非国民通信

ノーモア・コイズミ

ロシア、ウクライナ、共産党

2023-03-26 23:15:30 | 政治・国際

岸田首相、必勝しゃもじ贈呈 ゼレンスキー大統領に(共同通信)

 松野博一官房長官は23日の記者会見で、岸田文雄首相がウクライナの首都キーウ(キエフ)を訪問した際、ゼレンスキー大統領に地元・広島県の必勝祈願のしゃもじと、折り鶴をモチーフにした宮島御砂焼のランプを贈呈したと明らかにした。「ロシアのウクライナ侵略に立ち向かうゼレンスキー氏への激励と、平和を祈念する思いを伝達するためだ」と説明した。

 世界遺産・厳島神社で知られる宮島(広島県廿日市市)はしゃもじが特産品として有名。「敵を召し(飯)捕る」との語呂合わせから、必勝祈願にも使われる。

 

 「これは一つの戦争だ。まだまだ、大きな戦争がいっぱいある」とは小泉純一郎の2008年の発言で、自民党総裁選に立候補した小池百合子を応援する文脈で出てきたものです。選挙を戦争に準える類いの発言は色々とありますけれど、その逆もあるのでしょうか。つまり戦争とは選挙のようなものであって、勝利を目指して頑張ろう──みたいな受け止め方をしている人も岸田内閣には多いように思います。

 スポーツにおいて勝利を追い求めることは悪いこととして扱われる一方、ウクライナを舞台にしたロシアとNATOの戦争に関しては、勝つまで戦いを続けるのが唯一の選択肢とされているわけです。ただどれほど欧米諸国が和平や停戦に反対して軍事支援を加速させたとしても、実際に戦うのは現地の人間ですから、まぁお気楽な話と言えます。

 この必勝祈願のしゃもじは日露戦争の時代からも使われていたそうです。太平洋戦争に関しては「悲惨な戦争」として語り継がれ、二度と繰り返してはならないとされていますけれど、その他の対外戦争を日本人はどう受け止めているのでしょうね。負けた戦争は「繰り返してはならない」とされる一方、勝った戦争ならば当時の風習を現代まで引き継いできたわけです。

 日露戦争は「勝った」ものとして国民に喧伝されたものの、実際には痛み分けに近い結果であり日本人が望んだ領土割譲を得る結果には至りませんでした。しかし日本が勝ったと信じる国民は日露の講和条約に怒り狂い、日比谷での焼き討ちなど大規模な暴動を起こします。これは実態とは異なる大勝利を伝えてきた日本政府の自業自得ですけれど、現代は何かが変わっているのでしょうか?

 現代日本では、あたかも「北方領土」が日本の領土であるかのごとくプロパガンダの流布が続けられています。しかし実態として領有を主張する合理的な根拠などあろうはずもなく、ロシアからの領土割譲が行われる可能性は皆無です。これは日露戦争後と同レベルと言えるでしょう。政府の洗脳教育とそれを鵜呑みにする国民、両者と現実の間の溝は現在も埋められていません。

 ロシア側に目を転じれば、政府及び正規軍と、行動を共にする軍事組織の間での不和が色々と報じられています。どこにでも異論や意見の不一致はあるものですけれど、ロシア側の作戦が効果を上げられない要因としてこの足並みの乱れを指摘する人は少なくありません。では逆に、異論がない(ことになっている)国や組織の方はどうなのでしょうか。

 異論がない(ことになっている)国家としては北朝鮮などが真っ先に挙がりそうですが、政府に反対する野党の活動が禁止され、ロシア寄りと見なされた野党議員が身柄を拘束されているような国──ウクライナなどはどうでしょう。国内の「裏切り者」のあぶり出しに熱心な様子はさておき、取り敢えず西側メディアに登場するウクライナ人は例外なくゼレンスキーを支持し、ロシアに勝つまで戦争を続けることを訴えています。少なくとも報道上のウクライナは、異論のない一致団結した国です。

 先般は日本の共産党が、党首の公選制を訴えた党員を除名したと伝えられ世間から叩かれています。弱小政党で党内の競争が必要かという疑問はさておき、分派を許さず組織内の一致を優先する姿勢はゼレンスキー体制も同様であり、ウクライナとの連帯を表明したいのであれば筋の通った判断ではなかったかと、私などは思うところです。

