非国民通信

ノーモア・コイズミ

弾圧の精神を受け継いだ国

2022-10-30 22:40:01 | 政治・国際

 昔は反ソヴィエト、現代は反ロシアが西側諸国における一種のステータスであり、とりわけノーベル賞選考などでは非常に大きな加点ポイントであり続けています。ノーベル反ソヴィエト賞の受賞者ではなくとも、「ソヴィエト政権に弾圧された」という肩書きで華々しい西側デビューを飾った人は少なくありませんが、それが変わる時代はいつか訪れるのでしょうか。

 

「ロシア語の本、処分したい」 脱ロシア意識するウクライナ市民増加(AFP BB)

【10月23日 AFP】ウクライナの首都キーウの書店で、ユリア・シドレンコさん(33)は古本をまとめて処分していた。中には幼なじみにもらった本もあったが、最近になって魅力がなくなってしまったという。

 理由は、ロシア語で書かれた本だからだ。

「2月24日以降、わが家にロシア語の本を置いておくスペースはもうありません」と、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がウクライナ侵攻を開始した日を挙げた。

 大切にしていた本もある。「20歳の誕生日に友人たちから寄せ書き入りでもらった本です。(思い出として)写真を撮りました」。さらに児童書を手にし、自分の子どもたちは「ロシア語の物語は絶対に読まないはず」だと話した。

 この書店には、シドレンコさん以外にもたくさんの本を運び込む人が次々と訪れていた。スーツケースを携えて来る人や、車に積んで来る人もいる。

 同書店は自宅で要らなくなった蔵書を処分したいという顧客の要望にヒントを得て、ロシア語の本を古紙としてリサイクルに回すキャンペーンを始めた。

 

 2014年2月、キエフでの暴動によって大統領を追放し政権を掌握した反ロシア派武装勢力はウクライナ語を「唯一の」公用語に定めると宣言しました。こうした姿勢は当然ながらロシア系住民が多数を占める地域の離反を招くことになったわけですが、一部地域での反ロシア主義は依然として強まっていることが分かります。ロシア語はいわば「敵性語」で、日本にも同様の動きが見えないでもありませんでしたが、ウクライナのそれは専ら無批判に受け入れられているようです。

 先週(参考、ウクライナ拡張の歴史)書きましたとおり、現在のウクライナは歴史的にはロシア(及びポーランド)と見なされる地域をソヴィエト体制下で版図へ組み込み大国化を果たしました。そうであるからには国境内の異文化を尊重することなしに国家を統合することなど出来るはずがないのですが、旧ユーゴスラヴィアのように国内の排他的ナショナリズムを押さえ込めなかったことで分裂を招いたと言えます。そして、この結果を全く反省していないこともまた窺われるところです。

 西側諸国としては、全てをロシアのせいにする心の準備が出来ているのかも知れません。どのような非道が行われようともまずはロシア側を犯人と断定する、根拠が覆されても一切気にしない(参考、西側諸国は証拠なんて求めていませんでしたが)、そしてウクライナ側の問題であることが明白になったとしても、そもそもロシアの侵攻が悪いのだと論をすり替えることでしょう。こうした人々は自国の戦争報道に関しても同じような反応をするであろうと私は確信するところですが、いずれにせよ現代のウクライナで行われている時代錯誤の焚書や敵性語認定を容認することは、それこそ社会の健全性を損なうものであると思います。

 

 キーウ生まれで、小説「巨匠とマルガリータ」などで知られるロシア人の著名作家ミハイル・ブルガーコフの博物館は圧力にさらされ、ウクライナ全国作家同盟が閉鎖を検討している。

 ブルガーコフは帝国主義者で反ウクライナ的だと非難されている。特にやり玉に挙げられているのが、博物館の目玉になっている「白衛軍」という小説だ。

 

 引用したニュースの後半では、ブルガーコフの博物館が閉鎖の圧力に晒されていることが伝えられています。ここでブルガーコフは「ロシア人」と書かれていますけれど、キエフ生まれのキエフ育ちでロシア人と認定される条件、あるいはウクライナ人と認定「されない」条件って何なのでしょうね。ブルガーコフが誕生した1891年の時点では国家としてのウクライナは存在しませんので、ウクライナ国籍など誰も持ち得ないわけですが、しかし同時代の人間でも後世に「ウクライナ人」と認定された人はいくらでもいます。

