今夜は此の歌を想起してしまった。我が山里はそうでなくとも寂しいところである。そうであるのに秋が深まって草が枯れていく。木が落葉していく。人の訪れもない。
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山里(やまざと)は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目(ひとめ)も草も かれぬと思へば 源宗于朝臣 (みなもとのむねゆきあそん)(28番) 『古今集』冬・315
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寒い。都ではない山里はもう冬に入ってしまったのだろう。人の気配もなくて寒い。寂寞としている。寂しい。誰も来ない。草でさえもが枯れてしまっている。そう思ってみるといよいよ寂しい気持ちが勝ってくる。
「かれる」は掛かり言葉。草が「枯れる」と人が「離(か)れていく」が重なり合っている。「冬ぞ」の「ぞ」は強意。
作者は、血筋では天皇家に繋がってはいたのですが、出世に恵まれず不遇でした。臣下に下って、源性を賜っています。
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もうやすむとするか。まだしかし9時を過ぎたばかりだ。老爺の冬は夜が長い。