非国民通信

ノーモア・コイズミ

道徳的欲求vs合理主義

2016-12-25 22:30:37 | 社会

給食無償化、自治体が渋るのは 「未納」は解消するが…(朝日新聞)

 全国でじわりと広がる給食の無償化。家計の負担軽減だけでなく、各地の自治体が頭を悩ませる未納問題の解消にも一役買っている。一方、無償化には多額の税金がかかることなどから、多くの自治体は二の足を踏んでいるのが実情だ。

(中略)

 文部科学省の試算では、給食費の1年間の未納額は約22億円(14年度)。累積未納額が1億円を超す大阪市は11月から、再三の催促に応じない悪質なケースについて回収の一部を弁護士に委託した。埼玉県北本市のある中学校では「未納が3カ月続いた場合には給食の提供を停止することも検討する」と保護者に伝えて議論になった。市教委の担当者は「本当に困っていることを伝えたかっただけで、提供をやめた事例はない」と話す。

 

 さて給食費の無償化が広がっているとは寡聞にして知りませんでしたが、事実であるなら歓迎されるべきことと言えます。その一方で「無償化には多額の税金がかかる」などとも書かれているのですが、本当でしょうか? それはまぁ無償化に要する費用を単体で提示すれば多額にも見えるのかも知れません。しかし、自治体の予算や小中学校の運営費全体と比較した場合、それを多額と呼べるのかどうか私は疑問です。

 

 長浜市は9月から、27の小学校すべてで給食を無償にした。対象児童は6078人で、無償自治体では最も多い。1人あたり年4万4千円の給食費を公費でまかなう計算だ。新規事業のために市が積み立てた基金と一般財源をあてた。

 

 例えば具体的な数値が挙げられているこちらの例ですが、滋賀県のホームページによると平成26年度の長浜市の歳出総額は¥56,951,144,000となっています。そして給食費の無償化には¥44,000×6,078が必要になるようですから、単純計算で¥267,432,000となります。年度による誤差は出ますが、市の歳出の約0.4%~0.5%に相当するわけですね。これを朝日新聞報道のように「多額」と受け止めるか、それともリーズナブルで意義ある支出と考えるかは、まぁ読者の判断にお任せしますけれど。

 一方、未納額が多いとされる大阪市は、よく知られているように給食費回収の一部を弁護士に委託しているわけです。たかだか給食費のために弁護士を雇っていては大赤字になってしまうはずですが、弁護士に払う費用は「多額」とは認識されないものなのかも知れません。大阪のように規模の大きな自治体ともなれば、財政にも余裕があるのでしょう。そうなると金銭面の損得よりも、未納者を罰する道徳的欲求の方が優先されてしまうのだ、と言えます。

 まぁ実際に働いている人であれば、まずは自分の勤務先の売掛金の滞納率ぐらい調べてみなさい、と思うわけです。それが給食費の未納率より高いのか低いのか比べてから結論を出すべきでしょう。せめて比較対象の一つも用意した上で判断しなければ、必ずや本質を見誤るものです。給食費の無償化にかかる費用を単純に「多額」と呼び、給食費の未納を「多い」と考えるのは、いったい何に基づいているのか。基準がなければ、何とでも言えてしまいます。

 国民年金保険料の納付率は2015年度で63.4%だそうです。納付率が99%を上回る給食費に比べると驚愕の数値ですが、未納者への道徳的な非難はそれほど目立ちませんね。給食費の未納者は正真正銘のマイノリティだからこそ叩きやすいのかも知れません。あるいはNHKの受信料などはどうでしょう? これも給食費と同様、本人の意思にかかわらず支払いを求められる、そんなサービスはいらないと拒否することが許されない、実質的に選択肢がないという点では酷似した性質を持っています。しかしNHK料金の未納者がバッシングを受けたなんて話は聞いたことがありません。何故我々の社会は給食費の未納者を憎むのか、それは興味深いテーマでもあります。

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領土問題なんて存在しないから

2016-12-18 23:20:16 | 政治・国際

 なんでもCIAの主張するところでは、アメリカ大統領選で起きた民主党陣営へのサイバー攻撃にロシアが関与していたのだそうです。トランプを勝たせるために、と推測されていますね。まぁ過去を振り返ればロシアのエリツィンなどは国内でさっぱり人気のない大統領でしたが、「西側」からは高く評価されていたわけです。西側の望んだ「弱いロシア」を実現させたからでしょうか。そして現在はトランプが、新しいエリツィンの役割を期待されているのかも知れません。トランプであればロシアの望む「弱いアメリカ」を実現させてくれる、そんな可能性はありそうです。

 何はともあれ選挙の結果が出てしまった以上、世界はトランプと付き合っていく必要がある、そのトランプが指図するアメリカ政府の動き次第で国際情勢は否応なしに変わっていくものです。先日はトランプが台湾総統と電話会談を行ったとかで微妙に物議を醸したりもしているようですが、いかがでしょうか。これまでは台湾政府を一段低く扱うことで中国への敬意が表されていましたが、それが早くも崩れようとしているのかも知れません。一方で我が国はロシアのプーチン大統領を迎えて首脳会談を行いました。今まではロシアと距離を置くことを以てアメリカ優先の立場を表明してきたわけですけれど……