 まぁ我が国でも父親が外国籍であると言うだけで非・日本人扱いされる政治家もいれば、アメリカ国籍のノーベル賞受賞者を「日本人」と呼んだり、大相撲を筆頭に「日本出身」という言葉で同じ日本国籍保有者を日本人と「そうでない人」に分ける意識が根付いているわけです。ウクライナでは元・グルジア大統領であるサアカシュヴィリ等の外国人政治家に「ウクライナ国籍を付与」して閣僚起用するなどの例があり、誰をウクライナ人として誰をウクライナ人としないかは、いわゆる「ユダヤ人」認定と同じく至って恣意的なものなのかも知れません。

 それはさておき「ブルガーコフは帝国主義者で反ウクライナ的だと非難されている」そうです。これについては全くの初耳でした。ブルガーコフといえば、(ソ連側と争った)白衛軍へのノスタルジーを抱いている、体制を否定的に描いているとしてソヴィエト政権下で強く批判され、表舞台からは長らく遠ざけられていた人です。むしろそれだけに西側からは反ソヴィエトの英雄として称揚されてもおかしくないのですが──西側の傀儡国家においてソ連時代と似たような扱いが続いている状況は意外に思います。

 先日も書きましたが(参考、反米と親欧米)、私がブログを書き始めた頃はいわゆるネット右翼の最盛期で、よく「反日」という言葉が使われていました。その適用範囲は無限大で、要するにレイシストの意向に沿わないものは何でも「反日」と認定されたものです。たぶん、ウクライナの現在が似たような状況なのでしょう。ゼレンスキー翼賛体制の信奉者だけが真のウクライナ人で、彼らのお眼鏡にかなわない人はブルガーコフのように「反ウクライナ」認定されてしまう、そんな時代なのだと言えます。

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ウクライナ拡張の歴史

2022-10-23 22:43:11 | 政治・国際

 ウクライナを舞台にロシアとNATOとの戦争が始まった当初、私は「下策」という言葉を使いました。これは城攻めを下策と評した孫子からの借用ですけれど、ならば「上策」として別の道があったのでしょうか。ソ連崩壊後、当初の口頭合意に反してNATOの拡張は続き、そこにウクライナを加盟させないよう求めるロシア側の外交要求は一貫して斥けられてきたわけです。そして反ロシア派と親ロシア派の停戦を定めたはずのミンスク合意も守られることはありませんでした。

 侵攻開始後の動きを見るに、NATOへ加盟せずとも英米からの軍事支援がキエフ側に入り込んでいたことは想像に難くありません。この状況を放置すればドンバス地方やクリミアが危険にさらされたことは確かでしょう。先述の通り外交解決はNATO側に一蹴されてきただけに、こうした状況で軍事侵攻がロシアにとって「最後に残された選択肢」になってしまったとは考えられます。

 ここで少し、現在ウクライナと呼ばれる国家がどのように拡張を続けてきたかを振り返ってみたいと思います。ウクライナに限らず旧ソ連邦構成国はいずれもソヴィエト体制下での行政区分が現在の国境を形成しており、それはアフリカの植民地支配におけるものと同様で必ずしも住民の帰属意識に沿ったものではありませんでした。このソ連が定めた国境は批判的に語られることの方が通常は多いのですが、ウクライナに関してはどうでしょうか?

