非国民通信

ノーモア・コイズミ

前任者に比べれば良い総理だったと思う

2020-08-30 22:33:30 | 政治・国際

 「安倍政治は白鵬の相撲に似ている」とは、野田元首相の言葉です。曰く「白鵬は覇道、邪道の相撲になっている。安倍政権も覇道、邪道、外道の政治だ」とのこと。こうした発言は野田佳彦自身や、その所属してきた政党の外国人観を端的に表すものでもありますが――歴代最高の実績を更新し続ける白鵬と、歴代最長の在任期間に到達した安倍晋三、果たしてどの程度まで釣り合うのでしょうか。

 先日は、この安倍総理がついに退任の意向を表明しました。後任が誰になるか不安は尽きません。安倍総理と言えば毎年、改憲への決意を表明していたわけですが、歴代最長の在任期間があったにもかかわらず特筆するほどの動きはありませんでした。私としては、やる意義に乏しいことをやらなかったことを肯定的に評価していますけれど、安倍晋三が本当にやりたかったことに期待していた人々からすると、どうなのでしょうね。

 北朝鮮との拉致問題もまた歴代最長の在任期間の中で目立った成果のない分野であったと言えます。それでも拉致被害者の関係者とは一貫して良好な関係を築けている様子がうかがわれますので、「結果を残す」ということは必ずしも支持をつなぎ止める上での必須要件ではないのかも知れません。結果を残すよりも共感を呼ぶこと、より精神的・理念的な類の方が重要なのだと思います。

 一方で経済政策に関しては、21世紀の日本の首相の中では最も「害のない」政治家であったと肯定的に評価されるべきでしょう。21世紀以降の歴代総理大臣(及び橋本龍太郎)の破滅的な経済政策に比べれば、どっちつかずのアベノミクスは、崖から転げ落ちることを止めたという点で重要な転換でした。それがこの先どうなるか、国民にとって最重要課題と言えます。

 「お宅とうちの国とは国民の民度のレベルが違うんだ」と、こちらも元首相である麻生太郎の発言です。新型コロナウィルスによる死者が欧米諸国と比べて少ないことを指してのコメントですが、日本よりも人口当りの死者が少ない中国や韓国と比べてどうなんだろうと思わないでもありません。それはさておきここで重要なのは、死者数が(欧米より)少ないことの原因を「民度」に求めていること、決して安倍総理のリーダーシップに求めていないことです。

 韓国の文在寅大統領も、ブラジルのボルソナロ大統領も、新型コロナウィルス対策では大いに存在感を発揮しました。結果は正反対ですけれど、いずれも大統領がリーダーシップを発揮した結果として支持率は上がったようです。まぁ日本でも小泉純一郎のように、経済を失墜させても支持を高めた例はあります。成功か失敗かは、あまり重要ではないのでしょう。それに比べて安倍総理は、新型コロナウィルス対策において存在感が希薄なままであったと言えます。

 東日本大震災の後、当時の首相であった菅直人は日本各地の原発を急停止させ西日本に未曾有の電力危機をもたらしました。こうした行動力、決断力は安倍晋三を凌駕するものです。世論の反発を見て政策を引っ込め、それを選挙目当てと野党に批判されてきた安倍晋三には、とうてい真似の出来ない振る舞いと言えます。ただ、菅直人と安倍晋三のどちらが安全な政治家であったかは、議論するまでもないでしょう。

 菅直人は、自分は原発に詳しいと称して緊急事態の最中でも現場への介入を厭いませんでした。新型コロナウィルスの感染拡大が続く中で、ついに最後までリーダーシップを発揮することのなかった安倍晋三とは対照的です。一方で安倍晋三時代の「結果」は、それほど悪くないものだとは思います。自身が先頭に立って支持率を高めることには失敗していますが、政治の介入により感染拡大を招いた国も少なからずありますので。

 会社でも、余計なことを始めて組織を混乱させる人罪ほど、人事の評価は高かったりしないでしょうか。逆に、余計なことをしない無害な人財ほど、蔑ろにされてはいないでしょうか。政治家の評価もまた似たようなところがあるように思います。安倍総理は最後に自身の評価を高めることに失敗したと言えますが――その後継者が、自身の評価を高めるプロフェッショナルになったりしないか、今から不安でなりません。

