社民党 京都府連合 野崎靖仁 副主席語録
社会民主党 中央規律委員 野崎靖仁、55歳。
日々の思いを綴ります。
 



統一地方選挙も終わり、
社民党所属の地方議員のみなさんも、ご活躍のことと存じます。

党勢拡大のためには、まず議員を増やさなければなりません。
過半数の議席をめざし、国会・地方議会で候補者を擁立し、
当選へ向けた活動を続けることは当然です。

しかし、国会・地方議会で過半数を制する可能性が低い現在、
党としての展望が見えにくいのも現実です。

そこで、ひとつ思いついた提案を。

社民党が、独自に首長候補を発掘・養成するのです。

社民党公認での立候補を前提とし、
「この指とまれ」形式で共闘を組む形にします。

民主党が常に首長選挙で候補者を擁立するわけではありませんし、
都合よく無党派・市民派の首長候補が出現するわけでもありません。

いずれにせよ、「どの候補に乗るか」という話が中心では、
「社民党が自治体で何を実現するのか」という、
具体的な議論につながりにくいのではないかと考えます。

今年の参議院選挙で、社民党は比例代表候補として、
上原 公子 前国立市長
山内 徳信 元読谷村長・元沖縄県出納長
という、首長経験者を擁立しています。

「何でも反対」ではなく、首長として行政をコントロールし、
政策を実現した実績ある人物を多数擁することは、
有権者へのアピールにもつながります。

全国の自治体で社民党首長が誕生し、
「シャミン首長国連邦」をつくりあげる。

霞ヶ関の官僚や、松下政経塾だけではない、
「もうひとつの道」として社民党が機能すれば、
政権獲得への希望も見えてくるのではないでしょうか。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




「平家ハ、アカルイ。」
「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。」
「人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」

太宰治 『右大臣実朝』で、源実朝の言葉として登場します。

これは太宰の創作であり、史実ではありませんが、
有名な言葉です。

源実朝は、鎌倉幕府三代将軍。源頼朝と北条政子の息子です。
十二歳で将軍となり、二九才で兄の息子に暗殺されます。

征夷大将軍となってから、実朝は急速に官位の昇進を遂げ、
心配した家臣が諫めると、
「諌めの趣もっともといえども、
 源氏の正統この時に縮まり、子孫はこれを継ぐべからず。
 しかればあくまで官職を帯し、家名を挙げんと欲す」
と答えました。

事実、頼朝の子孫は三代で断絶してしまいます。

それを予感していたのかは不明ですが、
実朝の生涯には、滅びの影が感じられます。

人はみな死への旅路を歩んでいますから、
どの人生にも、滅びの影は伴われているのですが。

社民党は暗いので、まだ滅びのときを迎えてはいないようです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )