、市役所の一角に間借りして失業保険の受付だけに特化してしまった方が良いのではないかと思うこともあります。ちなみに失業保険の手続きに関しては色々と失礼なことを言われることが多いといいますか、受給者を半ば容疑者扱い、まず初めに「不正はしないように、不正をしたら罰則が云々」と脅しをかけられることから始まるのですが、もう一方のハローワーク利用者である求人広告を「出す側」へは、どう接しているのでしょうかね。

 実際の業務内容や待遇とは異なる求人広告を出す、その様な事業者こそハローワークの「不正な利用者」であること、それは強く意識されるべきです。失業給付を受けるに当たって嘘を吐いたら罰則が云々とハローワークの担当者はいつも語りますけれど、本当に嘘を吐いて不当に利益を得ようとしているのは誰なのか、そして嘘か本当かを審査することもなしに求職者が欺かれるのを対岸の火事のごとくに眺めているのは誰なのか、率直に言ってハローワークには解体も含めた大幅な改革が必要であろうと言うほかありません。

 

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お国のために命をかけて?

2014-04-11 23:38:13 | 社会

調査捕鯨:3隻が帰港 「中止」判断に渦巻く不安(毎日新聞)

 南極海で今年1〜3月、調査捕鯨にあたった捕鯨船3隻が5日、山口県下関市の下関港に入港した。国際司法裁判所が3月31日、南極海での現在の日本の調査捕鯨を「科学目的ではない」として中止を命じ、捕鯨存続が揺らぐ中での日本への帰港。乗組員や出迎えの家族からは判決への不満や不安が渦巻いた。

(中略)

 岸壁であった入港式で、水産庁の本川一善長官は国際司法裁判所の判断について「このような結果になり申し訳なく思う」と述べた。今後については「判決を分析し、早急に対応方法を決めたい。(関係者の)不安を払拭(ふっしょく)できるよう、必要なら予算措置を講じながら対応したい」と語った。

(中略)

 乗組員の夫を出迎えに訪れた熊本県の女性(45)は、無事の帰国を喜びながらも「夫はこの仕事に誇りを持っている。国のために命をかけて働いているのに……」と涙を浮かべた。次男(34)が16年間、調査に参加しているという山口県美祢市の女性(60)も「判決は文化の違いなのでしょう。厳しい船上生活に耐え、誇りにしてきた息子の仕事がなくなるかもしれない」と不安そうに話した。

 

 さて国際司法裁判所が日本の南極海での(自称)調査捕鯨に「科学目的ではない」との判決を下し、中止を命じたのは記憶に新しいところですが、国内の反応はどれほどのものでしょう。南極海などでの捕鯨活動を擁護する驚くほどレベルの低い国内の言論を見れば見るほど、今回の判決に納得がいくところでもあります。わざわざ南極海くんだりまで遠征して鯨を殺してこなければならない必要性を強弁する人々の、あまりの無理筋を目の当たりにすれば、要するに屁理屈とハッタリを並べ立てないと日本の行為は正当化できないのだなと確信が深まるばかりですね。

 このような結果に対し水産庁の本川一善長官は「必要なら予算措置を講じながら対応したい」と語ったとのこと、また税金が使われるようです。当然ながら税金の使い道は相応に問われるべきものなのですが、世間の見方はどれほどのものでしょうか。この(自称)調査捕鯨という税金漬けの事業に対する批判の一つには、捕鯨のPR活動にばかり力が入っていて大義名分のはずの調査・研究結果が不十分というものがあります。国際司法裁判所の判決も批判の妥当性を裏付けるものと言えますが、こうした現実を水産庁サイドが受け入れることができるか、大いに問われるところです。研究ではなくプロパガンダ活動の方にさらなる税金の投入となれば尚更、日本の外では「科学目的ではない」との理解が進むことでしょう。

 現実を受け入れたがらない、という点では引用元で伝えられている乗組員の家族の反応も結構なものがあります。山口県美祢市の女性(60)も「判決は文化の違いなのでしょう」云々は完全にテンプレ的な回答と言いますか、確かに日本国内ではその様に語られるものですけれど家族が関係者であるからには、もう少し知見を持っていて欲しいところ、客観的に科学的な調査目的と認められない行為を聞く耳持たずで(ついでに税金ジャブジャブで)強行する、そうした振る舞いが世界の反感を買うのは文化の違いとはまったく関係のないことです。そもそも南極海くんだりまで遠征するのが日本の文化だと言うつもりなら、それこそ世界中の失笑を買うだけですし。

 それ以上に恐ろしいのは「国のために命をかけて働いているのに……」と語る熊本県の女性(45)です。う~ん、「お国のために」ですか。色々とツッコミようはありますけれど、まず第一に「調査・研究のためという建前を守らなくていいのか?」と。日本側の一方的な言い分であるとは言え、一応は「調査」を名目に掲げて来たわけです。そうである以上は「調査のため、科学のため」にやっているのだと、嘘だと分かっていても主張しなければならないのではないでしょうか。それを関係者(ただの家族とはいえ)が「お国のため」などと言い出しては、ますます日本側の主張が怪しくなる、「科学目的ではない」との判決が正しく見えるばかりです。

 科学者、研究者あるいは船員が「国のために命を賭けて」などと言い出したら、この人の頭は大丈夫かと大方の人は首を傾げるのではないでしょうか。例えば日本の調査捕鯨と同様に科学としての信憑性が強く疑われている理研の小保方氏が、「国のために命を賭けて研究してきたのに……」などと涙ながらに自らの正当性を訴える場面を想像してください。今以上に、変です。あるいは地球上の船に乗るよりも過酷で、原発作業員よりも遙かに膨大な放射線を浴びながら活動するスペースシャトルの乗組員の場合はどうでしょう。若田光一さんが「国のために命を賭けて~」などと言い出したら、それは色々と心配になる場面です。そしてマグロなりカニなりを獲りに行く漁船の乗組員が同様に「国のために」などと語ろうものなら、コイツは頭がおかしいのではないかと周囲から白目を向けられることでしょう。

