電化製品や半導体を始め世界市場における日本製品の優位は90年代には崩れ出し、今に至るも巻き返しの機運が皆無であることは周知のことかと思います。問題は、そうした状況に日本の経済界がどう対応してきたか、ということですね。正しく対処できていたのであれば状況は変わった、間違った対応を続けていれば事態は悪化する一方となりますが、まぁ結果は既に明らかなことでしょう。
T型フォードは1,500万台以上が販売され、自動車を金持ちの道楽から市民の交通手段へと変化させました。もちろん自動車そのものはT型フォードが市場に出る以前から普通に販売されていましたが、売れ行きは全くの別次元だったわけです。発売当時における競合他社の製品を性能で上回るところもあったかも知れません。しかし明白な強みは、他社の同クラスの自動車よりも安価であったことです。
日本製品も、中国や韓国の(日本製より)安価な製品に市場を奪われ続けてきました。「安い」という点はどの時代でも消費者にとって重要です。ではどうして競合国の製品は自国の製品より安いのか――その原因を正しく認識できないと、必然的に対応策もまた正しくないものを選択してしまうと言えます。
T型フォードが安価であったのは、少なくとも「人件費が低いから」ではありませんでした。それどころかフォード社は人手を確保するために賃金水準を倍増させ、退屈な流れ作業でも従業員の離職を防ぐべく世に先駆けて8時間労働や週休2日制の導入を進めていたわけです。当然ながら、フォードは他社よりも人件費が高くなります。しかし発売される製品の価格は下がり続け……
伝統的に日本では、日本製品が中国製品よりも割高な理由として「人件費が高いから」と説明されています。この信念に基づき日本企業は四半世紀にわたって人件費の抑制に挙国一致で取り組み、主要国中では最も賃金上昇率の小さい国であり続けてきました。その結果として日本の人件費は先進国レベルから中堅国水準へと推移したわけですが――日本製品が市場でシェアを取り戻すには至っていません。
人件費が高いはずのフォード社が自社製品を安価で販売できたのは、「コストを下げる技術」を産み出したからです。技術があるからこそ、より良い製品をより低コストで製造できたのです。一方で技術のない会社あるいは国は、コストを下げるためには人件費を下げる以外の選択肢を持つことが出来ません。製品を安くできないのは、人件費もさることながら技術がないからだ、と言えます。
サムスンなりファーウェイなり、技術力で日本企業を上回る会社は実のところ日本企業のそれを上回る給与水準で人を募っているわけです。人件費は、日本企業よりも中国や韓国の企業の方が高い、そう言える状況は着々と進み続けています。しかし日本企業より給与水準が高い中韓メーカーの製品は日本の同等製品よりも安価で市場に供給されており、人件費の高さは製品の価格に必ずしも比例していません。
我が日本の技術は世界一ィィィィーーーーッ!!!! ……という信念は日本国内で幅広く共有されていますが、一方で人件費が安いにも関わらず中韓よりも割高な製品しか作れないという状況もまた続いています。まぁ日本の人件費が高いという信念もまた技術力に関する自惚れと同様に根付いていると言えるかも知れませんが、現実に向き合えない者が状況を改善することはないでしょう。
技術力は日本が最高であるという幻想にしがみつき、製造コストが高い理由の全てを人件費に求め、賃金水準の抑制に全力を注いできた結果が今に至るわけですけれど、それに政財界が満足しているのかどうかは興味深いところです。国際市場における日本メーカーの存在感は薄れゆく一方ですが、まぁ労働者が弱い社会、雇用主優位の力関係を築いたことに精神的な喜びを見出している人もいるのかも知れません。
例外的に「ニッチな」領域で日本企業が高いシェアを残しているものは存在しますし、それをことさらに強調したがる人もいます。ただ、こうした分野が莫大な収益をもたらし日本経済を牽引しているかと言えば、残念ながら微塵も気配がないわけです。儲かる分野ではシェアを取れず、儲からない分野での高いシェアを誇っているとしたら、それもまた悲しい話ではないでしょうか。
以前に働いていた職場で、ある町工場が製造している部品の不足から全体の工期が遅れるなんてことがありました。ただ、全体の工期を左右しているはずの町工場の部品は、至って安価なものでもありました。ヨソの工場からは調達できない部材でもあるからには市場での優位性を発揮して価格も上昇しそうなものですが、そうはならなかったわけです。
問題の町工場でしか作れない部品だったのならば、販売価格の上昇もあり得たかも知れません。しかし「儲からないから作る人が少ない」だけの部品であったならば話は別です。安値で買い叩かれる部品なんて大手はどこも作りたがらない、その分だけ小さな町工場でも高い市場シェアを有することが出来ていたと言えますが――シェアが高いのに全く儲からない状態もまた続いていたのです。
日本企業が世界トップクラスのシェアを占めている領域は、探せば幾つか見つかることでしょう。しかし、それに胸を張れるのかどうかは別問題です。収益性が高く他の国が羨む領域でならば、それは自慢できるものです。しかし収益性に乏しく「日本ぐらいしかやろうとしない」領域であれば、徒にシェアを誇るのは失笑を誘う行為でしかないと言えます。