 日本共産党と言えば暴力革命を志向しているとして、統一教会を差し置いて公安の監視対象となっていることでも有名です。その実態はさておき、日本国民の「暴力革命」に対するイメージはどれほどのものでしょうか。近年に起こった暴力革命の具体例としては、2014年にウクライナで反ロシア派が暴動によって大統領を追放した「マイダン革命」が挙げられます。

 暴力革命そのものを否定するのあれば、日本がやるべきことは追放された正規のウクライナ大統領の支援と、実権を掌握したクーデター勢力への制裁です。しかし日本や欧米諸国の判断は、この暴力革命の結果を何の疑問も持たずに受け入れるというものでした。暴力による体制転覆であろうと、その結果として生まれたのが親米政権であれば「国際社会」は許容するということが分かります。

 暴力革命も結果の如何によっては受け入れるのなら、共産党を公安が監視する口実もアップデートすべきではないでしょうかね。暴力革命そのものがNGなのではなく、その方向性が気に入らないのだ、と。ただ現実問題として共産党も外交に関しては他の主要政党と同じく親米右派で、とりわけ今回のウクライナを舞台にした戦争に関してはアメリカ政府広報みたいな主張も散見されます。ただ単に「共産」と付くものが毛嫌いされている、というのが実態なのかも知れません。

 結局のところ、ロシアなり共産党なりを巡る報道は対象の否定ありきで実態に即したものではない、公正であろうとする姿勢が我々の社会に欠如していることを示しているだけです。同じことをウクライナやその他アメリカの衛星国が行えば支援と賛同が集まり、同じことをロシアや共産党が行えば囂々たる非難が巻き起こる、真に反省されるべきはこうした愚かさにこそある、というのが私の見解です。

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「国益」と「陣営の利益」

2023-03-19 22:55:19 | 政治・国際

 ウクライナを舞台にしたロシアとNATOの戦争は膠着した状況が続いています。ウクライナ側の輝かしい戦果を伝える報道もあれば、ウクライナ側の危機と軍事支援の必要性を訴える記事も同時期に並ぶなど、はっきりしているのは日本がどちらの陣営に属しているかだけと言った状況ですが、この先の展開はどうなるのでしょうか。

 結局のところ主導権を握っているのはNATOであって、現状は西側からの支援の多寡が戦局を左右している、と見るのが最も客観的な評価ではないかと思います。NATOが強力な兵器と「義勇兵」を送り込めばウクライナ側が前進し、軍事支援が緩められればロシアが前進する、これまで起こったのはその繰り返しです。

 では主導権を握っているNATOの思惑はどこにあるのか、ウクライナ側に送られた兵器は必ずしも最新鋭ではなかったり射程距離に制限があったり等々、ウクライナ側を勝たせるために全力で軍事支援が続けられている様子はありません。しかしウクライナが負けない程度、持ちこたえられる程度には武器が送り込まれているわけです。勝ちすぎず、負けすぎない、そうなるバランスを見計らっての支援が行われていると言えますが、これはいつまで続くのでしょうか。

 残念ながら今のロシアにNATOの支配を打ち破る力はなく、「舞台」となるウクライナにどれほどの被害が及ぼうとNATOが敗れることはないでしょう。そしてアメリカの傀儡となったゼレンスキーが自ら命運を決めることもまた困難と言えます。結局はアメリカがいつまで戦争を続けるつもりか次第で結末は変わる──ロシアを十分に弱体化させることが出来たとNATOが判断するまで、この戦争は続く可能性が高いです。

 

ウクライナ支援は「国益」か 米大統領選の有力候補、異を唱え波紋(朝日新聞)

 2024年の次期米大統領選への出馬が有力視されるフロリダ州のデサンティス知事(共和)が、ウクライナ支援を続けるバイデン米政権に異を唱えたことが議論を呼んでいる。ウクライナでの戦争は米国の「重要な国益」ではない――。そんな意見には、共和党内でも賛否が分かれている。

 話題を呼んだのは、デサンティス氏が今月、FOXニュースの取材に答えた内容だ。米国には、確実な国境警備や、中国共産党への対応といった重要な国益があるとしたうえで、「ウクライナとロシアの領土紛争に一層巻き込まれることはその(重要な国益の)一つではない」と明言した。