 古のキエフ公国から近代に至るまで、言語や民族面で「ウクライナ」と目される人々が多数派を占める地域はキエフを中心として現代のウクライナ中央部に止まり、ヨーロッパでロシアに次ぐほどの広大な面積を占めるものではありませんでした。しかるに第一次世界大戦期にロシア帝国が崩壊すると、キエフを中心とした反ロシア勢力による独立の動きが強まり、革命政権に率いられたボリシェヴィキ勢力との争いが始まります。

 ボリシェヴィキはハリコフを本拠に近隣のドネツクやオデッサの勢力を糾合してキエフの攻略を図るも、当初は劣勢続きでした。しかし反ロシア派が後ろ盾にしてきたドイツが第一次大戦の敗戦国となるや形勢は逆転、ボリシェヴィキがキエフを占領し、共産党の支配するウクライナが誕生するわけです。ここでボリシェヴィキの元の拠点であるハリコフや同盟者であったドンバスとオデッサはモスクワ側に送り返されず、ウクライナ・ソヴィエトの一地域に組み込まれます。

 かつてイングランドを征服してノルマン朝を開いたノルマンディー公ギヨーム2世あるいはウィリアム1世は、イギリス王に即位した後も元々の本拠であるノルマンディー地方(要するにフランス北部)を自国(すなわちイギリス)領として保持し続けました。それと同じようにキエフを占領したボリシェヴィキも元々の本拠地を併せて統治することになった、結果としてウクライナにはロシア系住民が多数を占める東部と南部が新たに加わったのです。

 次なるウクライナ拡張期は第二次世界大戦です。昔年のポーランドは東部にドイツ人、西部にスラブ人混在する地域を抱える大国でしたが、時代の変遷につれて支配域を縮小していきました。そしてドイツが駆逐されソ連が通過していった結果、西部地域がドイツ領からポーランドに移される一方、東部地域はポーランド領からソ連へと、国境線を西方にスライドする形で国家が再形成されます。この人為的な国境の移動は西側諸国から批判的に評されることが多いのですが──元・ポーランドであった地域を手にし、ソ連崩壊後も領有を続けているのは今のウクライナです。

 第二次世界大戦後のソ連主導の国境策定によってウクライナに組み込まれた西部地域はポーランド支配の歴史が長いだけあり、宗教面ではカトリック信者の割合が高いなどロシア系の東部や南部だけではなく中央部(キエフ)とも異なる独自性があるとも言われます。いずれにせよソ連の拡張の結果として築かれたものを継承したことで、ウクライナがさらなる大国化を果たしたことは知っておくべきでしょう。

 第三の拡張はフルシチョフ政権時代です。先代の最高指導者であるスターリンが己の祖国であるグルジアにも一切の身贔屓なく圧政を敷いた一方、路線転換を前面に打ち出したフルシチョフ(ウクライナ人)はクリミア半島をロシアからウクライナに移管させました。当時はソ連邦の解体は想定されておらず、結局はロシアでもウクライナでもソ連の一部であるから許容されたのかも知れませんが、それでも当時から物議を醸したと伝えられています。

 しかるに時は流れてソ連邦は崩壊、クリミア半島はウクライナが支配したまま国家が分裂してしまったわけです。そもそもクリミア半島は古のキエフ・ルーシの版図からは遠く、キプチャク・ハン国からクリミア・ハン国、オスマン帝国を経てロシア帝国が領有するに至ったものであり、ウクライナとは縁もゆかりもない地域でした。これが後年に火種となったのは致し方のないところと言えます。

 ソヴィエト体制を通じて一貫して拡張を続けてきたウクライナですが、2014年に反ロシア派が暴動によって政権を転覆させ、ウクライナ語を唯一の公用語と定める体制が樹立すると、東部ドンバスや南部オデッサでは親ロシア派が抵抗勢力として立ち上がることになりました。オデッサでは親ロシア派が焼き殺されるも東部では一定の地域が親ロシア派によって確保され、クリミアについてもよく知られるようにロシアへと帰還したわけです。

 そんな中でゼレンスキーは2014年以前の国境までロシアを押し返すと主張していますが、この国境とはすなわちソ連が定めた恣意的な行政区分そのものです。ソ連の定めた国境線を一概に良いとも悪いとも言いませんが、いわゆる北方領土の割譲を要求している、すなわちソ連の定めた国境を否定している日本とすれば、どう扱うべきでしょうか。まぁ日本の一貫性なんてものは、取り決めの遵守よりも反ロシア、親アメリカの方にしかないのかも知れませんね。

