<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

髭もじゃもじゃがクーーーンと匂った

2017年10月12日 23時04分51秒 | Weblog

楽しかった。昼間に牛蒡を掘り上げた。スコップを使ってヨイショヨイショ。でかくなっていた。髭もじゃもじゃ。地上に引き上げただけでクーーーンと匂った。1株だけで、夕食の料理が成立した。しめしめしめ。柔らかくておいしかった。

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僕はそんなことにはまったく関心がありません

2017年10月12日 15時20分20秒 | Weblog

僕はそんなことには全く関心がありません。そんなことというのはおしゃれをすることです。流行の服を来たり流行の靴や帽子を身につけたりすることです。どうせ不似合いなのです、何をどうしたところで。だからいわば流行無関心無感動無執着派なのです。これまでもずっとこれで通して来ました。でも、馬鹿にしているのではありません。きれいな服を着たきれいな女性はきれいに見えます。きれいにおしゃれをした女性を見るは大歓迎です。北海道旅行中に、空港内や観光地でそんな女性を幾人も幾人も見かけました。僕はしかし流行を追っている男性には無関心です。男性のきつい香水も馴染めません。香水から逃げ回ります。狭量です。相変わらずの時代遅れです。

 

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畑に不断草の種を蒔こうと思います

2017年10月12日 15時13分42秒 | Weblog

いい詩が出来ません。あきらめて畑に出ます。でももうすぐ雨になりそうです。少々の雨は耐えられます。畑に不断草の種を蒔こうと思います。不断草は一年中食べられます。根株を残してさえおけば、次々に葉っぱを摘んでいけます。不思議な野菜です。いまも畑に2株だけは残っています。もう一年は無理かも知れません。

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僕は今100万年分の恋をしています

2017年10月12日 14時58分50秒 | Weblog

僕を好きだという人がいました/びっくりするでしょう/そりゃしますよね/想像を絶することなんですからね/しかも人間の形をしています/おんなの人のようです/色白です/ふくらんだ胸があります/ふくらんだ尻があります/黒い髪が肩まで垂れています/僕は100万年の旅をしています/そしてようやっと此処へ来ています/ここはアンドロメダ星雲の近くです/ここまで来てやっと僕は/僕を好きだという人に出会ったのです/まったくの偶然です/理由を尋ねました/誰もが是まで一度も好きになったことがない人/そういう希有な人、手垢の付かない人を探していた/彼女はそう白状するのでした/その人も希有な人です/僕は今100万年分の恋をしています/

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僕は僕の宇宙の中心へ中心へ向かう

2017年10月12日 14時15分55秒 | Weblog

「僕は僕の宇宙の中心へ中心へと向かう」     薬王華蔵

僕を掘って掘って掘って行ったら?/何処へ行き着くんだろう/どっかへ行き着くはず/僕はその疑問に駆られて/今日は思い切って/勇気を奮い起こして掘り進んでみた/

僕の足の下にも/古い僕がいて/その僕の足があって/その足の下にもまた/それより古い僕がいて/その僕の足があって/その足の下にも/またまたより古い僕がいて/その僕の足があって/こうしてずんずん深くなる/

掘り進める掘削機の下にすぐ次の僕が覗いている/古くなった僕がいる/地下二階建て/地下三階建て/地下四階建て/こうしてずんずん深くなる/ここにエレベーターを設置する/掘削機を載せて下りていく/こうやって僕の宇宙の/中心へ中心へ向かう/

不思議なことに/掘り下げた僕はどれも生きている/死んだと思っていたのに/死んでいない/全く新しい構造になって生きている/もちろん物質ではない/物質次元ではない/これが僕の宇宙の神秘の構造なのだ/

一番新しい僕/つまり西暦2017年に生きている僕だけが/まだ物質になっている/非物質の僕は/10の10乗の/そのまた10乗の10乗ほどもいて/それからさきはもう不可算になっている/その分だけ次元が新しくなっている/古くなるほど新しい次元に進んでいる/

僕は僕の方向が分からなくなる/古くなる分だけ/新しくなるなんてことが/あるだろうか/先に死んだ僕であればあるほど/新しい次元を生きている/こんなことが/実際に起こっている/それを目の当たりにしながら/僕は僕の地球の中心へ中心へ向かう/

音楽が聞こえる/楽しい音楽が聞こえる/僕は次へ次へ楽しくなる/その音楽もまた/どんどん楽しさを倍加させていく/

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北海道音威子府村の虹は

2017年10月12日 12時46分59秒 | Weblog

詩を書きたい。どんなものでもいいから。不意にポテトチップスが食べたくなったというのに似ている。といって、それがそんなに好きなわけではない。なんとなく。これがあると昼間から缶ビールが飲める。

ポテトチップスをぽりぽり、缶ビールをちびりちびり。食べる。飲む。次々に手が出る。あんな感覚。手に取っていれば安心している。どこの製品がおいしいということはない。

詩を書きたい。出来上がったのを食べるのではない。これから書きたい。だから、ジャガ芋が必要になる。

詩はことばのポテトチップス。切ってスライスにして揚げる。人様に食べさせるものではない。そんなのは書けない。作って白いお皿に載せる。眺める。そこまで。

詩になる。ジャガ芋だけではなく、薩摩芋も玉葱も苦瓜も人参も南瓜もピーマンも。フライにすれば味が出る。おいしくなる。そうか、だったら、正確には詩はフライの油だ。

「音威子府村(おといねっぷ)の虹は」

北海道音威子府村の/トイレ休憩所の/裏山に/虹が架かった/バスから降りてくる人が/口々に/わあわあわあ/きれいきれいきれい/と同じ台詞を重ねた/次々に次々に同じように/比較的小さい虹なのに/半円形の見事な完全虹だった/虹の両足を見た/しっかり地に着いていた/七色があざやかだった/あれだけ称賛を浴びれば/虹は本気で虹を架けただけあったはず/するとすぐさまそれが/にこにこ笑っている眉になった/もう片方は?/二つあれば大笑いになってしまっただろう/北海道音威子府村の/小糠雨の日の/裏山に掛かった虹は/さすがだった/美しい完全形にしては/慎ましく控え目だった/