 民主党のバイデン大統領は、国際秩序や民主主義を守る戦いだとして、米国内外でウクライナ支援を主導してきた。戦争を「領土紛争」だとして距離をとるデサンティス氏の姿勢は、バイデン政権の姿勢とは大きく異なるものだ。

 

 現時点ではこのデサンティス氏やトランプ元大統領など、アメリカの共和党候補が「結果的な」平和をもたらす可能性が高いと考えられます。どちらも決して平和志向とは言えませんが、その外交姿勢は現代における戦争の原因を希薄化させるものであり、平和を大義名分にして国際社会の分断を深めているバイデン政権とは真逆の結果をもたらすことでしょう。

 アメリカ人と、その価値観を共有する日本人はアメリカによる世界の支配を平和と同一視してきました。アメリカによる軍事侵攻は常に支持してきましたし、それで平和が破られたとは考えてこなかった、アメリカ陣営に属さない国で領土紛争が繰り返されても世界の危機など感じたことがなかった、しかしアメリカに服属する意思を見せていた国──ウクライナに戦火が及ぶと、日本人は初めて平和が脅かされたと感じたわけです。

 大半の日本人にとって、「アメリカ陣営を守る」ことと「国際秩序や民主主義を守る」ことは同一です。これは与党だけではなく主要野党の見解も同じですし、右派メディアだけではなく左派扱いされているメディアも同じ、ワイドショーのコメンテーターだけではなく大学教員の多くも同様の立場を取っています。しかし、世界中の国がアメリカに服属していることが本当に「平和」なのでしょうか?

 バイデン大統領は、アメリカを再び偉大な国とすべく奮闘を続けています。そのために日本やヨーロッパの衛星国を糾合し、アメリカの意向に従わない国への圧力をエスカレートさせているわけです。しかしこの「西側の信じる平和」のための試みは国家間の対立を深めるばかりで、アメリカによる覇権を信奉する人々を喜ばせることはあっても、国際協調の妨げとなっていることは言うまでもありません。

 逆にトランプがそうであり次期有力候補と見なされるデサンティスが片鱗を見せているような新時代の自国中心主義は何をもたらすでしょうか。彼らはいずれもアメリカ以外の国への支出を自国の重荷と見なしています。現実的にはアメリカに服属する陣営を守るためには必要なコストであり、アメリカの覇権を維持するためには費やさねばならないものではあるのですが、彼らはそれを理解できていません。

 しかしアメリカが、その傘下にある国々への軍事支援を切り捨てた場合は何がもたらされるのでしょう。ロシアから見れば、NATOの東進が止まれば戦う理由がなくなります。台湾が中国に向けてけしかけられることもなくなり、朝鮮半島においても少なくとも一つは争う必要性が消え去るわけです。アメリカ陣営に属しているか否かという陣営によって対立し合う構造は終焉へと向かうことが期待されます。

 アメリカに限らず、イタリアなどヨーロッパの国々でも同種の自国中心主義は勢力を強めており、こうした人々が政権に影響を及ぼすようになると、NATOというアメリカを盟主とした軍事同盟の維持は困難になることでしょう。そうなったときこそ、世界には陣営による対立から解放される希望が生まれると言えます。

 日本は今なお右も左もアメリカ第一主義が主流派を構成しており、アメリカ陣営の勝利を平和と信じ続けています。しかし新興国の成長で欧米諸国の先行していた地位は相対的に低下し、アメリカを頂点とした世界支配はもはや現実的に望めるものではなくなっているわけです。そうなった以上はアメリカに服属しない国々との共存以外に道はありません。既にアジアにおける日本の経済的凋落と外交的孤立は顕著であり、その方向性は180°転換すべき時に来ているのではないでしょうか。

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「住」は進歩するか

2023-03-12 23:00:39 | 社会

 ある小説で、裁判中の証言に疑問を持った主人公達が事件現場で検証を行うシーンがありました。裁判では「隣室から悲鳴が聞こえた」と証言されたものの、主人公達が実際にマンションで大声を出してみたところ、それを隣室で聞き取ることは困難であることが分かり、捜査を洗い直していく……という流れであったように記憶しています。隣人が大声を出しても聞こえないようなマンションが存在するのかと、話の本筋は忘れましたがそこだけは覚えています。