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プロパガンダの中のウクライナ

2022-10-17 22:59:53 | 政治・国際

 先日は、ウクライナはキエフ近郊のバービ・ヤールで過去に行われたユダヤ人(だけではないのですが)虐殺について触れました。史実としてウクライナ現地勢力の積極的な関与を認める人もいれば、全ての罪をナチスに追いかぶせようとする歴史修正主義者もいるわけですが、取り敢えずソヴィエト連邦政府は反ユダヤ主義を自国の暗部の一つとして受け止めていたことは間違いありません。

参考、事実は変わらなくても受け止め方は変わるもの

 このバービ・ヤールの虐殺を題材に詩を書いた一人にエフトゥシェンコという人がいます。前述の通りソ連政府にとっては「自国の暗部」が題材になっていますのでエフトゥシェンコの詩も改訂を要求されたり色々あったようです。一方的に被害者面をしてばかりのゼレンスキー体制下であれば、他国の加害を糾弾するものとして賞賛されそうな気がしますが、その辺は時代と環境次第ですね。

 ちなみにエフトゥシェンコ作の「バービ・ヤール」にウクライナ人は出てきません。アゼルバイジャン人やトルクメニスタン人が出てこないのは分かりますけれど、なぜ現地の人間が出てこないのでしょうか。かといってエフトゥシェンコはナチス勢力だけを糾弾しているのでもありません。代わりに出てくるのは「ロシア人」であり、バービ・ヤールの虐殺を生んだ反ユダヤ主義をロシア人の罪として悔いている内容だったりします。

 史実としてはナチスとウクライナ現地勢力の共同作業としての側面が強いバービ・ヤールの虐殺ですが、エフトゥシェンコは「(ロシア人とは別の)ウクライナ人の罪」ではなく、「(ウクライナ人を含む)ロシア人の省みるべきこと」として詩を書いたわけです。それは我々が関西人の振る舞いも九州人の振る舞いも日本人のこととして意識するようなものでしょうか。エフトゥシェンコの詩が今のウクライナ政府にどう思われているのか興味深いところです。

 2014年以降のナショナリストが支配するウクライナでは、自らをロシアとは全く別系統の独立した存在であるかのごとく主張し、ソ連邦構成国の一つとしてナチスと戦った勢力ではなく、時にはナチスとも共同してソ連と戦った勢力の指導者を英雄として祀っています。ロシア側が反ユダヤ主義を「(ウクライナを含む広義の)ロシアの罪」ではなく、「(ロシアとは異なる)ウクライナの罪」としてナチズムに結びつけるのは、そうした流れを受けてのことと言えるでしょう。

 ロシア文学史上に名を轟かすニコライ・ゴーゴリはウクライナで生まれ育ちましたが、作品はロシア語で書き、自らもロシア人としてのアイデンティティを持ち続けました。作中の地方人が話す会話文の中にウクライナ語が出てくることはありましたが、それはあくまで「方言」としての位置づけに過ぎません。津軽生まれの太宰治は津軽弁ではなく標準語で小説を書いたわけですが、ゴーゴリにとってはそれと同じようなものだったろうと思います。

 ロシア語とウクライナ語は、スペイン語とポルトガル語の場合と同程度に意思疎通可能と言われるところです。一方で同じ中国語のくくりでも北京語と広東語での意思疎通は困難とされます。そして日本語でも津軽弁しか話せない人と標準語限定の人とでは厳しいものがあるでしょうし、薩隅方言については域外からの密偵のあぶり出しや暗号代わりに使われるレベルです。何が別言語で何が同言語かなんて、結局は政治的な都合次第なのかも知れません。

 

【解説】政府警戒 ウクライナ社会に潜むロシアの協力者やスパイ(NHK 油井'sVIEW)

ウクライナ政府は反転攻勢を本格化させる一方で、神経を尖らせているのが「ウクライナ社会に潜むロシアの協力者やスパイ」の存在です。

ウクライナ保安庁のウェブサイトには連日のように国家反逆やスパイの疑いでロシアの協力者を拘束したというニュースを掲載しています。

例えばどういうニュースがあるかというと、ウクライナ南部でウクライナ軍の動向、特にアメリカ軍から供与された兵器「ハイマース」がどこにあるかや位置情報をロシア側に伝えていた疑いで拘束したというもの。

またロシア軍が占領する地域でロシアの支配に協力した疑いのあるウクライナ人10人だとして、顔写真などを公表したなどというものがあります。

 

 一度はロシアが占領しウクライナが再占領した地域では、しばしば住民の中にロシアへの「協力者」がいたと報じられます。これが西側メディアでは「裏切り者」のように扱われ、実際に国家反逆罪やスパイ容疑で身柄を拘束されているようです。しかしロシアに協力するかゼレンスキー翼賛体制の信奉者になるかは当のウクライナ国民が自身で判断すべきことであって、その判断こそ尊重されるべきものではないでしょうか。

 日本のテレビや新聞に登場するウクライナ人は決して自国の政府への批判は口にせず、ひたすらに平和と称して勝利を願っているばかりです。西側諸国の報道では、ウクライナに異論は存在せず、全ての国民がゼレンスキー体制を支持しているものとして扱われています。ただ国民が全て同じ方向を向いて指導者を支持しているなんてのは、それこそ北朝鮮と同じだろうと思うところです。違うのは、北朝鮮のそれは虚像であることが意識され、ウクライナのそれは本物として受け止められていることですね。

 元来ウクライナは親ロシア派が政権を握ることもあるなど親ロシア派と反ロシア派が拮抗する地域であり、現在の勝者である反ロシア派も選挙ではなく暴動によって政権を転覆させるなど、そこに決定的な優劣はありませんでした。活動を禁じられたり身柄を拘束されるなどした親ロシア派の政党、政治家も少なからぬ得票を得ていたのが本当のウクライナであり、西側諸国のプロパガンダ報道にあるような「異論なきウクライナ」は真実を正しく伝えるものではないでしょう。

 結局のところ、2014年に反ロシア派のナショナリズムによる暴力革命が成立して親ロシア派の排除が始まった時点で、ウクライナの分裂は避けられなかったと言えます。しかるに反ロシアの同志として日本を含む西側諸国はウクライナの問題に目をつぶってきた、翼賛体制の信奉者だけを「ウクライナ人」として扱い、親ロシア派を裏切り者として斥けてきたわけです。そこで隣国が親ロシア派に救いの手を差し伸べようとしたとすれば、手段の当否はさておき大義はあると言うほかありません。

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反米と親欧米

2022-10-15 21:04:11 | 編集雑記・小ネタ

 私がブログを書き始めた頃はいわゆるネット右翼の全盛期で、そうした人々も今となっては時代の流れに取り残されている印象がありますけれど、彼らはよく「反日」という言葉を使っていました。言うまでもなく「日」は日本国を指すのですが、まぁレイシストの価値観に沿わないものは何でも反日で、その適用範囲は無限大だったりします。

 流石に大手メディアは「反日」なんて言葉を公に使うことはありませんけれど、「反米」ならば普通に使っているわけです。アメリカの意向に従わないと「反米国」「反米政権」などとレッテルを貼られる、それは「反日」とは異なり公然と使うことが許される言葉として流通してきたと言えます。反米と反日、その違いは何なのでしょうね。

 では反ロシアの国家や政府はどうなのかというと、これは「反露」ではなく「親欧米」と呼ばれます。喫煙者を愛煙家と呼び、喫煙者に道を譲らない人を嫌煙家と呼ぶみたいなものでしょうかね。「反米」は特定の国を嫌悪している狭量な国で制裁対象になるのも自業自得、「親欧米」は協調を望む好ましい国で「国際社会」が味方するべき、みたいな印象操作がうかがえます。

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何が有益で、何がそうでないのか

2022-10-10 22:05:56 | 社会

 世の中には社会的に賞賛される経験もあれば、否定的に扱われる経験もあります。前者は進学や就職時の加点要素として扱われる一方、後者は学力低下や反社会的性との因果関係を(しばしば恣意的に)認定されたりするわけです。この両者を隔てているものは何か、時々私は考えています。