 「お国のために~」などと言い出す家族の声を伝える毎日新聞の記者は、何かおかしいとは思わなかったのでしょうか。こういう発言が普通に受け入れられるのが調査――というより「遠征」捕鯨を巡る日本人の感覚であるとしたら、そもそも目的はどこにあるのかと訝しく思うところです。調査のためなら、そんな言葉は出てこないはず、商業目的であってももちろん、そんな言葉は出てこないはずです。「国のために命を賭ける」というスローガンに浸かった国家プロジェクトというのも、なんだか恐ろしい話ではないでしょうか。どうせならもう、公然と武装した艦船に朝日新聞社社旗でも掲げて遠征するぐらいやった方が、嘘偽りのない正直な気持ちを伝えるという面ではマシなんじゃないかと思えてきます。

 

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良心の痛まない仕事を見つけるのは難しい

2014-04-09 21:37:33 | 雇用・経済

「置くだけ空間除菌」は根拠なし 消費者庁が措置命令(朝日新聞)

 消費者庁は27日、空気中に放出される二酸化塩素の効果で生活空間の除菌・消臭ができるとうたう空間除菌グッズは効果を裏付ける根拠がないとして、景品表示法に基づき、販売元の製薬会社など17社に表示変更などを求める措置命令を出した。「首からぶら下げるだけ」「部屋に置くだけ」で除菌できると宣伝するのは同法違反(優良誤認)にあたると判断した。

 (中略)

 同庁の説明では、二酸化塩素自体には除菌効果が認められる。しかし生活空間を除菌する効果があるかを疑問視し、17社に表示を裏付ける合理的根拠の提出を求めた。各社から提出されたのは密閉空間などでの試験結果で、換気をしたり、人が出入りしたりする部屋などでも効果があるとは認められなかったという。

 

 先月の話ですけれど、こういうこともありました。シャープのプラズマクラスター製品群も景品表示法違反で消費者庁から措置命令が出されていたのを思い出します。まぁ、「それっぽい」効能を謳って商品を売り出すハッタリ商法は、それこそ「怪しげな」3流メーカーに限らず日本を代表するレベルの大企業にも共通するところですけれど、第三者に検証されてしまえば結果はこういうところに落ち着かざるを得ないのでしょう。

 もう随分と昔のことになってしまいますが、家電量販店で働いていた頃は「マイナスイオン」グッズを売るのに良心が咎めたものです。本当はマイナスイオンの効能なんてあるはずもないのですが、だからといってお客さんに「マイナスイオンが効くなんて宣伝しているメーカーは信用しない方が良いですよ」と言うわけにも行きません。メーカーの宣伝を真似して客を騙して売りつけるのが量販店の仕事ですから。

 理研の小保方氏も第三者からのツッコミで続々とボロが出て無惨な結果に終わりそうです。ただ、これが「たまたま」第三者の検証に晒されたからこその不運と言いますか、所属が普通の民間企業であったなら、あるいは学会向けの論文ではなく一般向けの書籍として発表されていたのなら、「気鋭の女性若手研究者」みたいに持ち上げられ続けていたのではないかと思われてなりません。見る人が見ればインチキでも、世に憚っているエセ科学理論はいくらでもあります。

 ノバルティスファーマ社の社員が、臨床研究に不正に関与していたことも昨今は問題視されています。しかしまぁ、関与した社員の多くは決して望んで不正を働いたわけではないのだろうなとも思うところです。悪いことをしたいのではない、しかし日本の営業としては「やらざるを得ない」こともあって、その結果として医師や研究者への一線を越えた関与があったのではないでしょうか。

 製薬会社に限らずどの業界でも、営業である以上は強引な売り込みを「せざるを得なかった」経験を持っている人は多いと思います。必ずしも顧客にとって必要ではない商品を売りつけないと予算が達成できない、都合の良い情報だけを語ってデメリットについては伏せておかないと製品(サービス)が売れない、そうした状況の中で自らの良心に背いて営業を続けるなんてのは、日本中どこでも見られることです。

 今時の日本の本屋の多くは、レイシスト向けの書籍を積極的に売り出しています。韓国や中国への偏見や憎悪を煽る本が売り場の目立つところに平積みされているのが当たり前の光景となりましたが、まぁ日本の書店員ともなると今度はレイシズムに「寛容に」ならなければならないのかも知れません。差別主義の本など売りたくない――そんな個人の思いなど許されないのが日本の職場というものです。

 昔は出版社で働いてみたいと思っていました。もっとも今は違います。「作りたい本、世に出したい本」のために働けるとは限らないもの、しばしば意に沿わない本の出版のために働かねばならない場面も出てくることでしょう。何よりも「売れる本」として差別や歴史修正主義の本を押し出してくる出版社も多いですし、一見するとお堅い岩波のような出版社でもエセ科学系のトンデモ本を乱発しているわけです。要するに自身の良心が咎める類の書籍を世に広める、その片棒を担がされてしまうであろうことは必至です。だから私は、もう出版社に入りたいとは思わなくなりました。

 なかなかどうして、良心の呵責に悩まされない職場を探すのは大変なことです。冒頭の空間除菌グッズで措置命令を受けた企業の中には「効果がある」と強弁して消費者庁から再度の懸念を伝えられたところもあるようですけれど、大幸薬品に所属の開発者達の心中はいかほどのものでしょう。本当に自社の製品が第三者の検証に耐えるものと確信しているのか、それとも会社の建前として効果があると言い張らねばならないのか――

 

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