 コンクリートのマンションは憧れですが、RC造のマンションでも騒音問題に悩まされている人はいるようです。まぁ柱と梁だけコンクリートでも他がペラペラの木材と石膏ボードでは、防音性能も大して変わらないのかも知れません。あるいは騒音を気にするのなら戸建てに住めと言い放つ人も多いです。ただ軒を隔てることで音が遮断されるようなことはなく、普通に隣の家からの悲鳴は聞こえる、隣の家の子の夜泣きで起こされる、隣の家の子供が床を踏みならす振動で窓が震えるぐらいは木造家屋なら当たり前ではないでしょうか。

 隣の一軒家の家族と私は全く付き合いがありませんが、それでも隣に住む3人の子供の名前は把握しています。厳密に言えば隣家の母親が子供達をどのように呼んでいるかを知っているだけですので正確かどうかは定かでありませんけれど、軒を隔てた隣の戸建てに住む家族の会話ぐらいは普通に聞こえます。コロナ禍のリモートワークでは自宅から会社や顧客と通話している人もいたはずですが、声の大きい人なら隣の住人に会話内容が筒抜けと言うこともあったのでは、と思いますね。

 

今春発売「24時間」で建つ「500万円」の一戸建て 意外にも「60歳以上」から問い合わせが殺到する理由(デイリー新潮)

 フジツボモデルへの問い合わせはすでに2000件を超え、なかでも「60歳以上」の人たちからの関心が非常に高いという。実際、同社には「60歳になったら家を貸してもらえなくなった」や「すでに住宅ローンは払い終えたが、リフォームの必要性に迫られたところ“1000万、2000万円の単位で費用がかかる”と言われた」などの声が多く寄せられているとも。

 

 昨今は急激なインフレが世間を襲っていますけれど、それまでは世にも稀なデフレ傾向が続いてきたわけです。ところが住宅価格だけは例外で、デフレ脱却が課題であった10年前から右肩上がりでした。普通の国ですと超低金利と不動産価格高騰の組み合わせは景気の過熱に繋がるものですが、不思議の国ニッポンでは不景気のままで不動産販売価格だけがバブル超えという怪現象に見舞われています。自分の貯金が増えるよりも早いペースでマンション価格が上昇し続ける現状に希望を持てる人は少ないことでしょう。

 衣食住の内、「衣」については安価な大量生産品もある、「食」についても最近は微妙ですが飢えるほどのことは稀です。しかし「住」に関してはどうでしょう。技術の進歩により誰もが住宅を手に入れられる時代は、訪れる気配がありません。上記に引用した「フジツボモデル」はまだ実験段階の域のようですが、期待して良いのでしょうか。「住」についても技術革新で大量生産品なら誰でも購入できるようになれば、ようやく時代の進化を実感できることになります。

 学生が本を読まない云々と嘆息する類いの話は定期的に出ますけれど、今の日本の住宅事情ですと本棚を置くのは難しい、インテリアとしての見せる本棚を置くのがせいぜいでしょう(これは電子化で対応するしかないのかも知れません)。あるいは少子化も久しく指摘されていますが、では子供部屋を用意できるだけの居住空間を確保できるかというと、それもまた一部のエリートや親世代から多くを継いだ人に限られるわけです。世の中の問題を悪化させている原因の一つとして、住宅事情の悪さも間違いなく関与しています。

 リモートワークにしても、仕事をするための私室がなくリビングで家族と場所を奪い合いながら……という人も多かったと聞きます。では都心から離れた土地代の安いエリアに広い家を建てられれば色々な問題が解決するかと思うところですが、どうにも脱リモートに向かう会社の方が多いわけで、やはり先行きは明るくありません。本来なら一極集中が激しい日本こそリモート化が重要になるはずです。通勤「しない」ことを前提とした就業形態を当たり前にすることで、都内通勤圏への需要を分散させることを国策化すべきと私などは考えますけれど、しかるにコロナ前へ「戻る」ことを正常化と考えている人の方が世間では幅を利かせているのですよね……

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雇う側が変わらないことには

2023-03-05 23:53:36 | 雇用・経済

長時間労働、飲みニケーション…オッサン文化が日本をダメにする。筋金入りのオッサンを変えるには?(FNNプライムオンライン)

――とはいえ、自分がパワハラをしていることにさえ無自覚な、筋金入りのオッサンを変えるにはどうすればいいんでしょう?

青野氏​:
お勧めはその人の下でもう働かないことですね。いま日本の企業で大問題になっているのは、人材を採用できない、採用しても定着しないということです。ですから社員がどんどん離れていけば経営者も変わらざるをえなくなる。それが僕は大事だと思います。“失われた30年”の理由の1つは「終身雇用」という考え方です。1社に入って長く勤める文化が、企業の変化を遅らせました。人生100年時代を考えると転職、副業や兼業をするスキルの方が大事ですね。

 

 表題に掲げられているような「長時間労働、飲みニケーション」が害悪でしかないこと自体は同意するところですが、それを「オッサン文化」と定義して良いかは疑わしくもあります。以前に「いじめ」の成立要件として私は「周囲の支え」を挙げました。元から問題児として扱われている人間が誰かに暴行を加え、結果として処罰するのであれば非行でしかありません。しかし加害行為自体は同質でも級友の賛同や教員の黙認が加わると、「いじめ」として刑事罰の対象からは外れるわけです。

 パワハラも似たようなところがあって、「会社の評価」が成立要件であると言えます。最初から問題社員として認定されている人が何らかの加害行為によって懲戒処分を下されるのであれば、それがパワハラと呼ばれることはないでしょう。会社から評価されて一定の権力を与えられてる人が誰かを傷つけてこそのパワハラです。その前段には必ず、ハラスメントを行えるだけの「パワー」がどこかで与えられている、という点に注目が必要だと思います。

 問題のある人間に「パワー」を与える、すなわち社内での立場を強くさせる人事があってこそのパワハラです。加害傾向のある社員に「パワー」を与えないことこそが雇用側の責務と言えますが、上記の引用でインタビューを受けている青野氏は大企業の社長ですから、自社にパワハラが存在するのであれば責任を問われるのが筋でしょう。パワハラは「オッサン文化」のせいなのか、そうではなくハラスメント傾向のある社員に地位と権力を与えた側の問題なのか、少なくとも私は青野氏とは違う見解を持っています。

 終身雇用が悪であると、30年ばかり言われ続けてきました。同じことを30年言い続けてきた結果が“失われた30年”ですから、その辺の認識にも何らかのアップデートが必要だと私は考えていますけれど、財界人の論調は私が子供の頃から何ら変わることがないようです。そして青野氏は同時に「日本の企業で大問題になっているのは、人材を採用できない、採用しても定着しないということ」と語もっています。さて──

 もとより若年層の3割は入社から3年以内に離職するのが現状で、その割合は緩やかな増加傾向にあるわけです。ただ、雇用の流動化とはそういうものでしょう。なんだかんだいって若ければ転職先は見つかるもので、生産性の低い会社から生産性の高い会社へと転職を考えるのは至って自然なことです。日本国内のどの会社も若い人材を欲しがるのならば、他社に移るために辞める若者は増えるのが当然、若年層の雇用流動化は避けられないと言えます。

 一方で「終身雇用」が悪であると認定する人の望みはどこにあるのでしょうか。終身雇用の否定を換言すれば、すなわち終身「ではない」雇用です。つまりは「若い間だけ」雇用したい、水商売と同じようなものです。しかるに我々の社会では経験より若さの方に価値があるだけに、年齢が上がるほど転職は難しくなります。紐では押せない──市場の需要に乏しい中高年ほど会社に止まる傾向が強まるのは必然です。

 現実問題として年齢が上がるほど転職先は頭脳労働から肉体労働へとシフトする傾向があります。若い人は頭を使って働き、老いた人は体を動かして働くことが求められているわけですが、その合理性はどれほどのものでしょうね。中高年社員が転職することも多い介護・福祉や運輸関連は社会的な必要性が高い反面、賃金水準は他業種よりも低いことが一般的です。

 人件費を低く抑えるのが“失われた30年”における国是のようなものでしたから、実績の乏しい若者を安く雇用し、実績を積み上げて昇給した中高年には低賃金の業界に転職してもらう、というのが日本の財界人の理想なのかも知れません。ただ公然と経営側の都合の良い思惑を語るのは憚られることでしょうから相応に切り口も変わる、だから「1社に入って長く勤める」ことを悪玉視し、給料が上がる頃には辞めることが世のためであるかのように語るわけです。

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