 現代においてネガティブに扱われる経験の頂点はゲームでしょうか。他に漫画やアニメなど、インドア系の趣味は良い印象を持たれないですけれど、それが人間に対して良いものをもたらしているか悪いものをもたらしているかは、批判的に検証されるべきものと思います。

 では漫画ではなく小説なら、アニメではなく映画ならどうなのか──不思議と社会的な「ウケ」は改善されるわけです。ひたすら漫画やアニメに没頭する日々を過ごしていれば社会不適合者の烙印を押されそうなものですが、小説や映画であれば少しばかり「高級な」印象を持たれていると言えます。しかし両者の違いはどこにあるのでしょう。

 小説や映画も、娯楽として断罪されていた時代がありました。何か新しい娯楽が支配的になって従来のゲームや漫画が傍流に落ち込んだ日には、その社会的な地位が上がることもあるのかも知れません。昔の話をするのなら、野球が害毒として大々的に非難されていたことだってあります。しかし現代において野球に打ち込むことが非難されることは既になく、何事も時代の要請次第なのだと言えそうです。

 メジャーなスポーツであれば、そこに没頭することは有用と見なされます。勉強そっちのけでゲームにはまり込む人生を送ってきた人が入試や就職で優遇されることはあり得ませんが、学生時代にひたすら野球だけ、あるいはサッカーだけやってきた人には、特別な入学枠もあれば、体育会系として採用の優先順位も高いわけです。

 大学卒業まではバレエにずっと打ち込んで来たという人が、就活で「何故プロになろうとしないの?」と言われて傷ついた、なんて話を聞いたことがあります。打ち込んできた対象が野球だったら、決して同じことを言われることはないでしょう。野球とバレエで何が違うのか、そこは就職活動でプラスになるものもあれば、鼻で笑われるものだってあるようです。

 「受験勉強ばかりでなく、高校時代にやっておくべきこと、例えば音楽とか、恋愛始め人間関係の葛藤とか、幅広い経験をしてきた人に入試のバリアを少し下げる」とは、2013年当時の京都大学総長であった松本紘氏の発言です。これを私は何度か引用していますけれど、経験の価値を考える上では一つの基準として記憶されるべきではないでしょうか。

 つまり日本を代表する名門大学の総長が「高校時代にやっておくべきこと」として「音楽とか、恋愛」を挙げているわけですが、受験勉強の価値が音楽や恋愛よりも低く見積もられるのは何故か、それは深く考えられるべきものと言えます。なぜ勉強ではダメなのか、音楽ではなくゲームではダメなのか、恋愛ではなく身内のケアではダメなのか、社会的に尊ばれる経験もあればそうでない経験もありますけれど、そこには「なぜ」と問われるものがあるはずです。

 「勉強」一つとっても、昨今は圧倒的な英会話重視で、貧困国からの留学生を日本に招いて低賃金のアルバイトをやらせているのと裏腹に、日本の学生は英語圏に語学留学や短期留学させたがる大学が増えているわけです。この流れが一時的にクールダウンされたのはコロナ禍の良いことの一つと言えますが、あまりにも無思慮に留学が称揚されている、それは国内で勉強することと比べて何か意味が異なるのかと疑問を感じるところは少なくありません。

 浴槽に入ると水位が上昇するのを見ても、あるいはリンゴが木から落ちるのを見ても、大半の人はこの経験から何かを見出すことはないでしょう。しかし人によっては、ありふれた経験から重要な着想を得たりもするわけです。何らかの経験が有益か無益かは、結局のところその人の心がけ次第になるのかも知れません。ただ、世間がそこに価値を見出すかどうかが異なるだけです。

 仕事なんかはどうでしょう。仕事と一口に言っても様々ですが、学力低下との因果関係なら十分に見出せそうな気がします。仕事に追われる社会人の学力が学生に大きく劣ることは間違いありませんし、仕事ばかりで社会の一員としての務めがおろそかになっている人だっていくらでもいるはずです。仕事ばかりやっている人とゲームばかりやっている人の違いは、報酬を得ているかぐらいのもの、社会的な価値はさておき人間としての価値はどうなのか、と思うところもあります。

