非国民通信

ノーモア・コイズミ

読書なんて就職とは無関係ですし

2017-02-26 21:48:43 | 社会

読書時間ゼロ、大学生の5割に 増えたのはスマホの時間(朝日新聞)

 1日の読書時間が「0分」の大学生は約5割に上る――。全国大学生活協同組合連合会(東京)が行った調査でこんな実態が明らかになった。書籍購入費も減る一方、スマートフォンの利用時間は増えた。

 調査は学生の生活状況を調べるため、毎年行っており、全国の国公私立大学30校の学生1万155人が回答した。

 1日の読書時間が「ゼロ」と回答したのは49・1%で、現在の方法で調査を始めた2004年以降、最も高かった。平均時間も24・4分(前年比4・4分減)で、04年以降で一番少なかった。1カ月の書籍購入費も減る傾向で、自宅生が1450円(同230円減)、下宿生が1590円(同130円減)で、いずれも過去最低だった。

 読書の時間が減る一方で、スマートフォンの1日あたりの平均利用時間は161・5分と、前年より5・6分増えた。

 学生からは「勉強やアルバイトで読書する時間がない」「読みたい本がない」などの意見があったという。

 

 毎年この手のニュースは出てくるもので今更なにか新しいことを見出すのは難しいですが、1カ月の書籍購入費が自宅生1450円に対して下宿生1590円というのは興味深いですね。相対的に金銭的な余裕がなさそうな下宿生の方が書籍に費やしている金額が大きいわけです。まぁ下宿生の中にはとんでもない高額の仕送りをもらっている人も結構いたりしますけれど、平均を見れば自宅生の方が金銭面で余裕がありそうに思えるところ、実態はどうなのでしょう。まぁ世の中には「金持ちの道楽」もあれば「貧乏人の娯楽」もあるわけです。富裕家庭の学生は金のかかる趣味に勤しみ、苦学生は本という安価な娯楽に足を止める、みたいな構図はあるのかも知れません。

 もう一つ興味深い点があるとすれば「勉強やアルバイトで読書する時間がない」という意見ですかね。まぁ日本の経済状況は20年ばかり沈んだままですから、昔よりもアルバイトの時間を費やさねばならない学生も増えているのでしょう。一方でアルバイトではなく「勉強」のために「読書する時間がない」とも考えられているわけです。私なんかは文学部ですから読書と勉強は密接にリンクするイメージが強いですけれど、専攻次第では読書とは無関係な勉強も多いのかも知れません。昔年の「教養」が重んじられた時代なら読書は学問の一環として不可欠でも、昨今の就職第一の大学環境に読書のニーズは少ないものと考えられます。

 そもそも、大学生の読書量が減ったからと言って何がどう変わるのか? 確かに紙の本を売って利益を得てきた業界にとっては死活問題でしょう。しかし「大学を出た先」に待ち受けている就職において読書量の多寡が問われることなど皆無なのが日本社会です。国際社会はいざ知らず、日本社会は読書家の学生なんて求めてはいません。むしろ研修で教養をぬぐい去ろうとするのが日本の会社です。だからこそ、真面目な学生ほど本など読まず就職に求められるもの≒日本社会で必要とされているものを模索すると言えます。読書家を必要としていない社会で本が読まれなくなっても、それによって影響を受ける人は多くないでしょう。

 後はまぁ、一口に「本」と言っても色々とあるわけです。減り続けてきた読書時間の内訳も考えないと、単に「今時の学生は本を読まない、けしからん」としたり顔をするためのネタにしかなりません。それこそ研究のために必要な本が読まれなくなったのか、教養のために必要な本が読まれなくなったのか、あるいは純粋に娯楽のための本が読まれなくなったのか―― 実際のところエロ本や漫画や週刊誌だって、どんどん売れなくなってきているのです。むしろ「大学の授業のために読まなければいけない」ような堅い本の方が、意外にしぶとく生き延びそうな気もしますね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これもまた租税回避

2017-02-19 22:00:22 | 政治・国際

ふるさと納税、豪華な返礼品競争を改善へ 高市総務相(朝日新聞)

 高市早苗総務相は17日の閣議後の記者会見で、ふるさと納税の返礼品をめぐる課題を整理し、今春をめどに改善策をまとめる方針を明らかにした。一部の自治体が商品券などを返礼品としていることが、地方創生を応援するという制度の趣旨にそぐわないと問題となっており、対応を急ぐ。

