徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

聖徳太子のはなし。

2020-02-19 19:39:14 | 歴史
 先日の「新説!所JAPAN」(関西テレビ)では謎多き人物・聖徳太子を取り上げていた。さまざまなエピソードの中で興味深かったのは、戦前から七度も選ばれたという紙幣の肖像の話だ。戦後、GHQの最高司令官マッカーサーは、偉人たちの肖像を軍国主義につながるとして認めなかったが、唯一認められたのが聖徳太子。それは聖徳太子の十七条憲法の第一条に書かれた「以和為貴(わをもってとうとしとなす)」。これは平和主義者である聖徳太子を最もよく表している言葉であるとの日本側の説明に納得したからだという。はたしてマッカーサーはこの言葉の意味を正しく理解したのかどうかわからないが、説明者の機知を感じさせるエピソードだ。
 以下は番組を見ながら僕が感じたことである。

 十七条憲法の第二条に「篤敬三宝」(三宝すなわち仏・法・僧を篤く敬うべし)という言葉がある。日本における仏教の基礎を築いたといわれる聖徳太子の言葉だが、戦前の文献にはこの言葉の引用が数多く見えることから、かつては「篤敬」という言葉は日本人に広く使われていたと考えられる。昨年放送された大河ドラマ「いだてん」の中でさかんに使われた熊本弁「とつけむにゃぁ」という言葉の語源がはっきりしないのだが、「篤敬(とっけい)もない」から来ているのではと推測している。「篤敬三宝」を無視した非常識を戒める言葉だったのかもしれない。

 聖徳太子の寵臣だった秦河勝(はだのこうかつ、かわかつ)は能楽の前身である申楽(さるがく)の祖として知られる。室町時代に能を大成させたといわれる世阿弥(ぜあみ)はその伝書「風姿花伝(ふうしかでん)」の中で次のように述べている。
「推古天皇の御代に、聖徳太子、秦河勝に仰せて、かつは天下安全のため、かつは諸人快楽のため、六十六番の遊宴をなして、申楽と号せしよりこのかた、代々の人、風月の景を仮って、この遊びのなかだちとせり。」
 河勝の子孫、秦氏安が、村上天皇の時代(10世紀頃)に、河勝伝来の申楽六十六番から三番を選んで「式三番」としたと伝えられる。われわれが能楽を楽しめるのも聖徳太子のおかげとも言えるわけだ。


聖徳太子(元服前14才)
狩野師華(狩野琇鵬先生の奥様) 筆



「式三番」の中の三番叟(狂言師 野村萬斎) 画像クリックで動画再生