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

減ると思う

2020-08-23 22:27:31 | 社会

「今後いじめ増える」教職員の9割懸念 NPO調査(朝日新聞)

 コロナ禍の下、約9割の教職員が「疲れてきている子」や「精神的に不安定な子」が増えているとみていることが、教職員約1200人が答えたネット調査でわかった。今後いじめや学力格差が広がるとみる割合も約9割と高く、長期休校が子どもの心身や学力に影を落としている様子が浮き彫りになった。

(中略)

 調査では、子どもたちの様子について「とてもそう思う」から「まったくそう思わない」の4択で教職員に質問。「とてもそう思う」「まあまあそう思う」が最も多かったのは「今後いじめが増える可能性が高い」(89%)で、「精神的に不安定な子が増えている」(88%)、「疲れてきている子が増えている」「学力格差が拡大する可能性が高い」(ともに87%)と続いた。

 NPOの会見に同席した横浜市立日枝小学校の住田昌治校長は「子どもの実際の様子に加え、休校で人間関係をつくるのが遅れたことに教員の側が不安を抱いている表れでは」とみる。

 

 今年の3月頃にはメディアは挙って「自粛疲れ」を連呼していたものですが、果たしてどういう意図があったのでしょうか。しかる後に新型コロナウィルス感染者が急増、3月の連休中の外出者増が原因視されるに至り、自粛疲れの連呼は「自粛」されました。入れ替わりで「自粛警察」が頻繁に使われるようになりましたが、その影響も将来的には問われるべきかも知れません。

 「教育改革2020『共育の杜(もり)』」なるNPOの調査によると、「疲れてきている子が増えている」と回答した教職員が87%に上るようです。自粛疲れの理論からすると、そういうものなのでしょう。オンライン・リモート化が進み、通勤・通学の負担から解放されれば疲労は軽減されるわけですが、逆のことを言い募る人も多いですよね。

 私の通っていた小学校では、休み時間は校庭に出て遊ぶことがクラスの決まりでした。教室に残って本を読む、なんてのは当然ルール違反であり、かつ輪を乱す行為として徹底的に糾弾されたものです。ヨソの学校はどうか知りませんが、往々にして「子供好きの大人」が思い描く子供というものは、外で遊ぶことを好むものであり、逆に外で遊べないのは可哀相と、そう頭から信じられているのではないでしょうか。

 実際のところ、外で浮かれ騒ぐことを好む人も多いわけです。そうした人を基準に物事を判断すると、「自粛」を求められることに「疲れ」を感じるのが当然ということになります。「通勤疲れ」「通学疲れ」なんて考慮の対象にも上がらない一方、自粛は疲れるもの、外で暴れられずに可哀相と、そういう価値観の方がやはり優位なのだなと痛感するばかりです。まぁ大人しくしていることが出来ない人が多いのは、電車に乗っていてもよく分かります。

 子供の自殺を伝える報道は、8月の終わりの風物詩でした。夏休みの終わりを前に子供の自殺件数はピークを迎える傾向にあったわけですが、今年はどうなのでしょうか。「今後いじめが増える可能性が高い」と89%もの教員が回答したと伝えられていますが、いじめと比例するであろう子供の自殺が増えるのかどうか――むしろコロナウィルス感染拡大が収まってからが本番のような気がしないでもありません。

 「休校で人間関係をつくるのが遅れたことに教員の側が不安を抱いている表れでは」と、ある校長は語ります。ただ、いじめの多くは個と個の関係ではなく、個と徒党の関係においてこそ発生するものです。排他的な人間関係の構築があってこそ、いじめは発生するのであり、逆に人間関係がフラットな状態であるほど、いじめは発生しにくいと考えられます。

 いじめのバリエーションは豊富ですが、やはり王道は暴力です。その暴力を遮断するリモート化や登校機会の減少は、いじめの抑制に一定の効果を持つことでしょう。身体的な危害を加えられる機会が減ったことで、多少なりとも落ち着いて勉強できるようになった児童も少なくないはずです。ただ、教員の目線は違う、どうしても徒党を組んで浮かれ騒ぐことを好む子供の目線でしか物事を考えられない人も多く、それが今回のアンケート結果にも表れていると言えます。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主主義の条件