 総務省によると、2015年度のふるさと納税の寄付金額は約1653億円。手続きの簡略化に加え、豪華な返礼品に注目が集まったことで14年度の約4倍に急増した。高市氏はこの日の会見で、「返礼品のコストの割合が高いと、ふるさと納税による寄付が住民サービスに使われにくくなるという問題もある」などと指摘。「あらゆる課題を一度、洗い出してみる」と述べ、自治体担当者や有識者らから意見を聴く考えを示した。

 制度の開始当初、地方の特産品などだった返礼品は、自治体間の競争激化で金券や家電も登場。総務省は16年4月、金券や家電などは返礼品としないよう求める通知を出した。ただ、通知に強制力はなく、複数の自治体が今も返礼品を見直していない。

 

 まぁ至極もっともな話が今更になって出てきたわけですが、あくまで「通知」が出ているだけで強制力はないとのこと、これではいけません。口先だけの賃上げ要請が「お茶を濁す」程度の結果しか生まないのと同じようなものと言えるでしょうか。世の中には言っても聞かない人も多いのですから、時には「強制力」を伴った措置が必要です。そうしなければ何でもありの無法状態、権力を持った人や組織には一定の枷をかけておく必要が常にあります。

 ふるさと納税も、理念としては有意義な部分もあったのかも知れません。しかし、納税の返礼として金券を設定するなど事実上のキャッシュバックを税制に許してしまうのは流石にどうでしょう? 「越えてはいけないライン」というのは、ふるさと納税の制度を運用する前に、しかるべく定められておく必要があったように思います。ともあれ近年は制度普及に伴い、ふるさと納税の獲得競争も激しさを増すばかり、当然ながら獲得にかかるコストもまた増加しており自治体の負担ともなっているものと推測されます。

 

ふるさと納税で「赤字4億円」…町田市長が批判(読売新聞)

 東京都町田市の石阪丈一市長は17日、新年度予算案発表の記者会見で、ふるさと納税による住民税などの控除額から市への寄付額を差し引くと、新年度は約4億円の赤字になるとの見通しを示した。

(中略)

 ふるさと納税を巡っては、高額な特産品の贈呈など「返礼品競争」の過熱が問題となっている。町田市は「競争に巻き込まれない」との方針から返礼品は過剰にならない範囲に限定。寄付を行う人が使い道を指定できるようにもしており、返礼品目当てだけにならないよう配慮している。

 

 東京一極集中の時代、都市部から地方に税金が流れる限りは是正措置として許容されるべきものではありますが、「獲得にコストを費やした自治体」が税金を獲得し、「獲得競争に乗らなかった自治体」が赤字になるというのであれば、それは制度の欠陥と言うほかないでしょう。「地方で育った人」が働くようになってから住むようになった街の税収が、少しばかり住民の出身地に流れるのであれば大義はあります。しかし、返礼品として納税額の7割をキャッシュバックするような自治体に税金が流れ込むとなったなら、それは何かが間違っていますよね?

 ある国が不当に低い法人税率を設定して、そこにアップルなりグーグルなりが会計上のテクニックを駆使して法人税率の低い国を納税先にしてしまう、なんてこともあります。この場合、法人税ダンピングを行った国は「他国の」企業からの納税が見込めるので減税の結果として税収が増えることもある反面、その裏では当然のことながら当該企業の「本当の」所在国で得られるべき税金が余所の国に吸い取られてしまうわけです。一部の国は確かに得をしますが、世界全体で見た場合はどうでしょうか?

 ふるさと納税も、これと同じことが言えます。高率のキャッシュバックを設けた自治体は、それによって「市外の」居住者からの納税が見込める、すなわち税収増が期待されるのかも知れません。しかし、ふるさと納税獲得のための競争に負けた自治体は、逆に市内居住者の納税が流出してしまうわけです(今回の町田市のように)。得をする自治体もあれば、損をする自治体もあると言えますが――日本国全体としてみたい場合は、どうなのでしょうね? 得をした自治体も「外からの」納税を獲得するためにコストを費やしている、事実上のキャッシュバックなど行えば歳入となるのは納税額の一部に止まります。日本全体で見れば獲得競争にかかったコストの分だけ税収は減っている、財政にダメージを与えている側面は無視されるべきではないでしょう。課税を通して再分配してきたものを市場競争に任せたことで上手くいった例など、私には思いつきません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