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アメリカ当局の見解

2022-10-08 21:21:05 | 編集雑記・小ネタ

米情報機関、ウクライナ関与と判断 ロシア右派思想家の娘暗殺―NY紙(時事通信)

 【ワシントン時事】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は5日、ロシアの右派思想家アレクサンドル・ドゥーギン氏の娘ダリヤ氏が8月に殺害された事件に、ウクライナ政府が関与したと米情報機関がみていると報じた。複数の米当局者の話として伝えた。

 

 この引用で伝えられている被害者の父親であるアレクサンドル・ドゥーギン氏は、プーチン大統領と関係が深いと日本メディアでは一方的に認定されてもいたものですが、最近の扱いはどうなったのでしょうか。ロシア関係の報道は事実関係の怪しいものが多い、不確かな根拠に基づいてロシアを非難しておいて、その先は知らぬ存ぜぬといったものが目立ちますけれど、今回は珍しく続報が出ているようです。

 該当の事件、ロシア側はウクライナの関与を当初から主張していました。しかし同時期の「西側」の報道はロシアの発表を一蹴してウクライナの関与を否定、むしろロシアが根拠なくウクライナに罪をなすりつけている、ウクライナには動機などない、みたいな論調が支配的だったわけです。ところが一転してアメリカ当局がウクライナ政府の関与を認定したようで、ロシア側の主張を根拠なく否定していた日本のメディアは何を思うのでしょうね。

 今は大手メディアはプロパガンダ一色、NATO陣営に都合の良いことばかりしか伝えようとしない、ウクライナ側の暗部については目を背けている、そうした姿勢が国民からも受け入れられている状態です。しかし時代が進めば、事実認定が覆るものも増えてくることでしょう。まぁ、ちょっと不都合な事実が出てきたところでメディアが批判に晒されるかと言えば、それは滅多にあることではありません。黙っていれば、読者は忘れてしまうものですから。

参考、西側諸国は証拠なんて求めていませんでしたが

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事実は変わらなくても受け止め方は変わるもの

2022-10-02 21:41:50 | 政治・国際

ホロコーストで3万人以上が銃殺されたウクライナ「バービ・ヤールの悲劇」から81年:記憶のデジタル化へ(Yahooニュース)

1941年9月29日から30日にかけて現在のウクライナのキーウ郊外の谷間バービ・ヤールでは33,771人のユダヤ人が射殺され、渓谷の穴に埋められたバービ・ヤール事件はホロコースト史上最悪の凄絶な事件と言われている。そのバービ・ヤール事件から81年が経つ。ウクライナでのホロコーストは凄惨だった。ナチスドイツがウクライナに侵攻する前からウクライナ人はユダヤ人が嫌いという人が多く、1918年~1919年の1年間に1200件のユダヤ人襲撃事件(ポグロム)が行われ、その3分の1以上がウクライナ国民軍によるものだった。

当時多くのユダヤ人がポグロムを逃れてアメリカに移民して、アメリカのユダヤ人社会の基盤を作った。そしてナチスドイツがウクライナに侵攻した際には多くのウクライナ人がユダヤ人殺害に加担していた。ウクライナの地元警察がユダヤ人を熱心に逮捕し、ゲットーに送り込んでいた。ナチスの親衛隊は誰がウクライナ人で、誰がユダヤ人か区別がつかなかったので、地元警察がユダヤ人の捜索と検挙を徹底的に行った。ナチスと一緒に検挙するだけでなく、地元警察はユダヤ人を射殺して穴に落としていた。

 

 このバービ・ヤールのユダヤ人殺戮についての記述が、今のタイミングで見られたことは少しばかり意外でした。ましてや虐殺の担い手を曖昧にせず、ウクライナ現地勢力の関与を明記しているのは、ウクライナの暗部に目をつぶることで社会的合意が形成されている我が国においては珍しいのではないでしょうか。黙っておけば、ナチスのせい、ソ連のせいみたいに有耶無耶に出来る部分ですから。

 こうした史実がロシア側からウクライナの現政権に対する「ネオナチ」非難にも繋がっているわけですが、その辺の歴史背景について日本側の理解はどれほどのものでしょう。専門家という触れ込みでワイドショーに出演する大学教授陣などは、適当にロシアを批判するか揶揄しておけば十分といった振る舞いを見せているところですけれど、正しい理解なくして進むべき道は判断できないと思います。

 現代においてウクライナと呼ばれる地域には、かつてキエフ・ルーシと呼ばれる国家が存在していました。これがタタール(モンゴル)の侵略によって一度は滅びます。年月を経てタタールの支配が弱体化するとルーシすなわちロシア勢力はモスクワを中心として再興を果たすわけですが、ウクライナ地域を新たに支配するようになったのはモスクワ・ロシアではなく、リトアニアでありポーランドでした。

 さらに時代が進むとウクライナの在地勢力(コサック)を率いるボグダン・フメリニツキーがロシアを後ろ盾として反乱を起こし、ポーランドの支配を覆すに至ります。しかるに世代が変わるとポーランド出身でウクライナ・コサックの棟梁となったイワン・マゼッパがスウェーデンと組んでロシアと戦うなど、その当時からウクライナは親ロシア派と反ロシア派のせめぎ合う地域だったわけです。

 第一次大戦中も例外ではなく、一時はドイツを後援者としてロシア帝国からの独立を図る勢力が優勢となりました。最終的にはボリシェヴィキが勝利を収め、ウクライナはソヴィエト連邦の構成国となります。しかし反ロシア派が消滅することはなく、第二次大戦中もやはりドイツと手を組んで仰いでソ連と戦う勢力が存在した、それが冒頭に引用したバービ・ヤールの虐殺にも関わってくるわけです。

 このバービ・ヤールの殺戮がソ連国内で知られるようになったのはフルシチョフ政権時代で、フルシチョフ自身がウクライナ系であったせいか、「自国の問題」として省みられることもあれば「自国の恥部」として言及が憚られるようなこともあったと伝えられています。しかしグルジア人やウクライナ人の支配が長かったソ連とは異なり現在のロシアの首長はロシア人であり、ウクライナもまた自国の「外」となりました。そうなると「隣国の問題」として糾弾の対象となってくるところがあるのではないでしょうか。

 独ソ戦の中、ウクライナの民族主義者を率いてソ連と戦ったステパン・バンデラという人がいます。最終的にはナチスからも切り捨てられるのですが、当初は敵を同じくする同志としてドイツと協同していました。このバンデラ、ソ連時代は当然ながらファシストの一員として扱われてきたのですが、ウクライナで反ロシア派が政権を握ると政府から英雄認定されたり、キエフの「モスクワ通り」が「ステパン・バンデラ通り」に改名されたりと、評価が覆って今に至ります。

 現代に至る歴史的背景として知っておくべきことはいくらでもあります。しかるにNATO・ウクライナ陣営を正当化、ロシア側を悪魔化するために、物事を短絡的に捉えようとする傾向は顕著になるばかりです。ゼレンスキー政権が国民を総動員して成人男性の出国を禁じたことも、出国許可を求める国内からの請願を一蹴したことも、対立する野党の活動を禁じ、その指導者を拘束したことも、ロシアを糾弾する広報官の主張が実は出鱈目で根拠のないものであったことも、ウクライナの現体制が選挙ではなく暴力革命によって成立したことも、ロシア語の使用制限が課されたことも全ては報道されています。しかし、西側諸国における反応は黙殺に近いものでした。

 それは統一協会を巡る世間の反応とよく似ています。安倍晋三の存命中から、政治家と統一協会の関わりを問題視し、糾弾する人はいました。ただ、そこに関心を持つ人は少数派に止まっていたわけです。山上容疑者が明らかにした新事実など何一つ存在しないのですが、しかし山上容疑者の凶弾によって世間の「見方」が変わった、世間が統一協会の問題に目を向けるようになったと言えます。ロシアとウクライナを巡るものも同じで、今は世間が目を向けていない部分が少なくありません。しかし時代が進めば、世の中の見方が変わることもあるでしょう。

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