2020-08-16 22:56:14 | 政治・国際

 昨今はアメリカ主導で中国系企業の締め出しを計る動きが続いています。中国政府側の問題は語り尽くされていますので繰り返すことはしませんが、こうした民間企業の政治的な排除が公正なものかどうかは、疑問に感じるところです。あるいは香港や台湾を巡る問題でも、少なからず偏った扱いをされているところはあるでしょう。

 とりわけ香港を巡っては、まるで「西側」の橋頭堡みたいに扱われている印象を受けます。かつて欧米列強が侵略によって領有した地域の処遇について、そこに介入することへの躊躇の欠落は、率直に言って帝国主義の時代への反省を完全に忘れ去っていることを示すものでしかありません。「返却」はしても、香港は欧米の縄張りという意識までは捨てられていないわけです。

 民主化を求める人々を弾圧することが国際的な非難に値するか、という観点からはどうでしょうか? それは実績として、非難されることもあれば、黙認されることもあったはずです。お隣の韓国でも長らく軍部が独裁体制を築き、民主化を求める運動家は過酷な弾圧を受けてきました。しかるに今日の日韓関係に比べればまだしも、軍隊が支配していた頃の韓国との方が融和的であったとさえ言えます。

 もちろん軍事独裁政権が続いていたのは韓国だけではありません。そして軍事独裁政権を黙認し、「よろしくやってきた」のも日本だけではないわけです。国民の自由と民主主義が侵害されていようとも国際的に受け入れられてきた国家体制は、決して珍しいものではありません。ではどうして、中国にはそれが許されないのでしょうか?

 結局のところ国際社会における善悪の基準は、アメリカとの関係に尽きます。アメリカの世界戦略に従う国でありさえすれば、いかなる専制政治も何ら問題にはなりませんでした。問題になるのは、アメリカの意向から外れてしまったときだけです。イラクのフセイン政権も侵攻先をイランに限定している間は、アメリカから支援を受ける側でした。その後にアメリカの望まない方向に軍を向けたことで「世界」の敵となっただけです。

 そもそも民主的な選挙を全否定しているはずのクーデターでさえ、それがNATOの前線基地になることを志願している勢力の手によって実行されれば、国際社会から当たり前のように承認されているのが実情です。国民の投票よって選ばれた政権も時には、アメリカの後援を受けた反政府勢力によって潰される等々、民主主義はアメリカによっても少なからず脅かされてきました。

 香港における中国政府への抗議活動に賛意を表明する一方で、アメリカにおける反差別運動や日本国内の反格差運動には否定的な人も少なくありません。アメリカの現大統領に言わせれば、反ファシズムの活動はテロリズムだそうです。そういう人はたぶん、香港の自由と民主主義のためではなく、レイシズムとアメリカのために声を上げているだけなのでしょう。

 もし中国が一貫してアメリカに従順で、かつ技術面でアメリカの優位を脅かすものでなかったならば、昨今のように市場からの締め出しを食らうこともなければ、国際社会からの批判を受けることもなかったであろうと私は確信しています。アメリカのために、ロシアに向けたミサイル基地でも設置させてやれば、それはもう自由と民主主義の同志ですから。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会社命令で県をまたいで移動する人にも注目して欲しい

2020-08-09 22:18:47 | 雇用・経済

 通勤客は通す、転勤者も通す、帰省客は通さない……と、5月の連休前に私は書きました。3ヶ月後の今はどうでしょう。政府は帰省を制限するものではないと繰り返す一方、各自治体の首長は移動を控えるべきと主張するなど、足並みの乱れが目立ちます。そもそも自治体側の移動自粛要請にしたところで、「連休直前に言われても今さらキャンセルできない」と反応する人も多いですよね。

 日本は幸運にもSARSウィルス、MERSウィルス、そして新型インフルエンザの影響をほとんど受けてこなかったせいか、こうした新興感染症への備えが出来ていなかったように思います。その結果として「(SARSやMERSの時のように)日本は大丈夫だろう」との楽観的観測で時間を費やし、新型コロナウィルスの感染拡大への有効な手立てが遅れたところもあるのではないでしょうか。

