詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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チェ・ゲバラの手紙 (2)ーゲバラとカストロ訣別の前夜

2009年09月09日 | 歴史
キューバを大好きになったのは、NHKの世界の蒸気機関車特集番組を観てから。
世界一の蒸気機関車天国はキューバだったんだ。革命前の車を修理しいしい現在でも街中をぞろぞろ走っているのもとても好感をもてた。アメリカに経済封鎖されて新しい鉄道や車へと変えるだけの資金不足が幸いしたせいだけど。

キューバは、カストロやゲバラが革命を起こしてアメリカから独立する以前は、若い女性のほとんどが売春婦で性病が蔓延という世界で最も悲惨な国の一つだった。そして独立後はまた、アメリカはじめ資本主義国のほとんどから経済封鎖をされながらも約50年間という長い間生きのびるだけでも大変だったのに・・革命前とは一変して、無料の教育・医療という社会福祉の先進国で、現在中南米では・医療・農業・社会福祉・教育水準が最も高い国だという。資源など無いに等しい国だというのに・・

失業者対策もまた同様で、失業者は税金から援助を受けながら教育を受ける権利があるのだという。憲法違反や「中間搾取の排除」を規定してる労働基準法第6条「何人も、法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない」とは正反対の事(「労働者派遣法」)をやって世界中に恥さらしをやっているこの国となんという違いか!

特に上記派遣法等で小泉弱肉強食政治に加担してきた民主党は、大いに反省して、非正規労働者の血と汗の税金から還流してきた政党助成金百数十億円の幾分かを、派遣切り等で史上最悪の失業率・有効求人倍率・倒産等で苦しんでいる人々の救済のために、差し出すべきではないだろうか?
共産党もまた政党助成金が要らないんなら、その全額を寄付すべきだと思う。
より詳しくはここをーhttp://critic5.exblog.jp/10134587/#10134587_1

教育・医療水準がどんどん低下させられていまでは先進国で最悪・最低の日本とはまるで正反対の国キューバだけど・・北欧やオランダ・ドイツ同様に、20世紀の典型的なモデル国家であり、キューバなどよりはるかに資源・産業・技術が多い日本は、政治さえ変われば、またかってのような素晴らしい国へとまだまだ復帰可能だ。

僕の「沖縄独立論」はー沖縄はキューバを目指すべきだし、北海道・東北は北欧を、その他の日本列島の共和国はドイツ・オランダ等を目指すべきで、それらの地方主権をもつ共和国の連邦国家として21世紀の日本はあるべきだと書いたことがある。その思いは今でも変わらない。沖縄同様にこの列島先住民のアイヌ民族自治共和国もまた。

駄洒落がちときついけど、昨日のネット検索でキューバについて面白かったサイトはーhttp://homepage2.nifty.com/GAKUS/hetareron/che.html
《そんな1960年、カストロは国連総会に参加します。わしが思うにこれがカストロの人生の中でサイコーに輝いた一幕・・
    ー中略ー
前年のキューバ革命以来、何度もアメリカの企てる暗殺をかわしていたカストロは、自ら堂々とアメリカへ乗り込んでいったのです。アメリカ側はさんざんカストロに嫌がらせをしますが、それにもめげずに会議に参加するカストロ。何処にも泊めてくれるホテルが無く、国連本部前にテントを張って抗議する一幕もあったり。
結局、ハーレム街のホテルテレサに数千人の歓迎を受けて宿泊することとなったカストロ。滞在先のホテルテレサにはナセル大統領,ネルー首相,黒人運動の指導者ラングストン・ヒューズやマルコメX・・・いや、マルコムXが訪問。アメリカの傀儡政権を倒したカストロに世界中が注目していたのです。ホテルテレサにはソ連のフルシチョフも訪れます。そこで、ソ連はキューバの主な産業・砂糖の95%を買い取ってキューバを支えることとなるのでした。

この時、後にフルシチョフはこういったといいます。「カストロは共産主義者ではない.しかし米国の圧力のおかげで二年後にはそうなるに違いない」と予言したのです。実はカストロは当初、キューバの民族主義者であって、共産主義者ではなかったのです。しかも「カストロは共産主義者である。キューバ革命は共産主義革命である!」と世界に宣伝をはじめたのは、もともとアメリカなのでした。そして、フルシチョフの予言どおり、アメリカは自分の手で自分の敵を作り出してしまうこととなるのでした。

さて、国連総会で発言の機会を得たカストロは4時間半にもわたるアメリカ非難の演説をぶちまけます。まさにそれはキューバを愛する情熱とアメリカの欺瞞に憤慨しての大演説!そして、有名な言葉が生まれます。「帝国主義的金融資本は売春婦であるが、いまやわれわれを誘惑することができなくなった」・・・カストロは金と軍事力、未だに変わらぬアメリカの世界戦略に真っ向から戦いを挑んだのです。
そして、1961年アメリカはキューバと国交を断絶。そして、キューバに空爆を開始、しかし、作戦は失敗。そして、キューバは社会主義国宣言を発表。フルシチョフの予言は二年を待たずに実現してしまうのです・・
    -中略ー
そして、この1961年とはアメリカでケネディ大統領が、国民から圧倒的支持を得て当選した年。1961年、ソ連ではシロツグ・ラーダット・・・いや、ユーリ・ガガーリンが史上初の宇宙飛行士となった年。そして、ドイツではベルリンの壁が一夜にして突如現れた年。将に東西冷戦が決定的な溝を深めた年だったのです。
その頃、ゲバラは何してたのかというとキューバ大使として社会主義国を歴訪し、帰国後工業相に就任しています。しかし、揺れ動く世界情勢、キューバを取り巻く不穏な空気の中で、ゲバラはカストロとの間に何か違和感のようなものを感じ始めていたのでした。》

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