 

<日露首脳会談>与党内にも落胆 二階氏「国民はがっかり」(毎日新聞)

 安倍首相がプーチン露大統領との会談を重ねる中、一時は領土問題の進展を期待する見方が国内に広がっていた。自民党の二階幹事長はその点を指摘し、「経済問題も大事かもしれないが、人間は経済だけで生きているわけではない。国民の大半はがっかりしているということは心に刻んでおく必要がある」と苦言を呈した。

 野党からは、民進党の蓮舫代表が「領土問題は置き去りにされているかのような印象はぬぐえない」と述べ、年明けの通常国会でただす考えを示した。

 共産党の志位和夫委員長は「信頼とか経済協力とかで動く国ではない」とロシアに矛先を向け、共同経済活動についても「ロシアの統治を後押しするだけだ。ますます返還が遠のく」と批判した。

 

 ……で、この辺の領土問題ですとか対ロシア問題となりますと野党側の方がタカ派色が強いところもありまして、首脳会談の結果には批判の声も出ているようです。まぁ、「固有の領土」なんてファンタジーが日本国外に通用するはずもなく、領土拡張主義者の幻想が満たされるような進展など未来永劫あり得ないのはわかりきっていることです。今回の日ロ首長会談は概ね妥当な結果であった、北方領土に関しては利権をつかむことが最大の現実解であり、現段階ではまずまず悪くない一歩であったと評価されても良いのではないでしょうかね。

 往々にして国民を喜ばせる政治は、後々に国民を苦しめることへと繋がるものです。小泉純一郎は戦後で最も日本の有権者を悦ばせた政治家であったかも知れませんが、日本を経済大国から脱落させた政治家でもあります。トランプも支持者を熱狂させてこそいますが、その先はどうでしょう。ヒトラーだって、ドイツ人を大いに歓喜させてきたものですが結果は言うまでもありません。そして二階幹事長のような特権階級は経済が衰退しても悠然と生きていけますが、普通の国民の生活は経済情勢に大きく振り回されます。金がなければ人生からは次々と選択肢が奪われてゆくものです。例え国民をガッカリさせることになったとしても、経済的利益を確保してくれる政治家こそ、国民の役に立つ政治家と言えます。

 そうした意味では安倍晋三の方が、その批判者よりはまっとうな判断をしているように私には思えるのですが、将来的にはどうなるでしょうね。東京都知事選や都議会でのグダグダを見るに、与党内の統制は必ずしも十分に取れていないようにも見えますし、惰弱きわまりない野党も何かキッカケ(与党側の金銭問題等々)があれば攻勢に出てくることもある、そうして安倍内閣側が追い込まれるような展開になれば、今とは反対に国民を喜ばせる選択に走って現実的な利益が蔑ろにされる、ロシアとの関係も悪い方向に逆戻りする可能性があります。そうならなければ良いな、とは思いますが。

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静かに暮らしたいだけの人に味方はいない

2016-12-11 23:01:03 | 社会

自衛隊機差し止め認めず=「運航、高度の公共性」-厚木基地騒音訴訟・最高裁(時事通信)

 米軍と海上自衛隊が共同使用する厚木基地(神奈川県)の周辺住民らが、騒音被害を理由に国を訴えた第4次訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は8日、「自衛隊機の運航には高度の公共性がある」として、夜間早朝の飛行差し止めを認めた一、二審判決を取り消し、住民側の請求を棄却した。米軍機の差し止め請求も退け、いずれも認めない判断が確定した。

 

 ……さて、上記の通りの判決があったわけですが、いかがでしょうか。まぁ日本では憲法上に明記されてこそいないものの、司法に対する行政の優越が確立していますから、地裁や高裁で住民側が勝訴していても最高裁になれば国側有利の判決に切り替わるのは驚くようなことではありません。もっとも国会や内閣がとんでもない主張や政策を繰り出してくるように、裁判所もまた最高裁であろうと高裁であろうと地裁であろうとトンデモ判決は普通に存在するわけです。どれも真に受けるべきものではないのかも知れませんね。住民にとっては残念な結果ですが。

 行政の優越もさることながら、日本は「静かに暮らしたい」と望む人間の権利を認めない社会なのだ、とも言えます。騒音に寛容であることを強いられると言いますか、騒音被害を訴えれば、逆に原告側がキチガイ扱いされることが当たり前、そういう文化なのではないでしょうか。今回のように軍の基地を相手取った場合は多少なりとも理解者、支援者がいるのかも知れませんが、もっと違う騒音源を相手に訴訟を起こした場合、世間の目はずっと厳しいものになりがちですから。

 例えば近隣住民間の騒音を巡るトラブルの場合、総じて騒音源への対策が取られることはなく、被害者側が泣き寝入りを強いられるか、あるいは実力行使を余儀なくされて警察沙汰になったりもするわけです。相手が国であったり軍隊であれば、原告に理解を示す人もいますが、それは果たして騒音被害への理解に則ったものなのでしょうか? それとも騒音被害などはどうでも良くて、もっと別の思惑から原告を応援していたりはしないかと、そう邪推してしまうところもあります。真に「静かに暮らす権利」を守るために戦う人が望まれてなりません。

