山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

日本橋あたり

2024-04-28 21:22:50 | 旅行・街歩き


押上から都営地下鉄に乗って日本橋にやってきました。
日本橋の駅に着くと、銀座線と東西線に接続していました。
そういえば、ここから東西線に乗り換えるとJR中央・総武線の三鷹まで行けるのでこれで帰ることができます。でもこのままではつまらないので、地上に出てみることにしました。

実は、40数年前、新卒で就職したときに、日本橋のとなりの三越前まで通勤していたのでした。
東急大井町線で大井町まできて京浜東北線に乗り換え、新橋で地下鉄銀座線に乗り換えて三越前で降りていたので、日本橋は通過駅でした。
そして、高円寺や阿佐ヶ谷から通っていた同僚は、日本橋まで東西線で来て、銀座線に乗り換え三越前で降りていたようです。なので、会社から帰るときは日本橋で乗り換える同僚と別れていたことを思い出しました。
OL時代、日本橋は会社のすぐ近くだったはずですが、滅多にこの橋を渡ることはありませんでした。

地上に出るとすぐ「日本橋」がありました。
この「日本橋」の表示がついている高架は高速道路で、日本橋の上を立体交差して走っています。つまり川の上が高速道路で、その下の日本橋の存在感がありません。
テレビでも時々放送されていますね。

現在の日本橋ができたのは明治時代ですが、東京オリンピック前の1963年に高速道路ができて日本橋を覆い隠してしまった感じです。



獅子の彫刻象は、狛犬の役割りをするようなものらしく、旧東京市のマークを抱えているそうです。


中央には麒麟像。
ちょうど上の高速道路の車線が方向別に分かれているので、その車線の隙間に構造物が突き抜けて、ぶつからないような配置になっているようです。



反対側にも獅子。

この上の首都高が2040年には地下化されて無くなるらしい。そうなるとすっきりして日本橋がきれいに見えるようになるでしょう。2040年なんて私は80歳になってしまいますよ。元気で見に行けるかな。


橋の下には、日本橋クルーズ船が居ました。この写真の右側に待合所みたいな広場があって外国人がいっぱい待機していました。
こんなの昔はなかったような?
ちょっと興味があったのですが、あまりに外国人ばかりで、日本人は近寄りがたい雰囲気なのでやめておきました。
この川は「日本橋川」っていうらしいのですが、不思議な名前ですね。
橋の名前が先にあって、川の名前が後で付くなんて。


それから橋を渡ったところにこんなものがありました。
「日本橋魚市場発祥の地」と書いてあるようです。


昔の魚河岸の跡だそうです。



この女性の像は何かと思ったら、竜宮城の乙姫様なのだそうです。
乙姫様って、こんな顔なんですかね。


階段があり、上にはきれいな花がぶら下がったりしているので、上っていって川の方を眺めてみようと思いました。

それで、階段を上っていったら、な、なんと、男の人が地べたに横たわっているのです。右側の見えないところです。
ギョッとしました。しかし、これは倒れているのではなく、寝ていますね。
これ以上近づくわけにはいかないで、上るのをやめて途中で下りてきました。
ああ、キモ。。。

実は私と同じように魚河岸跡の乙姫像などを興味深く眺めている普通のおじさんがいて、私の方が少し早く到着していたので、その人が階段を上る前に私が上ってしまおうと先に上り始めました。
その人も、同時に上るのはどうかと思っていたんじゃないかと思いますが、だれでも上ってみたいと思いそうです。ところが私が血相を変えて階段を引き返してきたからか、その人も登らないで去って行きました。

「変な人が寝てるんですよ~」と言ったほうがよかったかな。

上って花の写真も撮ろうと思ったのですが、あんなところで、昼寝してるとはね。


しょうがないので、下から撮りました。
川のむこうには、大きなビル建設中です。

日本橋はこれにて終了。
(次回は、三越前方面につづきます。)


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