 他の会社も似たようなものではないかと思いますが、私の勤務先では4月に大量の転勤者を出しました。東京から大阪へ、大阪から東北へ、北海道から東京へ、日本全国で大きく社員を動かしたわけです。その中に無症状のコロナウィルス感染者がいたかどうか定かではありませんが、「県をまたいだ移動」を増やす事で従業員と地域住民の双方に少なからぬ健康リスクを負わせた可能性は高いです。

 2月の時点では、「4月にはもう収まっているだろう」との楽観的観測が一般的だったと記憶しています。だから会社の人事関係者も、「大規模な配置転換で改革姿勢をアピールだ」と意気込んで全国社員の転勤を次から次へと決めていったのでしょう。ところが新型コロナウィルスの感染拡大は止まるどころか増加のペースが上がるばかり、しかし会社にとって転勤は絶対のもの、緊急事態宣言を数日後に控えたままシャッフル人事は強行されました。

 そして4月7日には主要都市を対象に緊急事態宣言が発令、政府の動向に敏感な我が社は急遽テレワークへの移行が行われたのですが――転勤して1週間を待たずにテレワークという状況に、「何のために転勤してきたのか」と疑問を感じる人も多少はいたものと思います。ついでに「転居先でインターネット回線が用意できないのでテレワーク対応できません」という人も結構いました。

 10月から、また社員を大きく動かそうとしている会社も少なくないのではないでしょうか。十中八九、2ヶ月後に新型コロナウィルスの感染拡大が収まっているとは考えられません。県をまたいだ移動がリスクを伴う状況はしばらく続くことでしょう。しかし人事の考えは人知の及ぶところではありません。再度の緊急事態宣言発令が考慮される中でも、東京から地方へ、地方から東京へと移住を余儀なくされる人は出てくるものと予想されます。

 転勤は社員を支配するための伝家の宝刀、断るものは首を斬ることすら許される代物です。転勤のために新居を離れる人もいれば、家族と離れて暮らす人もいる、配偶者の転勤のために仕事を辞める人もいれば、親の転勤のために友人と別れる子供もいる、そして昨今であれば新型コロナウィルスへの感染リスクと、それを広めてしまう二重のリスクの増大も加わりますが、果たしてこのままで良いのでしょうか?

 パワハラやセクハラと同様に、転勤命令もまた従業員の生活を侵害するハラスメントとして再考されるべき時期が来ているように思います。新型コロナウィルスの感染拡大は、非合理な労働習慣を改めさせる転機でもありました。ならばこの機会に「正社員は転勤必須」とする風習にメスが入れられても良いのではないでしょうか。このまま企業任せにしている限り、どれほどコロナウィルスの感染拡大が続いても、定期的に転勤者は産み出され、県をまたいだ移動も繰り返されます。社会を感染症のリスクから守るとの大義名分がある今こそ、企業に介入するチャンスです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

途中までならヨソでもありそうな話

2020-08-02 22:15:20 | 社会

「おかねのけいさんできません」男性自殺 障害の記載「自治会が強要」(毎日新聞)

 知的・精神障害がある男性(当時36歳)が自治会の役員らに障害者であることを記した書面を書くよう強要され、自殺したとして、男性の両親が自治会と役員らに計2500万円の賠償を求める訴えを大阪地裁に起こした。両親によると、男性は「おかねのけいさんはできません」などと障害の影響についても詳しく書かされ、他の住民にも見せると告げられた翌日に自殺していた。31日に第1回口頭弁論があり、役員らは争う姿勢を示した。

 訴状などによると、男性が1人暮らしをしていた大阪市内の市営住宅では2019年11月、自治会の班長を住民同士がくじ引きで選ぶことになった。男性は障害を理由に選考から外してもらうよう役員らに求めたが、「特別扱いできない」と聞き入れられなかった。

 役員らは集会所で男性と対応を話し合った際、障害があることや日常生活への影響を記すよう要求。男性が書面を作成すると、役員らは他の住民にも書面を見せて男性のことを紹介すると説明したという。翌日の11月25日、男性は自宅で命を絶った。

 

PTA「免除の儀式」は嫌 家の事情告白、泣き出す親も(朝日新聞)

