徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

花も花なれ 人も人なれ

2024-04-10 17:30:53 | ニュース
 不適切発言で辞任に追い込まれた静岡県の川勝平太知事が、辞める心境を問われて「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」という細川ガラシャの辞世の句を引用したと報道された。
 川勝知事の言葉選びの感覚には首をかしげたくなる。職業差別とも受け取れる発言はもちろんのこと、自己都合退職で巨額の退職金をもらう人が、ガラシャ辞世の句を引用してもらいたくない。

 先日、泰勝寺跡(立田自然公園)に立ち寄って細川ガラシャ廟にもお参りしたばかりだが、あらためて細川ガラシャについて。

 泰勝寺跡の細川ガラシャ廟には次のように説明されている。
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 ガラシャは明智光秀の娘で、本名を玉子という。織田信長の仲立ちで細川忠興の妻となったのは天正六年(1578)のことであったが、同十年本能寺の変で父光秀が主人の信長を殺したため、玉子は離別され味土野の山中に幽閉された。その後、豊臣秀吉の許しで復縁し、同十五年にキリスト教の信者となり、ガラシャの洗礼名を授けられた。
 慶長五年(1600)忠興が上杉征伐に従軍中、豊臣方では諸侯の婦人達を人質として大阪城内に入れようとした。玉子はその要求を拒み「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」の辞世を残して玉造邸に火を放たせ、三十八歳の生涯を終えた。
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細川ガラシャ廟(泰勝寺跡:立田自然公園)


ガラシャ夫人が最期の時まで身に着けていたクルス(実物)

本能寺の変の後、一時幽閉された味土野(京丹後市)

玉名女子高等学校吹奏楽部が演奏する細川ガラシャ讃歌「華の伽羅奢~花も花なれ 人も人なれ~」