 

 

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ヒヨが来て忙しく鳴いている

2017年10月12日 10時32分39秒 | Weblog

ヒヨが来て忙しく鳴いている。群れている。群れを蹴散らしている強いのがいる。強いのが強そうに鳴いて、弱いのが弱そうに鳴いている。秋が深まっている。「秋は平等の秋ですよ、いっしょに楽しみましょうよ」と弱いのが折衷案を出しているが、強いのはこれを否定している。「強い者がちだ。お前らは後だ、まずオレサマ・ガ・ブロッコリーを食う」と言い放って凄んでいる。人間社会を真似ているのだろうか。せっかく伸び上がって来たブロッコリーはたちまちぼろぼろになってしまう。

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生と死と生は、死と生と死、2進法

2017年10月12日 10時13分15秒 | Weblog

今日は10月12日。昨日10月11日からすれば「明日」だったのが「今日」になっている。現実化している。明日は未来形で、10月11日の時には見えていなかったので、仮想の中にあった。不定形だった。

生と死はどうだろう。生は10月11日の実態になぞらえられる。仮想の中に在る死は12日に匹敵している。

10月12日の生は、11日の死に続いている。まるで隣り合わせだ。11日を死んで12日が生まれたのである。

11日にも白い蝶が畑のキャベツに卵を産み杖用と飛び回っていた。12日もやっぱりそうしている。11日を死んだようには見えない。ちっともそうは見えない。でも、12日は11日ではない。これは確実だ。

前のステイジを死ぬと次を生まれて来る。でも切断されているように見えてしようがない。夜の闇がそこに横たわっているためだ。この夜の闇の間に一切の記憶が消し去られてしまうのだ。それで不安ばかりが募ることになる。

遡るということが人間は苦手なのだろう、きっと。生と死は、死と生でもある。生まれて生きて死ぬというコースは、死んで生まれて生きるというコースでもある。一本の大きな道なのだ。

しかし、この二つのコースは。別物に見えてしようがない。だが、手繰り寄せてみるとぴったり重なってくるのだ。

昨日と今日と明日。明日はすぐに今日となる。今日はすぐに昨日となる。

死と生と死。2進法。0と1。1と0。生と死と生。永遠のいのちを生きる者たち。時間は2進法で進んでいるが、もしかしたら繰り返す場所はまったく同じかも知れない。

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わたしを「あなた」と呼ぶ存在者

2017年10月12日 10時06分18秒 | Weblog

「決意」          薬王華蔵

「あなたと対話するために
わたしはここにいる」
自転車のサドルの上の
赤トンボはそう言う

「あなたと対話するために
わたしはここにいる」
垣根の石垣の下の
蜥蜴(とかげ)はそう言う

こうしてわたしを
「あなた」と呼ぶ存在者と
わたしは対話をした

彼らの申し出を懐かしむ
わたしは彼らにとって
「あなた」となりえたのだ
対話を実現したことで

生きていることは懐かしい
短い一日がいつも懐かしい
懐かしみながら
自然の多くと生きていれば
わたしたちはみな自ずから
あなたわたしの間柄である

この夏広大な自然の多くへ
対話を呼びかける決意が
こうしてわたしに生まれた

自然界の中に詩を感じると嬉しい。こころ弾む。懐かしくなる。あたたかくなる。蜥蜴とも赤トンボとも、横一列であった。ともにこの地上を生きる仲間だった。かれらはわたしを目掛けて「あなた」と二人称で呼びかけてくる。

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一冬ずっと抱かれていたい

2017年10月12日 09時48分32秒 | Weblog

詩を書いてみた。投稿したが落選だった。詩になっていなかったらしい。読み返してみた。そうかもしれないと思った。後半、オスメスがほんわかな会話をしているが、それがうまく読み取れなかったのかもしれない。人間は一年中起きている。目を覚ましている。蛇のように冬籠もりをしない。そんなに長々と目を覚まして暮らしていて、で、やっぱり人間というのはずっと楽しいんだろうか。青大乗は冬の穴籠もりの間、オスメスはのんびり抱き合って過ごしている、そういう対比を作ってみたかったのだが。

「青大将」    薬王華蔵

寒いねえ 寒いですねえ
もうそろそろかね
そろそろでしょうね

大きな図体のクチナワの
神さま級の青大将が二体
どうやら夫婦らしい
2mと2mが寄り添う
暗褐色の背面に緑の縦線
人間と共生する口実で以て
家の中の鼠を皆捕って食う
だが縁の下の鶏の卵も盗む

土の下の冬籠もり中は専ら
甘い夢物語を編んで暮らし
それを栄養にできるらしい
そんな奇態の持ち主らしい

「この家の主たちは
極寒でも土の中に潜らない」
「一体何のためなんだろうね」
「何するんでしょうかね」 

「時折覗きに行ってみるか」
「いやですよあなた
ずっと抱かれていたいもの」
2mが赤い舌を出した

青大将のことを「エエクチナワ」と呼び習わしていた。家に住むクチナワ(=蛇)だからである。藁葺き屋根の鴨居の上に胡座を掻いていた。これがときどきドサリと音を立てて落ちることがあった。いまはどこも瓦屋根になってしまっているので、もう家の中には棲みついていない。棲みつけないからだ。

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