<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

明日は弟の命日 半輪の月が空に耀いている

2017年10月30日 21時54分21秒 | Weblog

さ。もう、寝ようかな。寝てもいい。寝なくてもいい。365日、一人の部屋で一人で寝ている。今夜はことのほか冷え込むらしい。寒くないようにしておかねばならぬ。半輪の月が夜空に耀いている。

明日は10月末日。弟の命日。弟を偲んで、仏壇の前に座して読経をした、今夕。経典は仏陀の説法である。それを己の口に声を発して、仏陀の声として聞く。聴聞として厳かに。仏陀いますが如く。

 

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朝日長 昼日長 夕日長 黙々黙々黙々

2017年10月30日 19時04分00秒 | Weblog

しあわせ・しあわせ・しあわせ。一人遊びが出来るしあわせ。らくちんらくちん。空を見て山を見て土を見て、それで日が暮れる。満ち足りる。恵まれている。有り難いことだ。畑の畝に、プランター白菜や黄金菜やキャベツの苗を、引き上げて、畑に植え替えた。朝日長、昼日長、夕日長。黙々黙々黙々。なんと幸せなことか。一人遊びを飽きもせずに。今夜は半輪の月。白い月。雲間に見え隠れしている。

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お天気が幸いするとちょいと忙しい

2017年10月30日 13時16分03秒 | Weblog

午前中は畑に出て農作業をしていた。日射しがあってぽかぽかした。プランターに種蒔きをして10cm程に育った黄金菜という野菜を畑に植え替えた。細かい作業だ。黄金のような黄色ではないが、黄色が白菜よりは強い。葉が、間引きして時点でも、柔らかい。白菜は巻かないと柔らかさが出ない。午後は風が出た。寒くなった。お昼を食べて炬燵に足を延べた。スイッチをオンにして温まる。窓の外の白い雲と青い空を見ている。雲は動かない。白い蝶々が飛び回っている。これだけ寒くなっても平気なんだろう。野菜の若菜に降りて来ては卵を産み付けている。午前中の移植はまだ途中だった。そろそろ1時半。ジャンパーを着込んでまた作業を続けるとする。殺虫剤を根元に撒いて、最後にたっぷり水遣りをしておかねばならない。日頃は暇を持て余している老爺も、お天気が幸いするとちょいと忙しい。

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「雲を見る会」という会が何処かにありそうな

2017年10月30日 09時28分38秒 | Weblog

「雲を見る会」

 鰯雲は秋の季語である。加藤楸邨がこう歌っている。「鰯雲 人に告ぐべき ことならず」
 この句はどう読んだらいいのだろう。推理してみる。作者には胸に思いがある。しかしそれは軽々に人に告げることではない。一人胸のうちにそっと秘めたままにしていたのだが、あるとき旅にあって大空を見上げたら、紅葉の秋の山々を突き放すように鰯雲がある。白く凜として冴え渡っている。愛憎に明け暮れる人間などを寄せ付けない高邁な気性を感じ取って、一気に秘めた思いを吐露してしまった。「ことならず」という断定表現は、撥ね付けるような一種言いようのない拒絶にも聞こえてしまう。
 まあ、読み方は色々あっていいだろう。
  鰯雲は高度5000m~10000mの上層に生まれる雲。斑状にして群れをなしている。鯖雲とも鱗雲とも羊雲とも呼ばれる。秋に多い。空一面に列状に広がる。この雲がたなびいたら、海の漁師さん方は鰯大漁を予兆して沖へ出て行く。夜になってこの雲が月の光に照らされるとまたもう一つの美しさが加わる。秋の楽しみは様々あるが、頭上に広がる雲を眺める楽しみも、堂々の位置を占めるだろう。秋はともかく空が高い。澄んでいる。
 「雲を見る会」なんてのがどこかの市町村に発会していないだろうか。場所は秋桜の丘の上。時折雲に詳しい理科の先生の解説が入る。 ゆっくりぼんやりと大空を眺めているのもいいかもしれない。湧き起こる思いを告げ合って互いに波長同調していれば、俗に言う「愁い多き秋」を余所目に見ていられるかもしれない。

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ありなりとなりあなろなびくなび

2017年10月30日 08時02分07秒 | Weblog

アリ・ナリ・トナリ・アナロ・ナビ・クナビ

これは法華経最後のチャプターにあたる陀羅尼品(だらにぼん)のうちの、毘沙門天王の陀羅尼神咒(だらにじんじゅ)である。短い。短いが金剛力を発揮する。神咒だから、神のコトバである。音波・声紋のパワーである。「神」は形容詞で「優れた、不可思議の、パワフルな」の意。

仏陀はゆたかである。力を発揮する。緩むことなく精進して進め。仏陀の守護は無限無量である。

毘沙門天王がそういうって法華経の教えを説く人たちを鼓舞している、激励している。あなた方に刃向い苦しめる者たちがいてもわたしがあなた方を守り抜くから安心をするがいい。そういう後ろ盾の役目の神咒となっている。

毘沙門天王は仏の教えを守護する四天王のうちの一人で、多聞天王とも呼ばれている。法華経を説いておられる仏陀(釈迦牟尼世尊)の前に進み出て、法華経守護を約束し誓っている場面である。

大乗仏教の法華経を弘めて歩く行者たちは、降りかかった災難災厄のただ中にあっては、この神咒を懸命に唱えて、怯(ひる)もうとする己を鞭打ち叱咤して歩いたであろう。そういう図が想起される。

法華経は妙法蓮華経、梵語ではサッダルマ・プンダーリーカ・スートラ。「正しい教えの白い蓮の華の経典」を意味している。鳩摩羅什が漢訳した。8巻28品からなる。紀元前1世紀ごろにその思想が形成され、紀元前後に韻文が文章化され、散文が紀元後1世紀ごろに成立したとされる。仏陀(釈迦牟尼世尊)が霊鷲山(りょうじゅせん)の山頂で説いた教えである。竺法護訳の正法華経もある。ダルマ=法は仏の教え・真理の意。華は白い蓮の華の意。サッダルマの「サッ」は「正しい」「妙なる」「不思議な」「優れた」の意。白い蓮プンダーリーカは淤泥華である。世の悪・己の煩悩を根底にしていてもそれに染まらずに真っ白は清浄の華を咲かせる。

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彼らも賢い しぶとい 

2017年10月30日 07時38分13秒 | Weblog

寒いなあ。寒いよお。10月30日、月曜。朝7時40分。空はどんよりしてほの暗い。風が少しある。畑のアスパラガスの柔らかい茎と葉が靡いている。僕はセーターを着込んで対応する。新聞の天気予報では気温が前日比マイナス5℃。最低12℃、最高18℃。これでもうさすがに畑の野菜を食い荒らす虫たちもいなくなるのではないか、殺虫剤も撒かなくて済むようになるのではないか、と思う。既に此処まででキャベツもブロッコリーもカリフラワーもギザギザになるまで食い破られている。それでも巻いたキャベツの中央にまで突き進んで、ちゃっかり防寒している青虫たちがいるにはいる。彼らも賢い。

昨夜、蚊に悩まされた。パソコン灯りを慕って飛び回る蚊はでっかい蚊だった。何度もピシャリと叩いて見たが逃げられてばかりだった。お布団に入ってからもなおブーンブーン羽音がした。とうとう殺虫剤を噴霧した。蚊たちも温かい室内に入り込んでしぶとく生き残っている。

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