 住民生活を脅かす騒音源としては、風力発電設備であったり、保育園などが代表的なものとして挙げられます。そういった騒音源に悩まされる住民の被害を訴える声に共感できる人ならば、本当の意味で「静かに暮らす権利」を守ろうとする人だと呼べるでしょう。一方で「風力発電には/保育園には高度の公共性がある」と主張して住民に忍従を強いることを当然視してはばからない人も多いわけです。「静かに暮らす権利」なんて糞食らえ、ですね。

 歴史の歪曲には反論するが科学の歪曲には荷担する、在日外国人への差別には反対するが福島関係の差別は広めようとする、そんな人が少なくないように、基地の騒音被害を訴える住民には共感するけれど、保育園の騒音に悩まされる住民は罵倒する、こうした人もまた珍しくないように思います。結局、ただ静かに暮らしたいだけの人にとって本当の意味での味方はいない、頼れるのは己だけなのかも知れません。騒音トラブルで実力行使に走ってしまう人が出るのも、まぁ理解できます。

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日本の会社に選ばれた人が残業文化を支えてきたわけで

2016-12-04 22:30:49 | 雇用・経済

 「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」と、過労死認定された電通の元社員は上司から言われたと伝えられています。これもまたパワハラの一つとして語られていますが、ことによると指摘としては案外、正しかったりもするのかなと思わないでもありません(そもそも電通の仕事が社会にとって云々)。

 まぁ、「平均を大きく超えて肥満していますね」とか「頭髪が随分と寂しいですね」とか、例え事実であっても口に出せば失礼に当たる類いもあるわけです。「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」もそう、事実であろうとも本人に直接、突きつけることはパワハラに当たるものなのでしょう。純然たる事実であろうとも、人を傷つける言葉はありますから。

 電通に関しては私の憶測に過ぎませんけれど、自分の職場の同僚や上司に対して「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」と言いたくなるところはあります。この頃は当たり前のように残業する同僚や上司を尻目に定時で帰ることも多いのですが、明らかに私より抱えている業務量の少ない人もいて、肩をすくめるしかありません。上司も落下傘候補ならぬ落下傘人事で、全くの畑違いの部署から異動してきた人が多くて実務が全く分かっていない、部下の仕事量を把握できていないというのもありますが、どうしたものでしょう。

 あるべき論、理想論とは裏腹に現実問題として、日本の職場では残業こそ最大公約数的な「やる気」の尺度であり、評価を得るためにこそ残業は避けられないわけです。逆に仕事が終わったからと定時で帰れば評価が下がる、正社員なら昇給の機会からは遠ざかり、非正規社員であれば契約更新が危うくなりかねません。私の実体験でも、どこの職場でも入社してまもなくは仕事が上手く回らず時間内に片付かなくて、それで「よく頑張っているね」と褒められる一方、逆に仕事が出来るようになって時間内に何でも処理できるようになると「もう少し積極的に仕事に取り組んでくれないと!」と怒られたりしたものです。

 もう一つ私の体験を挙げますと「家庭の事情でもあるの?」と、これまた行く先々の職場で聞かれます。定時で帰ろうとすると、ですね。定時で帰って良いのは幼い子供を持つ母親ですとか、そういった「家庭の事情」を持った人のすることであり、責任ある社会人とは残業するものだと、どこの職場でも信じられているわけです。まぁ、私も暇なとき(要するに退社後にやることがないとき)は、なるべく会社に残るなどの努力はするように心がけてはいますが。

 特に今の職場ですと、「そんなことはどうでも良いだろうが!」「まだそんなことをやってるのか!」と、同僚だけではなく上司にも言いたくなる場面が多いです。「確かにあんな仕事ぶりでは、どれだけ残業したって終わらないだろうなぁ」と感じるところばかりでして、上司や同僚が固執している代物が会社の営業にとって必要かと言えば、もう完全な自己満足でしかなかったりする、こちらとしては距離を置くぐらいしか、もうできることはありません。

 先日も書きましたが、低い(時間当りの)生産性から逆算すれば、利潤を生む上で本当に必要な仕事は必ずしも多くない、無駄なことばかりやっているから忙しいように見えるだけの職場も少なくないように思います。しかるに、日本では「仕事はつくるもの」なのです。そして必要もなく創られた仕事を疑問視する、ムダと見なしてカットしようとすれば、「やる気がない」「主体的な意識が欠けている」みたいな評価を受けてしまうわけです。

 日本の職場から無駄を削減できる、生産性を上げられる、効率化を進めて残業を減らせる、そういうノウハウを持った人材は既に存在しているのではないでしょうか。問題は、そうした「本来は」有能な人材が企業の評価から排除されがちで、逆にムダを創って生産性を引き下げる、残業時間を自ら牽引していくような有害な人材を企業が肯定的に評価して、地位と権力を与えているところにありそうです。すなわち、構造的な問題である、と。日本の会社が人を評価する基準を180°変えれば、世の中は幾分か良くなる気がしますね。

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