 学校のPTAの役員を「免除」してもらうためには、「病気や離婚といった家庭の事情を他の親の前で言わないといけない。おかしくないでしょうか」という投稿が、読者の疑問や困りごとを募って取材する「#ニュース4U」取材班に寄せられた。SNSにはこうした親の声が相次ぐ。記者が投稿をした母親に会いに出かけた。

(中略)

 司会は前年度の役員。役員ができない人は、くじ引きの前に他の親の前で「できない理由」を話す。「闘病中で体調が不安定」。「離婚して、私が働かないと生活ができない」。途中で泣き出す親もいる。

 説明が終わると、他の保護者は顔を伏せるように言われる。「免除してもよいと思う人は手を挙げてください」。目の前の人を免除すれば、他の保護者が役員に「当たる」確率があがる。出産直後で「『孤』育て」中という母親の免除希望は、「否決」された。ここで知った各家庭の「家庭の事情」について口止めはない。「教室を一歩でたら、『こんな人がおったで』と、うわさがぱーっとまわるんです」

 

 上の自治会についての報道は最近のもので、下のPTAについての報道は2019年のものです。自治会(町内会)とPTAとは、なかなか酷似した組織だと思っています。後は連合傘下の既存労組も多少は似たところがあるでしょうか。班長や役員決めに関する諸々のハラスメント、非加入者への嫌がらせ等々、自己目的化した組織には付きものなのかも知れません。

 こうした事例は決して特定地域の自治会・PTAに限定された話ではないように思います。全国各地の自治会でもPTAでも、似たような光景は見られる、新聞沙汰になることは少なくとも、涙を呑まされている人は多いはずです。ある意味、これが日本の文化なのでしょうか、善し悪しは別にして普遍的なものがあるような印象を受けます。

 (他人が)苦痛から免れることを許さない、というのが国民性なのかも知れません。上級生から下級生への無意味なシゴキを止めさせたら、前年までシゴキを受けてきた上級生の多くが涙を流して悔しがった……なんて話を聞いたことがあります。あるいは職場でも、自身の残業負担に不満を持つよりも、「働いていない人がいる」ということに憤りを持つ人も多いのではないでしょうか。

 公務員叩きの根本には、公務員が高給取りであり、仕事も楽であるという思い込みがあります。本当に高給で仕事が楽であるならば、それは良い事であり羨まれこそすれ叩かれる謂われはありません。しかるに自身の待遇改善を求めるよりも、公務員の待遇悪化の方を願う人も多い、そうした人々を焚き付けるのが専門の政党・政治家も目立つわけです。

 だいたいの自治会・PTAにおいて、その役職者の負担を軽減する事は二の次になっているような気がします。最優先事項は、班長・役員から「免れる事を許さない」ことなのでしょう。そのためには常軌を逸したハラスメントも辞さないわけです。冒頭の報道に出てくる自治会役員だって、決して好きで役員を務めてはいないと思います。だからこそ、免れる事を許さないという気持ちも強い……

 上級生からのシゴキを受けて来た部員が、自らが上級生になった時に「自分が受けて嫌だった事」をどうするのか、「止める」よりも、「続ける」ことを選ぶ方が多数派なのが実態ではないでしょうか。自分が受けた苦痛を下級生も受ける、そのことに公平さ、平等さを感じるのが我々の社会の文化なのだと思います。

 自治会の役員や班長も然り、自分が役員を押しつけられて面倒な思いを強いられているからこそ、そこから免れている人の存在を許せない、自治会(そしてPTA)の役職を断るのあれば、相応に罰を受けてもらう――そうした発想が自然に出てくるわけですね。今回は偶々、追い詰められやすいポジションの人だから新聞沙汰に発展しただけの事です。

 日本社会の文化は、それこそ個人の内心の問題だけに外から変える事は難しいと言えます。そうである以上、根本的な解決は、自治会・町内会の解体しかありません。本来は行政が担うべき役割を民間任せにしている事で、誤った権力者を誕生させていることに目を向ける必要もあるでしょう。行政がやるべきことは行政が行い、自治会から代行者としての役割を剥奪する事で、関わり合いを持たずとも不利益を被らない状態を作っていくべきです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする