<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

耳の機能というのは耳がなくとも働いているかもしれない

2017年10月26日 22時28分43秒 | Weblog

こんばんは。わたしがそういうと、こんばんはと返してくれる人がいれば? そりゃあいいさ。近くにいなくても? ん。聞こえていれば。じゃ遠くにいてもいいってこと? ん、遠くにいても。聞こえていれば。耳で聞いていなくともいいということ? ん。さぶろうは首を縦にふりました。文字を見ても音として聞くことは出来るからね。どちらも意思の伝達をするからね。ふーん、だったら。だったら? 

さぶろうはちょっと考え込みました。死んだ弟とだって、やりとりができるかもしれないのです。こんばんはだとかおはようだとか。おやすみなさいだとか。耳の機能というのは耳がなくとも働いているかもしれないのではと、ちょっとそう思いました。

こんばんは。こんばんは。耳だったらたくさんあります。この世に耳はたくさんあるのですから。ブログを開いてよんでくださる人にも耳があります。だったら、さぶろうの耳にも、返ってくるのが聞けるはず。だったら寂しくないと思いました。柱時計の針がもうすぐ夜の11時をさそうとしていました。

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食べているのはぼそぼそした己の影

2017年10月26日 10時24分32秒 | Weblog

影もぼそぼそ夜ふけのわたしがたべてゐる   種田山頭火

昭和10年。山頭火53歳。自殺未遂。翌年暮れにまた旅に出る。泊めてもらった旅籠の共同部屋だろう。人の話し声もする。それは気にならない。己の影が障子に映っている。その影を相手にして彼は遅い夜の食事をした。見るともなしに闇を挟んだ障子を見ると、男の影がぼそぼそと影を食べている。それが何だろうと、生き長らえるには食べなければならないのだ。掌の上の食事は行脚で頂いたもの。胡麻塩おにぎりの1個だけ。山頭火は痩せ衰えている。ここまで歩いて来たその疲れがどっと押し寄せて、もう重たく冷たい体を支えきれなくなる。竹筒にもらったどぶろくを煽る。

失望と祈りとが折り合いをつけて、毎日貧しい織物を少しまた少し編んでいく。そして句を詠む。句が己の傾きのバランスになる。

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しばらくこうしていよう

2017年10月26日 10時07分08秒 | Weblog

庭の一角に咲き出した石蕗の黄金を見ていると秋の深まりをことさらに感じてしまう。この秋冷の中を白い蝶々が舞う。見上げると薄いブルーの大空が広がっている。日の光が大地に差し込んでなだらかである。ときおり百舌鳥が椎の木の藪のあたりに来て高鳴く。一つ仕事を終えた。朝食後外に出て、風がないのをいいことにして、堆く積まれていた萩の枯れ木類を古い焼却炉で燃やした。すっかりした。いまは炬燵に足を延べてバイオリン曲集を聴いている。流れているのはベートーベンのバイオリンソナタである。いい気持ちになる。目を閉じる。しばらくこうしていよう。老爺の耳にも等しく美しいバイオリンの調べが遊んで秋の日の華やぎをもたらしている。

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フカネギ3列の土寄せをしたよ 昨日は

2017年10月26日 07時46分48秒 | Weblog

溝を作って植え付けておいたフカネギ3列の土寄せをしたよ。足を延べて座り込んでの作業だった。たっぷり1時間はかかったな。それから立ち上がって化学肥料の追肥をした。ぎこちないヘンな座り方をしていたので、お陰で筋肉痛。痛い(+。+)痛い(+。+)。夜中トイレに立つ時に不自由した。まあいい。ともかく終わったんだから。フカネギはすき焼きや鍋料理には欠かせない。とりわけ白葱のところがおいしい。3列もあるから、毎日食べても余るだろう。正月前には掘り上げが開始できると思う。弟が好きだったな。我が家に立ち寄る度にフカネギを欲しがったっけ。極楽界にも鍋料理はあるのかなあ。どうだろうね。

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