これでいいのだ!・か?

初老オヤジの 徒然日記
ポリシーは「もったいない」
「お金はかけるな 手間かけろ」

片町線 長尾木津間電化によるお宝写真?

2012年10月12日 | 懐古趣味?
古い写真出てきました。 廃線好きの私にはたまらん写真です。

片町線(今の学研都市線)は片町から長尾までは電化されていたが
その先は木津まで非電化でディーゼルカーでした。
(ただし四条畷までが複線でその先は木津まで単線)

電化に伴い「長尾」の先は「大住」でしたが途中に複線終点「松井山手」が新設されました。
その工事の際に 以前に何度もC11の蒸気機関車が走ってた頃に写真を撮りに行ったことのある
長尾駅から1km程 木津方面のトンネルはどうなったんだろう?と行ってみたときの写真です。
トンネルまでの線路は既設に沿って北側に上り単線追加で複線化したのでトンネル手前まで
高さは違いますがルートは以前のままです。

枕木とレールは撤去されています。


トンネル出口側は 松井山手方面の宅地開発のためか すでに造成で埋まっています。
(4枚目の写真は トンネルを通って反対側から撮ったこと思い出しました。)
長尾から大住までは 奥大谷、大谷トンネルの2本トンネルがありました 大谷トンネルも写真撮りましたがポータルが山形で微妙に造りが違いました このトンネルも
同じように埋められたのでしょう。 鹿背山のように古いトンネルは残ってる場所もありますがここは埋めてしまったのでしょう。

次にしばらく工事が進んだようなので 同じ場所に行ってびっくり!! した写真。
(写真の日付けは撮影日とは関係ないです 日付はずっと以前の設定のままです)

前2枚の写真のトンネルの場所が 左側の山は切通しになって正面の山も削られ 線路は埋め立てられ
トンネルの左側に複線の線路が出来ています。(この時はもう運行してました。)

とても同じ場所とは思えません。
はるか昔のことなので 2本のトンネル部分は複線化工事している間は旧線のレール撤去してから 新線を造るまで列車はその間は折り返し運転で長尾・松井山手間はバス?だったのか記憶にない。

しかし 地球というか地面は切土や盛土で 人間の都合でどのようにでも変えられるんですね~

明治に造られてうずもれたトンネルが哀れというか 懐かしい風景が消えていく
余部鉄橋もそうですが 仕方のない事ですが 思い出は心の中にしか無くて
変わっていくってことが 進歩なんやね。でも詫びし~寂し~

そのうち自分も消えるか・・・

明治の人が 手で積んだレンガが美しい造形です 上段の縁や段の所
今の型枠コンクリート製とは比べるべくもありません

京都南禅寺の水道橋のような美しさ 人の心が伝わります 
昔の人が後世の人の為を思って造ったのか 心情までは解りませんが
文明開化 富国強兵 世界の技術を取り入れ活気のあった時代でしょう

レンガを見ていると もうこの世にいないであろう当時の技術者・職人や
明治の人に対して  ありがとう ご苦労様 日本万歳 と心でつぶやく私です。

大谷トンネルの写真もありました。 夕方行ったので写りが悪いですが
ポータルの山形が解るでしょう かなり山も削られトンネル手前左の石積みも破壊されて
向こう側は上の方まで埋まっています。


追加写真
最初の線路が撤去された場所を走行中の 気動車の写真出てきました。


今のトンネル付近のカーブ