踏み絵としての目的だけは果たしていると思いますが

2017-02-12 22:24:17 | 雇用・経済

その転勤、笑えますか? 辞令1枚で家族の人生が変わるのは、仕方ないことなのか(BuzzFeed News)

労働政策研究・研修機構は2016年11月、転勤の実態調査を発表した。転居を必要とする人事異動がある企業の割合は約3割(2004年)で、大企業ほど転勤が多かった。単身赴任者は年齢が高いほど多い傾向があり、50代男性では4.5%となっていた(2012年)。

転勤の期日や日数をルール化していない企業が過半数。社員の事情を「配慮する」としたのは約7割だった(2015年)。

15社のヒアリング調査(2015年)により、転勤には人材育成や経営幹部育成の目的がある一方で、人事ローテーションの結果、欠員が生じて玉突きとなった転勤も存在している、とした。

 

 引用元の記事は今年の1月末に公開されたものですが、なんでも「転居を必要とする人事異動がある企業の割合は約3割(2004年)」なのだそうです。大元からして2016年なのに2004年のデータと言うのが微妙に思えますね(素人ブロガーが調べるのをサボって書いた記事じゃないのですから)。ただ労働政策研究・研修機構によると、転居を伴う異動がある企業の割合は1990年調査の時点では約2割とのことで、わずか14年間で1.5倍に増加しているようです。もしかしたら2017年の時点では、もっと比率は高いのかも知れません。

 ともあれ「転居を必要とする人事異動がある企業の割合は約3割」と聞いて、皆様はどう感じましたでしょうか? 自身の就職活動の感覚からすると、もっと多いと思っていました。むしろ転勤を強いられない会社の方が圧倒的少数派であろう、と。まぁ職探しをするのが都市部か地方かでも違いますし、従業員が3人とか4人とかの零細企業(転勤なし)が7社と従業員10,000人の大企業(転勤あり)が3社あれば、転勤有りの企業は全体の3割程度という計算になるわけです。従業員ベースで考えれば「転居を必要とする人事異動」に迫られる人の方が多数派であろうな、という気はします。

 なお「社員の事情を『配慮する』としたのは約7割だった(2015年)」そうです。企業が考慮するという「社員の事情」とは、いったい何なのでしょうね? 真っ先に思い当たるのは「家を建てた」辺りでしょうか。昔から「家を建てると(会社を辞められないから)になる」と、よく言われたものです。実際、私の父もそうでした。そして(これが今回の記事を書くキッカケだったりしますが)私の住居の向かいに一軒家を建てたばかりの人も転勤が決まったとのことで、まぁ「家を建てたら転勤させられる」ってのは決して都市伝説ではないのだな、と痛感しました。

 もう一つ、私の勤め先でも管理職に就いていた女性が辞めることになりまして、他人のプライベートな話を拡散させて憚らない同僚によりますと、夫が海外転勤になったので妻の方が会社を辞めることにしたのだそうです。「女性が活躍できる社会」云々と喧しい時代ではありますけれど、「夫の転勤のために会社を辞める」女性はヨソでも結構いるのではないでしょうか。年収を103万円未満に抑えているようなパートならいざ知らず、曲がりなりにも管理職に就いていた女性でさえ辞めるという決断を下さざるを得なくなる、転勤とは実に罪深いですね。

 そして「転勤には人材育成や経営幹部育成の目的がある」とも伝えられていますが、その目的が転勤によって果たされたのかどうかは問われるべきです。転勤は「させるのが当然」と会社側が考えているだけで、実は従業員だけではなく会社側にとっても負担にしかなっていない、何の果実も生んでいない可能性もあります。実は転勤などさせなくとも育成は出来ていたかも知れない、少なくとも会社側は各種の手当を付けて社員を転勤させる以上、その効用(あるのかないのか)を測定するぐらいした方が良いでしょう。男性正社員は転勤させるのが当たり前という常識を、日本社会全体で疑うところから始める必要があると思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残業にも色々ありまして

2017-02-05 22:19:18 | 雇用・経済

 職場に働くママが増えたら残業が大幅に減った、なんて話も聞きます。悠長に残業なんてしていられない人が職場の多数派になれば当然、残業を減らそうという動きにも繋がるのでしょう。逆に家に帰ってもやることがない暇人が多数派を占める職場ですと、必要もなくとも残業をする人が増える、それに付き合わされる人が増えて残業時間は際限なく延びていくわけです。昨今、日本の職場の残業時間の長さは生産性の低さと並んで問題視されることが多いですが、どうしたものでしょう。

①全く忙しくないのに残業している人

 まず一口に残業が長くなる場合でも、幾つかパターンがあるように思います。条件判定の最初は「忙しいか、そうでないか」ですね。仕事が忙しいわけではないのに、自分の業績を盛るために必要のない仕事を創ったり、あるいはダラダラ居残るばかりで実はおしゃべり以外は何もしていなかったり等々、仕事が多いわけではないにもかかわらず長時間の残業を続けている人も多いように思います。こういう人々が、長時間労働と生産性の低さの両立を可能にしているわけです。

②忙しいが、実は営業活動上の必要性がない場合

 例えば日本を代表するブラック企業であるワタミの場合です。(現行の残業時間の定義からは外れるのかも知れませんが)休日の課外活動への強制参加や、教祖の本を買って感想文を書いて提出しなければならなかったりすることが知られています。これらは会社の営業活動において全く必要性のない事柄ですが、しかし実質的な業務命令として従業員に課されるものであり、労働時間の長期化への影響は大きいです。一見すると不合理な代物ですが、利益よりも理想を追いがちな日本企業では珍しくもないといえます。

③本当に忙しく、必然性がある仕事のために帰れない人々

 これは低賃金労働に多く、必要な業務量に比して人員が少なすぎるために起こるパターンです。このパターン③だけが日本の長時間労働の原因であったなら、時間当りの生産性が最低レベルに落ちるようなことはなかったでしょう。そして最も犠牲を強いられている層でもありますが、その負担の重さに応じた対価が支払われているかと言えば、真逆だったりするのですから色々と不条理です。

・・・・・

 この辺はハイブリッド化する場合もありまして、例えば電通の場合①仕事を創る文化があり、②飲み会などの業務時間外の拘束が厳しいなどの理由で二重に従業員の負担を重くするタイプと考えられます。あるいはワタミの場合は②休日の過ごし方まで会社に強制され、③店舗での勤務中は本当に忙しく勤務時間も長いなど、こちらも二重に社員を追い詰める仕組みが出来ているわけです。また会社によっても配属部署次第のところがありますから、全社的に見れば①②③のパターンを網羅しているところは少なくないでしょう。

 ともあれ一口に長時間労働と言っても原因は様々でして、取るべき対策もそれに応じたものでなければ、意味がないどころか逆効果になってしまいます。①のように必要性もなく残業している部署に人員を追加したら、今まで以上に「余計なこと」を始めて事態を悪化させてしまいますし、③の本当に忙しい部署にノー残業デーを導入しても歪みが大きくなるばかりです。まず時間外の増加の理由を見極めるところから手を付けなければ行けません――が、総じて間違った対応策が全社的に採られがちに見えますね。

 ①の本当は暇な部署では残業がラマダーンの断食みたいな意味合いになっていることも多い気がします。残業することが組織への帰属意識を表す儀式みたいになっていて、仕事が片付いたからと定時で帰れば異教徒のような扱いを受けたりするわけです(まぁ自分の体験談ですが)。そして本社の管理部門の暇人が仕事を創ることで、「下」の部署は「(上からの指示で)やらねばならないが収益には結びつかない」仕事を強いられる、上記②のパターンができあがったりもすると言えます。

 ③の本当に忙しい場合も会社全体として見れば、必ずしもどうしようもない人員不足とは限らないのではないでしょうか。一人当りの業務量が過大な現場の裏には、暇をもてあまして余計なことしかやらない①の本部があったりする、それは珍しいことではないはずです。あるいは①が創った「余計な仕事」のために現場の業務量が増えていることもあるでしょう。必要のない仕事をリストラできれば、忙しさも多少は緩和されます。そして①の暇人を本当に人手が足りない部署に送り込めばバランスも多少はマシになります。もっとも①のパターンが当てはまる人ほど「忙しいフリ」をするのが得意で、かつ偉い人ほど実態を理解できていなかったりするものですが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする